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働く女は恋に落ちない  作者: おきのおるか
第2章 恋してなんていません
9/9

第9話

 困難というのは人を成長させる起爆剤のようなものなのだろうか?


 千里が梶田に自分の篭っていた小さな器をたたき壊されて自分でも驚くほど成長したように、千里が教える新人達もまた、台風の襲撃で飛躍的な成長を見せていた。

 初めて配属されたプロジェクトで初めて手がけた仕事を開始2ヶ月にして全て無に帰された可哀想な新人達は、もちろん最初はショックで茫然自失の(てい)だった。

 ところが、彼らはしばらくしてそのショックから復活すると、千里が驚くような熱意で黙々と仕事をこなしている。


 もちろん半ば意地である。

 でも、やる気のない人間は意地にすらなれない事を千里は知っている。


 千里に託された3人の新人達は、名前をそれぞれ加藤、高橋、桜木と言った。

 加藤はもともと理解に少し時間がかかるものの、こうと決めたらてこでも動かない頑固さがあり、仕事をやり遂げるまでいくらでも社内に残って与えられた課題に取り組むタイプだった。

 だから千里も加藤1人に関してならばそこまでは驚きはしない。


 けれど高橋は勘所がよく成長が早い分、元々は残業が嫌いで定時後の余暇は本来趣味に使いたいタイプだったし、桜木ーープロジェクトメンバーで千里以外の唯一の女子ーーはお喋りの好きな明るい女の子だったけれど、どこかほわほわとした雰囲気で、最初の頃など台風の襲撃がいかなる状況を生むのかすらよく把握できていない節があった。


 それが今や3人が3人とも目の前の仕事に必死に取り組み、1つでも多くの課題をこなそうと奮闘している。

 千里は時計を見上げた。時刻はもうすぐ夜の9時になるところだった。


「はい、全員1度手を止めて。

 現在取り組んでいる課題の状況報告をお願いします。

 現時点で片付く目処がついていない課題は、これ以上残ってやっても体力を消耗するだけなので、明日また着手することにして今日は切り上げて。

 後30分以内に片付けられる目算のある課題のみ仕上げてしまって下さい。

 何かトラブルがある人は、今から順番に席を回りますのでその時に報告して下さいね」


 千里のアナウンスに、3人の新人達は集中のため緊迫した雰囲気を少しだけやわらげて息を吐いた。そこに残念そうな、悔しそうな感情が混じっている事を千里は敏感に感じ取る。もっと仕事を進めたかったけれど、もう1日の区切りが来てしまったという感情だ。


「加藤君、どう?」


「昨日からやっている担当の課題ですが、8割方できてます。

 今日の午後は理解が足りなくて手こずりましたが、さきほど糸口が見えたので後30分…いや、45分…あれば終わると思います。

 終わらせて帰りたいです」


「その後45分の見積もりの信憑性、加藤君は自分で何%くらいだと思う?」


「う……ご、50%くらいです……」


「だよね。見積もりに希望的観測を混ぜちゃ駄目です。

 これ、純粋な作業量を見ても後1時間以上はかかるよ。ミスの見直しと修正を含めたら最低1時間半は見積もらないと。今日はもう帰って、明日の午前中にミス率0で仕上げられる事を目標にしてください。

 このデータはすぐにお客様に提出するものだから、完成度の高いものを作ることも大事だよ」


「はい」


 加藤はおとなしく資料を保存して帰り支度をはじめるが、その肩には目標を完遂しきれなかった悔しさがにじみ出ている。加藤の目標設定は、ここ1ヶ月でずいぶんと高くなった。

 前のめりな傾向は変わらないが、実力が着実についてきているのを感じる。たいした成長ぶりである。


「高橋君は?」


「桜木さんの作業ヘルプ用のパーツ作成ですが、構成案できました。

 午後に桂木さんにチェックしてもらって、構成案のOKは出てます。

 今は作成の下準備に入っていて後20分ほどで完成しますので、完成させたら帰ります」


「はい、了解です。……作業の方は大丈夫そうだね。

 高橋君、昨日も結構遅くまでやってたけど体力は大丈夫?

