表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
働く女は恋に落ちない  作者: おきのおるか
プロローグ 会社版・西村千里について
1/9

第1話

 子供の頃は、甘い夢を夢とも知らずに見ていた。

 年頃の少女になったら当然のように美しくなる自分。

 可愛くて、みんなが自分の事を好いていて、物語の中心にいる自分。

 漫画や小説に出てくる女の子たちはどの子もみんな可愛くて、何か凄いことが出来て、つらい事があっても清く正しく美しく、誰からも好かれるヒロインばかりだった。

 その中に出てくる端役のぱっとしない女の子に自分がなる未来なんて、思いつきもしなかった。


 子供ってそういうものだと思う。

 もっと小さな頃、人間は空が飛べないなんて当たり前のことが、きちんと実感できてはいなかったように。

 何かの物語に影響されて、修行したらそのうち飛べるようになるんだと思ってた。魔法だって、修行したら使えるようになるんだと思ってた。

 学校でいくらダヴィンチやライト兄弟の事をならっても、何か秘密の奇跡があって、その秘密が自分には笑いかけてくれるのだろうと心のどこかで思っていた。

 それと同じ。


 たいていの人は、ヒロインにならない端役の女の子の人生を歩むなんて、子供の頃はわからなかったのだ。

 そして子供の頃、もう1つわかっていなかった事がある。

 それは――


「西村さん、ありがとうございました」


 路上に突っ立って、立ち去って行く背広の後ろ姿を見送りながら物思いに(ふけ)りかけていた千里(ちさと)ははっと我に返った。

 目の前には今しがたやや強引な手段で救い出した会社の後輩の女の子が立っている。

 潤んだ瞳から涙が落ちないように頑張っているのか、目を大きく見開いた女の子は、くっきりした顔立ちに似合わないやや儚げな表情で千里を見上げていた。


「たいした事はしてないよ。それにちょっと強引なやり方だったし、逆に後で面倒なことになったらごめんね。その時は言って。出来ることならするから」


「そんな事ないです! 私、うまく動けなくて、本当に嫌で嫌で。西村さんがガードしてくれたから」


「それなら良かった。もう時間も遅いし、駅まで一緒に行くから、今日は帰ろう」


 自分もそこまで年齢の変わらない女性ではあるが、一人で帰るよりはましだろう。

 千里は、現実にはごく少数しか存在しないフェミニストの男性の代わりに、この可愛らしい後輩を守らなければいけないような気がしていた。

 少なくとも、今日だけは。

 しかし、後輩はいやいやと首を振った。


「あの、本当にお茶していただけませんか。少しだけでいいんです。落ち着きたいし、このまま帰るの嫌で」


「うーん…。でも、(みなみ)さんも結構お酒入ってると思うし。大丈夫?」


「大丈夫です。本当に少しだけでいいんです。お願いします」


「…じゃぁ、どこか空いてるところ探そうか」


 本音、自分も先ほどまで開催されていた飲み会でひどく疲れていたので帰ってしまいたい所だったが、後輩――南のお願いを断るのは気が引けた。

 仕方ない、あのメンバーで飲みに行くことが決まった時点で、今日はきっとこういう運命だったのだ。

 南の手前つけない溜め息を喉の奥に飲み込んで、千里は脳内を検索した。時刻は22時半。この時間に空いている喫茶店など限られている。

 それでも不夜城と異名をとる街なだけあって、千里にもいくつかの心当たりがあった。



* * * * * *



 百蓮屋(びゃくれんや)。この界隈では結構名前の売れた喫茶店だ。夜遅くまでやっているし、内装やウェイトレスの制服はレトロ可愛いデザインで、席数も多い。

 人気の割にいつ来ても入れる確率が高いから、とても便利でよく利用しているお店だ。

 奥まったテーブル席に向かい合わせに腰を落ち着けると、メニューを開いて後輩に差し出す。


「お先にどうぞ。何か温かいものにする? あ、カプチーノ頼むと、ウェイトレスさんがすごく上の方から綺麗にカップに注いでくれるよ。ここの名物」


 まだ先ほどまでの動揺と嫌悪感は残っているだろう。南の精神状態(メンタル)が気になって、つい口数が多くなる。

 千里のそんな様子に少し気分がほぐれてきたのか、南は少しだけ笑った。目の潤みも元に戻っている。

 ただし酒は抜けていないのか、やはりまだ顔も赤ければ仕草もどこか胡乱な様子だったけれど。


「とっても気になりますけど、また今度にします。

 私ロイヤルミルクティーで。西村さんは?」


「珈琲にしようかな。モカで」


 手をあげてホールで注文(オーダー)のお呼びがかかるのを待っていたウェイトレスを呼び、言われた通りのものを注文する。

 ウェイトレスが伝票に注文を書き付けて行ってしまうと、南がぽつぽつと語り出した。


「私、今日西村さんが助けてくれた事忘れません。いつか自分も後輩を同じように助けられるようになりたいと思います」


「そんな大げさな」


「大げさなんかじゃないです。今日、それだけ私、救われたんです。お礼言わせてください」


