第一章 第五項「ゼフト粒子」
骨組みにガワだけを取ってつけたまさに応急というべき補修だけを受けた第七倉庫に公務を一時的に抜けてきたシェスセリアとその従者サリューと小柄なメイド二人を加え、小型のコンソールパネル片手にフィンが額に張り付いた髪の毛を鬱陶しげに掻き揚げた。
「それでフィン、漸く解析が終わったと報告を受けたのだけど?」
口火を切ったのは女王シェスセリアだ。国を指導する立場にあるが彼女はこの中で一番疲れを見せていない。それは彼女が楽をしているのではなく、そう見せないように化けているからだ。女性が化けると言えば化粧であり、サリュー達の手によってシェスセリアは表面上、疲れが見えないように化けている。
見た目こそはそうであっても内面は臣民を多く失った事を深く嘆いており、休憩の間であっても眠ることはできず、厚く塗った化粧の下には隈ができ、両目は疲れで悲鳴を上げている。それはそもそも寝る時間さえないフィンも同様であり、彼女の場合はそれを隠す素振りも見せない。隠すつもりがそもそもないとも言えるが。
四人の中で普段とさして変わらないのはジゼルと神御の二人だろう。ジゼルは一介の兵士として必要な時にちゃんと寝られるように訓練している。例え心は悲しみに憂えていても、寝るぞと決めれば自然に睡魔がやってくるのだ。そんな三人に対して、神御は心も体も疲れてはいない。多くの人が死んだ、という情報はジゼルを通して聞いてはいるが、どこか他人事の思いがある。赤い月に魔法が存在する世界、それと知れば当然自分が別の世界に来たのだと嫌が応でも認めなくてはならない。ともすれば、別の世界、別の国、別の暮らしをしていた人々。全てが違う世界のとある国の人が幾ら死んだところで、悲しむ心は僅かにあれど、やはり他人事と思えてしまうのだ。
疲れた体に鞭を打つように一度大きく深呼吸し、フィンは口を開く。
「はい。と言っても、この機体の魔科学電動脳、それの表層部分でしかありません。それより先は数式術の魔法障壁によってロックが掛かっているので、流石にそれよりも深い部分の解析は済んでいないのですが、それ以上は恐らく時間が足りなくなるのでここで打ち切りました。そこで、今分かっている部分だけですが、直ぐにでも報告した方が良いと判断し、お呼びしました」
「……ぁ~……電子頭脳とか数式術ってなに?」
話の腰を折るのは忍びないと、一歩後に下がっていた神御はジゼルにそっと問いかけてみた。フィンの方を向いたまま、ジゼルは声をひそめて返す。
「魔科学電子頭脳はメインコクピットの中に搭載されている、まさにMAVRSの頭脳と言えるべき物ね。機体の制御を一手に請け負っている部分で、それがあるからこそMAVRSなんていう巨大な兵器をパイロットとマギの二人で動かす事が出来るのよ? 数術式っていうのは魔法を使う際に必要となる呪文や手順を科学的に数値化、文章化した物の事よ。これらを複雑かつ正確に組み合わせ膨大な数の術式を集合させたのが電子脳ね。そこには機体の情報だけじゃなく、運用するのに必要な情報も入っているの。例えば地形データであったり、敵機体のデータであったりね。だから、相手に鹵獲されても情報を流出しないように、魔法障壁によって保護されているの。ちゃんと解除しないと電子脳が焼ききれちゃうから、これの解析は一番神経を使う、って感じね」
なるほど、と神御は頷いて姿勢を戻す。魔法学や魔科学というファンタジー色が強い単語が多いので分かり辛いが、電子頭脳とは所謂OS、つまりオオペレーティングシステムの事だ。MAVRSというハードを動かす為のシステムソフトウェアの魔科学版という所だ。数式術魔法障壁とはそれらを保護するファイアーウォールという具合である。
「表層部分に関しては開示しても良いと言う意思の表れだと思います。そこから分かったことですが、この機体、やはり我々が思っていた通りダークマターの力によって作られた機体でした」
「ダークマターに……。それはダークマターの力で一から生み出された、という事ですか?」
「いえ、正確には、元々我々が作っていた試作型のMAVRS、それを取り込み、ダークマターの力によって完成させられた、と言った方が正しいです。こちらで組み上げた内部稼動骨格はそのまま流用されています。そこにダークマターが生み出した『ゼフト粒子』、と呼ばれる未知の粒子によって強化改修が行われた、という事です」
神御だけではなく、シェスセリア達もゼフト粒子という単語は初めて聞く言葉らしく、今一要領を得ない表情を浮かべた。
「ゼフト粒子に関してはまだ詳しくは分かっていません。ただ、非常に硬い硬度を持ちつつも、恐ろしく軽い、という事だけは分かっています。調べた所、この機体、見た目は中量クラスの外見をしていますが、総重量は軽量クラスに近いものがあります。見た目の重厚さからは想像できない程の速度で動くのですから、敵が翻弄されたのも頷けます。さらに、このゼフト粒子は出力系や推進機器にも影響を与えているようで、瞬間的な速度は恐らく超える機体はないかと」
つまりそれは常識外という訳だ。今までの技術でやるのなら、ガワは見た目だけの張りぼてにし、防御力なんぞ度外視にすればそれは可能だ。しかし、それは当たらなければどうという事は無い、などという机上の空論を実戦できるわけもなく、MAVRSの特徴である高速機動戦において、機体に圧し掛かるGに耐え切れず剥がれるように装甲が落ちていくだろう。
