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祝災の花  作者: 如月あい
序章 幼き二人の邂逅
3/8

決意と誓い

「それもそうですな……。では、早急にオブスキィト家の長男を排除せねば」

 シアは扉越しに聞こえてきた言葉の意味に、茫然と立ち尽くした。

「いえ。早まってはいけません。ルミエハが関与したと分かってはカンナの怒りに触れます」

 ロイが危ない。

 混乱はしていたが、静かにその場を立ち去るというぐらいの思考は保てていた。足早にその場所から離れて、自分の部屋がある別棟へと走る。

 心臓の音がうるさいのは、走っているせいなのか、はたまた今聞いた話に対する狂信からなのか。

 時折すれ違う使用人が不思議そうにシアを見ているのが分かったが、そんなことを気にしている暇はなかった。 

「ルフレ様?」

 別棟に入ろうとしたところで、聞きなれた声に呼び止められて、シアはようやく足を止めた。走り続けたせいで息があがってしまっている。

「そんなに慌てて、どうされたのですか?」

 アンナだ。このルミエハ家で唯一の味方であるアンナが、心配そうに近寄ってきた。彼女も今帰ってきたばかりのようだ。手にはバスケットを持っていて、いつもそっけなく後ろでまとめられている金髪も、きれいに結い上げられていた。

「アンナ……私、私……」

 アンナにロイのことを話そうとして、しかしそれはできないことだと気付く。アンナは確かにいろいろなことを教えてくれる。彼女の語り口はおどろくほどルミエハにもオブスキィトにも平等だった。

 しかしそれでも彼女はルミエハ家に雇われているのだ。

 オブスキィト家の長男と関わり合いがあると知れば、アンナだってシアを叱るに違いない。

「……守りたいものを守れるかしら?」

 それはアンナにとって予想外の問いかけだったに違いない。手元のバスケットが大きく傾いて、それに掛けられていた布がはらりと落ちる。

 しかしそんなことに気づく余裕もないと言った風に、アンナはシアの瞳を覗きこんだ。

「アンナ」

 名を呼んでみれば、アンナは我に返ったようだった。あわてて落ちた布を拾い上げてもとに戻し、そして別棟の扉を開けた。

「部屋に、帰りましょう」

 アンナに言われて気づいたが、ここは使用人の往来もあるため立ち話には向かない場所だ。その点、シアの部屋であれば、勝手に人が入ってくることはない。

 二人でだんまりとしたままシアの部屋まで帰り、そして扉を閉めた。

 部屋の真ん中にあるテーブルにシアは座り、アンナもその向かい側に座る。母ルイスは使用人を一緒に座らせることを嫌がるが、シアはそんなことを気にしたりはしなかった。

「どうしたのですか?」

 アンナは手に持っていたバスケットを机の上に置いた。どうやら果物が入っているらしく、バスケットが机に着くと同時に、ふわりと甘い香りがその場に広がった。

「天災が酷くなってるのは、オブスキィトのせいなの? 私は……私は守りたいものを守れる?」

「それは……当主ご夫妻がおっしゃったのですか?」

「ううん。当主とお客様よ」

 あの時は気が動転していて、ルイスの言葉が嘘だったかどうかを確かめる余裕もなかった。しかしもしオブスキィトが天災の原因でないとしても、ロイを排除すると言ったあの言葉は嘘ではないだろう。それくらいのことはシアにでもわかる。

「私には……天災を揺るがす理由などわかりません」

 碧い瞳が静かにこちらを見つめた。

 シアは思わずそれから視線を反らして、テーブルの上のバスケットを見つめた。

どうしてなのだろう。どうしてこんなときにアンナは“嘘”をつくのか。

「ですが、それはオブスキィト家のものと断定できるものではないとは分かります」

 続けられた言葉までもが嘘ならば、シアは落胆して何も言えなくなったかもしれない。しかしその言葉に嘘はなく、シアは少しだけ安心して視線をアンナに戻した。

「私にできるのは、剣術と裁縫と自分の身の回りの身支度ぐらいよ。みんな私が天災を食い止める存在みたいに勘違いしてるけど、そんなことができるのはカンナ様ぐらいだわ」

「守りたいものがあるのですか?」

「ええ」

 アンナの瞳が大きく揺らぐのがシアには分かった。彼女の目はいったい何を見つめているのだろうか。時折アンナは、シアを見つめながらも遠い過去を見つめているような表情を見せるのだ。

