入学編6
次の休憩時間、栞が集の席に行こうとする途中、愛が邪魔するように話しかける。
「ねえ、ちょっといい?」
「はい?」
連れ出したのは屋上。
今は他に誰もいない。
「あなた、な、無神君、と、校舎裏の、狭い、スペースで、何を、していたの?」
滅茶苦茶なイントネーションで途切れ途切れに言い切る。
「えっと…………」
苛めを受けたのを励ましてもらったとは言えない。特に前半が嫌だ。
その瞬間、愛が俯いて魔力を吹き出す。
「魔力…………解放…………」
髪でよく表情が見えない。
栞は冷や汗を流しながら白状する。
「目が死んでます……た、たまたま会ったんでたわいもない話をしていただけです。はい。」
「あんな、人気のない、場所で?」
「ほんと、偶然、はい。」
「そう。偶然」
「はい。偶然、あはは」
愛の表情はまだ見えない。
無言のまま地獄のような数分。
「……そう。ならいいわ」
そう言って愛は立ち去った。
その場に崩れ落ちる栞。
それからも栞が集の席に行こうとするたびに愛が邪魔するように話しかける。
「星野さんって桃野さんと仲良いの?」
「うわっマジか」
「桃野さんに言われたら俺らヤバイよ」
「ヤバイ」
栞をいじめている生徒達の声は本人達には聞こえない。
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「はあ、誰か来ないかしら」
暗闇の中、空色の美しい髪を指でくるくるしながら、少女はつまらなそうに呟いた。
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今日も集は栞に技を教える。
「『纏い』と『飛斬』は出来るようになったね」
「ありがとう無神君」
「多分それで充分だと思うんだけど、金髪さんに本気を出させた技を覚えたいんだっけ?」
「うん」
「分かった、教えるよ。じゃあ見せてあげるね」
「うん」
「いいよっていったら『纏い』使って俺に思い切り攻撃してみて」
「え、でも」
「闘技場は上級生達が使ってて使えないから」
「でも……」
「それ模擬剣だから、怪我はしないよ」
「でも『纏い』使うし」
「まあ大丈夫、見てて」
集の表情が変わり、魔力の膜が半球状に展開される。
達観した瞳に見つめられた栞は頬を染めて目を見開く。
「いいよ」
感情を感じさせない冷たい声。
「はあぁぁ!!」
栞は駆け出した。
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とある廃墟。
6人の男女が懐中電灯を片手に歩いている。
「やっぱ止めようよ、絶対何かいるよ」
「あはは、じゃあ一人で帰れば?」
「うぅ」
「うわ!」
「どうした京子!」
「今、女の人が……」
「ま、マジかよ」
「はあ?どこだよ」
「うわ!……なんだ鼠か」
「こほっこほっ」
「大丈夫?咲ちゃん」
「ちょっと寒気が、こほっ」
「風邪じゃない?」
「そうかも。あれ?なんか楽になった」
彼らの話し声と足音が離れていく。
再び廃墟に静寂が訪れる。
そこに静かに佇む血だらけの女性。
不意にぎろりと後ろを睨む。
懐中電灯の灯りが近付いてくる。
やがて、若い巫女が現れた。
「まったく、見えもしないのに来ないでほしいわね。一人取りつかれてたじゃない。遠くから祓うの結構疲れるんだから」
血だらけの女性がぺたりぺたりと巫女に近付く。
