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祝災の花  作者: 如月あい
一章 揺るがぬ立場
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思いがけぬ出会い

 人目を引く深紅のドレスに、艶のあるなめらかな黒髪。サイドに流された黒髪には真珠で作られた髪飾りが鈍く輝く。

 金髪の人間が人口のほとんどをしめるシュトレリッツ王国では、ただ黒髪だと言うだけで目立つと言うのに、その上ビロードで仕立てられた深紅のドレスを着ているのだから、あきらかに周囲から浮いていた。

 胸元はぴったりとしたラインで、胸の切り替えより下は自然に広がっていくタイプのドレスだ。履いている靴は踵が高いのか、石畳の上を歩くたびに小気味よい音が響く。

 シュトレリッツ王国の城へと続く石畳を、いかにも一国の姫君といった風情の女性が一人で歩いている。それは通行人の目を良く引くものだった。しかしいつものことだと言わんばかりに興味を示さない者も多くいた。

 肌は抜けるように白く、唇と頬の朱が非常によく引き立っている。美人といって差し支えない彼女は、どこか現実味がない人形のような精巧さを持っていた。深紅のドレスで存在を主張しているのに、霞のように溶けてしまいそうなのだ。

「カンナ様」

 城門まで女性が歩いていくと、門番の兵士がざっと敬礼した。

「通して」

 女性は一言だけぽつりと言った。

「はっ」

 それだけで簡単に城門は開かれ、女性は城の中へと招き入れられる。

 彼女はカンナ。

 シュトレリッツ王国を守る存在であり、(ことわり)(こと)にする者である。

「相も変わらず自由だわ……」

 城の内側から城門の様子を眺めていた女性がため息をつきながら言った。

 彼女自身もトレリでは珍しい黒い髪を持っており、それをきっちりと結い上げていた。彼女が来ている服は深紅のドレスではなく、朱色の軍服だ。腰には太めのベルトがしてあり、そこから剣を帯びていた。化粧も申し訳程度しかしておらず、女性のかっこうとしてはあまりにもさびしいものであった。しかし、それにも拘わらず彼女の美しさは誰の目からも明らかであった。

 派手なドレスを着ている女性に劣らず、彼女は美しかった。

「ったく。なんで私とルフレが毎年呼び出されるのよ」

 ルフレに話しかけたのは、短い金髪をもつ女性だった。短いその髪は、どこかはつらつとした生命力あふれる彼女にとても良く似合っていた。

「さあ? セレスも私も気に入られてるんじゃない?」

 ルフレにカンナの思考を探ることはできない。彼女だけは嘘を見抜く“力”が発動しない相手なのだ。だから何を質問しても、彼女の本心などわかりはしない。

「ルミエハのあんたはともかく、なんで私よ」

「まあまあ」

 セレスは全く納得がいかないとばかりに不満げに口をとがらせた。セレスはかなりの現実主義で、カンナの存在に非常に懐疑的なのだ。だから他の人より信仰心が薄い分、カンナに対する遠慮がない。そこを気に入られたのだろうとルフレは分析しているのだが、本人にその自覚はないらしい。

「ルフレ、セレス」

 二人がなんだかんだと言い合いをしているうちに、カンナが目の前にいた。遠目から見ても美人だが、近くで見ても美人だ。

「何も律儀に毎年入隊式に戻って来なくても」

 トレリでは毎年、一の月の七日に軍の入隊式が行われる。午前中は形式的でおごそかな式を執り行い、夕方から夜にかけては盛大な歓迎会を執り行うのだ。

「嬉しくなさそうね、セレス」

「あんたが私を呼び出さなきゃ喜んであげてもいいけどね」

 自由に拠点を変えるカンナだが、毎年この日だけは城に顔を出す。そしてルフレとセレスが入隊してからは、毎年二人を護衛として指名するのだ。

 不死身の彼女に護衛が必要なのかルフレには疑問だったが、ルフレやセレスほどカンナに対して冷静な人物は少ない。トレリではカンナは平和の源であり、それが傷つくような事態を引き起こすことは何よりも恐れられているのだ。

 実を言えば、ルフレにも護衛が必要ではないかという議論が存在したのだが、人を守る仕事に着くものが護衛を連れているなど笑止千万なので、辞退させていただいた。

「でも、あなたは護衛科の近衛隊所属でしょう? これは仕事の範疇じゃない? ルフレは確かに畑違いだけど」

 カンナが冷静な指摘をするとセレスはぐっと言葉に詰まる。セレスは当初の希望通り、護衛科の近衛隊に配属されていた。

 近衛隊はそもそも王族を守るものだ。ただ、この国では王族以上に優先されるべき存在――カンナ――がいるため、彼女を守ることは近衛隊の仕事の範疇と言っても過言ではないだろう。

