第一章 第六項「ゼフトグライゼン、発進」
『全テスト項目の終了を確認。ゼフトグライゼン、指定場所に戻って下さい』
オペレーターを務める整備兵の良く通った声を聞いて神御とジゼルは同時に疲労の溜息を付く。ふと見れば、地平線の彼方から太陽が頭頂部を覗かせ始めていた。僅かに青色がかり始めた空を見上げつつ、ゼフトグライゼンはジゼルの操作で運搬機の上へと戻った。
MAVRSはその巨体を動かすのに相当量のマナを必要とし、更に機体を高速機動させる為のブースターはまさにマナ食い虫。マギが生成できるマナ総量も限界があるので、基本的にMAVRSは作戦区域近くまで輸送し、そこで起動させる。その際、空中や海上ならば船を使えばいいのだが、地上となると船は使えない。その際に使われるのが、輸送機と呼ばれる乗り物だ。これも小型ではあるがマギリンジェネレーターを搭載しており、浮遊石と呼ばれる特殊な鉱石にマナを注ぐ事で浮かび上がる事が出来る。空中戦艦等が飛ぶ高度まで上げるとなるとそれなりにマナを必要とするが、地上から数十センチ上げるくらいならマナは少量で済む。
底部と四方に浮遊石を取り付け、注入するマナ量を調整すれば、MAVRSを上に乗せたまま運搬が可能なのだ。この輸送機はMAVRSだけではなく、物資を運んだり、商人が商品を輸送させるのに使ったりと、幅広く使用されている。
ゼフトグライゼンが使っている輸送機は特別製で、各コクピットまで伸びたキャットウォークに、少量ながらも武装系も同時に運搬が可能になっている。その輸送機の上に、ジゼルはゼフトグライゼンをゆっくりと膝を付かせて座らせた。
マナ抽出が弱まり、各コクピットの明かりが最低限の物だけになる。薄暗い中でホロウインドウの淡い光りだけが煌々と輝いている。
『テストは全て問題なし。ゼフトグライゼンはちゃんと戦えるのが証明されたわね。まぁ、初陣で行き成りあれだけの事ができたんだから、当然と言えば当然だけど』
分かっていた事ではあるが、確かめておくに越したことはない。あれは偶然動いただけで、次ぎはうんともすんとも言いません、では意味がない。そう言った意味で、先ほどのテストはフィン達を初め、ここに集まった人々に僅かながらも安堵の思いを抱かせる事はできた。とは言え、未だにのど元まで迫った死神の鎌は去らないが。
『今こちらにある武器や防具も全部使用可能だし、各パーツも問題ないわ。後はどう戦うか、だけね……』
ゼフトグライゼンはフィンの予想通り、両手の形状、各ハードポイントも一般機と変わらない同一規格だった。お陰で新しく作ったり、既存の物を改造したりせずにゼフトグライゼンは武装する事が可能だという事が分かった。各パーツはサブジェネレーターの出力が違うのと、今直ぐに複製、換装が可能ではないので次ぎの戦いでは使えない事が改めて確認された。これはMAVRS最大の特徴である状況に合わせた換装による高い汎用性を著しく失う事になるが、それを補って余りある程にゼフトグライゼンは高いポテンシャルを持っている。少なくとも、トラロトリア国内で戦う分には、ゼフトグライゼンは各パーツを換装する必要はない。
『軍部からの報告では、やはりゼフトグライゼン以外のMAVRSは動かせないとの事です。決戦時には剣を取って戦う、と』
それはつまり、出し渋っているのではなく、本当にゼフトグライゼン以外に戦えるMAVRSがないという事実だ。どこかに固定するなり、地面に座らせて固定砲台にするなりと言った、その場凌ぎですらできないからこそ、MAVRSを捨て、剣を手に戦うとこの国の兵士達が決意したという事だ。
「ではやはり、私達がシンゴの考えた作戦通りに奇襲をかける、という事ですか?」
『それしかないでしょうね……。もう少し時間があればMAVRSの武器を城壁にでも括りつけて使うという手もなくはないのでしょうけど……』
それをするには圧倒的に時間が足りないのは言わずもがな。将を討ったと言っても、倒したのは敵将一人。先行で侵攻してきた帝国軍は殆ど損害を受けていないのだ。このまま態々こちらに反撃の準備を与える事はしないだろう。体制を整えれば直ぐにでも攻撃を再開するに違いないと、シェスセリアは考えている。
『申し訳ありません。恐らくこちらから出来るのは二人の無事を祈る事だけの様で……』
「――お顔をお上げください、シェスセリア様。私はこの国の騎士です。シェスセリア様の為……いえ、この国の為に命を捧げる事を誓った騎士です。であれば、その為に戦えるのでしたら、何も苦はありません」
「ま、俺はまだ死にたくないし、負けるつもりもないからね。……絶対に勝ってみせるさ」
『……二人とも、ありがとうございます』
誇らしげに微笑むジゼルと自信に満ち溢れる笑みを浮かべる神御を見てシェスセリアは万感の思いに深く頭を下げた。
長い沈黙が流れる。シェスセリアが頭を上げるのを見て、フィンが間に入る。
『それじゃあ二人は降りてきていいわよ。『ルシギ』様がもう直ぐ来られるはずだから、それまで休憩してて』
それだけ言うとウインドウが閉じた。神御は顔だけ横に向けると、疑問を口にした。
「ルシギって?」
「ん? あぁ、軍部の人よ。この国にはMAVRSを運用する騎兵団と歩兵による騎士団の二つがあるの。その二つを纏めるが近衛騎士団で、その団長がルシギ様。次ぎの作戦をもうちょっと練る必要があるんだけど、これをまた戻していたら手間でしょう? だからここでやるのよ」
ジゼルの説明を聞いて神御は虚空を見つめつつ何度か頷いて納得した。それを見届けたジゼルはマナ抽出プラグを乳房から外し、胸部パーツの中にやさしく納めてから上部ハッチを開いて外に出た。それに続いて神御もコクピットから出る。
太陽が姿を現し、空を青色に染め始めてもまだまだ薄暗さは残っている。海風が吹くと冷たい外気が薄着の体を撫でていき、神御は思わず身震いをした。幾らパイロットスーツが、耐熱耐寒効果があると言っても、寒い物は寒いのだ。
体を抱き締めるようにしていると、ふと肩に何かが掛かるのを感じて振り返る。と、そこには上着を纏ったジゼル居た。どうやら同様の物を神御の肩に掛けてくれたようだ。
「その格好じゃ寒いでしょ? サイズは大きめのだけど、貴方なら問題ないわね。――寒いならアレ、付けてもいいのよ?」
