『白鳥の歌』
大物スターであるジョニー・キャッシュが犯人役で登場している。前作のロビーと謂い、何かこの時期はテコ入れの必要性を感じていたんだろうか? 邦題は原題どおり。白鳥は醜いアヒルの子を示唆しているのか。犯人像も殆どジョニー・キャッシュそのままの売れっ子のフォークシンガーである。最初見たときは全くそんなことは知らなかったけれど本国ではかなり話題になったようで、この感じ日本でいったら「古畑任三郎」にイチローが出たようなものだろうか。但し今回もジョニー・キャッシュが出ていること以外に余り見所が見付からない。それでもコロンボが電話をする間に彼がギターを爪弾くシーンは心に残る。
名脇役とのお笑いシーンも愉しめはするけれどそれほど重要なシーンではない。飛行機の整備員、お針子、地上勤務の将校などは一つずつヒントを与えるけれど葬儀屋は別に何の情報も提供しない。ただこの葬儀屋の俳優は好きだ。飛行機に乗るシーンは「死者の身代金」に二番煎じでありあのときほど面白くもない。単に証人に会いに行くためであるので大した意味も持たない。大スターである歌手は妻に弱みを握られていたため収益の殆どを宗教につぎ込まれて自分で使える金は殆どなかったので妻を殺すというまずまず同情される動機で一般的にはブルーカラーの犯人像として評価されているようだが、本当にそうだろうか。コロンボの捜査方法はいつもと同じで、最初に目星をつけたのは被害者の弟だけれど、状況的にいくつもの疑いはあったしひとつひとつ疑問を解いていくうちに彼が犯人ということは明らかになる。そしていつものように証拠がないので犯人を引っ掛ける策を弄することになるというのも毎度の展開である。マンネリズムと謂ってもいいかも知れない。犯人の行動を読んだ理由が「レンタカー」というのは泣かせるし作中に伏線もあった。大スターのくせに車も買えずいつもレンタカーであることを愚痴っているシーンが初めのほうにあったのだ。そこでブルーカラーの印象が強められ感動を呼び起こす仕掛けになっている。そしてラストの会話となる。
「人殺しと二人っきりで怖くないかね」と犯人がコロンボに訊く。
コロンボは彼の歌のテープをかけて「怖くなんかありませんよ。こんないい歌を唄う人に悪い人はいませんよ」と言うけれど、それが本音とは思えない。コロンボはもしかしたら彼の本性を知っていたのかも知れない。実は妻だけではなく彼の元愛人も一緒に殺されるのだった。その女が彼の弱みであり彼がその女と情交を結んだのは彼女がまだ十六のときだったからだった。スターにとって、あってはならないことだろう。実はこの犯人ロリコンの気があって、殺人のあとにも新しいコーラスの女性に手をつけようとしているのだけれど、この女性もかなり若くて見かけは少女のようだった。そこまであからさまに表現はしていないけれど本質としてはその傾向を暗示している。ジョニー・キャッシュ自身にそういう噂はなかったようだからこれはあくまでフィクション上のことだろう。ただ一般的にスターに憧れた少女が喰われてしまうという現象に警鐘を鳴らしたかったのだろうと思われる。