体を支える骨格とはいえ、むき出し状態で強烈なGが掛かれた何れ耐え切れずに崩壊を始め、それは外部装甲にも同じ事が言え、防御力の向上と速度の向上は正比例になる事は基本的にはない。例外として、大型ブースターでも取っ付けて真っ直ぐ加速させれば可能であるが、三次元機動を行うのであれば、それが無理であることは想像に難しくない。
だが、今神御達の目の前にある白銀の機体は防御力と機動性、二つを高いレベルで実現しているという理屈を蹴っ飛ばして反則的に実現させているとんでもない機体なのだ。
「戦いの最中、光る剣を使ったのは覚えていらっしゃると思いますが、あれはゼフト粒子に指向性を持たせ、収束させた粒子兵器だそうです。先ほど言った駆動系や推進機器に使われているゼフト粒子ですが、マナと組み合わせる事で低消費、高効率のエネルギーを生み出すのだそうです。まったく……無茶苦茶ですね、この機体――」
フィンがそう嘆くのも仕方がない。今までの彼女らが行ってきた少しでも良い性能の機体を、効率の良いエネルギー消費をと寝る間も惜しんでやってきた努力を、ダークマターはゼフト粒子なる未知の物質を使う事で、一瞬でやってのけてしまったのだから。
「なるほど……。その、ゼフト粒子、でしたか? それは他の事にも転用が可能なのでしょうか? 例えばそれを使ってこの機体を量産すると、とか」
「どうでしょうか……。残念ながら、この機体はゼフト粒子を使って作られていますが、ゼフト粒子を生成する力は持っていません。そんなインチキな粒子を生み出せるのはダークマター……つまり、それを持つ貴方だけです」
スッと指を指され、全員の視線が神御に集中する。行き成りの事に仰け反る神御だったが、次の瞬間には胸を張って腕を組み、得意げな表情を浮かべる。
「……貴方、そのなんちゃら粒子、好きに出したりできるの?」
「…………できません」
次第に萎れ、最後はがっくりと項垂れて神御は搾り出すように呟いた。
「はっきり言えば、この機体はゼフト粒子がないと動きません。神御さんが乗らなければ機動すらしない、という事です。それがこの機体厄介な所で、幾らマナを注入しても最低限、元々こちらが作った部分に関しては起動するのですが、それ以上はまったく無理でした。シンゴさんはこの機体を動かす為のゼンマイ、と言った所のようです」
「そうですか……。いえ、それだけ分かっただけでも十分ですね。規格外の機体ともなれば、相手の意表を突くには持って来いでしょう。できる事なら、この戦いは私達が解決するべき問題でしょう。それをこの国の、いえ……この世界の人ではない貴方に頼らなくてはいけない……無力な我が身を呪うばかりです」
敵を一時的とは言え追い返した今、小船の一つでもあれば神御は国外へと脱出する事ができる。その後の生活は保障できないとは言え、今まさに滅亡しようとしている国に残り続ける理由はない。と、普通ならそう考えるだろう。しかし、神御の考えは違っていた。
「まぁ確かに俺はこの国の人間じゃないし、そもそも異世界の事情に巻き込まれるのは真っ平御免だ、って思いもないわけじゃない。聖人君子じゃないし、ましてや神様でもないし、正義感ひけらかして全員助けてやるぜぇ、なんて事は絶対言えないし。――んでも、やっぱさ、目の前で困ってる人が居て、自分にそれを解決してやれる力があるなら、出来る限りは手伝ってやりたくなるんだよね。その結果が良い方に転ぶのか悪い方に転ぶのかは別にしてさ。それに――」
「――それに?」
小首を傾げるジゼルに、神御は恥ずかしそうな笑みを浮かべ、
「それに、女性に頼られて好い気にならない男はいないでしょ」
そう言って笑う神御に、シェスセリア達は鳩が豆鉄砲を食らったというか、狐に頬を摘まれたというか、あまりにも意外過ぎる答えに一瞬思考を飛ばして呆けてしまった。直ぐにハッとなって我に返ったのはジゼルだった。
「あ、貴方ねぇ……そんな理由で死んだら物凄く格好悪いと思うわよ?」
「そうか? 女の為に死ぬ、って俺が居た世界なら結構普通にあった考えなんだけどな……。こっちではそういうのってないの?」
「な、なくはないけど……はぁ、貴方ってホント、変わってるわね。まぁ貴方がそれで良いっていうのなら、私達としてはその好意に感謝こそすれ、無碍にする事はしない、というか縋るしかないんだけど。――でも、見返りはないわよ? 見れば分かると思うけど、結構ギリギリだから……」
命を懸けて戦っても、それに見合う報酬を払うことは今のトラロトリアには無理だ。出来るとすれば、心の底から、それこそ国民全員が揃ってお礼を述べるくらいしかできない。だが、またしても神御はジゼル達の意表を突くような言葉を返した。
「いや別に金貰っても使い道ないし。別の世界の金貰ってもどうしようもないだろ? 何も分かんないんだし。何かくれるなら金より情報……というか常識? や、情報でいいのか? 兎に角、この世界で生きて行ける、最低限の事は教えて欲しいかな」
何時帰れるか分からない以上、それまで生きていくための地番となる情報や知恵は幾らあっても困ることはない。そう思い、告げた神御の言葉にジゼル達はまたも呆けた顔を見せる。神御が元居た世界でも、同じ状況で同じ返事を返せば、おそらく同じ反応が返ってくるに違いない。
「そ、それだけで良いの? ほ、ほら、一応、私達、女だし……そ、その……体を要求したり、とか……はっ! な、何言わせるよっ!!」
「なんで行き成りキレるんだよ!? そっちが勝手に自爆しただけだろ! ま、まてまて! その手は何に使うつもりだ」
