3.妖精の弟子
ユーディットは今年18歳になる、ヴァルテンブルク領主の「お嬢様」だ。
灰色がかった青のきつい目に筋肉質の痩せた体つきで、明るい亜麻色の髪をしっかり纏めて革を固めた鎧を身につけて森歩き用のマントをすっぽり被ると、女性というよりはまるで少年のように見える。
ヴァルテンブルク領は、大樹海と呼ばれる広大な深い森に隣接するど田舎の、いくつかのちょっとした村にちょっとしたお屋敷があるだけの小さな領地で、ヴァルテンブルク家はそこを治める貧乏領主だ。
たいした収入があるわけでもないし、年に数度は大樹海からヒューマノイドや魔獣が出てくるため、「おしとやかなお嬢様」として贅沢をする余裕はまったく無い。
魔獣が出るたびに兄が領兵を率いて討伐に出てしまうと、その間残ったものをまとめ、守るのは必然的に母や自分の役目だ。
先祖は何やらすごい魔物を退治したすごい英雄だったと伝わっていて、領主の一族ならば、弱いものたちのために先頭に立って戦うことが美徳であり義務とされている。
だが、“お嬢様”であるユーディットが自分も剣の練習がしたいと言っても、父や兄は絶対に許してくれなかった。
強くなって父や兄と一緒に戦いたいのに、なんで女だからと剣を禁止されるのか、不満でしかたなかった。女性の領兵だっているじゃないかと言っても、駄目なものは駄目だと怒られるだけで、不満は募るばかり。
もちろん、留守を守るのも大切な仕事だとは理解しているが、ユーディットだって父や兄と一緒に、このヴァルテンブルクのために戦いたかったのだ。
そんなユーディットに転機が訪れたのは、13のときだ。
誕生日を過ぎて間もないある日、こっそりと見よう見まねで剣を練習していることが父にばれた。ひどく叱られ、木剣は取り上げられ、当分部屋からは出さないと宣言され、閉じ込められそうになったところで森へと逃げ出した。
ほとぼりが冷めるまでどこかに隠れていよう、森のごく浅いところなら暗くなる前に出れば大丈夫。
そう考えて森へと入り込んだところで、運悪く小型のヒューマノイド……ゴブリンに遭ってしまったのだ。
武器なんて、家を出るときとっさに掴んできた護身用の短剣1本のみ。これで、小型とはいっても3体のゴブリンたちを相手に戦うのは無理だろう。しかし、逃げようと走り出したところで振り切れるかどうか。捕まって結局殺されるのが関の山ではないか?
……どうせ殺されるなら、せめて1体くらいは道連れにしてやろう。自分だってヴァルテンブルクの一族なんだから。
震えながら覚悟を決め、短剣を構え……たところで、誰かが立て続けに放った矢が、ゴブリンたちをあっという間にしとめてくれた。
「怪我はないですか?」
いきなり助かって茫然とするユーディットに声がかけられた。出てきたのは、頭からマントを被り、弓を持った細身の男だった。
「あ、ありがとう、ございます。大丈夫、です。怪我は、ありません」
つっかえつっかえお礼を述べながら、ユーディットは、そういえば森には野伏がいるって兄さまが言っていたっけと思い出した。森と、森に住む人々をひっそり守る野伏たちの話は、村の薬師からも聞いたことがある。
「なぜ一人で森に? 無謀ですよ。近くの村まで送って行きましょう」
落ち着いた声で、だけどとがめられるように言われて少しだけ反発を覚えて、送っていくという言葉にほっとして、震える足を叱咤しながら立ち上がろうとして……野伏? 野伏、野伏……そうだ!
ユーディットは勢いよく顔を上げた。
「あの! わたしはユーディットです、危ないところを本当にありがとうございます。
それで、わたしを、弟子にしてください!」
「……は?」
そうだ、父や兄が剣を教えてくれないというなら、他で教わればいいのだ。領兵たちからも学べなくたって、彼なら父や兄とは関係ないし、頼み込めば教えてくれるかもしれない。
もうこの際なんでもいい。とにかく強くなって父や兄の役に立てるようになる。ほんとうは剣士になりたいけど、考えてみたら野伏に弓を教えてもらったほうがいいかもしれない。ヴァルテンブルクは大樹海のすぐそばなのだ。野伏として修行を積めれば絶対役に立てるはずだ。そうだこれはとてもいい考えだ。
「……いきなり何を? 弟子? 何のです? いや、誰が、誰の弟子にと?」
「野伏になりたいんです! 弟子にしてくれるまで、離れません!」
「いや、私は弟子など取っていませんし、そもそ……」
「弟子にしてくれるまで帰りません。絶対帰りませんし、これも離しません」
男……ウォーカーと名乗る野伏は、マントをがっちり掴んで離さないユーディットの勢いと呆れるほどのしつこさに、散々説得し、言い争った後に根負けして、彼女を弟子として迎えてくれると約束した。
同じように根気よく説得して、父と兄にも、ユーディットが野伏として修行をすることを認めさせた。
母は、とても心配はしていたけれど、ユーディットの決心を後押ししてくれた。
……おそらく、ウォーカーも父も兄も、野伏の厳しい訓練を受ければユーディットが音を上げてさっさと逃げ出すと考えていたのだろう。
実際、ウォーカーの訓練は相当に厳しく容赦なく、ユーディットが女だからと手加減する様子はまったくなかった。「森の危険は、種族や性別を選んで襲い掛かってくるわけではありません。対処できなければ死にます」とは、師匠であるウォーカーの言葉だ。
訓練を受けながら、ユーディットは、結果的に、師匠がエルフの野伏でよかったんじゃないかと考えていた。
彼らはどちらかというと力よりも身の軽さのほうに長けている種族だし、野伏の訓練も、力よりは機転や機敏さを要求されるものだ。
女である以上、どうしても力負けするユーディットにとって、自分に合った訓練を受けられたのは幸運だった。
そう、弟子になってから知ったのだが、ウォーカーは妖精だった。
王都のような大きな町なら妖精もさほど珍しくはないが、ヴァルテンブルクのようなど田舎で生粋の妖精を見ることは稀だ。
通常、彼らは自分たちの住む森からは出てこないものだし、たまに出てくる「変わり者」の妖精も、田舎にとどまることはなく、さっさと都会へ行ってしまう。
それに、ヴァルテンブルクの近くに妖精の住む森があるという話も聞いたことはない。
初めて師匠の素顔……フードを取った顔を見たときは、妖精っていうのは、噂どおりきれいな種族なんだと感心したものだった。流れるような銀の髪に琥珀色の瞳。何百年も若い姿のまま生き続ける、妖精族……子供の頃、兄が読んでくれた御伽噺に出てきた妖精は、たしかにこんなきれいな種族だったなと思った。
村の薬師に師匠の話をしたらなぜか微妙な顔をしていたが、半分だけ妖精の血を引く彼自身も年齢のわりにかなり若く見えて顔立ちも整っているし、彼の娘も美人なのだ。妖精は総じてきれいな種族なんだとつくづく思う。ユーディットには少し羨ましい。
とにかく、ウォーカーのおかげでユーディットは野伏として一人前になれた。
2年前、父亡き後現領主となった兄も、最近ようやく野伏としての自分を認めてくれた。
ユーディットの未来は明るく拓けているはずだ。