『魔術師の幻想』
原題は、いったん隠れた魔術師が意外なところから現れたときにかけられる言葉だと思われる。日本語にするのは難しい。「こんなところにいたなんて」て感じか。邦題で十分な気がする。今なら「イリュージョン」という言葉を使うところかもしれない。
犯人役の魔術師はジャック・キャシディが演じている。この俳優はコロンボ物の犯人役として何度も見ているけれど、コロンボ物でしか見たことがない。彼が出演した映画は少なく、日本に公開されたものはないらしい。主戦場はブロードウェイのミュージカルで、「スパイ大作戦」などのテレビドラマにはちょくちょくゲスト出演していたらしいから、そっちのほうでは見たことがあるのかもしれないけれど印象がない。私にとってはあくまでも、ジャック・キャシディは、コロンボの犯人なのであった。しかもこのあと火事でお亡くなりになってしまいこの「魔術師の幻想」が遺作となったということだ。まさにザ・犯人役として、いつまでも語り継がれる名優であったと思う。
懐かしい顔ぶれとしては「悪の温室」に登場した新米刑事が久しぶりに再登場する。原語では彼のファーストネームが前回と違っていて、吹き替えでは元に戻してあるのだけれど、これはどうだろうか? わざとファーストネームを間違えたということはないのか。私はコロンボが態と違う名前で呼んだのだと思う。あいつと同じ苗字だけれど違う奴ならいいなと思ったのかもしれないし、単に忘れていたのかも知れない。どちらにしても皮肉なギャグになりえているのに、わざわざ直すのも無粋ではないか。それに観ている方だって名前なんて憶えていないに違いない。彼は前回にも増して無能振りを発揮する。経験をつんだが故の無能ぶりという表現だろう。ただしタイプの腕は上々で、これが決定的証拠へと繋がる。
コロンボとキャシディの対決は面白い。特に、舞台でキャシディに手錠抜けをさせるところなんか痺れる。コロンボが鍵屋でしつこくお願いしているので、一体何を頼んでいるのかと思ったら、被害者の部屋につけられていた最新式の鍵を手錠につけてもらうように頼んでいたのだ。そしてそれを、犯人に開けさせて、これを開けられるのはお前しかいないと暗黙のうちに示すのだった。素晴らしい宣戦布告である。
キャシディの繰り出すマジックも面白い。当時としては最新のテクニックだったと思われるし、私はこのドラマで手品のイロハを教わった気がする。数字を当てさせるマジックなどは、長い間あちこちで応用されているし、最近のマンガでも見たことがある。コロンボのドラマで教わったことは多い。上流階級の生活がどんなものか。論理とはどのように紡がれるのか。そして何よりも悪とは何か。ここで描かれる悪もいくとおりかある。ナチスであったり拝金主義であったり。むしろ殺人の方が罪が軽いとさえ思わせる。
犯人の動機は、かつて親衛隊員であったことをばらされるのを恐れたからだった。名前は「サンティーニ」とイタリア風で言葉遣いはアメリカ風、そしてさまざまな訛を使い分け、最初に手品師として登場したのはハンガリーだったという。なんとなくコロンボを演じるピーター・フォークを思わせる。彼もヨーロッパのいろんな血が混じってるらしい。見た目でルーツなんて分からないのだ。ただ、コロンボのほうはナチスではなく、迫害される側だったと思われるが証拠はない。もちろんキャシディもナチスではなく、あくまでも役の上だけのことだ。
幕切れはあっけなく、スパッと切れていない。けれど、途中の対決が面白かったから、まあまあ良しとしようか。コートのくだりは面白い。神さんに誕生日プレゼントとしてもらったので簡単には放棄できないけれど、気に入っていないので、盗まれてもいいやと車に放置する。そのとき犬も車に乗っているのだけれど、この犬が盗人に吼えるとも思えない。最初登場したとき、いつものコートと違うので、警官たちもコロンボとは見紛うところがよかった。見ているほうもあれっと思ったのだし、最後のほうで、いつものレインコート姿に戻ったときにはほっとさえするのだった。