茹蛸のように顔を真っ赤にしたジゼルがぐっと拳を握り締めたのを見て神御は悲鳴にも似た非難の声を上げて後ずさる
「た、ただでやられたりしてなるものか……。そうだ。な、なるほどね、そういう手もあったのか」
一瞬はたじろいだ神御だったが、どうにか反撃をと思考をフル回転させ、電球がピカリと輝く程の妙案が浮かんだ。顎に手をやり、口角をニヤリと笑みに浮かべてジゼルを値踏みするように見た。
ビクっと背筋に悪寒が走るのを感じ、ジゼルは神御の視線から逃げるように体を抱き締めて怒りと恨みの篭った視線で反撃する。どうにか殴られる危機を脱却したと見て、神御は肩を竦め、やれやれと頭を振った。
「――冗談だよ、冗談。またしかにそれも魅力的だけど、俺は一方的なのは嫌いなんだよ。そういうのは両者共に同意の元ってのが俺の心情でね。そう言うわけだから、やっぱり――」
情報を、と言おうとした神御の言葉を、シェスセリアが横から割って入った。
「シンゴさん、そのお話受けてもよろしいでしょうか?」
シェスセリアの言わんとしている事の意味が分からず、ジゼルも含めて首を傾げた。
「これもまた貴方にお願いをする事になってしまうのですが、現状からも分かる通り、我が国には今まともに敵のMAVRSと戦える戦力はありません。あるとすればこの機体だけですが、これは貴方が居なければ無用の長物。もし次の戦いに勝利したとしても、そしてダークマターを持つ貴方がこの国から去ったとしても、帝国はそれを抜きにしてでも我が国を攻めるでしょう」
帝国にとって、周辺諸国、きっては世界中にある国は全て自分の支配化に置きたいと思っている。まさにそれを表すかのように、ルーニス・ゼルガ・バーグレイス8世の声明を発端にし、各国は無条件降伏か、戦争かの選択を迫られた。トラロトリアもそれは例外ではなく、しかし本来ならもっとも後回しにされそうな南の小国が優先的に今攻撃されているのはダークマターがあるからこそだ。
支配下に置いた国への非道は各国の王と近しい臣下には伝わっている。だからこそ、力のある国は今も帝国と交戦しているのだ。しかし、それは戦う力があるからこそ、徹底抗戦の選択を選べるのであって、力のないトラロトリアに至っては選べる選択は一つ。無条件降伏しかない。それに至っても、待っているのは邪魔な臣民と王族の虐殺だ。そんな未来を望まなくとも、トラロトリアにはただ黙ってその未来が来るのを待つしかないのだ。
しかし、ここに来てトラロトリアに若干の光明が生まれた。未確定可能物質であるダークマターの起動に成功させ、そこから生まれた未知の粒子によって生まれた新型MAVRS。その圧倒的な強さによって帝国でも屈指の豪傑である鮮血のルカガルシャは倒され、一時的にだがトラロトリアは首の皮が繋がった。
一端は退却した帝国軍の先行部隊だが、このまま何もせずに帰還するという事はしないだろう。よしんば撃破したとしても、第二、第三の応酬が待っているのは想像に難くない。もし戦力を最初と同じに戻せたとしても、トラロトリアが辿る道は今となんら変わらない筈だ。元々の戦力差もそうだが、使用されるMAVRSの性能差も此度の戦いで顕著となった事実の一つだ。
トラロトリアが今後も自国を、そしてそこに住む人々を守るには白銀のMAVRSとそれを動かす事の出来る神御の存在が必要不可欠だ。
「どこまで出来るかは分かりませんが、この国を帝国の脅威から守るには神御さんと、この機体の協力が不可欠です。であれば、貴方が戦ってくれる代わりとは言えませんが、衣食住の保障はします。必要ならば知識や情報もお渡しできます。そして……し、シンゴさんが望むのでしたら……この身を差し出す事も……」
普段凛としているシェスセリアからは想像もできない、恥じらいを持つ乙女の反応にジゼルだけではなくあまり表情を変える事のないサリュー達ですら驚いて見せた。小柄メイド二人に至っては全身を使って驚いているほどだ。
「いや、いやいやいやいやいや! ちょ、ちょっと待て! 俺の話聞いてた? 俺、助けてやったから体寄越せ、とかそう言うの嫌いって言ったよな!? な!?」
同意を求めるようにジゼルの方を見ると、しっかりと頷き、ジゼルも加勢する。
「そ、そうですシェスセリア様! シェスセリア様のお体はこの国にとって何よりも大切な物。それをどこぞの馬の骨とも分からない変態に褒美とするなど!」
誰が変態だ、と返した神御だったが、初出撃の前から帰還後までにジゼルの裸を堪能していた事を指摘され、ぐうの音と共に黙らされた。
「違いますよジゼル。私の体などこの国に住み、支える民とは比べるべくもありません。皆を助けることができるのなら、この身など安い物です」
「で、ですがシェスセリア様……」
「俺もジゼルと同意権だ。さっきも言ったけど、俺は見返りに寄越せとか、そういう無理強いは嫌いだ。それに、もう一度戦うって決めたのはシェスセリアが欲しいからじゃない。皆が困ってるからだとかいう正義感がまったくない訳じゃないけど、殆どは俺の為だ」
どういう事だろうか、とジゼルを含めて首を傾げて神御に視線が集中する。
