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働く女は恋に落ちない  作者: おきのおるか
第1章 仕事、仕事、そして仕事
6/9

第6話

 千里の桂木に対する最後のわだかまりがなくなったのは、それからさらに半月後の事だった。


「一昨日調査をお願いしたこの問題なんですけど、僕の方で1つわかったことがあって、解決できそうです。

 ただ、結構面倒な作業が必要で、僕のチームの笹井さんにお願いしようと思ってますが、3日くらいはかかりそう。」


「この箇所(パーツ)、3週間後が完成目標ですよね。作業量も多いし、今後のトラブルも考えると森さんの仕事が終わったらすぐに続きに入りたいですね。

 加藤君と高橋君の今やってるデータ整理はお客様に提出しないので、最悪後回しでも大丈夫です。

 うちのチームで後、引き取ります」


「ありがとう、助かります。それから……」


 最近習慣となった毎日の夜の打ち合わせは時間も短く簡単に終わる。

 明日の朝からの算段を頭の中で整えながら、千里は見ないようにしても嫌でも目に入ってくる、雑然としている桂木の机を一瞥した。


(倒れてる本とか、ちょっとの手間なんだからきちんと並べればいいのに)


 その千里の視線を何やら勘違いしたらしく、桂木は千里の視線の先に乱雑に積まれていた本をひっぱり出して手渡してきた。


「あ、この本ですか? よかったら読みますか?

 この間の講演会でもらったんですけど、ACE手法についてなんと漫画形式でまとめてあるんです。

 これが意外と侮れなくて、よくまとまってるんですよ。僕が今まで見てきた中で一番わかりやすいまとめだと思う」


「……」


 正直気乗りがしなかったが、手渡されてしまったので仕方なくその本をぱらぱらとめくる。

 桂木と共に過ごす時間が長くなるにつれ、最初に桂木に感じた胡散臭さの原因はここにあると千里は気付きはじめていた。


 千里は、新しい手法を必要以上にありがたがる人間が嫌いだった。

 千里たちの仕事は膨大な時間をかけて少しずつ地道な作業をこなす。その作業がIT技術の導入によりここ十数年飛躍的な進化を遂げているのは事実だ。


 そして、手法にも流行が存在する。このACE手法というのは最近よく名前を聞くようになった手法で、流行に敏感な会社は既にこの手法を採用しているし、ACE手法に関する講習会も頻繁に開かれている。

 多くの人が興味を持っているけれど、実施例はまだまだ少なく、これから爆発的に伸びる手法だと言われている。


 千里たちは分野は少しずつ異なれど全員専門職なので、手法にせよ技術にせよ、新しい物には敏感だ。

 時代と共にどんどん新しくなっていく手法や技術を身につけていかなければ、将来的に使えない人材となって首を切られるからだ。

 だから千里も自分の専門分野についての勉強を欠かさない。給料の一部を割いて勉強に金銭的投資もする。


 けれど周りを見ていて、新しいというだけで技術を取り入れたがる人も、新しいというだけで技術を売りつけたがる人も多すぎると感じるのだ。

 中身の実績が伴わないまま言葉だけが上滑りして、そこに巨額のお金が動いている。


 千里たちの向学心を利用してお金を荒稼ぎする先駆者たち。

 この手法を使えば作業が圧倒的に楽になるに違いないと夢見る同僚たち。

 そして最先端の技術です、と魔法の言葉のように詳しくない人にささやきかけて、高額のお金を客からもぎとる同業会社。


 千里はどれも気に食わなかった。

 何か新しいものがスポットライトを浴びて紹介される度に彼らはお祭り騒ぎを起こすのだ。

 新しい手法にそこまで強い関心を持たず、日々の仕事を堅実にこなしている同僚の方が、したり顔で新技術を語り出す同僚よりもずっと好感が持てると千里は常々思っていた。


 そしてACE手法はそのなかでも特にお祭り騒ぎの傾向が強く、中身がどれだけあるのか疑わしいと千里が感じているものだった。


 業界誌は連日連夜、今は猫も杓子もACE手法とでもいう勢いで、ACE手法を取り入れて成功したプロジェクトについてを華々しく書き立てる。

 ACE手法の勉強本は、今出版されているものだけでもゆうに100冊を超える。

 来月にはもっと増えているだろう。

 講演も講習会も、ACE手法に関するラインナップが圧倒的に増えた。


 しかし、ACE手法を取り入れて成功したプロジェクトと失敗したプロジェクトのどちらが多いのか、というデータすら現在は存在しないのだ。どんなプロジェクトでも成功する魔法の手法なんてどこにもない。

