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平穏な生き方

平穏が好きな僕は平原の草のようだと思う。

穏やかな風にも激しい風にも、誰かの足に踏まれても恵みの雨に打たれても、抵抗することなくそれを受け入れ、しなり、形を変える。

僕はしょっちゅう欲がないと言われるが、その意見には賛成できないと常々思っている。

だって最も大きい野望とも言える「幸せに生きる」ということを欲しているのだから。

普通の人間のように物を得て、つまり水、食べ物、おもちゃを得て幸せを欲するのではなく、自分にとって不快なものを「得ないこと」を欲している。得たいものより得たくないものの方が数が多いに決まっているのだから、その点で僕は欲張りと言えるのだ。

勿論、得たくても得られないものがあるように、得たくなくても得てしまうものはある。

にわか雨を例に挙げると分かりやすいかもしれない。将来的には違ってくるかもしれないが、今のところ天候を操ることは出来ない。にわか雨はその時点で屋外に出てる人間は享受する、というよりしてしまうことになるが、大多数の人間は欲さない。

僕の体験も外見的には違って見えても、本質的なところでは変わらない。

数ヶ月、いや数年前の出来事か、僕は学校で死体をみてしまった。人間の。

それは屋上の中央で大の字に横たわっていた。女子だった。何かバットのようなもので殴られたみたいで、血が辺りを染めていた。

誰とも顔を合わせる必要のない屋上で弁当を食べようと思っていた僕は、いわゆる第一発見者になったのだった。

倒れている人影がもう死んでいることを確かめると、さすがの僕もすぐに行動を起こすことは出来ず、少しの間考えをめぐらせた。

そして・・・・何事も無かったかのように、ごくごく自然に死体に背を向けると、誰も見ていないことを確かめた後、階段を降りて教室に戻ったのだった。

なぜ人に知らせなかったのか、常識のある一般人ならきっとそういうだろう。でも僕は言いたい。なぜそんなことをする必要がある?他人に迷惑をかけない範囲で僕は自由に行動しているのだ。責められる覚えは無い。

それでも一応、常人だと僕の本能に従った何も不自然ではない行動でも、きっと理解できないだろうから、誰にも気取られないように注意を払った。

結局見つかったのは、いや僕以外の人間が見つけたのはその翌日だった。

それからしばらくの間はマスコミやなにやらで極めて不快で騒々しい毎日を送ることとなってしまったが、やがて忘れられていった。誰も僕が真の第一発見者だなんて知らずに。


死体を見てもショックを受けず、ペン回しの最中にペンを落としてしまった程度に認識し、僕は今も平穏に生きている。外部の刺激にも翻弄されずに、草のようにしなやかに、生きている。

僕はきっと、死ぬ最後の瞬間まで穏やかな顔でいるだろう。僕の平穏を奪える出来事なんて、何も無いのだから。

なんというか、衝動的に書いちゃいましたね。


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― 新着の感想 ―
[一言]  「平穏」を表現する言葉がこの物語を読みやすくした。特に「平原の草」あたり。  衝動的に書いたと語っておられる通り、少しまとまりと構成の完成度が欠ける、と感じた。もったいない。  次回に期待…
[一言] 処女作とはだいぶ作風が変わりましたね。 ミステリアスな雰囲気と主人公の気持ちの対比がとても上手に 表現されていて、素敵な小説になっていると思います。 これからもがんばってくださいね。応援して…
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