 どちらかというと短期集中タイプでしょう、台風はまだまだ続くから、いざという時の体力温存も考えたペースでお願いね」


「大丈夫です。

 このパーツの作成が終われば桜木さんの作業も楽になるはずなので、作成できたら少しペース落とします」


「頼りにしてます。ありがとう」


 高橋は以前は周囲のことをここまで気にしなかった。


 千里は元々、グループで仕事をしているからといって、定時を過ぎて自分の作業が終わった時に他の誰かの作業を手伝うかという声かけは不要だと新人達に説いてきた。

 適性を考えて作業を割り振っているし、忙しさの時期はそれぞれの専門分野によっても異なるからだ。

 けれど自分の作業が終わった後、顧客にその製品が届けられるまでにどんなプロセスを辿るのかを意識するのは大切なことだ。

 自分の作業が後続にどんな影響をおよぼすかを各々が把握することで、チームの仕事の流れは格段によくなる。


 高橋は最近、その流れを少しずつ意識するようになってきていた。以前は純粋に自分の仕事は自分の仕事、他人の仕事は他人の仕事と切り分けていた視点が少し変わった。視野が広がったのである。

 これまたたいした成長ぶりだった。


「桜木さんはどうかな?」


「はいっ。

 私の今の担当箇所はボリュームが多いんですが、こことこっちは高橋君が作ってくれるパーツがあれば楽に進むはずなので、今は手をつけていません。

 先にこの部分をやってるんですが、1つ気になることがあって……」


 桜木は、他の2人の報告を千里が聞いてまわっている間に、ボリュームの大きな自分の担当箇所をスムーズに説明できるよう、色々な資料を広げて待っていた。


「で、このパーツとこのパーツは同じ機能のはずなのに、分断されていて構成も違うんです。

 一緒の構成にしなくていいんでしょうか?」


「う……一緒にするべき、ですね。

 うーんこれは構成案を他所の会社に依頼して作ってもらった部分なんだけど、擦り合わせがうまくいってないなぁ」


「私、作る時に直しちゃっていいですか? 資料も私が更新してもよければ、一緒に直しておきます」


「……はい。お願いします。

 手直しの修正案が出来たら桂木さんのチェックを受けて、OKが出てから実際の修正をすすめてね。

 今から修正案を作らなくていいから、明日、続きの部分から進めてください」


「はいっ」


 桜木は、疲れているはずなのに明るい笑顔で元気よく返事を返した。

 彼女もまた細かいところによく気付くようになったと千里は思う。


 高橋が後続の流れを意識するようになったのと同じように、桜木は現在自分に預けられた仕事の内容から本来の目的を把握し、理想の形がどうあるべきかを想像するようになった。

 もちろん完璧ではない。完璧ではないが、与えられた作業をただこなすだけではなく、その目的を理解することもまた物作りの大切な要素である。

 桜木は元々気のきく性格だったようで、細かな部分ではあるが、今日のように前任の作業の不完全なところに気付いて品質をあげてくれたりする。

 桜木の成長にも目を見張るものがあった。


(ほんとにみんな、ちょっとの間に頼もしくなったなぁ)


 まだ熱意のくすぶっているかのような3人を追い立てるようにして家に帰したのが9時半すぎ。仲のいい3人は一緒に帰るつもりらしく、高橋の作業が終わるまでの間に加藤と桜木の2人で軽く掃除までしていってくれた。


「いやー、若者は元気があっていいなあ。

 年を取ると連日この時間はなかなかつらい」


 3人がいなくなったことを見届ると、桂木が大きく伸びをして、そのままぐったりと椅子に身体をもたせかける。他の社員もほぼほぼ帰ってしまってがらんとしたオフィスに、今までよりもラフな空気が漂った。


「桂木さんはそういう事言ってるうちはまだまだ働けますね」


「西村さんは相変わらず手厳しいですね」


「余裕余裕、とか嘯きはじめた頃が桂木さんの危険サインですから。もう覚えました」


「全然信用されてないですね僕」


「もちろんです。信用されるようになってください」


 軽口の叩き合いをして、ふっと笑う。

 実際桂木は、体制こそ崩したものの疲れた様子を全く見せていない。むしろ帰っていった3人をはるかにしのぐ熱意を秘めていることを千里は知っている。ただその熱意が新人達のようにくすぶりながらあふれているわけではなく、もっとスマートに奥底にしまいこまれているだけなのだ。


 それでも一目見ればわかる。どんなに夜遅くまで残っていてもけして衰えない、引き締まるような精力的な雰囲気。いつもいつも力強い輝きを湛えた眼差し。

 千里がこの仕事に賭けているように、きっと桂木もこの仕事に何かを賭けている。


「……あの子たち、ずいぶん成長しましたね。もはや立派な戦力です」


「そうですね。最近特に伸びてきているような気がします」


「だんだんチームっぽく、いい雰囲気にまとまってきたなあ。

 本当にいい方向に変わってきた」


 感慨深げに呟く桂木を見ながら、千里は桂木もまた少し変わったなと思う。

 今までは仕事を抱え込んで1人で作業に没頭している事が多かったが、最近は自分から千里に仕事を預けてくるようになった。他のチームメンバーにも、よく声をかけるようになった。

