『ビデオテープの証言』
邦題はかなり直裁的で私は好みだ。原題はプレイバックで、これもビデオテープを表していると同時にチャンドラーの作品のタイトルでもあるからオマージュの意味もあるのだろう。
犯人役のオスカー・ウェルナーは電器会社の社長で、有名な映画俳優だけあって演技力はさすがで弱々しい感じが魅力的ですらある。車椅子生活を送る妻役のジーナ・ローランズの演技もなかなかにいい。他で観た記憶はないけれど、カサヴェデスの妻でアクション女優でもあるらしい。抑えた演技でありながら心の動きがよく分る。殺されるのは彼女の母親で、犯人からすれば義母にあたり前社長の妻であり大株主である会長だ。会社の利益が上がっていないことから社長を解任するといわれたのが動機であるけれど、これまでは妻の引き立てによって懐柔してきた。それが今度こそ本当に解任されそうになったのは、浮気の調査もされてしまったからだ。
しかし、どちらかといえば、被害者である義母の方が悪い人間に見える、社長を解任する理由が「自分の財産を道楽に使われるのが嫌」と言う理由なので、ではその財産は一体どこから湧いてきたのかといいたくなる。会社の業績が悪いのも不景気が原因の一旦であり、社長個人が悪いと言うよりも一族自体が没落して行ってるのではないかと思われる。それならそれで仕方ないのではないかと私なんかは思うわけだけれど、確かに殺人がさらに没落を推進する役割も担っているところが面白い。
それは母親が死んだことで妻である単なる被保護者と思われていた女性が、自分が会長になるべきなのではないかと言い出すことである。彼女には弟もいるのだけれど、彼の能力は彼女からも一顧だにされないところを見ると本当に無能なようだ。母親は彼を社長にしようとしていたのだけれど、それもかれが有能だからではなく、彼女のイエスマンとしてちょうどよさそうだったからのようだし。しかし犯人も男根主義者であることには変わらないので、彼女には役員会の委任状を要求するだけだ。そこにコロンボがやってきて犯人を指摘するわけだ。
トリックは一見ビデオテープというテクノロジーを利用しただけの他愛ないもののように思えるけれど、コロンボの見つける決め手はアイロニーに富んでさえいる。犯人がアリバイ作りに使った録画を、単にアリバイ作りと暴くだけではなく、そこに映っている招待状そのものが、殺人がされたとされる時間には犯人によって別の場所へ運ばれていることが明らかになっているからだ。二重の意味で犯人は逃げられなくなる。被害者がビデオに写っているというコロンボ曰く「こんなの初めて」という状況さえもが、トリックの一環となって浮かび上がってくるのだ。そこに招待状があるなら、犯人はそのあとそれを手に取ったに違いなく、そらなら絶対に被害者を見ているからだ。被害者を見ていて平気でパーティに出かけるなど、犯人以外にはできないことだから。
そのことを指摘された犯人はラストで、妻に偽のアリバイを証言するように泣き付くけれど、彼女は泣くばかりで跳ねつける。それは痛みを伴う一種の独立宣言であり、彼女が今後、電器会社の社長となって、没落の危機から盛り返すであろう事さえも暗示されているとしか思えない。
割と評価の低い回でありながら、私に言わせれば、ミステリ要素としても人間模様としてもかなりの秀作であると考えられるのだ。