「ここは俺が今まで生きてきた世界じゃない。それは知ってるだろ? で、そこに帰る方法はさっぱりわかんない。あるのかもしれないけど、右も左も分からん世界じゃ調べようもないしね。それに、生きていくには食いもんがいるし、雨風凌げる場所も欲しい。でも、そんなの事情を知らない人に言ったって貰えるわけもないし、だったら知ってるシェスセリア達に頼むのが手っ取り早いだろ? だから、俺はここで戦って、帝国を追っ払って、その代わりに俺の欲しい物を対価としてもらう。対価としてそれが欲しいから変わりに戦いますって、シェスセリア達にお願いしたいから、っていうのが俺の為の理由だ。食い物と住める場所、あと情報とかくれればそれで十分だよ」
何の縁もない国の為に命を張るというのに、神御が望む対価の低さ、そしてそれで十分だと言ってのける欲の無さにシェスセリア達は現実を疑うかのような表情を見せる。
体を対価にと言ったシェスセリアに苦言を呈したジゼルであったが、神御に求める事柄への対価を、と考えれば今のトラロトリアにはそれくらいしかないのも事実だ。王家や貴族の身であれば、自身の存在が交換材料でしかないのは幼い頃から叩き込まれる現実だ。家柄を高める為、家柄復興の為、他家との友好の為と理由は様々だが、そのどれもが対価を求める際の交換材料だ。
今から起こる戦いで勝利を収めた場合の報奨として妥当だと思われるのは女王かそれ相応の巨額な報奨金、もしくは謂れのある宝物となる。国土が広ければ一部地域を、という事も可能だが、トラロトリアに余裕のある土地はないので、領地という選択は端からない。
土地がないのと同じに、幾ら一国とは言え南の小国と揶揄されるトラロトリアに国家の危機を救った者に見合う報奨金を払う余裕はない。謂れのある宝物は流石に幾つかあるが、それらは今のこの国を支えるのに使われている為、渡すことはできない。仮に、例えば神御はまったく加担せず、ジゼルが救ったとすれば、報酬は地位と褒美の言葉くらいだ。忠誠こそが我が名誉という言葉があるように、騎士にとっては国や主君の為に戦うのは当たり前で、報酬は二の次だからだ。
しかし、神御はこの国の人間ではないし、ましてや騎士でもない。地位や言葉を貰って元の世界に帰れるのなら神御はそれで良いと言うだろうが、それは先ずない。となれば、神御への報酬として相応しいのは未婚である女王シェスセリア、その身を持って報酬と成すのが対外的にも、シェスセリア達からも妥当だと言える。
それしかないのを知っていてもなお、シェスセリアの人となりを知り、人柄に惹かれて忠誠を誓い、この国の今後を考えるのならば、やはりシェスセリアを失うのは国の未来を失うのと同義だ。帝国を撃破したとて、その後を支える指導者が居なければ意味がない。
神御が衣食住と情報だけで十分だという言葉は今のトラロトリアにとっては堪らなく魅力的に見える。シェスセリアの身だけを考えるのなら、直ぐにでも手を付けたい話だ。しかし、それでは誰が見てもトラロトリア王家が国の危機を救った英雄に不義理を働いたと見られるだろう。神御が望む報酬は彼が成すであろう結果に対して、明らかに少ない。
「――シンゴ様はこの国の方ではありません。過程はどうであれ、結果として国外の者がこの国を救ったのなら、払うべき対価は途方もありません。しかし……しかし、シンゴ様がこの国の者だったのなら、シェスセリア様からの労いの言葉、それと位に僅かな報奨で十分でしょう」
今まで何を言うでもなくシェスセリアの一歩後に佇んでいたサリューがボソっとそう呟いた。確かにそれならば位を授けるだけでも十分と言えるだろう。国に仕える者ならば忠誠こそ名誉であり、国の為に戦うのは当たり前。報奨が少なくとも文句が上がる事はない。
サリューの言った意味を直ぐに悟ったシェスセリアは鋭い視線で彼女を睨んだ。
「なんという事を言うのです、サリュー! 貴方は縁もゆかりもない国の為に戦った者に対してそのような不義理を働けと、そう言うのですか!」
「も、申し訳ありません……ですが彼は――」
それ以上サリューの言葉が続くことはなかった。シェスセリアが纏う怒りの様相に続く言葉を紡ぐことはシェスセリアだけではなく、この先の戦いで命を危険に晒す神御を侮辱する事になる。言いかけた言葉を飲み込み、サリューは俯きながら下がった。
と、行き成り神御が手を打った音にサリューはもとより、目を細めていたシェスセリアも驚きに見開いて神御を見た。
「それだ。その手があったか。この世界でも客将……は何て言うんだっけ? まぁなんでもいいや。どこの国にも属してない騎士、というか剣士というか、そう言う人を誘って戦力にするって事はあるんだろ?」
「あ、あるにはあるけど……それって、傭兵って事よ? まぁもしくは団員募集とかしてた場合はそのまま兵士とかになるんでしょうけど……。言いたくはないけど、今のトラロトリアに傭兵や補充人員を募る程の余裕はないから行き成り現れた貴方はやっぱり不審に思われよ」
「そこはほれ、適当に言い訳作って誤魔化すのは政をやってう奴の得意分野だろ? 元々新型のMAVRS動かす為のテストパイロットだったとかで、知られてないだけで前から居たとかさ」
一兵士として戦うのならば見たこともない神御は明らかに不審に思われるものだが、国家機密である新型MAVRSの事となれば、その全容と関わった人物全員の情報を知ることができる範囲は非常に限られる。特に第七格納庫は兵舎も隣接しているのでシェスセリアが元々居たと公言すれば疑う事はされてでも、それを口に出し、調べる事は誰もしないだろう。
出所はどうであれ、一度トラロトリア所属の人間となれば、サリューが先ほど言ったとおり報奨は少なくても問題視はされない。その後に神御が生活する事も問題はない。
