背後に迫る、あの音、あの香り――
「オイッ、クソッ―― 一体全体、どうなってやがんだよ! 仁音、そっちもダメか?」
「ダメ。鍵なんて無いのに、何処の窓も開かない。ガラスを割ろうと叩いてみたけど、それもダメ――もう、ホントにどうなってるの……」
身を縮め、見も心も、声も震わせながら傍に寄ってくる少女。汗で長い髪が顔に張り付いているにも関わらず、払う素振りを見せずに周囲を警戒している。
仁音のそんな表情を見ていられず、一刻も早くこの状況を打破しようと、木製の古びたスライド式の扉を蹴りつける。
蹴りつける度、全身からジットリと気持ち悪い汗が噴き出す。自身に返る痛みを伴う反動。それと共に、激しい衝撃音が薄暗く不気味に伸びている廊下へとこだまする。
全て木製。しかも耐震、耐久性に明らかな不備がある為、取り壊しが決定されている、木造二階立ての中学校。見るからにボロボロ。明らかに腐りかけ。来る者拒まずと言わんばかりに鍵が掛かって居なかったし、実際俺達二人は校舎に入っている――なのに。
――なのに、何で出る事が出来ない! 何で開きも壊れもしない! 扉も、窓も、壁も、柱も。外に繋がる全ての物が何で――
息も荒く、手足を伝う汗は不快感を煽り、焦燥感を生み出すだけ。
「――ねぇ……ねぇ! ちょっと! この匂い、この音……これってやっぱり――」
俺達を拒絶する扉に歯噛みしていた俺の手を掴む仁音。今にも悲鳴を上げ、泣き出しそうなその上ずった声。
――頭に過ぎる、嫌な予感。
俺は心を落ち着かせようと、羽織っていたジャケットの内ポケットから煙草を取り出す――が、屋上に行く時に吸っていた煙草が最後の一本だったようで、箱の中は既に一本も残っていない。
俺は苛立ちを含めて小さく舌打ちし、空になった箱を握りつぶして、投げ捨てる。
その直後、生温かく、嫌悪感を促す風が頬を撫でる。俺は思わず顔をしかめ、息を呑む。原因はその空気に乗ってやって来た異臭――
アンモニアの鼻を刺すような刺激臭とは違う、卵の腐ったような、硫黄の様な匂いとも違う――例えようの無い、嗅いだ事の無い異臭。空気全てを濁らせる、汚臭。
そんな空気を取り込む事が出来ず、俺は片手を口に当て、もう一方で仁音の手を握る。どちらの汗なのか分からない位、湿り気を帯びた互いの手。だが、俺達はそんな不快感に気を取られる事無く、異臭を放つ方向へと視線が釘付けになる。
自身の鼓動がうるさいくらいに耳に響く。激しい脈動と、どうしようも無い位の胸騒ぎ。呼吸は息切れを起こした様に、上手く出来ず、荒くなる一方。
こんな所で立ち止まっていてはいけないと、本能がそう教えてくれている。
なのに、俺達は動けない。押し潰されそうな不安感と恐怖感に当てられ、一歩後退する事も、背後に振り返ることすらできない、どうする事もできない――
そうしている間にも、異臭は強くなり、鼻腔を侵す。そして、次は聴覚まで魔の手が伸びる。
――ジュ……ジュ……ジュ……ジュ……
明かりの一切ともっていない廊下の奥。そこから一定のリズムを保って鳴り響く、何かが焼ける音。少しずつ、だが確実に近づいてくる、耳に付く聞きなれない音――
過ぎった予感が、確かな形となって目の前広がる闇から浮き上がる。
爛々と俺たちを見定める、真っ赤に燃え――いや、濁り澱んだ血のような赤い瞳、黒く、所々が焼け残ったようなエプロン、そして、体の至る所にまきつけられた、包帯。
そして、そこから覗く、焼けただれた真っ赤な皮膚。
両の手に握られた、四角く大きな中華包丁が怪しく煌き――
「――逃げるぞ仁音!」
