欺くことなく立ち向かわん
入隊式から一週間がたち、研修生が配属先の部隊に少しずつ慣れ始めてきた頃のことだった。
エリアスは自分の部隊に配属されてきた二人の研修生を観察していた。
研修生の指導はリリイに任せている。エリアスは一応隊長であるため、研修生にかかりっきりになることはできないからだ。
「二人も分かってる通り、この科は諜報科。トレリの軍隊は、それに加えて戦闘科と護衛科の三つで成り立ってるわ。さらに諜報科には諜報部隊と特殊部隊とがあるわ」
「諜報科でもこの特殊部隊B系統の各小隊では、他国の者が携わっているトレリ国内での違法な取引全般を取り締まるんですよね?」
リリイの説明に即座に反応したのは、レティスだった。レティスはトレリ国民の標準装備である金髪碧眼を持つ少年だったが、その顔立ちは非常に整ったものだった。もう少し成長すれば女性から引く手あまたになるだろう。
いまでもすでにそれなりの人気はあるのかもしれないが。
「そうね。じゃあヒラリー、特殊部隊A系統の各小隊の仕事は?」
「国内専門で、貴族以外が、対象の……部隊、ですよね」
少しつかえながら非常にゆっくりとしたペースで話すのはヒラリーだ。彼女はクルクマ伯爵家のお嬢様であり、かの家がルミエハ派の家であることから少しだけ警戒心を持っていたエリアスだが、彼女の様子を見ている限り大丈夫そうだ。
ヒラリーは時折ぼんやりとエリアスを見つめていることもあるのだが、その視線に殺意を感じたことはない。
「市民の安全を守るため、自分たちで解決できるならば賊の討伐もする部隊よ。基本的には情報収取して、ほかの隊に依頼を出す。治安維持のための情報収集が主な目的ね。そして特殊部隊に関しては、諜報科という名前を背負ってはいるけれど、そこまで秘密主義ということもないわ。護衛科にある治安維持部隊の手の回らないところを処理する機関とも言えるしね」
すかさずリリイがヒラリーの言葉を補足し、ヒラリーとレティスは頷きながら話を聞いていた。
この様子ならリリイに完全に任せても大丈夫だろう。そう思ったエリアスは、本来の業務に戻ろうと書類の山に目を移した時だった。
軽快なリズムで部屋がノックされる。
「はい」
一番扉の近くにいた隊員が、返事をしながら立ち上がって扉の傍まで歩いていく。
「護衛科近衛隊ユーフェミア様付きのセレスです。近衛研修の“挨拶回り”に来ました」
“挨拶回り”とは、トレリの近衛隊特有の研修で、その名の通り各隊の隊長のところをめぐって挨拶をすることである。どうして近衛隊だけがそれをするかと言えば、王族を守るのが一番の務めである彼らは、時には味方すらも疑わねばならない。そのため、この城に存在する人間をできるだけ多く知っておくことこそが、自分たちの中の不穏分子の早期発見につながるというわけである。
本当は近衛隊に正式に入隊した隊員がやればいいことなのだが、近衛隊に配属された研修生も“挨拶回り”をすることが慣習となっている。
エリアスがうなずくと、隊員が扉を開けた。
扉が開くと短い金髪をわずかに揺らしながら、颯爽と部屋に入ってくる女性がいた。
「おはよう、セレス」
「おはよう。元気そうね」
セレスはルフレの親友だ。自分たちの入隊式の日にルフレに話しかけに行ったら、セレスに多大なる警戒心を持って迎えられた。ただどうやらその後、ルフレがセレスには昔のことを話したらしい。それ以降、なんだかんだと仲の良い同期として関わることが増えたのだ。
「あ、あの……おはようございます!」
セレスの後ろにいたのは、栗色のふんわりとした髪をもつ少女だ。彼女がセレスのところの研修生だろう。
「おはよう。セレス、彼女は?」
「この子は研修生のスミア。私はその指導係」
「エリアス隊長、よろしくお願いします」
スミアはにっこりと笑って言う。その目にかすかな熱がこもっていることにエリアスは気づいたが、それは見なかったことにした。
「こちらこそ。研修がんばって」
「はいっ」
「じゃあ次は……ルフレのとこかな」
セレスがぽつりとつぶやいた名にエリアスは思わず反応しかけた。しかし事情を全く知らない人間がたくさんいるため、どうにか抑えきる。
新兵歓迎会の日のルフレの言葉が頭から離れないのだ。