「そもそもなんで私たちなのよ!」

「だって、私をありがたがらず、畏怖もしないのはあなたたちだけだもの」

 カンナがふっと笑みをこぼした。トレリ国民のほとんどが知らないであろう彼女の笑みだ。

 カンナは実際に関わってみると、すごく表情豊かである。

 彼女の存在は“(ことわり)(こと)にする者”と定義付けられているが、実はただの人間なのではないかと思うほどに。

 しかしながら、カンナは誰にでもその表情を見せるわけではない。カンナを崇め奉る人たちの前では、彼らが求める厳かで人離れした表情を作って見せるのだ。

「私にはあんたを信奉する理由がないわ。そもそもあんたが存在してるのに天災が起こっている段階で、天災はあんたと関係ないってわかりそうなものよ」

 “善良”なトレリ国民が聞いたら卒倒しそうな内容をセレスはためらいなく言ってのけた。

「カンナが不老不死であることは揺るぎない事実よ。(ことわり)(こと)にする者と結われる所以ね」

 セレスの理論は確かに全く的外れというわけではない。ただ、なんとなくカンナの表情が曇ったような気がして、ルフレはさりげなくフォローをしておく。

「それは……そうだけど」

「人の心には支えが必要なのよ。王家や、ルミエハとオブスキィトもそう。本当にそれが平和に寄与しているかなんて、誰も気にしてないわ」

 絶大的なカンナへの信仰も、三家への神聖視も単なる“慣れ”故だろう。ここ二十年ほどの天災により、それすらも揺らぎ形を変え始めている。

 それが決壊しないのは、今まで信じてきたものを全て壊す勇気を持つ者がまだいないからだ。

「つまり、結局ルフレも信じてないのね?」

「そうなるかもね」

 冷静にそう分析したセレスは、ルフレが曖昧ながらも肯定したことに安心したようだった。

カンナは自身の黒髪をもてあそびながらその様子を見ていたが、ルフレがそちらに視線をやると、心得たとばかりに髪から手を離す。そしてカンナは明るい口調で言った。

「そろそろ行きましょう。長年(ながねん)の勘に寄れば……もう少しで入隊式が始まるはずよ」





「五年かあ……」

 セレスがそうやってしみじみとつぶやいたのは、無事に堅苦しい入隊式も終わり、城の中庭が歓迎会の会場と様変わりしたころだった。

 酒と熱気で外だと言うのに蒸し暑い。

 中庭の至る所にテーブルが置かれ、そこには酒や食事がきれいに並べられている。各テーブルで並んでいる者が違うため、会場にいるものは自然といろんなテーブルを動き回るのだ。

 この歓迎会は普段は関わらない他の科の軍人との交流会も兼ねている。

 本来ならばこの日はくじびきで城の警護か、宴会参加者かに振り分けられるのだが、ルフレとセレスは入隊以来ずっとカンナに護衛として指名されていることもあって、宴会参加者に名を連ねていた。

 カンナは歓迎会になると護衛はもういいと言うので、ルフレとセレスはカンナの護衛の任によって蓄積されたストレスを、この歓迎会で発散するのである。

 去年成人した二人は、酒を飲むことを許されていた。カンナの護衛という大役を務めたあとは、みんなわりと二人が羽目を外しても多めに見てくれる。

とはいってもセレスはあまり強くなさそうだが、ルフレは酒で酔うことはほぼなかった。グラスに入った液体を飲み干せば、身体は確かに暑くなる。

 しかしルフレの頭をぼんやりさせてくれるほどの刺激は、この液体にはないのだ。

「卒業から五年……今ではお互いに隊長だなんて不思議ね」

「ルフレがぁ、隊長にぃなることはぁ、予想されてたぁ、未来……じゃあないぃ?」

 酒がかなり回っているのか、呂律のまわらない様子でセレスはそんなことを言う。その言葉はルフレが持ち続けていた不安を助長させる。酔っ払いだからこそ、セレスは普段は言えない本音を漏らすのではないだろうか。