長く血のこびりついた髪で完全に顔が隠れている。
「はあ……【式絶結界】第一術式、展開」
周囲の景色がぐにゃりと歪み、戻る。
女性がぺたぺたと近付いてくる。
「【式神召喚】仙魔」
護符を投げると、弱い閃光と共に青白い半透明の鹿が現れた。
女性の歩みが止まる。
「やりなさい」
巫女の声に合わせて鹿が頭を振りかぶる。
女性はぺたりと後ろへ下がろうとするが、壁でもあるかのように下がれない。
やがて、鹿の大きな角の間から神聖な光が放たれる。
光がおさまると、そこには何もいない。
「よし、結界解除」
周囲がぐにゃりと歪み、戻る。
「ただの地縛霊ではないか」
「ふひゃっ!?」
柱の陰から壮年の男が姿を現す。
「ただの地縛霊相手にわざわざ式神を使うでない、もったいない」
「す、すみませんお父様」
「済んだことだ、もう良い」
「……はい」
「時に麗子」
「はい?」
「最近、好きな男でも出来たか?」
「?……お爺様もお父様も大好きです!」
「………まあ良い」
「?」
そこに、奥からまたぺたりぺたりと足音が近付いてくる。
懐中電灯に照らし出されたのは、一人の童女だった。
不気味な笑みを浮かべて佇むそれは、とても異質だった。
前髪で隠れて目は見えない。
「よせ、見るな」
男が巫女を手で制す。
「あれは少々お前には荷が重い」
「はい、お父様」
童女の周辺は黒いもやがかかっている。
「お父様、あれは?」
「妖気だ」
「妖気?」
「妖気を放つ霊は決まって質が悪い」
童女から二人へ黒いもやがゆっくりと迫る。
「触れるな、麗子」
「はい、お父様」
男が指を二本立てて口の前に添える。
「【式絶結界】第三術式、展開」
周囲が歪み、戻る。
童女の口の端がつり上がる。
黒いもやもやが消え去るが、再び童女から流れ出す。
「厄介な」
童女の垂れ流す妖気が結界を蝕む。
結界内の足下には妖気が充満し、二人の生命力を徐々に蝕む。
「臨・陣・烈・在・者・闘・鎖・覇!」
男の袖から翡翠色の鎖が数本飛び出し、童女を絡めとる。
鎖は妖気を吸いとっていく。
「麗子、式神を」
「はい、【式神召喚】仙魔!」
護符から大きな鹿が現れ、閃光を童女へ放つ。
数分後閃光が止むと、そこには変わらず口角をつり上げて俯く童女がいた。
「なっ、化け物か」
「お父様……」
「くっ、【式神融合】界牙」
翡翠色の閃光が男を包み、中から甲冑の男が現れた。
「麗子、隅にいろ、こいつは危険だ」
甲冑の男が同じ声で巫女に話す。
「ぐっ……【霊絶結界】」
甲冑の男が巫女に手をかざし唱えると、巫女の体を薄桃色の光が覆った。
童女から莫大な妖気が迸り、薄桃色の光に覆われた巫女には届かないが、男を甲冑ごと蝕む。
「まさか、千年級か……」
どんどん生命力が吸われていく。
男が決死の覚悟したとき、童女がびくりと震えた。
そして妖気が童女のもとへ集まり、ぶるぶると震えだした。
「何だ?何が……」
そこで男が凍り付く。
気付いたのだ。
あまりにも強大で、恐ろしい気配に。
この国を、世界を揺るがすような存在がそこにいる。
「この国は、滅ぶ、のか」
その時巫女は、生まれて初めて父親の絶望した表情を見た。
ぱりんと結界が砕け、白い何かが侵入する。
それはあっという間に童女を喰らい、式神を喰らった。
「フム、不味イ」
見た目は蛇だ。
大きな白い蛇。
しかしあれは在り方からして蛇と呼べるような存在ではない。
あれはなんなのか?
なんと呼べばいいのか?
