中篇
それにしても、いったいいつから掘り進めていたのか。
廃教会の床に掘られた穴は、意外に大きくて広かった。おまけに、地下には知られていない地下室? そんなものまであるようだった。
「ユーディット殿、これは……」
「わかりません。私も、こんなものがあるなんてはじめて知りました」
ユーディットが以前ちらっと見た記録には、教会の地下のことは書いていなかったはずだ。兄はここのことを知っているのだろうか。
穴の中は暗かった。
灯りをつければ気づかれてしまうだろうが、暗闇に目を慣らしながら行っても外の光が届く範囲に限界はある。これ以上進むなら、灯りは必須だ。
「クロ殿、灯りをつけますから少し待ってください」
「大丈夫ですか?」
「足元だけを照らすよう、調節します。目が利かないほうがまずいですし」
ユーディットは腰に下げていたランタンを取り出し、火を入れた。慎重に覆いをしてから、ゆっくりと、また穴の中を進む。
「ユッテ、状況はどうです?」
急に背後に何者かの気配を感じ、ユーディットもクロも一瞬、挟まれたかと反射的に剣を抜き放った。
だが、話しかけてきた声はユーディットの聞きなれたもので……。
ウォーカーだ。師匠が追いついてくれた。
「クロ殿、大丈夫です。私の師匠の野伏です」
「……すみません、驚いたもので」
突きつけた剣の切っ先を下ろして安堵の吐息を漏らすクロを、ウォーカーはおもしろそうに見詰めた。
……それにしても、いつまで子供の時の愛称で自分を呼ぶのだろう、この師匠は、とユーディットはちらりと考える。まだ一人前扱いしてもらえないのか、という思いが先に立ってしまうのだ。
「オークです。上で4体は倒しました。推測ですけど、この先にまだ10体前後いると思います。あと……クロ殿の連れの司祭が捕まってます」
「領主に“伝令”は送りました。この先は暗いので、私が先頭に立ちましょう。きみたちは後ろを警戒してください」
ユーディットが小さくうなずくと、ウォーカーが先に進んだ。クロもそれに従う。妖精は目が利く。こんなに暗い場所でも危なげなく進むことができるのだから、それが妥当な判断だというものなのだろう。
けれど、とユーディットはまた考えてしまう。前に立つ師の背中に、ユーディットは、自分はいつまで半人前扱いなんだろうかと考えてしまうのだ。
ほんの十数歩進んだあたりで、唐突に石畳の空間になった。オークたちの立てる物音や声がかなり近い。
「あそこに入り口がありますね」
ウォーカーの示す方向には、松明らしき灯りが漏れている横穴……無理やり壁を壊してあけた穴があった。いや、壁ではなく、扉を壊したようにも見える。
やかましいのを幸いに、そろそろと音を立てないよう注意しつつ近づくと、鼻を鳴らすような耳障りなオークの話し声がはっきり聞こえるようになった。ユーディットにもクロにも何を言っているのかさっぱりわからないが、ウォーカーは言葉がわかるのか、じっと耳をすませている。
ふたりは邪魔にならないよう、ゆっくりと武器を準備しながら待った。アレフもハッハッと息を吐きながら、じっと警戒している。
「何かを探しにきているようですね。はっきりしませんが、剣がどうとか言っています」
「剣、ですか?」
思わず、というようにクロが呟いた。何か心当たりでもあるのか、そんな風に聞こえる口調だった。
けれど、こんなところに剣? とユーディットは訝しげに顔をしかめる。ここはかつて大地母神の教会だったはずだ。戦の神ならともかく、大地の女神に剣を奉じるなんて話は聞いたことがない。ウォーカーも首を傾げている。
もう少し待って、奴らの話すことを聞いたほうがいいのだろうかと考えていると、突然唸るような声があがり、何かばたばた暴れるような音がして、オークたちが騒然とし始めた。
「ふたりとも、援護を」
ウォーカーが鋭く言って飛び出すのに一拍遅れて、クロとユーディットも駆け出した。