 ルフレは確かに嘘を見抜くことができるが、黙っていることが何か分かるわけではないのだ。

 そんな不安を抱えるルフレをよそに、セレスは手にしたグラスを宙に掲げてみせる。

 空はすでに深い藍色に染まっており、この場を照らしているのは何百という数のたいまつと、中庭の真ん中に組まれた大きな積み木が燃える光だけである。

 透明なグラスの中に入っている液体が、炎に照らされて赤く染まる。本当は透明なその液体は、ゆらゆらと炎に合わせて色を変えた。

「どうして?」

「え?」

 グラスの中で燃える火のように、ルフレの立場も揺らいでいるのだろうか。一つ一つ積み上げてきたものは全て、実はルミエハという名の薄い氷を基盤にしているのか。

「どうして私が隊長になることは予想されてた未来?」

 その答えを聞きたかった。

 しかし怖くて聞きたくないという気持ちもあった。その答えによっては、ルフレは掴んだと思っていたものを掴んでいなかったことになる。

 セレスは液体から目を離して、奇妙な表情を見せた。炎で照らされた瞳が、じっとこちらを見つめている。

 彼女は手にしたグラスを口元に運び、それを一気に飲みほした。次の酒を注ごうとしたので、さっと彼女の手からグラスをとって、水を注いでやる。

「っは……。あのねえ、そりゃあ、あんたがぁ、ツンベルギアをぉ、首席でぇ卒業したぁ優ぅ等生で、研修生としてもS評価をもらってたからでしょう?」

 セレスは、ルフレの手から奪い取った水を一気に煽って、はあと息をつく。

「私が……ルミエハだから、じゃないってことよね?」

「当たり前でしょぉう? 何度も言ってるじゃぁなあい! 私はぁ、ルミエハにぃ、特別な力がぁ、あるなんてえ思ってぇ、なぁい!!」

 本心だ。

 ルフレにはそれが分かる。

 セレスが本当にそう思ってくれていることが、これほど救いだとは思わなかった。ルフレは一つ手にしたのだ。あの日に目指した“力”を。

「だいぶ酔っぱらってるわね」

 いつの間に傍に来たのか、紅いドレスのカンナがそこに立っていた。

 彼女の隣には金髪碧眼の幼い少年がいる。おそらく今日入隊した新兵だろう。

「酔っ払って、ないわぁ……。それより、どうしてぇ?」

「この子が二人を紹介してほしいって言うからよ」

 彼女の黒い瞳が一瞬輝いたように見えた。彼女の言葉に嘘はないけれど、何かを企んでいるような気はする。

「あなたは?」

 少しだけ少年に警戒心を抱きながら、ルフレはゆっくりと尋ねた。

「ジオと呼んでください。ルミエハの方がいらっしゃると聞いて、お会いしたいと思っていたんです」

 少年は名を名乗るのではなく、ジオと呼べと言った。

 これはカンナが一枚かんでいるのかもしれない。そう思ってそちらに目を向けてみると、カンナはさっと視線を反らした。

 この少年は何者だろうか。ルミエハの人間に会いたいと言っている割には、カンナに対してなんの恐怖も陶酔も見られない。

 見た目こそトレリではどこにでもいそうな少年だが、何か違和感がある。

「ジオ。あなたの名前は、何?」

 何が嘘かを見抜くには、質問して喋らせるのが一番良い。

 するとジオは碧い目を見開いたあと、ふっと視線を下に落とした。

「……思っていた以上に手ごわいですね」

 ジオが顔を上げてルフレを見た。その瞬間に背筋にぞわりと何とも言えない寒気が走った。

「カンナさんも、もっとフォローしてくれても良かったんじゃないですか」

 視線を反らして腕組みをしていたカンナは、小さく笑って首を横に振る。

「ルフレ相手に“嘘”をつくのは無理よ」

 ルフレの力に関しては、この城にいる者はセレスとロイぐらいしか知らないはずだったが、カンナにはどうやらばれていたらしい。

 カンナが試すようにジオを見つめている。

「警戒心の強い人ですね」

 とりあえず少年ジオはカンナの言葉の真意には気づかなかったようで、カンナから視線を反らしてルフレの方を見た。

「だから言ったのに。彼女の栄光はルミエハの名前には関係ないって」

「そうよぉ! ルフレはぁ、ツンベルギア一位なんだからぁ! 実力でぇ、今のぉ、地位があるの!」

 図らずもカンナまでもがルフレそのものを肯定する発言をして、ルフレの不安を取り除いてくれた。

 酔っ払いのセレスまでもがルフレをかばうような発言をしたからだろうか。ジオは意外そうな顔をしてセレスを見た後に、もう一度こちらを向き直った。

「はじめまして、ルフレ・ルミエハさん」

 幼いと思っていた少年の顔つきが変わる。

 そして少年はルフレが思ってもみなかった答えを口にした。

「僕はグラジオラス・シュトレリッツといいます」

 

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