「誤魔化すのが得意って……改めて言われると腹が立つけど、確かにできなくはないわね……あのMAVRSはシェスセリア様が極秘に開発させていた物だから、作っているのを知っているのは第七格納庫の整備班とシェスセリア様お付きのサリュー達と私、後は騎士団長くらいかしら」
「あのMAVRSは今までのMAVRSの基本設計とは別の新規軸による設計思想を元に開発が進められていた機体ですので、操縦方法も若干今までのものとは違います。その為に国外から優秀なパイロットを招いた、とすれば確かに言い訳としては十分でしょう。しかし、それをしても不審に思われてしまう理由がこの国にあるのです」
なんだろうかと不思議に思う神御にシェスセリアは静かに言葉を続けた。
「シンゴさんはまだこの国に訪れて一日と経っていないので気づいておられないかもしれませんが、今回りを見ていただいて気づくことはありませんか?」
そう問われ、神御は辺りを見回した。廃材を縄で括り、厚い布で覆っただけの半壊した第七倉庫内をくまなく見回す。倉庫内には半分以上を占める程の大きさを持つ白銀のMAVRSが膝を付いて鎮座している。その周りには仮設で組み上げられたタラップやらキャットウォークやらがあり、そこを右に左にと大忙しの様子で動き回る整備兵達。大掛かりな設備には煌々とした光りが灯り、忙しなく情報を処理している。全てを見回してもシェスセリアの言っている意味が分からず、神御は困り顔で振り返った。
「や、特には……。なんか女性が多いなぁ、くらいしか……」
神御が見渡した限りではそれぐらいの印象しかもてなかった。見える限りではフィンと同じように上着を肌蹴て肌着だけの女性も多い。女性の方が粘り強い、という言葉を聞いたことがあったのを神御はふと思い出した。
「多い、ではなく、しかいない、です。この国、トラロトリアは女性だけの国なのです。――あぁ、別に男性の入国を禁止しているわけではありませんので、シンゴさんが此処にいらしても何ら問題はありませんよ」
ふわりとした笑みで言うシェスセリアだったが、彼女にとっては普通の事でも、神御にとっては意外過ぎる以外の何者でもない。
「は? え、うぇ!? え……じょ、女性だけって……どうやって?」
少し言葉を濁しながらも神御は疑問の声を上げる。雌雄同体の生物がいる事くらいは知っているが、人間にそんな機能が備わっているとはついぞ聞いたことはない。人間は男と女が居て、初めて子孫繁栄が成る。その常識に当てはめれば、女性しか居ない国というのは、どう見ても長続きするような国家には思えなかった。
神御が抱く疑問は当然、それはトラロトリアの人々にとっては良く聞かれる事柄だ。この国のとっては当たり前の技術だが、世界的に見ればまだまだ未知の部類に入る。
「女性同士の交配による自然出産ができるようになったからこそ、この国は作られたのよ。この国を作られた方が女性好きだったから、と言われているわね。トラロトリアが女性だけであるように、大陸南西部には男性だけの国『エンフィエラ』っていうのもあるわね」
神御の疑問にフィンはさも当然であるように答える。
女性だけとなれば花園のイメージで美しいと思えるが、男だけというのはどうにも汗臭いイメージしかなく、そこに元の世界へ変える手がかりがないのなら未来永劫訪れる事はすまいと神御は心に深く、深く、深く、刻み込んだ。
「そ、そうなのか……。んじゃあ、さっきのはちょっと不味いか? 女性だけしかいない国に、ちょっと前から男がいたってんなら、目立ちそうだもんな」
「それは大丈夫じゃないかしら? 新型MAVRS開発は本当に極秘中の極秘だったし、それに携わる以上は余程の事がない限りは口を割らないような人しか参加していないもの。例えちょっと前から男性が居たとしても、ここ以外で気づく人はいないでしょうね。――勝手に外を出回っていない限りは、ね」
「それよりも問題なのは、幾ら男子禁制ではないとは言え、それは外交上や物資の流れ上、そこに男性が関わることも多いからであって、港町や首都の市には居ない事はないという程度よ? 国の今後を左右する事案に対して、特にもっとも重要な位置を担う物が国外の、それも男性ともなれば心中穏やかでない人は結構出てくるんじゃない?」
ジゼルに続いてフィンも神御の案に不安を覗かせる。二人にしてみればシェスセリアが決めたことならば別段男性が混じる事もやぶさかではないという思いはある。しかし、女性だけの国として誇りと面子もあるので、それを最も尊ぶ人からすれば面白くはないだろう。表立って苦言を漏らす事はしないだろうが。
「そうだよなぁ……。っても、やっぱりシェスセリア自身が報酬っていうのはなぁ。――ぁ、勿論シェスセリアじゃ嫌だとかじゃないぞ? シェスセリアは美人だし、スタイル良いし……ちょっと残念かなぁって思いがないわけじゃないけど……何か自分の中でもやもやっとしたものがあるっていうか、なんていうか……うん」
「大丈夫ですよ。シンゴさんの言葉はとても嬉しく思います。そ、その……び、美人だと言ってもらえるのはとても嬉しいです。――ですが、貴方が望まないのならば報酬の話は一端置いておきましょう。その話云々は別にして、私は貴方の生活を保障します。この国の為に戦ってくれるという貴方への見返りとして、それくらいはしないとこの国の女王とかいう以前に、私が私自身を許せませんから。それに……此度の戦いの報奨については、未来が見えてからにしましょう」
信じていないわけではないが、不安は残る。神御が必ず勝つと、そう言いきれる者はここにいないのだから。