 影で失敗しているプロジェクトだってきっと多いはずなのに、成功例がこれでもかと取り上げられる一方、失敗例はあまり表に出てこないのか現状だった。


 要するに、これはこの業界の一大ビジネスチャンスなのだ。

 生き馬の目を抜くこの業界では、人より先に新しい知識を持つという事はそれだけで有利になる。大きく金を稼ぐチャンスになる。

 だから流行は、流行であるというだけで売れる。その繰り返し。


 けれど知識のない者にたらい回しに売りつけられた流行が最後にたどり着く先はどこなのか。

 知識のない、自分達が本来1番大切にするべき、お客様ではないのか。


 千里の専門は、プロジェクトの1番最後の部分を担う品質管理だった。

 その他専門分野の技術者たちが部品を作り、集めて組み立てた後に仕上がりを千里のような品質管理の専門職がチェックする。不具合を見つけ出し、各技術者に修正してもらう。

 何度もそれを繰り返し、基準値をクリアしてはじめて製品は顧客に届く。


 仕事の性質上、千里は顧客がこの製品を見た時にどう感じ、どう評価するのかという事を常に考え続けてきた。

 技術者の中には顧客をあまり意識しない人間も多いが、千里は制作側の苦労よりもむしろ顧客の考えの方が理解できるのだ。


 そんな千里から見れば、新しいというだけの価値観をお金に換える先駆者たちには不信感があった。

 だから千里は、桂木の華々しい経歴が主に新手法を紹介してきた事によるものだということがひっかかっていた。


 桂木のファンになるような人というのは、最新の技術だからと飛びついてさらなる弱者を食い物にする人達ではないのか。

 そして桂木は、本人にその自覚がなくともお祭り騒ぎに力強く加担している人物ではないのか。


 胡散臭い。

 それは、新手法、新技術、などといった言葉に乗っかってお祭り騒ぎに加わっている全ての人達に対して千里が持つ、疑念を1番よく表現できる言葉だったのだ。


 桂木は普段、プロジェクト内で講演の話や新しい技術などについての話をしない。自分の出版した本を売り込むこともしなければ、それを笠に着て尊大な態度を取る事もない。だから普段は忘れていられた。


 けれどこうして一度(ひとたび)話題にあがってしまえば、嫌でも突きつけられる。

 千里と桂木の、恐らくあまりにも異なるであろう、考え方を。


 桂木はにこにこと愛想のよい表情で千里を見ている。

 ……何を言えばいいのだろう。


「最近よく取りざたされてる手法ですね。……私、なんとなくこれ苦手で……」


 無理矢理口からひねり出した言葉は珍しく歯切れが悪く、そしてやはり否定の色を隠せなかった。


「苦手? どんなところがですか?」


「うー……いや。

 苦手といいますか……」


 ひたすらに歯切れの悪い言葉を繰り返しながら、千里は困ってさらに本をぱらぱらとめくった。

 簡潔な章立てと漫画で構成された本は確かにわかりやすくまとまっていて、ぱらぱらと流し読みするだけで大まかな枠組みの知識が入ってくる。

 ふと、素朴な疑問を感じて千里は発言を質問に切り替えた。


「これ、短期間に期限を区切って課題をまとめるって書いてありますけど、プロジェクトによってはもっと長期に渡る課題もたくさんありますよね。そういうプロジェクトの場合はどうなるんですか?」


「1つの課題を細かい課題に分けて、その細かい課題を片付けるんです」


「課題が遅れて終わらなかった場合は?」


「問題点を見直して次の期間に持ち越しですね」


 桂木が打てば響くように答えを返してくるので、千里は本をめくりながら矢継ぎ早にいくつもの質問をした。そして、1つの結論を出す。


「この手法って、小さなプロジェクトにはいいですけど、大きなプロジェクトには向かないのでは?」


「鋭いですね。その通りです。優秀なスキームですが、短期プロジェクト向けです。

 長期にはあまり向かない」


 桂木は軽く目を見開いて驚きの表情をしながら、千里の意見をそのまま認めた。

 桂木の驚く理由はよくわからないままに、千里もまた桂木がすんなりと手法の欠点ともいえる特徴について認めた事に驚いた。


「桂木さんは、ACE手法が万能だ、みたいな主張をしないんですね」


「はい。どんな手法にもいい所と悪い所がありますから」


「でもこの本は、既存の手法との比較図でかなり一方的な事を書いてます。

 実際には既存の手法だって、ここまで悪いものではないと思う」


「あー、そうですね。

 まあこういうものは商売なので、新しいものを推進したい人達は、やっぱり売り込みをかけますから。

 全部信じちゃ駄目です」


「それにこの本の中に書かれている新しい専門用語の中には、既存の言葉で置き換えられるものもたくさんあります。普通の言葉で書いた方がずっと理解も早くて、わかりやすいのに」