恐怖からくる呪縛を引きちぎろうと叫んだことで、俺は後ろへ一歩踏み出せた。
強引に引き寄せられた仁音も、転びそうになるが何とか走り出す。瞳は潤み、嗚咽も漏れていたが、俺はとにかく彼女の手を引いて走る――ほんの少しでも、背後に詰め寄るアイツと距離を離そうと。
その瞬間、引き止めるように風を切る音が耳に付く。
次いで耳に届いたのは、肉を裂く音、恐怖心なんか吹き飛ぶ位の鋭い痛み。燃えるように熱い痛みが仁音と繋いでいた腕の肩口から脳へと叩き込まれる。
俺は彼女に気付かれないよう、これ以上彼女に恐怖心を与えないよう。呻きも悲鳴も漏らさず、痛みの核を開いていた手で取り除く。
肩口に突き刺さっていたのは、料理をする時に使う果物ナイフ。
血に濡れたナイフを放り投げ、歯を食いしばりながらもとにかく走る。
血が脈動するごとに、僅かに体を傾けるごとに痛みを誇張する裂傷。
心に残るのは、後悔ばかり。何で、こんな事なったのか。何で、俺達がこんな目に合わなくてはいけないのか――
『親父達が通ってた木造の旧校舎。取り壊しになる前に、屋上から今日の花火大会見てみようぜ! ぁ、そうだ! ついでに花火大会の前哨戦って事で、二人で花火買って行こう』
『や、止めようよ! あの校舎の屋上から見る花火は綺麗だって言ってたけど、あの校舎、何か出るって話もしてたじゃない。危ないなら、いつもみたいに河原に行こうよ! 花火を買うのには賛成だけど、それも別のところでやれば良いじゃない』
そんな仁音の不安をよそに、『大丈夫だって!』なんて安請け合いをしてしまった俺。二人で打ち上げや手持ちの花火を何個か買って、ノコノコこんないわく付きの校舎に入って行った結果――
走っても、逃げようともがこうとも、俺の耳から離れない、あの音――
――ジュ……ジュ……ジュ……ジュ……
その音から予想するに、一定の歩調。だが、どれだけ強く、速く地を駆けても逃げ切る事の出来ない相手。ありきたりで、チープな表現だが、正に悪い夢のよう。しかも終わらない、逃げている限り永遠に続く鬼ごっこ。
消耗していく体力、疲弊していく精神、幾筋の亀裂が入り砕け散りそうになる心。
様々な疲労により、多方面から追い詰められていく。
何故こんな事になったのか、何故あんなヤツに追いかけられなければならないのか、何故こんな傷を負わねばならないのか、何故俺達がこんな状況に陥らねばならないんだ、何故――
――何故、俺の親父達はアイツに襲われずに済んだんだ?
不意に生まれた一つの問いが心の中に引っかかる。
親父達は『あの校舎は花火大会の夜になると、何かが出る』と、アイツの事を示す言葉が出てきていた。なのに、親父達はアイツを見たと一言も話していない。面白可笑しく昔の事を語っていた様子だったので、隠していたという訳ではあるまい。
それに、不自然な点がもう一つある。
それは、俺達が花火を持って屋上への階段を昇り始めるまで、アイツと出会わなかった事。
相手にしてみれば、自身のテリトリーに踏み入れた瞬間、今の状況と同じく旧校舎に閉じ込めて弄べば良い。獲物二人を前に、指を咥えて待っている事なんてなかったはず。
ならば何故、今更になって俺達の前にアイツは出てきたのか。
俺達と、親父達との違い。数十分前の俺達と今の俺達との違い。それは一体なんなのだろう。
親父達の時代と今現在の違い。ほんの少し前と今の違い。
何でも良かった。何かしらのきっかけ、原因と言うスイッチを何処で押してしまったのかを思い返し、思い出し、脳内で何度も何度も俺の行動を反芻する。