「すみません、少し急ぎすぎましたね。――話を少し戻しましょう。この機体が特別だというのは分かりました。あの光りの剣、それが強力であるというのも先の戦いで見ましたし、証明されました。それを踏まえて、フィン、ジゼル。貴方達はこの戦い、勝てると思いますか?」
真剣な眼差しで問われ、フィンとジゼルはすっと目を閉じて思案する。二人ともMAVRS同士の戦いにはそれなりの経験と情報を持っている。帝国の戦力もある程度判明している事から、現状自分達が持てる力で挑んだ場合どうなるか。二人は逡巡の中で何度も試行錯誤し、悩んだ末に答えを出す。
「現状の戦力――この機体しかありませんが、詰めるだけの武装を詰め、奇襲を持って敵戦艦を集中攻撃すれば勝機は見えてくるかと」
フィンは今使えるだけの武装を全て頭の中でリストアップし、その中で二人が直ぐに扱えそうで、かつ敵に効果的なダメージを与えられる物を選び出し、それを装備。かつ敵に対して上手く奇襲が成功する場合の勝算を導き出した。
「先行部隊の母艦は『レゾナンス級』。機動性はあれど防御面では難がある戦艦です。この機体に搭載されているフィールドアイシステムならば超長距離からの狙撃も可能なはず。――しかし、恐らくは次の戦い、向こうは撤退の許されない状況での出撃となるはず。とすれば、母艦を撃沈したところで最後の一兵になっても向かってくるでしょう。幾らこの機体が特別だとは言え、同時に相手に出来るのは二、三機が限界。十機近くのMAVRSが全て特攻覚悟で挑んできた場合……」
フィンとは逆に、敵の心理と立場、状況を考慮した上での答えを出すジゼル。どれだけ特異な性能を秘めているとは言え、トラロトリアが出せる機体は一機のみ。出撃してきた機体全てが特攻覚悟ならば、止める手立てはない。首都内部で自爆でもされようものなら、敵を全て倒したとしても、トラロトリアの負けである。守るべき民、王を失っては国と言えるはずがないからだ。
「敵の数とこちらの数、流石に差がありすぎますね……。もし、いや確実でしょう。夜間での戦闘となれば、まともに視界を確保できるのはこの機体と城壁上部に設置された固定砲台のみ。歩兵の行動は大きく制限されてしまいますね……」
苦虫を噛み潰した顔でシェスセリアは呟いた。敵がどんな作戦で挑んでくるかは分からないが、どれであっても数的不利は否めない。白銀の機体に広域殲滅兵器でもあるのなら話は別だが、現在の装備は光刃二振りのみ。とてもではないが小国とは言え、国土全てを守りきれるものではない。
折角見えた光明も、現実という名の闇に覆い隠されてしまう。しかし、どれだけ深い闇であっても、それさえも跳ね除ける強い光があった。
「あのさ。なんで一々待ち構えるんだ?」
そう言った神御にジゼルは呆れを持って溜息を返す。
「こっちの戦力はこの機体一機のみ。向こうがどんな作戦で、何時攻めてくるか分からない以上、防戦以外にどうしろっていうのよ?」
小国とは言え国土面積は約320平方キロメートル。白銀のMAVRSの全高は5mちょっとで最大速度は時速80キロオーバー。半時程で端から端まで行けるとは言え、それでも半時程はかかる。十機ほどのMAVRSが満遍なく配置され、同時に責めてきた場合、こちらの機体一機で守りきれると言えるのは夢想家だけだろう。
「襲ってくる敵の数は分かんない。何時襲ってくるかも分かんない。防衛線で挑んでも守りきれるかも分かんない。――それなら、こっちから攻めればいいんじゃない? 向こうがどこにいるかは分かってるんだろ?」
肩を竦めて言った。ジゼルは神御の真意が読み取れなかった。敵の現在位置が知れた所で一体何が変わると言うのか。分かっていてもどうしようもなく、向こうから攻めてくるのを待つしかない現状が分からないのだろうか、とジゼルは苛立ちを覚えた。
「分かっていたらどうなの? 確かに、帝国の先行部隊が今居るのは北西部にある港町『サンロラル』を占拠して前線基地にしているわ。でも、それが分かったからってどうするの? いくら前線基地だって言っても、先行部隊の母艦は無傷だし、さっきの戦いに出撃してこなかったMAVRSがまだ十機近くも居るのよ?」
「まだ一機しか戦った事がないから分かんないけど……。上から行って先に戦艦落としちゃえば結構混乱するんじゃない?」
「上からって……北側から? 確かにMAVRSの気密性の高さを利用すれば海中も行動可能だけど、向こうだって海中からの攻撃は警戒してると思うわよ?」
帝国がそのまま南下して大概の領地を得たと言っても、周囲にはまだ帝国に反発する国家は多い。小国相手に侮っていては背後から奇襲を受けかねない。帝国の戦力を少しでも削いでおきたいと思う国家は決して少なくは無いのだ。加えて、沿岸部の国家とは得てして水中戦を得意とするMAVRS部隊を保有している事が多い。他国からの横槍を、いくら先行部隊とは言え、警戒していない筈がない。
しかし、神御はジゼルの言葉に首を振って違うと答える。
「俺が言ったのはその上じゃなくて、こっちの上」
そう言って指差した方は太陽が昇り始めて青く染まり始めた空だった。
「は……ぁ? ……え? そ、空!? フルブーストで飛べば確かにちょっとの間は飛べなくはないけど……空から奇襲をかける、ってこと?」
「そ。地上と海中は警戒してても、地上戦が主のMAVRSがまさか空から来るとか、思わないだろ?」
「思わない……事はないでしょうけど……でもまぁ、普通はやらない……わよね?」