そう、言うなれば
―――神
「麗子!ひれ伏せ!」
男はひたすらに自分の、この国の生を願った。
「は、はい!」
巫女も父の態度から、目の前の存在がどれほどのものなのか悟った。
いつしか二人は血の涙を流していた。
二人はひれ伏し、目の前の蛇に命乞いをした。
恥も外聞も無い。
蛇は去ったが、二人は次の日の昼までひれ伏したままだった。
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ある日、集は恋愛相談を受けた。
「俺、桃野さんが好きなんだ」
「そうなんだ」
集の淡白な反応に、何故かその男子――水森 幹太は安堵した。
「どうした?」
「いや、無神と桃野さんってなんか怪しいと思ってたから」
「そうかな……で、なんで俺に?」
「いや、もしそうなら、宣戦布告しようと」
「ああ、なるほどね。安心して、俺は別に桃野さんと親しい訳じゃないから」
「良かった~」
「もしよければ、俺が協力するけど?」
「マジ?!」
「うん。その恋、成就させてあげるよ」
「ありがとう!!神様!!」
「神じゃないよ。無神だよ」
改めて幹太を見る。
ルックスは中の中。
身長も中の中。
魔力量も中の中。
性格は普通。
何かアクションを起こさなければ、望み薄だろう。
集は悩みに悩み、ある作戦を伝えた。
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愛はいつも遅くまで特訓している。
今日も特訓を終えると、外は暗い。
青灰学園は広い。
なので、特訓できる場所もたくさんあり、愛はその中で人の少ない所を好んで使っていた。
剣を返却し、帰路につく。
途中の自動販売機でスポーツ飲料かお茶かで迷っていると、誰かに肩を掴まれた。
「ひぃ!」
竦み上がる。
今は丁度魔力をほとんど使い果たし、体力も限界に近い。
「おい。ついてこい」
この声は……
間違いない。
愛の中学時代からの意中の相手、無神 集だ。
こんな人のいない夜に、なんの用だろうか。
胸が張り裂けそうな程ドキドキする。
手を繋いで連れてこられた場所は、体育館の用具倉庫だ。
鍵をぶっ壊し、中に連れ込まれる。
これは、間違いない。
「こ、これから俺は、お前をめちゃくちゃにする!」
ああ、幸せすぎて死にそう。
「はっはっは!お前はこれから俺のこの溢れる性欲の犠牲になり、傷物になるのだ!はっはっは!」
「そ、そんなぁ~♡やだ~♡誰か助けて~♡」
「誰も助けになど来ない!この壁は防音だ!いくら叫ぼうが、音は一切外に漏れん!恐れ戦け!」
いくら喘ごうと、一切漏れない!
最高だ!
頬を伝う幸せの涙。
「こ、これから俺は獣になるからな!分かったな!」
集はそう言って、目の前の美少女を強引に押し倒す。
見ると、愛は泣いていた。
可愛そうだが、もう少しだ。
もう少しで君のヒーローが現れる!
「ああ!もう抑えられない!さっさと食べてしまおう!」
これが合図だ!
「ちょっと待てーー!!」
ドカーン!
幹太が、ヒーローの如く扉を開け放ち、決めポーズ。
「泣いて抵抗する女の子を強引に押し倒すとは!なんと卑劣な!この俺、水森 幹太が許さない!」
「な、なんだとー!ここは防音の筈なのにー!」
「俺には嫌がる桃野さんの声が聞こえたんだ!!」
「くそー!良いところを邪魔しやがってー!覚えてろよー!」
迫真の演技の幹太に、なかなかの棒読みで集は逃げ去っていく。
「大丈夫かい桃野さん?この俺、水森 幹太が来たからには、もう大丈夫だよ」
「…………」
愛は目が死んでいた。
「危ないところだったね」
「…………」
「俺にはちゃんと桃野さんの悲鳴が聞こえたんだ。いやーこれも愛の力………なーんちゃって!あははは!くー、恥ずかしい。でももうちょっとだ、俺。ファイト、俺!もうち―――」
幹太の頬に、愛の右の拳が練り込んだ。
激しい物音をたてて吹き飛ぶ幹太。
「い、痛い……どうしたの、桃野さん?」
「………顔に虫がいたから」
なんと、わざわざ顔の虫を潰してくれたらしい。
なんと心の優しいことか。
ますます惚れてしまう。
「駄目だよ……これ以上惚れちゃ――」
「ごめん、手が滑った」
幹太の鼻っ面に、本日2回目の右ストレートが突き刺さる。
手が滑ってしまったらしい。
それは仕方がない。
悪者、無神 集から彼女を救った幹太は現在好感度MAXな筈なので、とどめの決め台詞をお見舞いする。
「これからは、俺が守ってあげるからね、命にかえても」
爽やかな笑顔を向ける。
対する愛は、なにやら固く握った右の拳を、左手で必死におさえ付けている。
「に………逃げて………今の私は、危ない」
どこまでもこちらの身を案じてくれる、優しい女の子。
しかし、彼女の様子がおかしい。
どこか調子が悪いのかもしれない。
「も、桃野さん!おおお俺がお姫様だっこで保健室に―――」
幹太の脳天に、かかと落としが炸裂した。
「ごめん、頭に虫がいたから」
彼女を救いだした幹太は、どうやら虫にも好かれているらしい。
「無神君はどこいったの?」
愛の声からは、一切の抑揚が消えている。
「さあ。でも、この俺が来たからには、もう安心だよ」
幹太は髪をさっとかきあげ、決めポーズ。
「無神君はどうしてこんなことをしたの?」
「さあ。桃野さんのことが好きなんじゃない?」
びくんっ
愛が一瞬、雷に撃たれたかのように痙攣した。
光を宿していなかった光彩に、星のような輝きが宿る。
「何を血迷ったのか分からないけど、あいつは俺の友達なんだ。だから、許してやってほしい」
友達を庇う俺、超イケメンじゃね?的な決め顔で、普段より五割ましで渋い声で語りかける幹太をよそに、愛は陶酔したような表情でふらふらと揺れていた。
「……さ、去らばだ!」
愛がエロすぎた。
幹太は愛の大人の表情に撃沈し、鼻血を垂れ流しながらなんとか寮へ戻った。
作戦成功だ!