 その結果チーム内の風通しもよくなったし、他のメンバーも雰囲気が変わった事に気付いて周りを気にすることが増えたのだ。


 雰囲気というのは恐ろしいもので、他のメンバーや仕事を気にしない雰囲気が出来ているうちは、多くのメンバーはその雰囲気に従って周りを気にしない。そして多くのメンバーが周りを気にしない事によって、また他人に無関心な雰囲気が出来上がっていく。


 それが一度(ひとたび)雰囲気が変われば、今度は周りを気にかける空気が出来上がっていくのだ。

 この雰囲気決定において、リーダーである桂木の存在は大きかった。だから桂木が変わったことで周囲も変わり、結果チームの結束のようなものが出来上がって来つつあるというのが真相だろうと思う。


 そして千里が本当の意味で信頼関係ができあがった時にはじめて桂木の優秀さを痛感したように、チームメンバーは桂木との距離が近づくことによって、桂木がいかにこのプロジェクトを成功させたいと情熱を傾けているのかにはじめて気付いたのだ。


 なんとしてでもこの台風を乗り切り、プロジェクトを座礁させまいとする気迫。

 それは千里も持っていたが、やはり桂木が1番強くその思いを持っていると最近実感する。


 桂木は、親身になってお客様の話を聞き、相手の要望が性能向上に貢献すると思えばできうる限りの努力を惜しまない。けれどプロジェクトメンバーの過剰な負担になるような仕事は誰にも押し付けず、その分自分が仕事をしようとする。

 結果として、「自分1人が犠牲になって達成できることなら何でも引き受けて」しまう。それが今まで、桂木の仕事が知らぬ間に増えている原因だった。千里との信頼関係構築により、その状況は現在改善されつつあるわけだが、根本にある気持ちは千里にもよくわかる。


 いい物を作りたい。

 お客様に満足していただけるものを提供したい。

 このプロジェクトを成功させたい。


 その桂木の強い気持ちが、増えたコミュニケーションを通してメンバーに少しずつ繋がり、士気をアップさせたのだ。達成が困難な課題であればあるほど、桂木の気迫が増す。その気迫がメンバーに乗り移り、困難は成長を促進させる起爆剤となった。


「……やっぱり成功させたいですからね、プロジェクト。

 その気持ちをみんなが持てるようになったから、まとまってきたんだと思います。

 ほんとによく頑張ってくれてます。力つきないか心配になるくらい」


「まあ、若いんだし大丈夫でしょう。今無理しないでいつ無理するんだって話ですよ」


「桂木さんて、意外と体育会系ですよね……無理矢理気迫で乗り切れみたいな」


「学生時代、ラグビー部でしたからねえ」


 暢気なことを言っている桂木がなんとなく憎らしくなり、千里は半目になって軽く桂木を(にら)んだ。

 千里はともかく、不慣れな新人達があんなに頑張っているのだから、もう少し気にかけてあげてもいいではないか。


「桂木さん。大将は頑張っている部下には褒美を与えるべきだと思いませんか?」


「褒美? いいですよ、僕何すればいいですか? 一芸で逆立ちとか?」


「そんな一文の得にもならないもの要りません。

 ……そうですね……台風を乗り切ったら、慰労で奢ってください。

 新人達全員にですよ。焼き肉とかどうですか、邦楽亭で」


 混ぜ返してくる桂木をぴしゃりとやって、千里はどうだという表情で桂木を見た。

 邦楽亭は最高級とは言わないが、それなりの値段の焼き肉屋である。3人分奢りともなればなかなかに痛いはずだ。

 少しは桂木も痛い目をみればいいのだ。


 ところが、千里の軽い復讐心をこめた申し出はあっさりと桂木に許諾された。


「はい、いいですよ。

 年輩の(やから)ができることなんてせいぜいお金出すことくらいですからね。

 しっかり奢りますので、それを励みに後もうちょっと頑張って乗り切ってもらってください」


「え」


「え?」


「ほんとに……?」


 自分で言い出しておきながらぽかんとしている千里を尻目に、桂木は時折見せるガキ大将のいばり顔で「任せてください」と最後の太鼓判を押した。

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