故人、ラビンスキー
東京という町がある。異国情緒あふれるエキゾチックな景観を期待していたラビンスキーは、正直落胆した。飛行機で退屈な空の旅を楽しみ、居眠りなどをして辿り着いたのは、いたって普通の大都市だった。賑やかしいビル街には冷たい風が吹き荒み、ひっきりなしに通り過ぎる人々が青に変わった信号を足早に通り過ぎていく。町の隅あちこちにはアメリカかぶれの飲食店のゴミがあり、行きかうスーツの男達の死んだ目を見ると、自分のいる場所が酷く窮屈に思えるものだ。
ラビンスキーはいたって普通の事務員である。日本に溢れるある種「奇妙な」文化に触れて興味を持ち、来日したはいいものの、広がるのはちょっと感じのいい大都市であった。武家屋敷や寝殿造りもなく、たまに見る小さな古臭い木造建築が寺院というものであると知り、いよいよ嫌気がさしてきたところだ。調べてみると古都京都に向かえば期待する類の場所がたくさん見られるらしいが、今さら移動するのも億劫である。
結局、彼はビル間風にちょっとした郷愁を感じながら、排気ガスと堂々たるガラス張りの街路を満員電車の中で座席を探るような窮屈さで彷徨うことにした。
それでもちょっとした悔しさは消えず、時折気晴らしに巨大な建物の中に入っていき、便利な家電製品や無意味な機能を持つ携帯電話などの行列を吟味する。実に機能性に優れた多様な機器の数々は、彼を喜ばせこそしたものの、ふと我に返ってみると途端に虚しさがこみあげてくる。モスクワでいいじゃないか、と小さく呟いた。
そうこうするうちに日は傾き、彼はそろそろホテルに戻ろうかと踵を返した。7階分のエレベーターを下って一階のフロアに出ると、ずっと歩き続けた街路が雰囲気はそのままで現れた。彼は自動ドアを潜ると途端に道端の風景に同化していった。
彼が予約先のホテルへと向かう途中で、空には淡い青色のベテルギウスが一層光を強め始めた。やがて昼間とは打って変わって楽しそうにビルの間を歩くスーツの男たちがちらほらと現れ始める。日本という国の行く末にかつての鷲の旗の面影を見て、彼は目を逸らすようにしながら町の流れに任せて舗装された道路を歩いた。
ホテルにあと一歩と言ったところで赤信号に引っ掛かった。彼はちょっと舌打ちをして信号機にもたれた。スーツの群れの向かい側では中国人の一家が薬局の買い物袋を抱えて大声で何やら話し合っていた。赤信号の横断歩道の向かい側で楽しそうに顔をくしゃりとさせる様がスマートフォンを片手に首を折り曲げる若者たちの中で異様なほど目立っている。ほんのりと加齢臭の香る中で、何となく優しい気持ちになったラビンスキーは、中国人の騒々しく騒ぎ立てる様をじっと眺めていた。
赤信号が青に変わろうかという頃、右折する巨大なトラックが彼の待つ交差点を速度を落として通り過ぎようとする。それに向かって、白い対向車が赤信号にもかかわらずものすごいスピードで突っ込んでくる。彼の目の前で突然ブレーキの轟音がして、彼を含んだ人々が一斉に横断歩道から距離を置いた。
刹那、耳をつんざくような轟音と共に白い車の車体がぐにゃりと曲がって硝子が飛び散り、人々が合唱でもするように悲鳴の嵐が巻き起こった。
ラビンスキーは目の前で白い車からあらゆる部品がとび散っていくのを見て、恐怖のあまり立ちすくんだ。そして、彼の眼前に途轍もない速さで破砕した車の巨大な金属片が飛んできた。彼は咄嗟に体を逸らそうとしたが間に合わず、次の瞬間には目の前が金属片でいっぱいになった。その後、視界は真っ暗になって、結局意識が戻ることはなかった。