口に手を当てて笑みを浮かべてジゼルはもう片方の手で自分の乳房を上から下になぞる。
出来の悪い女装になるのが嫌だからと胸部パーツを恥じているので、例え耐寒機能があっても今の神御は胸元がフルオープンなのだ。寒さを解消する為に付けてみたら? とジゼルは言っている。当然、あの格好をしたくはない神御は上着を引っ掴むと慌てて袖を通した。ボタンを閉じれば漸く寒さが軽減された気がした。
「むふふ……素直じゃないわね。ま、いいわ。後は整備兵の人達に任せて、私達はテントのところまで行きましょうか」
「了解っと。――んで、ルシギって人はどんな人なわけ?」
先ほどの続きをするように神御は前を行くジゼルに問いかける。歩幅を合わせるように歩む速度を緩めたジゼルが神御の横に来ると、唇に指を当てながら思い出すように返した。
「どんな人って……真面目、かしら? なにせ軍の全てを取り仕切っている方だもの、規律には厳しいし、人一倍真面目ね。ただ、プライベートとかじゃ気さくな感じだし、私もそうだけど、慕っている人はかなり多いわよ」
生真面目で厳しいが親しみ易い人。神御は漠然とながら、学校での担任を思い浮かべた。
テントまで行くと、青色の天幕が張られた中へと通される。仮設テントながら、中はかなり広く、格納庫内にあったような機械類が見える。仮設テントとよいりは仮設基地と言ったほうが妥当かもしれない。
テントの中には整備兵だけではなく、先ほどのビキニアーマーを纏った騎士と同じ格好をした兵士が慌しくしている。そこの一番奥にシェスセリアの姿があった。
大きく平らで、磨き上げられた円形テーブルを挟んで反対側の肘掛が付いた椅子にシェスセリアが座っていた。その横にはサリューの姿がある。小柄なメイド二人の姿はない。
神御達が入ると、サリューと同じメイドの格好をした数人の女性が現れ、二人を椅子へと促す。二人が席に着くと、これもまた高価そうなカップに黒い液体が深い赤色をした液体が注がれる。神御が匂いを嗅いで見ると、どうやら紅茶の類らしい。
「ハーブティーですが、大丈夫ですか?」
飲んだことはない神御だったが、大丈夫だろうと相槌を打つように頷いた。カップを手にとって傾けて飲んでみる。すると、透き通るような匂いと共に酸味のある味がした。
「……美味しい」
「ふふ、お口に合ったようで何よりです。シンゴさんとジゼルには昨晩の戦いの後には僅かな休息しか取ってもらっていませんから、疲れが取れるハーブを使ってみたんです」
ハーブティーにそんなものがあったなぁ、という漠然とした齧った程度の知識を思い起こしつつ、神御はカップを傾け続けた。なんで今まで一度でも紅茶を口にしようと思わなかったんだろうかと、そんな微かな後悔さえ覚えてしまうほどに出されたハーブティーは神御にとって美味しく感じられた。
お代わりでも貰おうかと思っていると、何やら外が慌しくなった。
「どうやら来たみたいですね。サリュー、資料をここに」
小さく頷いてサリューが抱えていた資料をテーブルの上に置いた。それと同時に、テントの入り口から僅かな明かりが差し込んだ後、人影が入ってきた。それに気づいて神御が振り向いてみれば、そこには裏門で見た兵士と同じ、見事なビキニアーマーを纏った女性が立っていた。鎧の作りに精巧さと意匠の凝った物が混じっており、それだけでも位が高い人なのだと分かる。
赤く燃えるような髪を後でまとめ、同じ色をした瞳には力強さがある。端整な顔には毅然とした色が濃く表れていた。身に纏う鎧は全て鮮やかな青色をしていた。マントの奥には確かな鍛えられた体が顔を覗かせている。ヒールタイプのグリーブを履いているからか、それとも女性が纏う毅然としたオーラがそう見せるのか、かなりの高身長という印象を受ける。一歩一歩の動作には優雅さもあり、人目で高貴な人間だと分かった。
その人物がテントに入ってくると、整備兵、騎士問わず、彼女に向かって敬礼を向ける。それに片手で答えつつ、女性は悠然とした面持ちでテーブルへと近づいてきた。
「申し訳ありません、シェスセリア様。準備に手間取って遅れました」
「構わないわ、ルシギ。それよりも、忙しい貴方を呼ぶことになってごめんなさい。この国の明日の為、貴方の意見も聞かせてほしいの」
円形テーブルまで歩み寄ると、ルシギは小さく頭を振った。
「シェスセリア様、次ぎの戦いでこの国の命運が決まるのです。それに、シェスセリア様の心情を察すれば、私の忙しさ等比べるべくもありません。――して、この者が?」
ルシギの視線が神御に向けられる。値踏みをするように下から上まで見られ、どこか居心地の悪さを神御は感じた。何か悪い事をして大人に叱られる時のような、反射的な驚怖が蘇ってきた。しかし、鋭い光が灯っていた視線は直ぐに和らいだ。全身を包み込んでいた圧がふっと掻き消える。
「えぇ、そうよルシギ。彼がダークマターをその身に宿し、その力で生み出した機体で帝国の、鮮血の異名を持つ騎士を打ち倒したのよ」
「鮮血の……ルカガルシャを、ですか!? 奴の武勇は残虐性を抜いても歴史に残る程のものです……それをこの者が?」
鮮血のルカガルシャはその名と共に知られるのは敵対した者を全て屠り殺す残虐性だ。敵対した者、敵対した者に加担する者、敵対した者と関係性がある者、それら全てを屠り殺し、全身をその返り血で真っ赤に染め上げたという逸話からきている。それが事実であるかどうかは当事者とそれを見ていた者くらいしか証明できない事ではあるが、まさにそれを思わせる程の実力をルカガルシャは持っていた。
換装による汎用性とMAVRS用に作られた射撃武器の数々があるなかで、ルカガルシャはあえて二振りの剣のみで戦うという異色のスタイルを取っていた。特に物珍しい仕掛けがある訳でもなく、ただ剣としての機能を極限まで求めた二振りの獲物だけで、ルカガルシャはその異名と共に広く知られる事になった。
ルシギもまた、この戦いの開戦直後に自らが駆る機体を持ってルカガルシャと合間見えている。初戦は決着が付かず、両軍共に弾薬切れや損害が目に見えて出始めた事と、歩兵には厳しい夜の時間になった為に引き上げた。その後は帝国軍側が戦力を一気に投入し、物量によって押され始め、神御がこちらの世界に来る数時間前に機体を整備する時間もな酷使した事で無理が祟り、ルシギは敗北を喫している。