ジゼルの助けを求めるような視線を受けてフィンは戸惑いながらも頷きを返す。作ることがメインのフィンとて、上空から奇襲をかける、というのは初めて聞いたのだ。
「この機体は推進力面でもかなり高性能だから、雲に紛れての降下って事なら確かに奇襲は問題なく出来ると思うけど……。ただ、着地の際の衝撃を受け止められるかどうか……」
人間であっても飛び降りた際には足に何倍もの体重が負担として圧し掛かるのだ。それを5m程の巨人がやったとすれば、脚部に掛かる負担は相当な物になる。運良く機体が爆散しなかったとしても、脚部の内部骨格は粉砕し、外部装甲も折れてしまい行動不能になる確率が高い。
本来MAVRSによる降下作戦の際には特殊なパラシュートが使用される。これにより地上からは侵攻し難い場所へ降下作戦という形でMAVRSの投入が可能となっている。それ以外の場合でも降下作戦はないわけではないが動力であるマナや推進剤を節約する為に戦艦である程度進行してから降下、というのは一般的だ。それであっても、母艦が危険なく航行可能な高度からという条件付きだが。
機体にダメージを与えずに降下できる方法があるとしても、MAVRSの基本運用は機動力と地形を選ばない能力を生かした地上戦で、遥か上空から目的地にダイブする、という運用は今だかつてされた事はない。それは主に空中での姿勢制御と機動力の低下が顕著に現れるからだ。一応は飛べるとは言っても、ブースターを吹かして機体を持ち上げているだけの事であり、自由に空が飛べるわけではない。地上からの集中砲火を浴びてしまっては意味がないからだ。
「ま、なんとかなるんじゃない? 相手がないって思ってる方法でやった方が混乱するだろうし、成功しやすいんじゃない? 後、コイツなら多分大丈夫だと思うよ。パラシュートなしでもどうにか降りられると思うし」
「そんな曖昧な言葉を信用すると思ってるの? 空からの奇襲、えぇ確かに向こうは予想もしていないでしょうね。敵が一機で空から降ってくるなんて普通は考えないもの。でも、失敗したらどうするの? フィンが言うように落下の衝撃に堪えられないかもしれない。それ以前に、私達が着くよりも先に、うぅん、奇襲を受けても尚冷静なパイロットが居て、守り手の居ないここへ向かったら、貴方はどうするの?」
苛立ちから鋭い指摘をするジゼルに神御は言葉を詰まらせる。落下に関しては大丈夫だという漠然とした思いがあるが、相手が奇襲を無視して首都に直行する敵が居たらどうしようかとまでは考えていなかった。混乱はしないまでも、敵陣のど真ん中に現れた自分を全員が狙うであろうくらいの考えでいた。流石に十機程のMAVRSに狙われていては、無視して首都に向かおうとしている敵を止めるのは難しい。
「――しかし、全ての敵がこの機体を狙わないかもしれない、というのはここで守りを固めていても同じではないのですか? むしろ、目的が目の前にあるのなら、可能なら無視すると、私は思います」
と間に入ったのはシェスセリアだった。戦争事に関しては疎いシェスセリアであっても、その場面での人間の心理くらいは分かる。餌を目の前に垂らされ、全員が無視する事は先ずない。中には功を焦る者も居るだろう。そう言った者が一人でも居るのなら、防衛線を張ろうと、奇襲をかけようと、正面からぶつかろうとも、首都が危険に晒されるのは同じだ。
「そうですね。シェスセリア様の言う通り、この機体を無視する者一人は居ると考えるべきでしょう。いえ、むしろあのルカガルシャを正面から打ち破った機体とあれば、数機貼り付けて残りで攻める、という作戦に出てくる可能性の方が高いかもしれません。そうならば大陸中央で迎え撃つのも、最終防衛ラインで待ち構えるのも、どちらであっても抜かれて首都が攻撃される可能性は高いはず」
「それなら敵の母艦を先に叩けて、ここまで30分以上もかかる場所で戦った方が、もしかしたら危険性は減るんじゃない?」
フィンに続いて神御は頭の後ろで手を組みながら自分の意見を更に後押しする。
「ぅ……そ、そうだけど……むぅ……」
最初に強く否定してしまった手前、直ぐには頷けないジゼルは恨みがましく唸り声を上げて神御をせめてもの抵抗と非難の目を向けた。。
防衛戦、迎撃戦、奇襲戦、その中でもっとも首都よりも遠く、仮に敵が抜けても時間が稼げるのは奇襲戦だけになる。先にこちらが出撃して港町に強襲を掻ける場合でも距離は稼げるが、サンロラルからカーヴェントまでは比較的なだらかな地形が続く。地上を移動しては直ぐに見つかってしまい、敵が散開してしまってはやはり首都への危険性は増す。
敵に見つからず、最初の一手を自らが行え、首都から一番遠く、かつ敵が混乱するかもしれないという付属効果の付く奇襲作戦こそが、もっとも被害が少なく敵へのダメージが高いと言える。その代わりに主戦場となるサンロラルは壊滅的被害を受ける事になるが、住民は既に退避しており、首都が無傷で守れるというのなら、受け入れるべき被害だ。むしろ街一つで国が守れるなら安い代償と言えるだろう。
「元々不利なのはこちら側。どんな戦い方をしても被害が出るというのなら、それがもっとも少なく、かつ勝率の高いものを選ぶべきでしょう。そして、それが出来る戦力が私達にはある……」
しかし、それは同時に神御とジゼルを敵陣のど真ん中に放り出す事になる。敵が全て神御達を狙った場合、彼らは十機近くのMAVRSの集中砲火を浴びせかけられる事になる。普通に考えればまず生きて帰っては来られないだろう。作戦が万事上手くいくとは誰も言えないのだ。
