開戦準備4
行軍は二週間ほど続いた。その間、目立った試練はなく、それはユウキの魔法と大軍のおかげであった。とはいえ、城壁が目前に現れた時の安堵感は計り知れない。その全貌を見た時の驚きもまた、大きなものであった。ムスコールブルクのそれより遥かに高い、石の城壁。四方の監視塔には無数の狭間があり、方向の自由が効くように三角形をしていた。一団が到着すると巨大な砲口が向けられて、兵士達の剥き出しの警戒心が一斉に届けられる。ロットバルトが口を開けた火砲に歓声をあげる。ムスコールブルクのような降雪の多い地域では、最新の兵器を持ち込むことが難しい。火薬が湿気らない方法の研究を進めるほどに、ムスコール大公国は火器に飢えていた。
城壁から赤煉瓦の屋根と純白の壁を持つ鐘塔が覗く。
「招待を受けているムスコールブルクのロットバルトだ。今日はよろしく頼むよ」
ロットバルトが紋章見せながら警備兵に言う。確認をとった警備兵は姿勢を正し、敬礼をした。巨大な分厚い門が開くと、都市の全容が遂に姿を現した。
「ケホッ……ケホッ……」
ラビンスキーは異臭に思わず咳き込む。ムスコールブルクがそうであったように、この町も当然排泄物が通りに放り投げられているわけだが、それを食する家畜の豚が食べてくれるのか、その姿は見られなかった。しかし、どこからともなく漂う気味の悪い異臭は強烈に鼻につく。
「なんだこの臭い……」
「死臭……かも……」
ユウキが鼻を覆いながら答える。一番平然としていたのは、意外にもモイラだった。瘴気と呼んで差し支えのない、淀んだ空気の中に、馬車は足を踏み入れる。
中途半端に西方化したムスコールブルクに比べて、純度の非常に高い西方文化が建物の各所に見られた。木造の建物は珍しく、基本が煉瓦積みで暖炉と繋がる高い煙突がある。教会はやや古臭いロマネスク様式であり、白い石造りの柱はムスコールブルクのそれよりも洗練されていた。
道路はとにかく狭く、馬車がひしめく市場へ向かおうとすると、必ず何度か停められた。人間の通行ならばまだしも、時には家畜の鶏がフラフラと道中をうろつくなんてこともある。
市場に近づくにつれて人通りは多くなり、同時に売り物件の量が目立つようになってきた。些かの不安を抱きながら、一行は薄ら暗い城へ向けて進む。
城の外観は殺風景極まりないもので、ムスコールブルク大公領の華やかさとはかけ離れている。せいぜい二階建ての城は苔の生した黒い石を整えて積み上げたもので、相当に年季がかかっているのだと容易に分かる。面長な構造で、窓は狭い。光を取り入れるためというよりは狭間のような役割なのだろう。総じてやや古臭く、城というよりは要塞としての役割を担わされていたことがわかる。
「ムスコールブルクの方が技術上なんじゃないの?」
ラビンスキーが思わず呟く。ユウキは城塞を眺めながら、静かに答えた。
「ここも西方の辺境地域だからね。元々は異教徒との戦いの拠点があっただけで、超がつくほどの田舎だったみたいだし……。ブリュージュとの婚姻政策は、かなり重要な案件なんだろうね……」
「ブリュージュの相続権が息子の下に転がり込んでくれば、諸君も一気に先進国だとも」
「!?」
一同は聞き覚えのない野太い声に一斉に振り返る。声同様見覚えのない身分の高そうな老人が、席を占拠して座っていた。ラビンスキーはすかさず助けを呼ぼうと叫ぶ。とかく大きな声で兵士を読んだのだが、不思議なことに反応が一切ない。老人はラビンスキーに醒めた目線を送り、ユウキは彼の首筋にナイフを突きつける。
「何者だ……」
ここで、身分のたかそうな老人が初めて口角を上げる。
「慌てるな。君たちがどのような者か事前に確認してきただけだよ。余の名はエルブレヒト・フォン・エストーラ。諸君がこれより向かう黄金の城の主人だよ」
「……!?」
「初歩的な魔術だよ。余は今もあの城内に居るが、ここにその姿を投影しているに過ぎない。無理はない、気配など、単なる虚像には存在しないのだからね。諸君は余のことを取るに足りぬ人物だと判断するであろう。それは大いに結構なことだ。だが、この程度は見せておかねば、諸君も余を見限るかもしれん。それで……」
彼はユウキの持つ刃先を眺める。ユウキはゆっくりと刃を仕舞い、後退りして跪いた。
「どれがロットバルト卿かね?」
「あっ、ここはロットバルトのいる馬車ではなくてですね、前方の立派な方にロットバルトが乗っているのですが……」
ラビンスキーが素直に答える。エルブレヒトは微笑する。木造の車輪が揺れるたびに、虚像が若干揺れるのがわかる。
しばらく気まずい空気が流れる。エルブレヒトはそうか、と呟いた。ラビンスキーが頷くと、それまで余裕綽々としていたエルブレヒトは静かに身を震わせる。
「ああああああああああ!!うわぁぁぁぁぁぁ!恥ずかしい、恥ずかしい、あああああああ!!!恥ずかしいいいいい!ゲッホゲホォ!」
頭を抱え、威厳を微塵も感じさせないほど取り乱して叫ぶ。
「もう終わりだ……!私は直ぐにでもこの街から退避する!ムスコールブルクにも舐められてしまうとはぁぁぁぁ!」
「あの、えっと……落ち着いて下さい?」
ラビンスキーがなだめると、エルブレヒトは惨めに泣きじゃくりながら鼻をすする。
「うわぁぁぁぁん!うわぁぁぁぁん!マックス!マックスはいるかぁぁぁぁ!?」
「父上、煩いです」
遠くから呆れたような若い男の声がする。
「うう〜、どうじようまっぐす〜、違う馬車だったよぉ〜」
「とりあえず魔法を解除してからにして下さい!みっともない!」
老人は最後に飛び上がり、顔を真っ赤にしながら祝詞を唱える。老人の虚像は音も立てずに跡形もなく消えた。
「え?……その、え?あれが皇帝?」
静まり返った馬車の中で、ユウキがラビンスキーに尋ねる。ラビンスキーは苦笑いで誤魔化した。
「すごく優しそうな人でしたね!良かったです!」
(確かに、却って話しやすくなったかもしれない……)
ラビンスキーは、心の中で皇帝に多大なる感謝の念を送った。
書き溜め分終了です。
 