自分が倒しきれなかった、いや倒せなかった相手をどう見ても一般人然とした少年が倒したとはどうしても信じられないルシギは疑念の視線を神御に投げかける。それに対して答えたのはルシギの後に入ってきたフィンだった。
「アングルは一つしかありませんが、映像が残っていますので拝見なさいますか?」
小型のコンソール片手に言ったフィンを見てルシギは数瞬した後、頭を振った。フィンやジゼルの言葉ならコンソールを引っ手繰ってでも確認する所だが、元を辿れば神御がルカガルシャを倒したと言ったのは他の誰でもない、自分が忠誠を誓った主、シェスセリア・フィフティナ・トラロトリア女王だ。主を疑う等、騎士道を深く重んじる自らを否定する事であり、ルシギは心の中で疑心を抱いた自分自身を深く叱咤する。
気持ちを切り替え、踵を返すとルシギは円形テーブルの上に置かれた資料に視線を通す。
「それで、この者とジゼルの二人で帝国軍に奇襲をかける、というお話でしたが……」
「えぇ。シンゴさんの意見を採用し、新型MAVRS、ゼフトグライゼンによってサンロラルに前線基地の陣を入っている帝国軍先行上陸部隊を討ちます。今ある設備だけで考えた場合、カタパルトを改造して上空に向け、ゼフトグライゼンを射出。その後、上空、つまり真上からですが、そこから敵の母艦であるレゾナンス級空中戦艦を強襲し速やかに撃破。その後、周囲に展開しているであろう敵勢MAVRSを撃破する、というのが今できる中でもっとも確立の高い作戦だと考えています」
用意された資料にはゼフトグライゼンの大まかなスペック、上空射出用カタパルトへの改造に必要な時間、敵のおおよその配置と数、敵勢MAVRSの機体スペックが書かれている。敵勢MAVRSの情報は開戦直後から昨晩までに諜報部が得た情報からだ。新たに増援が来ていない限り、仮に温存されていた機体がない限りは資料にある機体だけを相手にする事になる。
「なんと大胆な……。しかし、少ない手駒で勝利を収めるには奇襲が常套手段ではありますか。敵もそれは分かっているでしょうが、ここまで大胆不敵にテンプレートのような奇襲ともなれば、更に真上からの奇襲となれば、敵も予想はしていないでしょう。しかし、レゾナンス級はこれで撃破できたとして、向こうに残っているMAVRSの数は十機近く。それを全て相手取り、勝てるほどの力があるのですか?」
新型とは言え、こちらはゼフトグライゼン一機のみ。加えてメインパイロットはどう見ても訓練された兵士ではない少年。せめてもの救いはルシギも認める騎士であるジゼルがマギとして搭乗している事だろうか。ジゼルがメインパイロットというのならもう少し期待を持てるというものなのだが、ルシギが持つ資料の書かれているゼフトグライゼンの資料に、この機体は神御が搭乗しなければ起動しない、と書かれていた。
もしも、誰が乗っても良いと言うのならルシギはここで自分をメインパイロットにしろと声を大にしている。仮に自分がダメだったとしても、他にも優れたパイロットがいる、と言っているだろう。
「作戦成功の確率を数字にしたとしたら、それはもう思わず目を背けたくなるようなものでしょうね。――ぁ、シンゴさんでは不安がある、という訳ではありませんよ? 誰が乗ったとしても、MAVRS一機で十機も相手どって勝つのは困難な事ですから」
「分かってるからいいよ。まぁ俺も無茶だよなぁとは思うけど、なんか行けるんじゃないかって思う部分もあるんだよね」
「……その根拠は?」
漠然とした曖昧な言葉に、ルシギの両目に再び鋭い光が灯る。先ほどは思わず首を竦めてしまった神御も、今回はそれを意に返すことなく、腰を浅く前に移動させ頭の後で手を組んだ。
「ん~……ない、かな? ただこう、行けるって思う自分が居るって言うか、誰かがそう思わせてくるって言うか……なんだろうな、これ。良く分かんないけど、多分、行けると思うよ」
「はっ……なんだそれは。そんな曖昧な思いにこの国とこの国に住む全ての人々の命を預けろというのか?」
ふざけるなとルシギは声を荒げる。出来る事ならその身が討ち滅ぼされるその時まで戦い抜きたい覚悟と思いがある。しかし、MAVRSにはMAVRSでしか対抗できず、その手段を失ったルシギはただ抵抗する手立てもなく敵に蹂躙される様を見ている事しかできない。いや騎士の筆頭として前線に出てせめて一人でも多く敵を仕留め、果てる事はできる。それで結果が変わる事はないのをルシギは嫌という程知っている。だからこそ、戦う手段がありながらもどこか真剣みのない神御に憤りを感じてしまうのだ。
対して神御はどこから湧き出てくる自信と漠然と曖昧ながらも自分の中にある別の意思のような物に不安を抱えていた。自分が何かに乗っ取られようとしているとか、実は別人格があるんじゃないかとかいう事ではなく、知ってしまえばスッキリするのに、ギリギリで答えが逃げて行くような歯痒さと、早くそれを見つけなくては行けないのに、どうしても手が届かない現状に対して、総じて不安という言葉を抱いている。
神御の不安を解消する答えは直ぐそこにあって、向こうも手を伸ばして差し出しているというのに、自分の側がどうしてもそれを手にする事ができない。向こうは何度も急かしているというのに何故かそれに答えることができないのだ。
「信じてくれ、としか言いようがない、かな。あれを動かせるのは俺だけで、漠然としてるけど行けそうな気がする、って所で納得してもらうしかない。俺が戦う以外に、そっちにもっと良い作戦があるっていうなら別だけど?」
痛いところを疲れてルシギが顔を強くしかめて唸った。他に抵抗する手段がないからこそ、ルシギは今ここに居るのだ。トラロトリア側にMAVRSが一機でも残っているのなら、それを元にした作戦を今、王宮の会議室で行っている所だ。
抵抗できる戦力もなく、一矢報いる作戦もない。せめて出来る事と言えば、MAVRSの武器をどこかに固定して一、二発撃つくらいだろうか。それでも、高速で機動するMAVRSにヒットする事はないだろうが。
「……それで、シェスセリア様は私にどうしろと?」