横穴の先はかなり広い地下室だった。奥の片隅に、猿轡を噛まされ縛られた女性が転がっている。なんとか逃れようと身をよじらせて暴れる彼女を、オークが殴りつけ抑えようとしているのを見て、ユーディットはとっさに矢を放った。
ウォーカーが腰の剣を抜き、一番近いオークを斬り捨てると、流れるような動きで、そのまま次のオークへ迫った。クロもそれに続き、手近なオークへと切り掛かる。
部屋の中はすぐに乱戦となり、ユーディットも弓を捨てて剣を抜いた。オークの振り回す戦斧を掻い潜り、ウォーカーとクロは協力してオークを牽制する。ユーディットはアレフが引きずり倒したオークに斬りつけ、とどめを刺した。これでまたオークを1体減らせたぞ、とユーディットはあたりを伺う。
司祭のそばにもうオークがいないことを確認して、ユーディットはそのままじりじり司祭のところへと近づくと、手にした剣で縄を切り猿轡をはずした。
「ジリオン司祭ですね? 怪我はないですか? 立てますか?」
「ありがとう、問題はありません」
ユーディットの問いに、彼女は頷く。
「クロ殿も、無事だったんですね」
ウォーカーと背中合わせにオークの相手をする聖騎士に目をやって、ジリオンは安堵に息を吐いた。
怯えてはいたけれど、落ち着いてしっかりと受け答えができるジリオンの様子に安心し、ユーディットは再びオークたちのほうを向く。
アレフとクロとウォーカー、3人いるとはいえ、それでも、残った9体ものオークを一度に相手するのは厳しいようだった。ウォーカーは腕に怪我を負い、クロも鎧の隙間から血が流れている。オークの攻撃をかわしきれなかったのだろうか。ユーディットもまた剣を構え、立ち上がる。
【猛き戦神よ。我らに御身の祝福を】
背後でジリオンの祈りの声が柔らかく響き、全員の身体に暖かい力が満ちた。オークが彼女のほうへと行けないよう立ち回りつつ、斬り結びながら、ふと、ユーディットはなぜオークが司祭など捕えたんだろうと考える。
【猛き戦神よ。これなる戦士に癒しの奇跡を】
ジリオンが祈りの言葉を口にすると、ウォーカーの腕から流れていた血がとまり、傷がふさがった。
ウォーカーはジリオンに視線で感謝を伝えると、また1体、オークを切り捨てた。
……それから程なくして、4人はすべてのオークを倒し終えた。
「私はジリオンと申します。……正直、もう助からないと思っていました。ほんとうにありがとうございます」
「ええと、私はユーディット、彼はウォーカー。この大樹海とヴァルテンブルクの野伏です。この子はアレフ」
ユーディットは、オークたちの持っていたものを調べながら、ジリオンとクロにいくつか質問をした。どこから来たのか。他に連れはいないのか。なぜつかまってしまったのか。
ジリオンの歳はあまりユーディットと変わらないように見えた。もしかしたら、少し年下かもしれない。明るい金髪に明るい青色の目。小柄でとても華奢な印象の女性だが、戦神の司祭だけあってそれなりに肝は座っているようだった。
しかし、いかに修羅場に慣れていても、やはり捕まっている間は生きた心地がしなかったのだろう。
「私は湖の町の戦神の教会で司祭を勤めております。こちらへはヴァルテンブルクの領主様を訪ねるために参りました。途中まではクロ殿と一緒だったのですけど、オークの襲撃にあって、私だけやつらに連れ去られてしまって……クロ殿も無事で何よりでした」
「ジリオン司祭こそ無事でよかった。途中でユーディット殿に会えたのは、本当に僥倖でした。これぞ戦神のお導き」
クロは少し大げさに喜んで、改めてユーディットとウォーカーに礼を述べた。
それから、ジリオンは、オークの荷物の中から金属片……折れた剣の刃を拾い上げた。錆ひとつなく優美な模様の彫られた剣だが、根元に近い位置で折れている柄のない剣だ。
「オークたちは、ここでこの欠片の残りを探していたようでした」
「……ミスリル、ですか」
ウォーカーが怪訝な顔で刃を見つめ、ユーディットもつられて覗き込んだ。ミスリルは魔法を帯びた不思議な金属だ。錆びないし軽いから、武器よりは鎧に使われることが多い。
「……あれ、この模様、どこかで……あ」