気付けば、またも体は煙草を欲していた。嗜好品であり俺にとって考えごとをする時に必ず吸っていた思考品でもある煙草。無いと先ほど確認したにもかかわらず、手はジャケットの内側に――
――俺の中で何かが弾けた。地を蹴る事を、仁音の手を引くことを、アイツから逃げようとする事を、逃げようと思案する事も。全てを停止して、俺は肩を上下させながら荒く息を吐く。
「ちょっと――なんで止まるの? 諦めるのはまだ早いよ……ねぇ、ねぇってば! 早く、早く逃げようよ!」
涙を浮かべながら俺のジャケットを引っ張る仁音。だが、俺は片手で彼女を制止する。――俺は別に諦めた訳じゃない。
ジャケットの内ポケットから、煙草と一緒に入れていた物を掴んで取り出す。
――ジュ……ジュ……ジュ……ジュ……
異音、異臭は止まらない。確実に近づき、あの鮮血に染められたような瞳で俺達を凝視しているに違いない。そうに違いないのだが、俺はもう取り乱さない。
親父達と、俺達の違い。数十分前の俺達と、今の俺達の違い。沢山の可能性と重なり合った可能性を考慮して考え出した、俺の予想――
俺は堂々とした態度で、アイツが居るであろう方向に取り出した物を向ける。
――それは、百円で買える小さなライター。
親指を少しばかり動かすだけで、ライターの口からほんの小さな炎が上がる。
それは、僅かな変化。ただ、一部の空気が燃焼しているだけに過ぎない行為。
だが、その小さな炎が生まれた瞬間、異音も異臭も嘘のように消えてなくなる。
「ぇ……嘘――もしかして、私達助かったの?」
この変化に仁音も気付いたのか、辺りを窺い期待と疑心が入り混じった声を漏らす。
「助かったかどうかは分からないが、この炎――もしくは一定以上の熱源がある限りあいつは現れない。思い出してみれば分かるけど、アイツが出てきたのって俺が煙草を消した直後。要するに、炎が消えた直後。
アイツが出る前の俺達と、今の俺達で違う事って言ったらそれだけだと思う。親父達も、噂ではアイツの事を知っていた様だが、実際には見ていない。その原因はきっと辺りを照らす炎、ランプか蝋燭かを持っていたから。
――これは予測になるが、きっと俺達が持っていた懐中電灯じゃ『炎』に値する熱源に取って代わらなかったから襲われたんだろうな」
「なら、こうやってライターで火を点けていれば襲われないんだよね? それか、何か燃やせるものを探して火を起こすとか、何か方法が――」
「いや、きっとダメだ。この校舎は木で造られてるが、湿気を含んできっと燃えない。こんなちっぽけなライターじゃ焦がす事しか出来ない。何か他の燃やせる物を探そうにも、この校舎を閉鎖する前には掃除されているだろうし、余計なものはあらかじめ処分されてると思うから望み薄。それに――もう、油の残りも少ないんだよ」
透明なプラスチックから覗く油の量はもうごく僅か。俺が身に着けている衣類を火種にしようかとも考えたが、上下共に自身の汗で湿ってしまっている。この衣類を燃え上がらせる前に、残り数分できっとこの炎は消え、またアイツが現れる事は必死。
俺の言葉に打ちひしがれ、崩れ落ちるようにしてその場にしゃがみ込んでしまう仁音。
気まずい沈黙が俺と仁音の間に訪れる。それは、残り僅かとなった平穏の内に殺される覚悟を決めろと言わんばかりの無音。ライターからガスが吹き出る音が申し訳程度に響くが、何の気休めにもならない。
何か打開策は無いのか。過去と現在を見比べた結果。それからの推測。自身が持っている知識。アイツを倒さなくても良い。夜を越える方法でも、この校舎から出る方法でも良い。なにか、何か無いのか――俺はこのまま、何も思いつけないのか!