 シアの何が彼女に過去を思わせるのか。

 しかしシアは疑問に思っても聞いたことはなかった。

“力”のことも秘密にしていた。

 アンナは時折どこかとても不安定で、シアが何かの選択を間違えば、ふっと蒸発して消えて行ってしまいそうなのだ。

「強くなるしかないのです」

「強く?」

「あなたは”ルミエハの長姫”以外の強さを持たなければいけません。物理的な強さだけでもいけません」

「剣術の技巧の高さだけではないのね?」

「ええ。あなたはルミエハでなくとも力、権力を持たなければなりません。あなたが守りたいものを守るためには、あなた自身に価値が必要なのです」

 空いていた窓から吹き込んだ突風が、シアの髪の毛をさっと掬い取る。部屋の中の物が音を立てて鳴った。

 はためくカーテンはその一瞬をどうにか耐え抜いて、翻るだけにとどまった。

 血がざわめいている気がした。窓の外に広がる白い空。嵐でもないのにときおりふく強い風。シアが相手にしようとしているのは、こういった天災だけではないのだ。

「私の、価値」

 アンナの言葉は深く深くシアの心に沁みた。彼女の言わんとすることが、シアには良く理解できていた。






 眠れぬ夜を過ごしたあと、静かに決意を固めたシアは、オブルミの森へと入る。

 去年までと同じように無邪気にロイと遊ぶことはできぬと知ってもなお、シアはロイとの縁を完全に断ち切ることはできなかった。

 シアと関わることはロイの命に係わる。昨日の盗み聞きした会話でそれを痛感したけれど、やはりロイに会いたかった。

 それでもこのままずるずると何もしないわけにもいかないとシアには分かっていた。だからこそシアはロイに聞いて欲しかったのだ。シアの決意を。

 あの場所まで歩いて行った。

 今日の雲は少し灰色が多い。もしかすると雨が降るかもしれない。いつもよりもさらに鈍い太陽の光は、森の中までは照らしてくれなかった。

 いつもよりも薄暗い森をシアは歩く。

 そして川の向こう側にいるロイを見つけた時、シアはぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。

 ――違う。

 少し癖のある赤銅色の髪の少年が、川の向こうに立っていた。去年よりも少し伸びた背も、整っているが少し幼い顔立ちもなじみ深いロイのもの。

 しかしそのまなざしは強い意志に満ちていて、去年までのロイとは明らかに違うものだった。

 シアが歩いていくと、ロイもシアの存在に気づいたようだった。そして不思議なことにロイもシアを見てはっとしたような表情を見せた。

 二人は無言で川の淵のぎりぎりまで歩いていく。

 森の木々の切れ間だと言うのに、雲が灰色のせいか水に輝きがない。

「どうしたの?」

 それはシアの言葉のはずだった。いや、シアは確かにそう話しかけた。しかし二人は全く同じタイミングで同じ言葉を発したために、どちらがどちらに問いかけているのか分からなくなった。

「シネラリア養成学校に行こうと思うんだ」

「ツンベルギア養成学校に行こうと思うの」

 二人は再び同時に言葉を発した。しかし今度はお互いの発言が混ざり合うことなく、互いの耳に届く。

「ロイはシネラリアへ?」

「シアこそツンベルギアへ?」

 二人が口にした学校は、トレリ国内で二つしかない軍人の養成学校だった。最短で二年、長くて三年をかけて学校に通い、もう一度入隊試験を受ける。それに受かって初めて軍人になれるのだ。

 これは昨日一日考えてシアが出した結論だった。この国でルミエハにもオブスキィトにも両方に通用する力を持てるのは、王家が統括する軍しかない。

 議会という方法がなくもないが、そこは軍ほど実力主義ではないため、ルミエハという付加価値が強く前に出すぎてしまう。

「決めたんだね」

 ロイがシアを見てそう言った。

 初めてあった三年前よりも、川ははるかに小さく見えた。助走をつけて思いっきり飛べば、渡れてしまうかもしれないと思うほどには。

 しかし今、二人の前に横たわる川は、以前よりもなぜかわたることが難しい。

「決めたわ。私は二年で卒業する。はやく軍に入って……そして、守りたいものを守るの。自分の手で」

 今はまだ、目の前にいるロイを守る力はない。

 母ルイスの力は強すぎて、シアには何もできないだろう。しかしルイスは急がないと言った。それがいつまでなのか明確には分からないが、それでもシアには少しばかりの時間がある。強くなるための時間が。

 ルミエハがロイに牙をむく前に、シアは強くなりたかった。

「僕も強くなって守るよ。守りたいものを」

 赤銅色の瞳と深い緑色の瞳が交錯する。

 こんなに森は静かだっただろうか。川越しに話す二人を、森は音も立てずに見守っている。

「二年後、入隊式のときに会おう」

 それは、ロイの誓いだった。

 絶対に二年で卒業するという、誓いだった。

「楽しみにしてるわ。二年後に会えるのを」

 それは、シアの決意だった。

 この夏は今日でロイと会うのを最後にすると言う、決意だった。

 シアは急に胸がざわめくのを感じた。未来の明るい希望以上に、不透明な不安がぐいぐいと胸の中に押し寄せてくる。

 これ以上ロイの前に立っていたら、今の決意が揺らいでしまう気がした。シアはゆっくりと一歩川から離れた。

「シア、これを!」

 このまま勢いよくこの場を立ち去ろうとしていたシアに、ロイが何かを放り投げた。鈍い太陽の光にも、かすかにきらめくそれはシアの手の中にすとんとおさまった。

 それは銀細工のネックレスだった。加工されたジャスパーが一つついている。とてもシンプルだが、シアの目の色に合いそうなネックレス。

「誓いの印にあげる」

「ありがとう! でも……私は何も持ってないわ!」

 明らかに自分のために用意されたそれに見合うものをシアはなにも持っていなかった。

「僕が誓いを果たしたら……その時シアが何かくれればいいよ」

 もとよりそのつもりだったのか、ロイは微笑みながらそう言った。

 シアはそのネックレスを大事に握り締めて、うなずく。

「ばいばい。またね!」

「うん、また!」

 



 こうして二人の道は大きく分かたれることになる。

 再びその道が交わり重なる時、トレリが大きく変動することをこの時の二人が知る由もなかった。


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