『野望の果て』
抽象的な邦題も悪くはないけれど、原題は「犯罪立候補」といった意味で、犯罪撲滅を公約に上院議員に立候補したことと殺人を掛けている。けれど、ジャッキー・クーパー演じる犯人が選挙参謀を殺す動機は選挙がらみではなくて、女性関係だった。つまり彼にとって選挙よりも愛人の方が大切だったのだ。そういった意味では一見高尚な理由で殺人を犯す犯人よりはより市井的で同情できるかもしれない。そもそも脅迫状の捏造は被害者の考えたものだし、嫌われ者でもあるため所謂「殺されても仕方ない」人物かもしれない。ただし妻への愛は冷めていて、その妻がキッチンドランカーになっていることはお約束どおりだったりする。
コロンボが歯の治療を受けているシーンが面白い。「イタリア系の歯医者もいるし、イタリア系の刑事もいる。でも世間ではイタリア系といえばすぐマフィアを連想する」と言った歯科医は、上院議員殺害のニュースを見ると「あんたが真犯人を捕まえてもマスコミはマフィアの仕業と騒ぐに違いない」と愚痴る。
整備不良で警官から注意を受けるお約束のシーンはアリバイ破りの根拠へ繋がる。この話はかなりトリックが凝っていて、その分コロンボ対犯人の頭脳戦が繰り広げられることになる。しかし犯人はあまりにも頭がいいため、電話をかけるタイミングも見事に計算されつくされすぎて、ガソリンスタンドの臨時休業というアクシデントにやられてしまう。コロンボのすごいところは、殺人現場の明かりの問題を犯人と討議するために用意した車の張子が、マグネット式であることにも現れている。選挙事務所に用意されているポスターがマグネット式であることを前提に用意しているのだから。仕立て屋のシーンなど、外堀を埋めていく作業がいちいち魅力的なのもいい。しかしながら、コロンボの真骨頂は、犯人の愛人や妻を追及していくやり方で、誰と誰が付き合っているかなどは、少し観察していれば分ることだけれど、そこへ食いついて間接的に犯人を引っ掛けようとする執念深さはものすごい。誰が犯人かは分かっても証拠がないため、最後は犯人を追い詰める必要があるので、こういった作戦を取るのだった。
犯人が、拳銃を持ち込むためではなく持ち去るために鞄を持ってこさせるのも秀逸なトリックだけれど、コロンボはさらにその上を行っていて、最後に犯人を確定する方法が、犯人が言い出す前に先に証拠を入手してしまうという、あまりにも鮮やかな逆転のトリックなので、感心してしまう。銃声を聞いたとき、真っ先に犯人に寄り添ってくるのが妻と愛人であるところなど、本題に直接関係ないことかもしれないところまで細心の注意が行き届いているところも、またいい。