「それも売り出し戦略の1つですね。パッケージまるまる新しいものにすれば、新しいもの好きの人達が自然と広めていってくれますから。「ACE手法」っていうブランド力を高めようとしてるんじゃないかな」


「目先を変えてちょっと実行しやすくした新しい手法の1つって感じなのに……既存の工法だって、必ず見直しはしますしお客様と相談もするし」


「手厳しいけど、その通りですよ。

 ACE手法は、提唱者が広告にも非常に()けた人でした。だから売れた」


 桂木は、千里がぽつりぽつりと漏らす感想という名の非難を全て認めた。

 その反応は予想外のもので、千里は戸惑いながらも桂木の肯定に導かれるようにして、気付けば自身の考えを素直に話し出していた。


「……手法が器で作業が中身だとするなら、製品の完成度を決めるのはどんな器を使ったかではなくて、中身をどれだけクオリティ高く詰められたかです。

 100年先の未来だったら、中身を詰めることがもっと自動化された器が出来ているかもしれない。

 でも今は、そんな魔法のようなものは存在しなくて、必ず人が人力で中身を堅実に詰めなければ製品は使い物にならないのに、新しい技術を売り出す人も、飛びつく人も、その点を軽視しすぎだと思っているんです。

 みんな、器を替えれば中身を詰める作業が圧倒的に軽くなるって夢見ている。

 それはプロジェクトが失敗する要因になると思います」


 桂木は千里が全てを話し終わるまで、時折相づちをはさむだけで最後まで口を挟むことはなかった。

 その後も、視線を落として何やら考えをまとめているようだった。


 長々と話し終えた千里は深々と一息ついて、はっと我に返った。

 今まで話すつもりのなかった心中を、なぜこんなにまでも赤裸裸に吐露してしまったのだろう。

 それも、千里の発言が、相手の今まで行ってきた事を全て否定する事になりかねないような経歴を持つ人に。


 取り返しのつかない事をしてしまったかもしれないと、不安と後悔に襲われかけた千里を、桂木は意外な言葉で救い上げた。


「西村さんの主張はどれも正しいですよ。

 実態の価値よりも多くのお金が動いているし、この業界には胡散臭い人間も胡散臭い話も非常に多い。

 玉石混合です。そして残念ながら、石の割合はとても多い」


 でもね、と桂木は言った。

 考えをまとめている間、落とされていた視線がまっすぐに千里に向けられた。


「僕も西村さんの言うことは、活動しながらずっと感じてきました。

 でもその中で自分がどうしていくかを考えたとき、やはり足掻きたいと思った。

 新しい技術は、誰かが研究するのをやめればそこで止まってしてしまいます。


 僕は、どんなに泥臭い場所でも今よりも状況をよくしたいと足掻く人間がいる限り物事は発展すると思っています。だから自分はその足掻く人間になろうと決めたんです」


 どんなに穏やかな表情をしていても、照れたように笑っていても、影をひそめるどころか常に輝きを絶やさない力強い眼差し。

 桂木がそんな力強い眼差しを持つ理由を、この時千里はほんの少しだけ理解できた気がした。


 千里が大嫌いだと見ようともせずに遠のけていた世界で、もっと大きなものを見つめて桂木はずっと戦っていた。

 きっと過去には騙されもしただろう。

 名前が売れた後には、金稼ぎの先鋒として利用されそうになった事もあったのかもしれない。

 千里のように、遠くから好き勝手に非難だけしているような人たちにも中傷されてきたのかもしれない。


 それでも揺らがずに、信念を持って足掻き続けている桂木という人間に対して、自分はなんと小さな事を言ったのだろう。

 千里の視野が狭すぎて今まで見えていなかっただけで、世界は本当はもっとずっと広くて、そして桂木はその広い世界を戦場(フィールド)に戦う男だった。


 千里はこの日、心底自分を恥じた。

 ちょっと目の前の仕事が上手くこなせるからといって鼻高々となっていた井の中の蛙は、自分だった。

 この日から千里にとって桂木は、社内の中でもトップクラスに尊敬し、信頼する大切な人間となったのだった。

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