『逆転の構図』
コロンボものの最高傑作のひとつである。何もかもよく出来ている。邦題もけっこう決まっている。原題は「ネガティヴ・リアクション」で最近ならこのままカタカナで通したかもしれない種類のタイトルだ。ラストシーンの犯人の行動と写真の「ネガ」を引っ掛けている。邦題も「ネガ」の意味と最後のコロンボのトリックという本質を取り込んだいいタイトルだ。
犯人役のディック・ヴァン・ダイクは有名なミュージカルスターだけれど、私はこちらを先に見ているのでコロンボものの犯人役という印象の方が強い。犯人は写真家で例の嫌味な文化人という犯人像の典型の一つである。秘書の美人と浮気をしていることや妻が口うるさいということも典型的な配置になっている。そのせいか動機がいまひとつ鮮明でないことが殆ど唯一の瑕疵となっている。確かにそんな簡単に妻を殺していては殺人が余りにも日常茶飯事になってしまうように思える。それでもこれだけ繰り返されるということは束縛する妻というのはやはり大きな問題点の一つなのだろう。美人秘書とのフィリピンへの撮影旅行を反対されたことが直接のきっかけとなっているようだけれど、どうもこの美人秘書という設定が、既視感があるだけでなく薄っぺらに見えて仕方ない。ここで見えるのは写真家は妻を殺したあと担当がコロンボではなかった場合捕まらずに済んで、いずれこの秘書と再婚したあと、妻となった秘書は十年後にはやはり口うるさい存在=殺すべき存在に変わってしまうだろうということだ。葬式のとき彼に寄り添って「あなたも解放されたのよ」というところにそれは現れている。逆に云えば女性は金持ちや芸術家の妻としてしか成功を約束されていないという性差別の現実があるのだった。
唯一の目撃者が酔っ払いでせっかく会いに行ったら「夕べのことはまったく憶えていない」と言われてしまうところ、会いに行った所の救護院でシスターから浮浪者と間違われて新しいコートまでくれようとしてしまうシーン、大事な証人である運転免許の試験官に運転して送ることをこっぴどく拒絶されてしまうシーンなど、すばらしいシーンがいくつもある。
そして極めつけはラストのコロンボが犯人に仕掛けるトリックのシーンだ。決定的瞬間を「今の見たよな」「今の行動を目撃したよな」と居合わせた警官たちに確認するコロンボがいつまでも脳裏に残る。コロンボが積み重ね積み重ね犯人に嫌な思いをさせ刷り込みをした挙句絶対にすると分っていた行動を犯人がしたときに、最後の詰めをこれでもかと確認する姿に犯人逮捕の執念を見る。さらにそのあとのラストシーンがいい。コロンボは虐げられている女性性を分っているに違いない。コロンボにできることは彼女たちを圧殺する殺人者を検挙することだけなのだとしても。