あの顔は、確実に恋する乙女の顔だ。
無神 集の作戦は、見事成功したのだ!
今度あっちから相談を持ちかけてきたら、全力でのってあげようと心に決めた幹太だった。
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次の日の放課後、集は愛に屋上に呼び出された。
「あの、昨日の事なんだけど……」
「ごめん。突発的にムラムラしちゃって、体が意志と関係なく動いたんだ。いやー、水森が来なかったら、取り返しのつかないことになってたよ!」
「え………」
「水森には感謝だね!水森は君を救ったんだ!まさに王子様だね!」
「じゃあ、あそこにいたのが私じゃなかったら……」
「その子をめちゃくちゃにしてたかもね!でもそれも水森が助けたと思うよ!」
「…………」
愛は無表情になった。
いかなる感情も読み取れない。
「もし、あのとき、その水森って人が来なかったら?」
「取り返しのつかないことになっていたよ。危なかったね」
「もしそうなったら?」
「……謝る」
「それじゃあ済まされないよ。責任はとってくれた?」
「え?ああ、うん」
「!……けけけ結婚してくれた?」
「えっと、もし取り返しのつかないことになってしまったらね……でも、水森がそれを――」
「もういい」
愛のなかでは、幹太への殺意が渦を巻いていた。
あのゴミ虫とは口をきかない。そうしなければ、ふとした瞬間に殺してしまう。
愛は殺意を精一杯抑えつけながら、その場を去った。
寮へ戻る途中、おかっぱ頭の少女が集に話しかける。
「集!わたし、『飛斬』が出来るようになったよ!」
「……誰?」
「美桜よ!神楽木 美桜」
「ああ、いたね、そんな子」
「ひっど!同じクラスじゃん!」
「冗談だよ、冗談」
「なんだぁ、冗談か。それより集!人のいない場所にいきましょ!『飛斬』を見せて上げるわ!」
はしっ!と集の腕をホールドし、捕まえたとばかりに笑って美桜は集を連れていく。
それを栞は少し離れた所から愕然と見ていた。
なぜだか胸が痛い。
これ以上見たくない。
正体不明の感情に突き動かされて、栞は集達から逃げるように駆け出した。
美桜の『飛斬』を適当に褒めた後、寮へ戻る途中で集は栞とばったり出くわした。
「……誰ですか?」
冷たく聞かれる。
理解した。
栞は記憶喪失なのだろう。
「俺は無神 集。そして君の名前は星野 栞」
「知ってるわよ!」
「……じゃあなんで聞いたの?」
「……無神君、さっき神楽木さんと何を話していたの?」
「あいつが『飛斬』を見てくれって言ってきただけだよ」
「……そうなの?それであんなに腕を絡めてたの?神楽木さんって無神君のこと、好きなの?」
「好きではないと思うよ?純粋に『飛斬』を見てほしかったんだよ」
「…………」
急に気持ちが落ち着いてきた。
「どうした?なんでにやけてるの?」
「に、にやけてない!」
栞は自分のなかに潜む感情が何なのか理解出来てきていた。
この感情は……