「知恵と力を貸してほしいの。こちらの戦力は新型のMAVRSが一機だけ。でも、一機はある。貴方なら一機のみでどうやって戦うのか、勝利を得るにはどうすればいいのか。その知恵を貸して欲しいの。白雷の撃槍と呼ばれた貴方の知恵と経験を」
意思の強い視線を受けてルシギがゆっくりと瞼を閉じて思案する。騎士としてのプライドで動くなら、その一機を持って少しでも多くの敵を道連れにする作戦を考えるが、その後の結果は現状とさして変わらない。では罠や陽動を張り巡らせて一機一機を確実に潰していこうかと思ったが、敵勢MAVRSは十機程。加えてレゾナンス級の空中戦艦も次ぎは最前線に出てくるだろう。それらを相手取って、罠や陽動で一体どれだけの効果が得られるだろうかと天秤に掛けてみたのだが、その結果は見なくても分かった。
では奇襲はどうだろうかとも思案する。例え戦艦を落としたとしても、その後に待っているのは十機からなるMAVRSの集中砲火だ。撃ち果てるまでに数機は道連れにしたとしても、それでも半数以上は残る。これもまた、結果は目に見えている。
答えの出ないまま、ルシギはゆっくりと瞼を開いた。彼女の瞳にいつもの強い力が宿っていないのをシェスセリアは直ぐに気づいた。
「もし……もし、この者にそれができる力があるというのなら、奇襲を持って先ず敵の戦艦を撃破後、狙撃装備の機体を優先的に叩く、というのが最良かと」
狙撃装備の機体は基本的に周囲に溶け込むように迷彩を施している場合が多い。更に射程の長さも驚く程の物で、通常のカメラアイでは捕捉出来ないほどの超遠距離から狙撃する事も出来る。流石にそれほどの距離まで離れられてしまってはどうする事もできないが、トラロトリアの国土面積を考えればそこまで距離を取る事もできない。
戦いの最中、横槍を入れるように攻撃されてはいつ深刻なダメージを負うか分からないので、敵が浮き足立っている間にそれらを撃破してしまえば、僅かであっても勝率は上がる。というのがルシギの考えである。
「諜報部が纏めたこの資料を信頼するのならば、狙撃武装の機体は二機。中距離は六機で、残り二機は近接型。近接型の二機をいなしつつ狙撃機を撃破し、その後は遮蔽物を利用しながら近接機を仕留め、残りを撃破、という形でしょうか」
狙撃機は敵からもっとも距離を取りたがる為、そうさせる前に叩く必要がある。乱戦になっては取り付くことすら難しくなるからだ。次ぎに近接機だが、こちらは逆に敵を有効射程に入れる為、自ら近寄ってくる。追う必要はないが、逆に接近されると厄介である。どうにか早々に片付けられれば、戦いは一気に楽になるだろう。
三つの中でもっとも厄介なのは中距離機だ。敵から付かず離れずの中間距離を保つ為、追えば遠距離機と同じように逃げ、こちらが離れれば追ってくるという厄介な相手だ。遠距離型が固定砲台なら、中距離型は移動砲台だ。脅威ではなく、厄介という事ならばやはり中距離型は一番の厄介者だ。
基本こういう相手と戦う場合、二機以上で挑むのがもっとも撃破し易く、定石であり、もっとも良く使われる戦法だ。その為、MAVRSは基本二機一組で運用される事が殆どだ。
人同士の戦いであればスナイパーは上手く周囲に溶け込み、かつ距離も離れた位置にいるので後回しにされがちだが、MAVRS戦ではその逆に標的にされ易い。標準で5m程もある巨人なので、余程遮蔽物が多いか超長距離狙撃銃でもなければどこから撃っているのかは直ぐに分かってしまうのだ。
「敵の配置が分からない以上は直接見た後に対処するしかないが、恐らくスナイパーは戦艦内か、メンスル山脈を隠れ蓑にしている筈。上空から奇襲をするのなら、スナイパーがどこに身を潜めているのかも分かるはずだ。ただ戦艦を狙うだけではなく、降下中も出来る限り情報を集めるようにしろ」
シェスセリアから神御達へと視線を移動させたルシギは腕を組んで告げる。情報収集にあまり人を避けない現状では敵の配置を調べる事は難しい。であるなら、敵の頭上から奇襲を掛ける際についでにそれを行ってしまうという事だ。
二人が頷くのを見てルシギは更に続けた。
「スナイパーを発見したら、戦艦を攻撃した後に直ぐ撃破に向かえ。他のポジションよりも、スナイパーには状況判断能力に加えて冷静さが求められる。母艦を撃破されたとみれば、直ぐにでも姿を隠そうとするはずだ。この機体スペックを見る限りでは、ゼフトグライゼンの機動力ならスナイパーの機体に接敵するのは容易な筈。スナイパーを撃破後はメンスル山脈かサンロラルの建物を遮蔽物にしての各個撃破になるが、恐らく何機か、もしくは足止め目的の一機か二機だけが残り、その他はこちらに向かおうとする筈だ。出来れば街道を押さえる形で戦いたい所だが……。流石に一機ではそこまでは出来んか……」
苦虫を噛み潰すようにルシギは顔を顰めて顎に手を当てる。せめてもう一機あれば配置交換が使えるのだが、と怨嗟の篭った呟きを漏らした。
配置交換とはMAVRSでの戦いで使われる戦法の一つだ。二機一組が基本の運用である事が前提で使われる戦い方なのだが、二機のポジション、つまり前衛と後衛、左と右を素早く切り替える事で敵に休む暇も与えずに連続で攻撃したり、攻撃を防いだ後に片方の機体が前に出て攻撃する、等という戦い方を指す名前だ。要は二機が交互に自分の立ち位置を交換する、という事だ。
今回、街道を塞き止めるように戦うのなら、片方が敵を牽制し、もう片方が攻撃する、それを交互に繰り返す事で数的不利を覆そうとルシギが考えたのだ。もちろん、それが可能なのは高いスキルと、相手との力量の差があってこそできる事なので、初心者である神御にそれをやれと言っても無理難題ではあるが。
「無い物強請りしても仕方がないし、スナイパーを倒した後はどうにかして敵を逃がさないように戦うしかない、って事だろ? 取敢えず持って行ける武器は全部持っていくし、出し惜しみもしないから直ぐには突破されないと思うけどな……」
「武器を大量に装備するって事は、それだけ機体重量が増えるという事なのよ? 当然機動力も落ちるし、適当に撃っても当たる物じゃないし、そんなに簡単にはいかないわよ」
