『もうひとつの鍵』
これもあまりよい邦題とはいえない。「もう一つの鍵」って一体どれのこと?って感じなのである。植木に差し込んだあった合鍵のことを言ってるのだろうが、早々に登場して、状況証拠の一つにもなるが、ミスデレクションにもなっていない。原題どおり「待っていたレディ」というのが、二重の意味があって味わい深いと思うのだけれど。「もう一つの鍵」があったから、完全犯罪がうまく行かなかったと言うことは言える。
スーザン・クラークが演じる社長令嬢が犯人役である。父親の社長は既に亡くなっており、現在は兄が宣伝会社を切り盛りしている。母親に言わせると「引き継いだだけでなく、発展させている」くらいの敏腕である。忙しくて結婚もしていない。妹である犯人は、会社の役員の男と交際しているが、かれは財産目当てであり、本当は彼女を愛しているわけではないと兄は考えていて、二人の仲を引き裂こうとする。それを阻止すると言うのが、見かけの動機であるが、本当の動機はもっと深いものがあると思える。それが原題とも繋がってくる。彼女は、兄の鍵束から玄関の鍵を抜き去り、玄関の明かりも切れた電球と取り替えることで、兄が自分の寝室にやってくることを計画する。「ドアを開けてくれないか」「そこから入って来ればいいじゃない」「じゃあ警報装置を切ってくれ」しかし警報装置を切らないで、兄が入ってきたところを射殺しようと言うのだった。強盗と間違えたと言って。ところが兄は植木鉢の中に合鍵を差し込んでいて、暗闇にも関わらずそれを使って内に入ることができた。そしてチャイムを鳴らしたのに開けてくれなかった妹に文句を言うためやってきたところを、彼女は計画通りではないにも関わらず射殺してしまうのだった。これが原題の第一の意味である。「待ち切れなかったレディ」の方がいいかもしれない。
コロンボも駆り出されるが、玄関の脇にあった新聞を読んでいて捜査する気配がない。けれど、その新聞こそが偽装殺人を見破る第一歩だった。その新聞は家に配達されるものではなく外で売っている版だった。と言うことは誰か玄関から入ってきた人物がいるはずなのである。犯人に聞くと、彼女は今日は一歩も外へ出ていないと言う。社長から首を宣告される手紙を受け取って、抗議するためにやってきた結果、犯行直後に家にやってきていた交際相手も、新聞など知らないと言う。それでは、この新聞を玄関脇に置いたのは被害者でしかない、と言うのがコロンボの見立てだった。しかし、それは状況証拠にはなっても決定的とはいえない。検死裁判がすぐに開かれ「事故死」の裁定が下される。
このドラマの見所は、ここからの犯人の振る舞いにある。彼女はすぐに社長の座に着き、車や衣服を買いあさる一方で、会社の改革にも腕を振るう。「兄のやり方はいささか保守的でした」といって。役員会議の場面は、サブリナへのオマージュを思わせるが、サブリナと違う点は、サブリナは社長ごっこをしただけであって、この犯人は本当の社長になったと言うことだ。実はこれこそが彼女の待ち望んでいたことであり、これが原題の第二の意味になる。彼女は自由になりたかったのだ。妹だからと言うことでうちの中に閉じ込められ、恋愛も自由にできない立場から脱却して、仕事も恋も思う存分したかったのだ。それが本当の動機であって、現にすべてを手に入れたあとでは、交際相手に冷たく当っている。これはある意味で正しいことのように思える。間違っていたのは兄である社長や世間一般のほうなのだ。これまでこの犯人像は「傲慢」であると評されることが多かったが、そうは思わない。彼女の自由は当然の権利であると思える。だからと言ってそれを殺人によって手に入れることは許されることではないが。
犯人像や演技はすばらしかったが、ミステリとしてはイマイチである。決定的証拠は、駆けつけた交際相手の男が聞いた物音の順番だった。本当なら警報が先で銃声が後になるはずが、この男が聞いたのは、銃声が先だったのだ。もちろんコロンボの卓見と地道な捜査によって明らかになった状況証拠と一致する内容だが、今回コロンボからは何のトリックもなく、単に目撃証言だけが決め手となる。コロンボの影は少し薄い。コロンボは犯人を逮捕する際に「用意してきなさい。いつものように美しく着飾って」と声をかける。そして着替えを待つ間ドアの外を眺めながら、実に困ったなあと言う表情をするのだ。この科白とシーンは、女性は野望など抱かずにいればいいのに、と保守的に捉える向きもあるだろうが、実はコロンボは、何事にも主体的に行動する彼女の魅力にやられていたのだとしたらどうだろうか。本当は逮捕したくなかった。でも刑事のサガで仕方ないのだ、と言う表情とは受け取れないだろうか。