「――ねぇ、別に探さなくても燃える物があったじゃない」
仁音はしゃがみ込んだまま、ゆっくりと顔を上げる。前髪に隠れかけている瞳には涙の影は無く、代わりとなって浮かぶのは力強い決意と希望の光。
「私達の目的、屋上で花火をする以外にもう一つあったでしょ? 私達二人がこれでもかって位に買って持ってきた、色んな花火――アレに火をつけて燃やし続ければ時間稼ぎになるし、小火程度なら起こせるかもしれない」
そう、別に今身につけている物でなくても良い。学校内に置いてある物でなくても良い。なんで気付かないのか不思議なくらい。
俺は瞬時に思考を切り替える――燃料の残量はあと少し。今居る場所から、屋上への階段へ行くまで残っているかどうかも怪しいところ。
「……この火が消えたら終わりだ。燃料も残り少ない訳だし――屋上に続く階段まで、走れるか?」
「走れない、って言ったら終わりでしょ? アイツに襲われるのはもうイヤだけど……私達が助かる希望が見えたんだから、大丈夫」
力強い返答。実に頼もしい返答。俺まで力が湧いてくるような返答。
ライターの炎を挟み、俺達は見つめあう。何とかして生き残ろうと。何とかして、この危機を逃れようと。
――俺達は、今一度闇の中へと身を沈める――
――ジュ……ジュ……ジュ……ジュ……
何度も聞いた燃焼音。何度も嗅いだ、あの異臭。後ろから追いかけられているのは確か。
だが、俺達はもう恐怖しない。助かる術が見つかったのだ。もう震えて立ち止まって居ることなんて出来る訳が無い――
「仁音っ、もっと早く走れ! もうあと一階上がるだけなんだ、絶対に倒れるなよ?」
手を引かれる仁音は息も絶え絶え。男である俺の速度に合わせているのだから、体力が尽きてしまうのも仕方がない。
だが、息が上がろうとも、体力が尽きようとも、握り返される手の力が弱くなってこようとも、彼女の眼光は力強い。諦めを知らぬ目。先を見据えて、足掻き続けている目。
一度しか通った事の無い校舎。だが、考えるよりも早く俺の足は闇に包まれた廊下を蹴り、迷う事無く屋上へと通じる階段へと差し掛かる。
そして、俺達が置いたまま残っていた白く大きなビニール袋。近くのショッピングセンターで買い込んだ花火が入った目的の品。
俺はスピードを落とす事無く体を傾け、その袋を空いていた手で乱暴に掴み取り、そのまま屋上への階段を駆け上がる。
少しでもアイツとの距離を取ろうと。少しでもアイツの姿を見ずに済むようにと。
長く続いた階段の先。朽ちかけ、外れかけている扉を俺は一瞬の躊躇も無く蹴破り屋上へと転がり込む。
飛び出した先。辺りだけでなく、雲がかかっているのか空まで暗黒。
そんな中、俺達は唯一の明かりを灯そうと、買ってきたばかりの花火をぶちまけ、その内の一本を掴み取りライターを取り出して、ローラーを転がす。
急いでいる為か、手が震えている為か、思うように火が付いてくれない。
何度目かの失敗の後の、心待ちにしていた成功。百円の価値しかないライターから灯された火は、その何十倍もの価値のある安堵を生み出し二人の間に笑顔が灯る。
だが、その安堵もつかの間。俺達を嘲笑うかの様な横殴りの突風が襲い掛かる。
無情にも一息に消される小さな炎。諦めず、俺は火を灯そうと試みるが、突風が邪魔して灯ってくれない。自身の体を盾にしてライターを庇うも、まるで生き物のように風はライターに吹き付ける。
「オイ、冗談だろう? なんで……なんでつかないんだよ!」
連続して鳴り響く摩擦音。しつこく纏わりつく強い風。全てが俺の心を乱し、苛立ちと焦りが悪循環を生む。
「――ね、ねぇ! まだ点かないの? 早く、早くしないと、またアイツが来ちゃう」
静かに、そして自然に。俺の脳へ直接流れ込んでくるように、幻覚と疑いたくなるほど自然。だが確実に、俺達の鼓膜を震わせる、あの音。
――ジュ……ジュ……ジュ……ジュ…………ジュ。
壊した扉から覗くその姿。俺は、一心不乱にライターを擦り、炎よ灯れと強く念じる。
だが、纏わりつく風は離れてくれず、耳に流れ込んでくるのは、アイツの足音だけ。