たしなめるように言うジゼルの言葉通り、それは真実だ。ゼフトグライゼンのスペック上の最高速度は今の状態での数値だ。装備を一つ追加する度に機体重量は増加するのだから、それに比例して機動力が落ちるのは当然だと言える。それを抑える為に追加ブースター等の補助装備もあるが、付ければ付けるだけ一回の動きが単調になるのは道理。多くの敵を一人で相手し、かつシェスセリア達の居る首都カーヴェントまで敵を接近させないようにしなくてはならないのだ。武器は欲しいが同時に機動力も、今回の戦いでは重要となっている。
最低限の武装だけにする為それを選定する話をすべきだ、とルシギが考えた時、それを遮るようにフィンが口を挟む。
「機動力と機体重量に関してですが、ある程度はどうにかなると思います」
「どうにかなる? それはどういう事だ?」
「それはゼフトグライゼンに使われている特殊な粒子とそれを元にした外部装甲及び内部稼動骨格にあります。ゼフトグライゼンは見た目こそ標準的なMAVRSではありますが、その機体重量は最軽量型と比べても謙遜のないレベルの軽さを持っています」
衝撃な事実にルシギ、ジゼルやシェスセリアも含め、その場にいる全員が驚きの表情を浮かべた。ただ一人、神御だけはそれを知っていた様子であった。
「流石に持てるだけ持たしてしまってはそれも意味がなくなりますが、中距離型装備に少し追加する程度なら、それでも十分に機動力のある機体として扱えます。補給弾薬を省いて出来るだけ身軽にし、弾が尽きたら破棄する。そうすれば機動力を確保できるので、どうにかなると思います。勿論、撃ち切る前に半数以上を撃破できれば、ですが」
幾らジゼルがサポートすると言っても、相手も戦いのプロだ。早々当たってはくれないだろう。弾薬が少数で限りがあるのなら、不利である事は変わり無い。多少は勝率が上がるという程度だろうが、それこそ無いよりまし、である。
「この大きさと装甲でこの重量……。一体何を使ったらこれほどの軽減が可能なのだ? それに、この軽さで装甲としての役目果たしているのか?」
ルシギの疑問ももっともだ。装甲は敵の攻撃から身を守る為の防具。分厚くすれば防御力は上がり、同時に重たくなる。出来るだけ薄くすれば防御力が下がる変わりに機体は軽くなる。子供でも分かる事で、誰もが疑問に思うだろう。
「詳しくはまだ調べが終わっていないので正確にはお答えできませんが、ゼフト粒子という未知の物質によるものです。これはシンゴさんの胸にあるダークマターが生み出した物で、ゼフトグライゼンはダークマターの力によって生み出されたゼフト粒子使って作られています。装甲や内部骨格だけではなく、エネルギーパイプやネジの一本に至るまで、全てです。そしてこのゼフト粒子は非常に軽いという性質を持つと同時に、高い高度を持っています。全身を全てゼフト粒子で作られているからこそ機体重量は軽く、しかし防御力が高いのです」
驚愕の表情を今度は呆れの色へと一変させた。誰もがそんな夢のような素材を一度は思い浮かべ、しかしそんな物があるわけもないという現実に諦めを抱く。だと言うのに、ダークマターという謎の物体がそれを一瞬で実現させてしまったというのだから、驚嘆を通り越して呆れに至ってしまうのは仕方がないと言えば仕方のない事だった。
「……まぁ言いたい事は腐るほどあるが、今は置いておこう。出鱈目であっても、今はその出鱈目が助けになる。そう言うことなら、奇襲はまさに最善と言えるでしょう。この局面において我らの奇襲はあちらも予想している筈。しかし、真上からの奇襲、それも昼間である。しかも奇襲を掛ける機体は防御力と機動力に優れている、となればこの機体の性能を生かし、かつ勝機を得るのにこれほどピッタリな作戦はありませんね」
「貴方のお墨付きが貰えるのなら全てを掛けるに足り得ますね。――では作戦は当初の通り、ゼフトグライゼンによる奇襲作戦とします。ルシギは残った兵を集め、整備兵と共にカタパルト改造の手伝いを。フィンはゼフトグライゼンの機動力を損なわない範囲での武装を選択、装備させてください。この作戦は機動力と火力が物を言うのでそれを考慮してください。――二人は敵機体のデータと装備される武装の確認を行ってください」
声色を真剣な物へと切り替えたシェスセリアがそれぞれに指示を出す。各々の返答を聞き、深く頷いて立ち上がった。それに反応して多くの整備兵と騎士達が歩みを止め、シェスセリアに視線を送る。
シェスセリアは一度瞼を閉じて視線を伏せた。手をスッと出し、それを合図にサリューがこのテント内、特にシェスセリアをアップにした映像を寝る間も惜しんで作業を続けている全員に向けて流した。
◇
「――しばしの間、皆さんの時間を拝借させて頂きます。此度の戦い、私の思量の浅はかさが今の惨状を招いてしまった事を、深く謝罪します」
ゆっくりと、しかし深く、シェスセリアは長く頭を下げた。現状がシェスセリアだけが原因ではない事は誰もが分かっている事だが、シェスセリアの謝罪には有無を言わさぬ迫力があった。
「――この地に国を築いたのは皆さんも知っての通り、我が祖母であるレイヴン・カーヴェント・トラロトリアです。祖母は今も一部では行われている、マギへの非道な仕打ちに、同姓であり、同じマギである事から心を深く痛めました。その後、男性を必要としない交配技術を作り上げ、更にその後、今のこの国を建国致しました。祖母が目指したのはマギが虐げられることなく、互いに尊重し、平和に暮らせる国を求めていました。まさにその通り、私に王位が受け継がれるまでは祖母の望んだ国でありました」
一言一言が心に深く残る思いに溢れ、誰一人としてシェスセリアから目を離す事はない。それはこの国の人間ではない神御も同様であった。
シェスセリアはここに居る者達だけではなく、今も尚、この国の為に疲労に蝕まれる体に鞭打つ者達にも向けて視線を巡らせた。
「私が王位に付いた直後、その平和は壊れました。それは帝国の王ルーニス8世だけが原因ではなく、国を守るには力も必要だと感じ、それを実行してしまった私の浅はかさが招いた結果でもあります。それを起因として帝国は我が国に目を付け、皆さんも知る通りわが国は帝国軍の攻撃を受ける事になりました。多くの民が、多くの兵が、この国を守る為に散りました。私が愚かだったが故に……」
