『殺しの序曲』
邦題はよく分からない。トリックに利用したレコードにかかっていた曲が何かの序曲なのか。原題は異様に長く、これも直訳するのが難しい。バイバイスカイハイとは何かの決まり文句なのかもしれないけれど、「空の彼方にさようなら」といった意味で、その最後のハイが、IQにもかかっている。無理やり訳すと「天才よ天までさらば殺人事件」となりそう。いずれにしても「天才たちの挑戦」くらいにしとけば分り易かったのにと思う。
セオドア・バイケル演じる、天才たちの集い「デルタクラブ」会員でもある、会計士が犯人役で、横領を告発しようとした同僚のやはり天才である友人を、殺害する。被害者の方は天才といいながら、笑われ者であって、天才クラブに嫌気がさしている犯人にとっては心のオアシスであったようだけれど、それでも実際的な問題の元では殺すしかなくなってしまう。この辺のプラグマティズムが、やはりアメリカ的であり、コロンボものはそういったアメリカ的なものに対する批判となっている。
殺人の時刻を誤魔化すために複雑な物理的トリックを弄するけれど、天才でなくても思いつくようなもので、現にコロンボにいともたやすく見破られている。しかし、同じ天才クラブの連中には殆ど分からないのだから、天才たちのレベルの低さが露呈して、コロンボも苦笑いをするほどだ。今回のトリックは、その天才たちのプライドにつけこんで、自白に導くと言ったものだ。しかしこれは証拠にもならない。推理したのだといえばそれでおしまいだからだ。しかし、ここは心理戦であった。犯人が現実社会や天才クラブに嫌気がさしているのを利用して、自ら縛につく意志を固めさせるのだ。そもそも、親友であると一方的に思っていた相手を殺すところから、この犯人は逃げに入っていたのだから。
それよりも見所は、今回珍しくコロンボが自慢話をするところだ。「わたしが相手にする人物はいつも秀才ばっかり」とまずは犯人たちのことを言う。それにつづけて「それどころじゃない。学校にいたときもすごい秀才がいっぱいいたし、軍隊に入ったらそこにも頭のいいのがいっぱいいた。警官になったらなったで、そこにも賢い人物がたくさんいた。そんななかでやっていけるものだろうかと思ったけれど、人より働いてうんと注意深くやれば何とかなると思ってがんばった。ものになりましたよ、今のようにね」
つまり、コロンボの優秀さは「しつこさ」と「注意深さ」だというのだ。それだけではないと私は思うけれど、コロンボ自身の自慢はそこにあるらしい。もっとも、この科白がトリックの一環でないとは言い切れない。最後に犯人が出した、天才テストの設問にも、コロンボはいともあっさり解答を出してしまうのだから。
本題とは関係ないけれど、コロンボが持ち込んだドーナツを没収してしまうウェイトレスを、どこかで見たような気がすると思ったら、ジャネット・リーの娘だった。