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死の淵にたって

作者: ひいらぎ

下から込み上げる風がひどく冷たい。


塀から上半身を乗り出して、見下ろす。すごく、高い。地面が遥か遠くに見えた。


ぶるっと体が震える。それは、きっと寒いからだ。けっして恐怖しているのではない。大丈夫だ、大丈夫。もうすぐ、終わるんだ。何も考えなくていい。


震えをぐっと押し込める。そして、塀に両手をかけ、体を持ち上げた。なんとか、乗り越えて、その先に足を降ろした。もう一度、見下ろす。やっぱり高い。またもや、震えが体にまとわりついてくる。


昼下がりだというのに、灰色とした雲が空を覆っていて辺りは薄暗い。まるで、今の私の心中を反映しているかのようだ。


あと、一歩でも足を動かせば、そこには何があるか。目前には、毅然として立つビルの群れ、しかし、その下には...。それは、確実なる死の領域。


風が目に入るのが痛くて、目を瞑った。


今の状況の私を見たら、家族は何を思うだろうか。『そんな馬鹿なことはやめなさい!』と、凄惨な悲鳴を上げながら制止しようとする母の姿がありありと想像できた。隣では泣いている妹と弟の姿も。


ごめんなさい、お母さん、それにみんな。でも、今さらやめることはできないの。もうこれしか楽になれる方法がないから。


大丈夫、大丈夫と何度も反芻してから目を開いた。やはり、さっきと変わらない風景。視線を俯かせると、見えてくる深淵。込み上げる風の流れは、まるで地の底へと手招きしているように思えた。冷たい風がつうっと肌を撫でた。


先程から、あと一歩を踏み出せないでいる。


やっぱり怖い。ずっと止まらない震えがそれを証明している。もはや、否定の仕様がなかった。死ぬのが怖い。


でも、なんでだろう、今さらなんで。他に選択肢は残されていなかったし、それ相応の覚悟もしてきた。ただ生きているだけで、鋭利なものを深々と、理不尽なまでに心に突き刺してくる現実に対して、もう諦めはついていたはずだ。


それなのに足は鉛が乗っかったように重く、動いてはくれない。自分には、死ぬことさえできないのだろうか。このまま、なんの意味もなく、苦しい中を生き続けるほうがずっとつらいはずだ。


沸き上がる恐怖に抗って、何度か試みるがやはり駄目だ。どうしても、あと一歩が踏み出せなかった。


ふと、頭に何か触れた。雨だ。意識した途端、どっと強みを増す。着込んだ衣服がたちまち雨水を含んで重くなった。


仰ぎ見ると、空はさらに黒く淀んでいる。


もう帰ろう。どうせ無理なんだ。できもしないことのために、ただ突っ立って雨に撃たれ続けるのは、とても耐えきれない。帰ってから違う方法を考えよう。


引き返すため、振り返ろうとした。その瞬間。強風が襲った。それは、下から、はたまた真上から、どこから吹いていたのかは分からない。


ただ、


気づくと体が宙に投げ出されていた。間もなく、降下する。事態を飲み込むより早く、さっと頭に浮かんできたのは、今までの記憶。


たいして厚みのないそれは、走馬灯として頭をかけ巡った。


その次に浮かんできたのは。ああ、落ちてるという感覚。


見えている景色を一瞬の内に切り裂きながら、落ちていく。


さっきまでは遥か遠くに見えた地面。それがもうすぐそこにあった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 綺麗です。 続きを読みたくなります。 [一言] 一緒に頑張りましょう。
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