そんな中で、風を切る鋭い音が二度連なって耳に飛びこんでくる。それは、聞き覚えのある、身をもって体感したあの音――
俺の手の甲から溢れた赤い鮮血と、突き刺さった見覚えのある果物ナイフ。
その痛みに耐え切れず、握られていたライターは地面へと落ちる。
――二度連なって聞こえた風を切る音。一本は俺の手の甲へ。そして、もう一本は――
パキッ――酷く呆気ない乾いた音。屋上も木製だった為に容易く突き刺さったナイフ。そして、砕け散ってしまった、一本のライター、俺達の希望。
ライターの粉砕に従って、突風はなりを潜める。それは、主人が従者を下がらせた様に潔く、あまりに不自然なタイミング。それは、まるで誰かに操られているような――
ジュ――その木を焦がす音で、俺はやっと気づく事が出来た。
この学校、この敷地内はアイツのテリトリー。自身のフィールドであるなら、何を操るも自由自在。窓ガラスを堅固な物にするのも、窓や扉を開かないようにするのも――勿論、突風を生み出し操ることも。
俺達が弄ばれていた事に改めて気が付く。掌の上で踊らされていた自分達の姿が頭に浮かんで離れない。
もう、助かる道も、手段も無い。きっと俺達は今、ここで、この時間、このタイミングで殺される――だけど。
俺にだって意地がある。意味も無く、意義も無く、勝算も無く、賞賛も無く、どうしようもなくちっぽけで、明らかに無駄な意地。
俺は、突き刺さったナイフを抜こうともせず、両手を広げてアイツの前に立ちふさがる――仁音を、庇う唯一の壁となって立ちふさがる。
耳元で怒鳴る仁音の声。みっとも無く泣き叫ぶ彼女の声。体の隅々に、次々に襲いかかる鋭い痛み。肉を裂く痛み。
だが、俺は倒れない。視線は常に斜め上。月の明かりの届かぬ、星の瞬き一つない真っ黒で、絶望色に染まった空――そんな空に、神様から俺への手向けが送られる。
――それは、夜空に咲き誇る一輪の大花。腹に響く重低音を轟かせながら、眩い光を四方に飛び散らせて花開く大きな花火――
俺は、全身の痛みを忘れてその大花に魅入る。一瞬だけの輝きを放つ花だが確かな感動を呼ぶ、これ以上無い位の大きな花。
ふと気付く。いつの間にか、投げ続けられていたナイフによる激痛が止まっている事に。
上空に咲く花火から、少し視線を下げると、同じくその大花に魅入っていたアイツの姿――その存在を無かったことにするように、闇に溶けていくその姿。
次々と打ちあがる花火の中、姿も、存在も消えていくアイツ。俺に突き刺さっていたナイフと一緒に消え、まるで夢であったかのように、ナイフによる裂傷も俺の体から消えていた。
勿論、血の後も痛みも何も無い。アイツが放っていた異臭も異音も無い。これではまるで、二人一緒に同じ悪い夢でも見ていたよう。
俺達は、狐に摘まれたように呆然と顔を見合わせながら、打ちあがる花火に背を向け、学校を後にした。
何処かの県で花火を打ち上げ始めたきっかけ。それは、花火を打ち上げることで死者を鎮魂しようとしていたようだ、と何かの本に書いてあった。
それは、アイツの魔の手から逃れ、無事に学校を出る事ができた後に知った話。
考えてみれば、親父達もこの過程を経て学校を出る事に成功しているのだ。アイツと出会わなかった理由については、当時の推理どおり。そして、強制密室となっている学校を出たのは『花火大会が終わった後』なので、知らず知らずの内に、親父達はアイツを攻略していたのだ。
だが、今となってはその対処法が正しいと試してみる事もできない。むしろ、俺達二人が偶然同じ幻覚を見ていたと言われたら、否定する事しかできない。
何故ならあの花火大会の後、あの校舎は取り壊され、すでに更地にされて売り地となっている。もうきっとアイツは現れない。もうきっと、俺達が目にすることは無いだろう。
……だが、もしその売り地に建物が建ったら。もしアイツ自身がどこか他の場所に移ったのだとしたら。誰かが、どこかで、俺の知らぬ所でアイツの餌食となっているのかもしれない。