模様に見覚えがあって、ユーディットは思わず声を上げた。そう、これはたしか……。
「ユーディット様、知っているんですか?」
首を傾げて尋ねるジリオンに、かすかに頷く。たしかに、この刀身には見覚えがあった。
──当主となった兄の受け継いだ剣がすごくきれいで、毎日こっそり鞘から出して眺めてたのだから、見間違うことはない。間違いなく、これは兄の剣の模様と同じものだ。
「この模様、兄さまの剣と一緒だわ。ヴァルテンブルクには先祖代々伝わる宝剣があって、その剣の刀身の模様がこれと同じものなの」
「お兄さまの剣ですか? 宝剣?」
ジリオンにきょとんと見つめられ、ユーディットは慌てて説明を続けた。
「……ええと、私のフルネームはユーディット・ヴァルテンブルク。あなたの訪ねようとしているヴァルテンブルクの領主は、私の兄なんです」
太陽が半ばまで昇ったころ、ようやくヴァルテンブルク領主の館へとたどり着いた。ユーディットが門番に会釈をすると、門番は敬礼を返し、門をあける。
ユーディットが執事を通して兄への客人のことを告げると、すぐに応接室へと通された。
ヴァルテンブルクの領主……レオンハルト・ヴァルテンブルクはまだ若く、今年で25になるクロとさほど年齢は変わらないように見える。ぱっと見た印象はふわふわした金髪碧眼の優男だが、視線と雰囲気は鋭い。さすが、魔獣やオークに脅かされるヴァルテンブルクで民を守ってきた領主であると言うべきか。
「廃教会にいたオークは全部で15体でしたが、すでに討伐済みです。ただ、他に仲間がいるかの確認は終えていません。それと、やつらの装備は現地に残しているので、回収が必要です。……あとで詳しく説明しますけど、廃教会も調べたほうがいいかもしれません」
「なるほど……」
ユーディットの報告に頷くと、レオンハルトはすぐに領兵長であるマルクスを呼び、廃教会を確認するようにと命じた。
それから、改めてクロとジリオンに向かい、礼を取る。
「ヴァルテンブルク領主、レオンハルトだ。客人たちには疲れているところ申し訳ないが、今のうちに詳細を確認しておきたいゆえ、もうしばらく辛抱願いたい」
「構いません。改めまして、湖の町より参りました、戦神の正司祭ジリオンと聖騎士クロです」
挨拶もそこそこに状況の整理と確認が行われ、ユーディットは廃教会での様子や地下についてを詳しく説明した。わざわざ地下を掘り起こしていたこと、ジリオンを浚って連れていたこと、何か……剣の破片を探していたこと。
「……もうひとつ付け加えるなら、オークたちの武装は、整っていました」
ユーディットの報告がひと段落ついたところに、ウォーカーが付け足す。
「奴らは奪った武具を使っていることが多く、全員が同じように武装していることは稀です。けれど、廃教会のオークは全員戦斧を持ち、同じような革鎧をつけていました」
クロも、襲撃を受けた時のオークの武装を思い出す。
「そういえば、私が戦ったオークもそうでした」
「……誰かがオークを集め、武装させていると? 何のために?」
レオンハルトが考え込むと、ジリオンが不意に顔を上げ、布に包まれた刀身……廃教会の地下で見つけた、あの刀身を取り出した。
「レオンハルト様。私がこちらへ参ったのは、戦神より神託があったからです……英雄の剣を鍛えなおせと。
英雄の末たるヴァルテンブルクには代々当主に伝わる宝剣があると、ユーディット様にお聞きしました。その宝剣には、これに彫られたものと同じ模様が刻まれているそうですね」
「これは……」
レオンハルトは驚いた顔で、刀身を見つめた。それから、自分の腰にあった剣を抜き、それに並べる。剣の刀身に刻まれた模様は、ジリオンの出したものとまったく同じものだった。
並んだ2本の刀身をじっと見つめたあと、ふっと息を吐いて、レオンハルトは一同を向く。
「……少し整理する時間が必要だ。貴方がたにも休息が必要だろう。この話の続きは明日、行おうと思う。ウォーカー殿も、今日はこちらに滞在してくれ」