自分自身を許せなくなり、シェスセリアは強く拳を握り締める。震える手から血の気が引いていくのが分かった。それでも、誰もシェスセリアの行いを止めに入る事は出来なかった。
「戦いは私達の負けである事は、誰も口には出しませんが、事実です」
辺りの空気が重たくなる。誰もが皆、きっと勝つ方法があるという根拠のない思いを無理やり抱く事で堪えてきたのだ。それがシェスセリアの一言で失われ、絶望が心を支配し始めた。だが、スッと視線を持ち上げたシェスセリアの瞳には力強い光りがあった。見ているだけで不思議と力がこみ上げ、どんな困難でも乗り越えられそうな思いが心に芽生え始めた。
「しかし……しかし、諦めなければ希望はあります。私達はまだ戦う術を失った訳ではありません。最後の希望が、まだ私達には残されています。それを帝国軍に知られる訳にはいかず、この場に居ない方々には伝える事はできませんが、私達にはまだ帝国を退ける術があるのです。そして、私達は今から三時間後、この国の未来をかけてある作戦を発動させます。この作戦はこの国とこの国住む全ての人々の明日という未来が掛かっています。困難な事は分かっています。どれだけ無茶な事をお願いしているのかも分かっています。しかし、私には皆に願い頼む以外の方法を知りません。――明日も変わらず皆と過ごせる日々を掴み取る為、私に力を貸してください」
澄み渡る声でそう言い、シェスセリアは深く腰を折って頭を下げた。それはこの場に居るものだけではなく、明日という日を勝ち取る為に今も必死に動いているこの国に住む全員に向けたものだった。
全員を代表するようにルシギが一歩前に踏み出し、強い口調で言葉を放つ。
「この国に住まう者は全てシェスセリア様と共に歩む覚悟を持っています!」
それに続いて全ての兵士が見事なまでに揃った敬礼で答える。
力を貸すのではなく、共に進もう。迷い等一切ない力強い言葉に頭を上げたシェスセリアは柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとう」
その言葉に全員の心に目がくらむ程の強い希望が輝いた。どんな困難であろうとも乗り越えられる自信が芽生える。いかなる強敵が向かってこようとも恐れない不屈の勇気が溢れる。一人一人から発せられる熱い思いが、いつしかこの国を包んでいた絶望を打ち払った。それを肌で感じた神御は自分の為だけではなく、この国の為に戦ってもいいという思いが心の中に生まれたのを感じていた。
シェスセリアの言葉を聞き、腹の底から気合と賞賛の声を上げようとしない者は居なかった。だが、先ほども言ったとおり、これは帝国側には知られてはいけない事。心の奥底から沸き上がる熱い思いは全身に巡らせ力とし、全身に圧し掛かっていた疲労を蹴り飛ばした。気づけば眠気や疲れなど最初からなかったかのように思え、全ての人が各々の作業へと戻った。
「――それではシェスセリア様。私は兵を引き攣れ、残ったカタパルトに向かいます」
一礼し、ルシギは足早に立ち去っていった。テント前に控えていた数名の騎士もそれに続いて遠ざかっていく。
「それじゃあ二人はこっちの用意ができるまで休憩してて。あぁ楽してもらう為じゃないからね? 二人には作戦を成功させるっていう重要な事があるんだから、そこで嫌という程仕事をしてもらうからね」
冗談めかして言ったフィンにジゼルと神御は苦笑いを浮かべて返した。
「そうね。私達には私達の仕事があるんだもの。出番が来るまで休ませてもらうわ」
「お二人には部屋を用意させましたので、そちらで休んで下さい。作戦開始時間は追ってしらせます」
シェスセリアがサッと手を払うと脇で控えていた数名のメイドが寄ってきて二人を促すように誘導し始める。二人はそれに付いてテントを後にした。
◇
弾ける閃光と共に稲妻が線を描く様にうねりながら駆け上っていく。けたたましくサイレンの音が鳴り響き、警告を示す赤色灯が狂喜乱舞するかの如く回転している。サイレンの音を掻き消すほどの怒声やざわめきがほの暗い地下施設に木霊した。
広いコクピットの中で神御はそんな下の風景を見つつ、いよいよ戦いが始まるのだと肌で感じ、気持ちを昂ぶらせた。緊張で心臓が早鐘を打ち、痺れるような感覚が全身に広まる。それは言いようによっては驚怖とも取れるが、今の神御にとっては戦意を高める高揚剤だ。気持ちの昂ぶりと同時に体も熱を帯び始める。コクピット内に吹き込むひんやりとした空気が火照った体には心地が良かった。
「――随分と落ち着いてるのね。もうちょっと気圧されたりして慌てるかと思っていたけど……貴方、本当に一般人だったの?」
来るべき時まで待機の神御とは違い、機体各部のエラーチェックをしなければならないジゼルがふとホロウインドウに映る神御の姿を見て意外だと疑問の声を投げかける。ジゼルがマナ抽出ノズルと接続していないので、両者のコクピットは外部からの動力を受けて最低限の稼動だけをしており、証明も辺りが見える程度でしかない。そんな中でも、ジゼルはパートナーである神御の表情や態度にも意識を向けていたのだ。
「一般人だよ。そりゃもう普通も普通のね。こっちの世界に来るまでは戦いって言ったら喧嘩くらいかな。それでも稀の稀だけどね」
終業式をボイコットして屋上で寝ているのが普通なのかは置いておき。神御は学力、運動能力、教師および周りからの評価、全て中程度の人間だ。金の切れ目がなんとやらではないが、卒業してしまえばそんな奴もいたなぁ、程度の学生でしかない。広い社会の中で特筆すべき個性もない人間だ。
肩をすくめて自分をそう評価する神御だったが、ジゼルの思いは別だった。神御の個性やら学力やら運動能力やらは普通だとしても、行き成りの実戦で歴戦の猛者を撃破し、今もまた死地へと赴くというのに、驚怖に怯える姿も、現実から逃避する姿すらも見せないというのは十分過ぎるほどに異質に映る。
戦いを描く物語は世界に幾らでもある。幼い子ならば英雄譚に目を輝かせ、未来の自分に思いを馳せる事だろう。物語の中でなら、自分はどんな敵とも戦えるし、どれだけの強敵であっても必ず勝利を収めるのだ。