『ロイは分かってない』
彼女は何を思ってそう言ったのだろう。久しぶりにその名を呼ばれた喜び以上に、不安が広がった。ルフレはきっと何かを知っているのだ。ロイが知らない何かを。
「ええ、もう行っちゃうんですか? さっきの部隊にはもっと長くいたのに……」
スミアの不満げな声で現実に引き戻された。
彼女の意味ありげな微笑みがエリアスに向けられる。セレスが呆れたようにスミアを見、こちらを見た。そして視線が合うと、セレスがこちらの意向をくみ取ってくれたようだった。
「今さらエリアスと話すこともないもの。むしろルフレのところに長くいたいわ」
「ええーそれってセレスさんの私情じゃないですか?」
「ほら、行くわよ」
スミアの言葉は完全に無視しして、セレスは強引に部屋の外に出る。スミアはまったく納得のいっていない顔をしていたが、さすがにセレスに真っ向から反抗する勇気はなかったらしい。
「う……エリアスさん!」
スミアは部屋を出る前にエリアスの方に一歩踏み出した。
「また機会があったらぜひお話ししてくださいね!」
「え、あ、うん」
そのあまりの迫力に、思わずうなずいてしまう。
「わあ、嬉しい」
するとまたにっこりと笑って礼をした後、足取り軽く部屋を出て行ったのだった。
突然の訪問者がいなくなったあと、部屋は一瞬静まり返り視線がエリアスに向く。
「狙われてますね……隊長」
リリイがご愁傷様ですとばかりに頭を下げた。
「あの女、ふざけすぎだろ……」
レティスがぼそりとつぶやいた言葉が聞こえてきたが、正直エリアスもそれには同感だったので聞かなかったことにすることにした。
隣にいたヒラリーはレティスに何か言いかけて、そして口をつぐんで首を横に振った。
“挨拶回り”のあったその夜。
仕事を終えたエリアスは寄宿舎に戻ろうとして、その足を城の庭園の方へ向けた。王城は庭園の一部を自由解放している。そこは城に務める者たちの憩いの場となっていた。
普段はあまり利用しない場所だが、今日のエリアスは少しのんびりと安らげる場所がほしかったのだ。庭園の一部と一口に言ってもシュトレリッツ王国の城は非常に広い。庭園の場所さえ選べば人気のない場所でのんびりと過ごすことはいくらでもできた。
誰もいない場所でエリアスは一人空を見上げた。
黒い空には雲が覆い、その雲の向こう側で光るのが赤い月だ。庭園にある池は、ぼんやりとした赤い光を映し出している。
生まれた時から変わらぬ赤い月は、見れば見るほどどこかエリアスの心をざわめかせた。月夜の晩はどこか心が落ち着かない。
「月が赤いですね」
誰もいないと思っていた場所で突然話しかけられ、とっさに身構えてしまう。
がばりと勢いよく振り返った先に立っていたのは、まだあどけなさの残る金髪碧眼の少年だった。
「月が赤いって……そんなに驚くことですか?」
「そういう問題じゃないって……。急に話しかけられてびっくりしたんだよ」
彼は新兵だろうか。しかしその割にはどこか場馴れした戦士のような風格を感じる。人懐こそうな雰囲気を出してはいるのだが、どこかこちらを探っているようにも見えるのだ。
「失礼しました。月を見ていらっしゃるようだったので、あの赤い月が好きなのかと思って」
「赤い月は好きになれないな……」
エリアスが物心ついた時から月は赤かった。しかし両親から月の白さや、空の蒼さについて聞かされて育ったエリアスは、なんとなく空の異常をあたりまえのものとして受け入れられなかったのだ。
「ではどうして?」
向けられた目に、既視感を覚えた。
この目をどこかで見たことがある。
「そうだな……強いて言えば、赤い月はどうやったら白くなるのかと考えてたんだよ」
「それは、あなたがオブスキィト家の人間だからですか?」
ふいに少年の声色が変化したことにエリアスは気づかざるを得なかった。少年はそれほどまでに大きく雰囲気を変えた。
「名前は?」
「ジオ・メディウムと言います」
名前を聞いて、エリアスは納得した。言われてみれば彼の目の形は王妃殿下に似ている。王妃殿下の親戚ならばそれも不思議ではないだろう。
「エリアス・オブスキィトだ」