「…うん。じゃぁ、お礼言われておきます。どういたしまして」


 堂々巡りになるのも面倒なので、素直にお礼を言われておく。南に笑顔を返しながら、千里は心の片隅で、ああ私今ちゃんと脇役してるなあと思った。


 南に今日襲いかかった災難は、別に特別なものではない。むしろ割とよくある……しかし、女としてはよくあるだけでは片付けきれない災難だ。

 会社の上役に誘われて飲みにつきあい、その席で隣に座った上役からセクハラまがいの強引なお触りつきの誘いを受け続けた。南はもちろん嫌がって、トイレに立つふりをして椅子の位置を遠ざけたり、酔ってますよ落ち着いてくださいなどと言って上役を牽制しようとしていたが、一向に効果を示さなかった。


 結局、目の前でその様子をずっと見ていた千里の方が我慢の限界に達してしまい、まだまだ飲み続ける気だった男2人がぶーたれるのを無視して飲み会を解散させたのだ。

 私と南さん、この後内緒の話があるので、そろそろあがって2人でお茶します、と言って。

 そんな約束どこにもなかったけれど、南は飛びついて元から約束があったふりをした。

 それでもまだ、それなら4人でお茶に行こうと粘る上役を「いい加減聞き分けてください」と遠慮の欠片もない発言で突き放して、南から引きはがしたのだ。


「私、自分が悔しくて」


 南は俯いてカップに目線を落としながらつぶやいた。


「このくらいの事、自分で対処できなくちゃ仕方ないのに」


 女として生きていれば、こんな局面にはいくらでも遭遇する。

 若い女であるというだけで男にしてみればなんらかの価値がある。女がありふれて余っている場所ならばともかく、うちの会社のように男性社員の方が女性社員よりもはるかに多い会社であれば、なおさらだ。

 多少不細工でも、気がきかなくても、いつも明るく笑っているわけではなくても、女であるという事実が男に何かしらの感情を持たせる。


 そして、南は魅力的な女の子だ。顔立ちが飛び抜けて際立っているわけではないが、くっきりした顔立ちと濃く長い睫毛を持っていて、お化粧も服装もいつもきちんと気を遣っていて、お洒落だ。女性らしい女性、可愛い女の子にきちんと分類される。

 さらに人なつこい性格をしていて、誰の話も面白そうによく聞く。会社のイベントなどにもよく顔を出す。

 仕事上で注意を受ければ、すぐにその注意に耳を傾け、

「注意してくださってありがとうございます。嬉しいです。これからもよろしくお願いします」

 と神妙な、だけど少し親しみをこめた表情で、きちんと相手の目を見ながらお礼を言う。


 だから、魅力的な上に声もかけやすいのだろう。

 南に対して「ちょっといい」から「本気で好き」まで何らかの好感情を持っている男性はとても多い。

 その事を知っていたから、実は今日、千里は少し驚いた。

 声をかけられる回数が多いのであれば、もっと手慣れた対処ができるのかと思っていたら、南はそうではなかったから。


 ヒロイン気質の女の子なのかなあ、と思った。

 でもどうやら少し違ったらしい。千里の考える「ヒロイン気質の女の子」はショックは受けても悔しいと感じたりはしないからだ。

 南も、予想よりもちょっと不器用だっただけで、ちゃんと現代を生きる女の子なのだ。

 女として生きる上で発生する、面倒ごとや厄介ごと、そういったものから自分を自衛するスキルを身につけなければいけない事を知っている。

 そう思ったらつい、本音が出た。


「親しみを見せる相手を選んだ方がいいよ。

 全員に愛想よくしても、勘違いされたり強引に言いよられたり、嫌な目にあう事も多いんじゃない?

 面倒臭そうな性格のヤツとか、しつこそうなヤツとか、ちゃんと嗅ぎ分けてはじかないと」


「西村さんてはっきりしてますよね。好きですそういう所」


 南は驚かずにまた少し笑った。


「自分なりにちゃんとしてるつもりだったんですけど、甘かったです。

 次はもう少し気をつけます」


「うん。

 モテる人は、得なことももちろんあるけど、面倒事も多いよねー。

 社会人になってから特にそう思うよ」


 愛想よく可愛らしい女の子が必要だから、と取引先の営業に駆り出されて深夜まで付き合わされたり、どうでもいい自慢話をアピールのためにえんえんと聞かされたり。

 うっかり変な相手に勘違いさせてしまえば、相手がストーカーになったりもする。


 美人が得になるのは、美人という性質を理解してきちんと使いこなせる女性だけだと千里は思う。

 もちろん、知らず他の人より得をしている事もたくさんあるだろう。

 それでも、例えば気弱すぎて強引な男を振り切れないような、優しすぎる心根を持つタイプの女性は、見目いい容姿で得することと損することのどちらが多いのか、正直謎である。


 南はぎりぎり得をしている方かな、と口には出さずに心の中で考える。

 南は容姿もそれなりにいいが、圧倒的な人気の要因はやはりその愛想のよさだろう。愛想を誰にどんな風にふりまくかは本人の選択だから、南には面倒くさい出来事を多少引き寄せてでも、何か手に入れたいものがあるのだろうと思った。


「もしかして西村さんって、わざと会社には綺麗な格好してこないんですか?