しかし、そんな夢物語とは違い、現実の戦いは残酷だ。一瞬の油断、僅かな才能の差、運の良し悪し、その場の状況、その他様々な要因が重なって勝利を得る事もあればあっさりと敗北を期して死ぬ事もある。どれだけ有利な状況での戦闘であっても、新兵の反応は決まって状況に飲まれ、命のやり取りに驚怖を覚えるものだ。
だが神御にはそれがないのだ。驚怖を抱く事も恐れに慄く姿も見せない事にジゼルが不思議がるのも無理はない。傍目から見ればそれが真実に見えるが、これは正確には少し違う。最初の一撃で二つのコクピットを繋ぐ回線が絶たれてしまった為にジゼルは知らないだけなのだ。真紅の機体が放つ一撃一撃に、神御は驚怖し、奥歯を震わせて慄いた。夢なら早く醒めろと何度も心の中で叫んだ。
ダークマターの力が発動したのはその直後だった。ゼフトグライゼンが生まれ、回復した回線によって再びジゼルが神御の姿を見た時には今と同じ状態だったので、二人の記憶に差異があるだけに過ぎない。ジゼルは怖がらないのが不思議だと言うが、神御にしてみれば最初に十分怖がっていたのでそう言われる理由が分からないだけなのだ。
「それじゃあきっと貴方の世界の人間はこっちからしたら変わってるって事なのかもね」
明確な答えは得られなかったジゼルだったが、それ以上の追求はしなかった。気にはなるが、深く問い質す時間はないのだ。疑問は全て無事に戻ってきてから解消すればいいと、ジゼルは自分に言い聞かせた。
丁度それを待っていたかのように、エラーチェックを行っていた画面に結果が表示される。機体各部全て異常なし、と要約してそう表示された。
次ぎに画面を切り替え、装備する武器のチェックをする。コンソール画面に人型の絵が表示され、それぞれのハードポイントに取り付けた装備の絵も同時に表示される。
機体の機動性や稼動範囲を邪魔しないように配慮し、かつ一撃の火力を重視した武装が装備されたゼフトグライゼンはさながら重武装の騎士だ。元の細身であったらシルエットが幾分か膨らんだようにも見えるが、それでもまだゼフトグライゼンは中型のカテゴリの中では異様とも言える機動性を保っている。
小さな音が連続しやがて大きな音になって響き渡る。見れば地下施設にまともな明かりが灯ったようだ。音は照明が一斉に灯った際に出たものだ。動力の供給が無事確保できた証であり、改造したカタパルトの使用が可能となった合図だ。それを知らせるように、両コクピットに新しくホロウインドウが浮かび上がった。映し出されたのは油で汚れた顔をしたフィンだった。
『二人とも、こっちの準備は完了したわよ。ジゼル、そっちはどう?』
機体の状況把握はサポート役でもあるジゼルの担当だ。基本的に機体制御を行うメインパイロットより、動力役であるマギがサポートを兼任する事が多い。二人の場合、神御は機体制御の才能はあると言っても初心者なのは変わらない。マギであるジゼルは自分がメインパイロットを勤めている事も多いので、それを加味してサポートも兼任している。
「ちょっと待って……OKよ。こっちもいつでも行けるわ」
コンソール画面には武装の接続チェック、試行運転も問題ないと告げられていた。
『了解。それじゃあサブ電源はカットするから繋いで』
フィンの言葉に頷き、ジゼルは胸部パーツを一気に外した。魔力水の中だと言っても、押さえ込まれていた大きな乳房はそれだけで魅力的に弾む。
抽出ノズルを手に取ったジゼルだったが、ふいに視線を感じてそちらへと意識を向けた。すると、そこにはジゼルを凝視している神御の姿が映し出されている。ハッとなってジゼルは慌てて胸を隠すと、無駄と分かっていてもホロウインドウに映る神御を殴りつけた。
「何見てるのよ、エッチっ!! ったく、これだから男はっ!」
「うわっ!? ――って映像だからビビる必要はないのか。……ぁ」
飛んでくると思った拳が実際には訪れず、拍子抜けしている間にホロウインドウの画面が切り替わり、トラロトリアの紋章だけが表示された。これはつまり、サウンドオンリーという奴だ。
「エッチな人にはこれでも十分くらいよ。声だけでも繋げてもらえるだけありがたいと思いなさい!」
漸く見せた神御が怖がる姿が、自分に殴られるそうだからだという理由がどうにも釈然とせず、ジゼルは語意を荒げた。残念そうな思いを溢す神御の声だけが画面から漏れ出て、ジゼルは盛大な溜息を付いた。
「ったく、油断も隙もないわね……」
『――また痴話喧嘩? それよりも早く接続して欲しいんだけど?』
その様子を見ていたフィンが呆れの溜息と、どうでも良さそうな態度で先を促した。
「ひゃぁっ!? み、見てたの!? って、痴話喧嘩なんてしてないわよっ! 変な事言わないで!」
ジゼルは顔を真っ赤にして上擦った声でまくし立てた。
『変な事、ね。……そう言えば、あの約束、本当にそのままでいいの?』
一瞬なんの事か分からずに瞼を瞬かせたジゼルだったが、強引に封印していた記憶が氷解し、思わず息を呑んだ。
『ぁ――ごめん、忘れるって事にするんだったっけ?』
「ぅ……べ、別に忘れるとか、そんな事は……」
ばつが悪そうにジゼルは伏せ目がちに答える。あえて自分から忘れようとした訳ではないと言い返したいのだが、何を言われるのだろうと想像すると氷水が一瞬で泡立つ熱水に変わってしまう程に頭の中がその思いで一杯になってしまうのだ。
やらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないことで手一杯だというのに、そんな事をしていては先に進まないと、ジゼルは意図的に、あえて強引に記憶を金庫の中に放り込んで何重にも鍵を掛けた。自分ですら開錠の仕方が分からなかったというのに、フィンのたった一言で破られてしまった。
氷解した記憶が鮮明に思い出され、不思議そうな顔をしている神御の顔を見てジゼルは頭の中が一気に沸騰するのを感じた。もしかしたら湯気が上がっているかもしれないという錯覚すら覚える。
それをどうにか振り払おうと何度も頭を振ってみるが、熱は一向に冷める気配を見せない。先ほどまでは深く考えるまでもなく動いていた手が所在なさ気に着地点を見つけられるずに何度も躊躇われる。視線が左右に揺れ始め、開きっぱなしの口から声にならない音が何度も漏れ出る。
『あぁ、ごめんジゼル。今する話じゃなかったわね』
