『絶たれた音』
音が決め手となり、犯人を追い詰めることになるし、犯人が耳が聞こえないという設定からこの邦題が最も分かりやすいと言えるけれど、少々短絡的な嫌いがある。原題は「最も危険な対局」といったような意味である。犯人も被害者もチェスのプロであり、そのチャンピオン戦の当日に殺人が行なわれるところから適切なタイトルであると思える。
犯人役のローレンス・ハーヴェイは現世界チャンピオンであり、ジャック・クルッシェン演じる挑戦者はロシア人の元世界チャンピオンであり、病気のため引退していたが、現チャンピオンに捨てられたやはりロシア人の元フィアンセに焚きつけられて復活したのだった。現チャンピオンは、元チャンピオンが引退したからチャンピオンになれたのだと陰口を叩かれており、雌雄を決する大勝負が始まろうとしていたのだった。実際犯人は、元チャンピオンの力に怯えていて夢にうなされるほどだった。そこで、試合前夜元チャンピオンが医者たちの目を盗んでエスカルゴを食いに外へ出かけたのを見つけて跡をつけてしまう。二人は一緒に食事を取り、ふとしたことからチェスの試合が始まってしまう。ちょうど格子模様だったテーブルクロスの上に、元チャンピオンが塩の瓶をぽんと置いたのを見て、つい胡椒の瓶を置いてしまったのだ。こうして二人にしか分からない勝負が始まり、店が看板になっても勝負は終わらず、こっそり犯人の部屋に戻って試合が続けられたが、勝負は元チャンピオンの完勝だった。犯人の不安は的中したのだ。このままでは明日の試合も負けてしまう。そんなことは耐えられないので、犯人は策を弄して、被害者を殺してしまう。元フィアンセに謝罪の手紙を書きたいからと言ってロシア語でメモを書いてもらい、ゴミシュレッダーの中に突き落とした。
犯行自体があまり計画的でなく衝動的でどうかと思えるし、このあとの展開もあまり納得できるものではない。コロンボが登場し、次々と状況証拠が見付かり、事故ではなく殺人の疑いが高まる。被害者は入れ歯をしていたのになぜ旅行カバンの中に普通の歯磨きが入っていたのか。チャンピオン宛に正式の封筒に入れて送られた「謝罪」の手紙はなぜ、便箋ではなく単なるメモ用紙に書かれていたのか。しかも同様のメモ用紙は被害者の部屋にはなかった。似たようなものを持っているのは犯人であるし、ボールペンのインクも一致した。さらに被害者は前夜の棋譜もメモしていて、その棋譜では白が勝ったことになっていた。名前がないのでそれだけではどちらが白か分からないが、フランス料理の店のウェイターが、被害者が塩の瓶を動かしたころから勝負が始まったという目撃をしていた。それならば被害者の方が白であり、被害者が勝ったことになる。だが、その前から勝負は始まっていたのかも知れないし、犯人は自分が白だったと主張した。殺人の疑いが高いし、動機があるのはチャンピオンしかいない。
ところが、実は被害者は死んでいなかった。被害者が突き落とされたゴミシュレッダーは、物が落ちると一旦止まる仕掛けになっていて、落ちただけでは、大怪我はしても死なないのだった。それを知った犯人は、うまく懐柔した元フィアンセから、必要な薬のメモをちらっと見せてもらい抜群の記憶力でそれを覚え、同じ薬を用意してそこに毒薬を混ぜて殺すことに成功した。被害者が死んですぐにコロンボは駆けつけるが、薬品のアンプルは規則上捨てられてしまった後で証拠にならなかった。しかも薬品を持ってくることを知っているのは犯人の元フィアンセだけで、そのメモは誰にも見せていなかった。しかし、コロンボの執拗な質問で、元フィアンセはちらりとだけ犯人にメモを見せたことを思い出す。犯人はチェスのチェンピオンだけあって抜群の記憶力を誇っており、ちらっと見ただけでも覚えることが出来たのだ。コロンボの中ではかれが犯人であると言う確信ができた。ただ一つ疑問だったのは、被害者がシュレッダーに落ちた瞬間機械は止まってしまうが、すぐにボタンを押せば再稼動して完全に殺すことが出来たはずだ。犯人はなぜそんなことに気付かなかったのだろうか。それは犯人が耳が聞こえなかったからだ。その事実をコロンボは犯人に突きつけて、犯人は観念する。
しかし、それでも証拠はないのではないか。最初の殺人未遂が意図的なものだとすれば、確かに犯人は耳の聞こえない人物であり、その日ちょうど補聴器を壊していた犯人が犯人であることはほぼ間違いがないだろう。ボールペンのインクや動機など状況証拠もたくさんあるから、裁判でも勝てそうだ。けれど、そもそも殺人だという証拠がない。いつもの回では事故や自殺と思われていた物が殺人だと分かるところから論理をスタートさせているが、この回ではそれがないのだ。これでは、犯人は観念するはずがない。いつもの犯人ならまだ「証拠がないでしょう」と笑っていられるのだ。それが、今回の犯人は最初から神経質な少しノイローゼ気味の人物として描かれているので、こんな簡単なコロンボのトリックにも引っかかってしまった。その辺りの伏線はうまく描かれているので、脚本としては悪くないのかもしれない。だが、この程度ではコロンボの勝利とはいえない気がする。それに、元フィアンセが犯人に簡単に懐柔されてしまうのもしっくり来ず、人間ドラマの点でも面白みがない。やはりいまひとつの出来といえるだろう。