 会社の中で面倒な事になるの、避けたいから?」


「え」


 目の前の後輩のことを心の中で分析していたら、今度は南に切り込まれた。

 どこまで正直に言っていいものか、返答に迷う。


「前から不思議に思ってたんです。

 西村さん、服のブランドとかすごく詳しいし、私がコーディネート迷ってた時も色々アドバイスしてくれて。

 髪も巻き方とかアップのコツとか詳しくて。

 そんな感じの人じゃないのに、なんでって」


 酔いも手伝ってか、南は折り畳むように一気にまくしたて、そしてはっと口をつぐんだ。


「……ごめんなさい」


 謝罪はおそらく「そんな感じの人じゃないのに」という発言に対してだろう。

 千里は会社には色気のない地味な服しか着ていかない。アクセサリーも基本つけない。バッグも使い倒しの地味なものなら、髪も巻いたりアップにしたりせず、ただ下ろしているだけだ。

 お洒落にも周りの人間にも全く興味のない、女性らしくもない、地味な人。多くの人が千里に持つ印象はそんなものだと思う。

 南の「そんな感じの人じゃない」は、気を悪くする余地のないほど、とても正しい指摘なのだ。


「私はすごく面倒くさがりなタイプなんだよね」


 事実に対してまっすぐに失言を謝られてもなんとも返しづらく、千里は苦笑しながら返事をした。


「好きじゃない人相手ににっこり笑うのも、自慢話を聞いてあげるのも、見て欲しい人がいないのに毎日気合いを入れてお洒落するのも、面倒なんだ。

 自分が振り向いて欲しい人にだけ可愛いって思われればいいし、他の人からは興味を持たれない方が面倒がなくていい」


「ほんとはっきりしてますね。それってつまり、会社には好きな人全然いないって事ですか」


「……元々社内で恋愛したいタイプじゃないから。取引先とかも無理。恋人は日常の生活圏が被らない人がいいんだ」


「はー。ほんとに徹底してる。信念の女ですね、西村さん」


 信念の女ってなんだろう。特に強い意志があるわけではない。自分にとって1番楽で、効率のいい状態を考えたら自然とこのスタイルになっただけだ。

 南のよくわからない感想に内心困惑しながら、千里は時計を指し示した。


「少しは気分転換できた? そろそろ終電じゃない?」


「あっ。まだ大丈夫ですけど、確かにそろそろ危ないです」


「駅まで送るよ」


「でも西村さん、地下鉄ですよね? 私電車で」


「送っていってもたいして時間変わらないから。私はまだぎりぎりの時間じゃないし」


「…ありがとうございます」


 改札の向こうで何度か振り返っては千里に手を振る、やっぱり可愛らしい後輩を、半分以上義理の気持ちで手を振り返して見届ける。

 そうして千里は、ようやく家に帰るために地下鉄に乗り込んだ。

 窓ガラスの向こう側には、眼鏡をかけた地味な女が映っている。


 子供の頃にはわからなかったこと。

 空は本当に飛べないってこと。

 魔法なんてどこにもないってこと。

 女の子だからって、漫画や小説のようなヒロインにはなれないってこと。

 それから、それから。


 女として生きるって、時々面倒くさい事もあるってこと。

 美人とか、モテるって現実をうまく使いこなせなくて、普通の子よりもむしろ不幸になる可愛い子もいるってこと。


 もちろん見目のよさは大きな武器になる。だから自分なりにその武器を磨くことも大事。

 けれど使いどころを間違えない。オンオフをきちんと自分で制御する。

 自分が装いや気の遣い方次第で、ある程度見目よくも、見目悪くもなれる普通の容姿だった事を千里はいつしか良かった、と思うようになっていた。


 モテてモテて仕方ないって事も一度くらいは確かに経験してみたかった。だけど自分に、美味しい思いと同時に次々とふりかかる災難をうまく処理できるようなスキルがあるとは到底思えない。

 ヒロインになれない私が現実を賢く生き抜くには、オンオフはやっぱり必要だったと千里は思うのだった。


 女として特別扱いするに値しない、地味な女。

 それが千里が大切に作り上げた、会社での評価である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