「だ、だだだ、だい……じょうぶ……うん。そ、それよりもっ! は、早く先に進めて!」
どんな事を言われるんだろうという期待と不安が頭の中を犇めき合う中を、ジゼルは強引にでも理性で押し入り、勢力を拡大させる。いざ始まってしまえばきっとどうにかなるという漠然とした思いで、ジゼルはフィンに先を促した。
後悔の呟きを漏らしつつ頭をかくフィンは何度かフォローしようと思ったが、それができる程に人生経験はなく、かつ自分がそんな状況に陥ったらどうしようなどという想像もできず、結局何も言わずに諦めた。最後にもう一度謝罪するように瞼を閉じる。
『了解。――機体をカタパルトに移動させてっ!』
フィンの怒声が飛ぶ。何も言わないでくれた友に感謝しつつ、手に持ったまま強く握り締めていた供給ノズルを持ち直し、一度深く深呼吸。気持ちを切り替え、ジゼルは乳房にマナ供給ノズルを接続した。
ゼフトグライゼンの全身に血液が一気に行き渡る。下がっていた頭部が勢い良く跳ね上がり、双眼に眩い光りが輝いた。
両肩に取り付けられた大型のクレーンがゼフトグライゼンの巨体を持ち上げる。クレーンには輸送機と同じ浮遊石が先端の爪部分に使われている。これより、掴んだ物の重さをある程度緩和させて持ち上げることができるのだ。MAVRSという巨人を両肩に爪を取り付けるだけで持ち上げられるのはこういう理由からだ。
クレーンは持ち上げたゼフトグライゼンをゆっくりと移動させ、カタパルトの上に下ろした。固定アームが両足に取り付く。カタパルトに走る二本の細い溝の中を発射機がスライドし、脚部底面に接続される。二人の手元にあるコンソールにカタパルト固定の文字が走った。
『このカタパルトは急ごしらえの改造品だから、お上品な射出は出来ないから覚悟しておいてね? 補助翼は機体を安定させるだけの物だから、機動に乗ったらさっさと捨てちゃって。もし敵から砲撃されたら良い的だからね』
カタパルトも本格的に稼動し始め、更に慌しくなった施設内でフィンは声を張り上げて二人に最後の説明を行う。
急造品のカタパルトは、一端は普通に直進し、途中から角度を変えて空へと向かって伸びている。本来は機体を勢い良く発射する為だけの装置で、機体を空へと飛ばす機能はない。そこでフィンを初めとした整備兵達は急遽、空中戦艦等に使われる補助翼をMAVRS用に改造し、飛び上がりから上空までの機体安定用の装備としてあしらえた。カタパルトに固定されたゼフトグライゼンの背中にくっ付いている。一見してスペースシャトルを背負っているようにも見える程に不恰好だった。
『ゼフトグライゼン、カタパルトに固定。ライトニングボルテージ上昇。射出可能まで残り4%!』
試運転の時と同じオペレーターの声がコクピット内に響く。フィンと同じく、慌しく騒がしい場所に居るので必然的に声に力が入っている。
オペレーターの言葉通り、カタパルトに雷系の魔法が姿を現し始めた。
カタパルトは魔法使いによる雷系魔法の力場を二つ作り、それを反射させ際に出る力を利用して発射する仕組みだ。MAVRS程もある巨体を発射するには相当量のマナと、集中させた雷系魔法が必要で、発射可能なまでに集中させると全体が白い閃光を上げて輝き始める。バチバチと音を立てて稲妻が走る様は見事な物だが、この状態となったら周囲100メートル県内は魔法使い以外の立ち入りが禁止される。当然、近づけば集中して圧縮された雷の直撃を食らうのだから、良くて黒こげ、悪ければ跡形も無く消滅するほどだ。
『ライトニングボルテージ120%! いつでも行けますっ!』
オペレーターが目もくらむ程の閃光に目を隠しながら必死に声を張り上げた。
周囲の緊張が一気に高まる。後はパイロット側で操作すればいつでも発射が可能。その時だった。コクピットに三つ目のウインドウが現れた。
「シェスセリア様?」
画面に映ったのはシェスセリアだった。閃光の余波がない所を見ると、別の場所に居るようだ。
シェスセリアは一度目を伏せた後、何かを言おうと口を開くが言葉にはならず、口を閉じる。何を言おうとしているのか、聞かなくても二人には分かった。神御にとっては出会って数時間程度の仲でしかないが、それだけの僅かな時間であってもシェスセリアの人となりはある程度把握しているつもりだ。そこから導き出される答えは、謝罪である。
死地へと援軍なき状態で送り込む事にシェスセリアはずっと心を痛めている。しかし、今此処で謝罪を口にするのは行くと決意した二人を侮辱する事になる。だからこそ、シェスセリアは言葉に出す事ができなかったのだ。
「大丈夫だよ。相変わらず根拠はないけど、きっと勝てるさ。だからさ、帰ってこれたら腹一杯ご飯、食わせて欲しいかな。最低限の分しか食わしてもらってないんだよね」
満腹状態では高機動時に嘔吐するからと、神御は空腹ではない程度の量しか口にしていない。それも軍用携帯食という味も素っ気もない保存食だ。
「はぁ……貴方はまったく。もうちょっと気の効いた台詞はないの?」
「悪かったね。人間、腹が減ってるのは一番ダメなんだぞ」
それはかつて祖父に言われた言葉だ。何をするにしても、先ずは腹を満たすこと。空腹では力は出ないし良い考えは浮かばないから、と神御は子供の頃に何度もそう言われた記憶を思い出した。
「――ぷっ、ふふふ……あはは……。そうですね。分かりました。我が国の最高のシェフを集めて最高の料理を作って二人の帰還を待っています。だから……絶対に帰ってきてください」
二人のやりとりに、思わずシェスセリアは堪えられず笑い声を漏らす。一頻り笑い終えると、目じりに溜まった涙を拭き、柔らかい笑みを浮かべた。
「期待してるよ。――んじゃ、行ってくる」
「必ず勝利の吉報を持って帰還します」
二人はそれぞれ力強い笑みを浮かべて返すと通信を切った。直後、最大出力のスラスター音と共に、稲妻が炸裂音を響かせ大地を揺らし、空気を激しく揺さぶった。
眩い閃光と共に、白銀の機体は一瞬で遥か上空の彼方へと飛び立つ。シェスセリアがそれを追うように見上げると、白銀の機体はすでに黒点程の小ささになっていた。
「無事に……帰ってきてください……」
両手を組み、シェスセリアは誰に祈るでもなく、静かにそう呟いた。