エリアスが改めて名乗りなおすと、碧い瞳がまっすぐにエリアスを見つめた。その目を見つめていると、エリアスはふとあることに気づいた。
エリアスはジオと同じ空気をまとう人を知っていた。一度だけ父親に連れられて、面会したことがある。その男はひとたび話し始めるまではただ普通の男性だった。しかし話し始めるとその場の者を圧倒させる空気をまとったのだ。
「グラジオラス殿下ですか?」
「……どうして?」
その問いかけはあたりだと暗に言っているようなものだ。
シュトレリッツ王国では、十八になり成人するまでは王族はヴェールで顔を隠す風習がある。国王と同じ雰囲気をもち、かつエリアスが顔を知らない王子となれば、グラジオラスしかいなかったのだ。
「殿下の御父上に拝謁したことがございます」
「それだけで?」
「はい。まとう空気が同じですから」
ふっと空気が和らいだ。
どうやらグラジオラスではなくジオに戻ったようだった。
「父子で同じことを言いますね」
「え?」
「アベルさんも僕を見たとき同じことを言いました」
ジオの言葉にエリアスは首をかしげた。いくら父がオブスキィト家当主であると言えど、成人していない王子の顔を見る機会はそうそうないはずだ。いったい父はいつジオに出会っていたのだろう。
「僕はジオ・メディウムの名前で軍に所属しているので。研修生ですが」
エリアスの疑問に答えるようにジオが言う。
「だから研修生として扱ってください。エリアス隊長」
ジオが実は王子だと知っている者は少ないと言うことだろう。事情をなんとなく察したエリアスは了承とばかりに頷き、そして先ほどからの疑問を口にした。
「研修生ってどこの隊の?」
「ルフレ・ルミエハの隊です」
その問いを待っていたかのように即答したジオに、エリアスは一瞬言葉に詰まる。
「ルフレの隊か」
予防線を張るつもりで、あえて興味がなさそうに突き放して相槌を打ってみた。しかしこの王子にはそんな小細工は通用しなかったらしい。
「……ルフレ隊長とはどういう関係ですか?」
いきなり直球の質問をされてしまった。
「軍の同期です」
背中に冷や汗が流れるが、ここで対応を誤るわけにはいかない。
オブスキィト家とルミエハ家の因縁は二百年にも上る。さらに現ルミエハ当主であるルイス・ルミエハの代になってからは、ルミエハとオブスキィトの仲はますます険悪になっている。
「軍の同期……というだけですか? ルミエハ家とオブスキィト家という確執を抱えているわりには、仲がよさそうですが」
彼はどこまで知っているのだろうか。歓迎会の日に感じた視線は、この王子だったのだろうか。
「お互いに私情は仕事には持ち込まないことにしてるんだよ」
二人の関係性がばれた時、自分以上にルミエハの人間がルフレをどう扱うかが心配だった。
先日のケルドでの事件のこともある。あれは明らかにルミエハ側の人間がオブスキィト家を陥れようとして張った罠だ。アベルは確証がないため違う可能性も考えているようだが、エリアスはルフレの反応を見て確信していた。
今ルミエハがオブスキィト家を陥れようとしているのに、その後継者たるルフレが裏切っては、彼女がどうなるか分からない。
エリアスからすれば、ルミエハ派の人間は妄信的な人間が多いのだ。
「仕事じゃなければ?」
「え?」
「仕事じゃなければ、二人きりで話したりもするんですか?」
エリアスは思わず空を仰いだ。薄い雲の向こう側で月が赤い光を散らしている。
「王子として言う。ルフレ・ルミエハに私的な感情を抱くことは許さない」
「っ……」
誰にも言ったことのないはずの感情を、ほとんど初対面の少年に言い当てられた。その言葉が王子としての言葉だとしても、エリアスはそれにうなずくことはできないのだ。
視線をもう一度ジオに戻した。そして大きく息を吸う。
「天地を揺るがす苦境にも、欺くことなく立ち向かわん」
腹の底から声を出して唱えたのは、入隊式の日に口にさせられる誓いの言葉の一部だ。
「それが答えか?」
「はい」
エリアスはひるむことなく、むしろ挑戦的に答えた。
「後悔しますよ。きっといつか」
「後悔しないさ。絶対に」
エリアスは強くそう言い切った。
何があっても揺るがない。そんな気持ちが無ければ、そもそもルフレと関わり続けたりするはずがないのだから。