だが、トラロトリアを救う事が出来る、今できる作戦の中で一番確立が高いのはそれしかない。
「ですが、貴方達二人を支援の手立てもないまま敵陣に放り出さなければなりません。ただ頼りお願いするだけしかない無力な自分が情けない……。私がもっと早くこの国を守る為に動いていれば――」
「シェスセリア様、私達は大丈夫です。例えこの身が砕けようとも、奴らをここへは近づけさせません。それに、どれだけ急いだとしてもあれはこの戦いに間に合わなかったでしょう。シェスセリア様がお気に病む必要はありません」
「ありがとう、ジゼル。――シンゴさん、この国を……お願いします」
薄っすらと目じりに涙を浮かべながらシェスセリアは深く頭を下げる。神御は恥ずかしそうな表情を浮かべ頭を掻きつつ、虚空を見上げた。
「ここで帝国に滅ぼされたら俺も困るし……うん。ってか、なんか死ぬ前提の話はなんなんだよ?」
気まずさを誤魔化すようにジト目で神御はジゼルに言葉をかける。まるでこの戦いで死ぬ事が決まっているような言い草に神御は不満を露にする。
「なんなんだよ、って言われてもね……。どう考えても生還率が低いでしょう? これがどれだけバカみたいな防御力やら攻撃力やらを持っていても、MAVRS一機で十機も倒せるわけないもの。――って言っても、簡単には死んであげないけど」
「そんな事やってみないと分かんないだろ? 戦艦の下に集まってたらそのまま巻き添えにしちゃって一網打尽とか」
絶対無いとは言えないが、サンロラル周辺の地形から考えればその可能性は低いと言える。広い平野部に作られたサンロラルの貿易街に陣を敷けば周囲に視界が開けるのだが、逆に言えば遮蔽物がない為、どこから敵が迫ってくるか分からない。トラロトリア以外も気にしなくてはいけない帝国からすれば、海からもだが、別の場所から上陸した部隊が襲撃してくる可能性もある。となれば、部隊は広く展開し、周囲を警戒しなくてはならない。当然、防衛用のMAVRSも辺りに配置される為、母艦を強襲してそのまま撃沈させて落下させても、帝国側に被害はあまり広がらないだろう。
「帝国じゃなくてもそんな陣の敷き方なんてしないわよ。まったく、貴方のその自信はどこからくるのかしら……」
「さぁ? 根拠の無い自信が俺のモットーでね」
ドンっと胸を叩いてどや顔の神御にジゼルは呆れたような色を篭めたジト目を向けた。
「それ、モットーとしてどうなの? 根拠がないって、それって虚勢って事でしょう? 物凄く頼りにならないんだけど……」
「ま、なんせ二回目だからなっ! 根拠のある自信なんて持てるわけないだろ? なんかこう、ご褒美的なのがあるとかだと、俄然やる気が出てくるね」
「「はぁ……本当にもう――」
一度断っておきながらやっぱり何か欲しいのかと呆れたジゼルだが、神御の表情からしてそれは冗談の類の言葉なのだと分かって嘆息する。とは言え、モチベーションの問題で言うのなら、神御の言葉ももっともだ。親が子供のやる気を出させる為に使う手ではあるが、それは別段子供に限った話ではない。
腕を組んで思案。何か良いご褒美的なのはないかと思い返し、ジゼルは直ぐに思いついた。先ほどの話を蒸し返すようで少し抵抗はあったが、ご褒美という事ならピッタリだと頷いた。
「……そうね、じゃあ帰ってきたくなるご褒美って事で、どんな事でも言う事を聞いてあげるっていうのはどう? 勿論、かえって来られたらの話だけどね」
ふふふんと鼻を鳴らして挑発的な笑みを浮かべつつ、神御の対抗心を煽るように上体を屈め、腕を強めに組んで胸の谷間を強調してみる。
「つまりどっちが正しいかの勝負って訳だな。いいぜ、もしジゼルが正しかったら、俺が何でも言う事を聞いてやるよ」
「なによそれ。私が正しかったら、私達二人共死んでるって事でしょう? 私だけ損してない?」
勿論ジゼルに負けるつもりはまったくない。悲観もしていないし絶望もない。少しでもチャンスがあるのならそれを物にして帰還を果たすつもりでいる。勝負を持ちかけたのは単に神御のやる気を底上げするつもりなのだ。本人が言うように、神御は無駄に自信が溢れてはいるものの、その根拠はかなり曖昧だ。今は良くてもいざ実戦となった時に驚怖に慄かれては意味がない。であれば、戦いに勝てば明確なご褒美があると思えば、それが戦う根拠となって自信にも繋がる。それが少しでもトラロトリアの為になるのなら、とジゼルは勝負を受けた。
「……いいのジゼル? そんな事言って。体とか要求されたらどうすんの?」
二人の話を聞いていたフィンがそっとジゼルに耳打ちをする。
心配になったフィンが後から小声で問うと、今になって自分の言った言葉の意味を知ってビクっと背筋を張った。
そんな事にはならないと言えば、自分はわざと死ぬと言っているようなもので、ジゼルは否定の言葉をぐっと飲み込む。しかし、今更撤回するのはジゼル自身が許せるものではなく、だが生き残った場合は自分が神御の物になる訳で、その先に起こりえるであろう事態の数々に自然と顔が熱くなるのを感じる。
「だ、だだだ大丈夫よ、ききききっと……うん、大丈夫……」
心配ないと言うよりは、自分に言い聞かせているように思える反応を見せるジゼル。それにはフィンも驚き、慌てた様子で、しかし神御には聞こえないように声を抑えつつも助け舟を出す。
「い、今ならまだきっと間に合うよ! ほ、ほら、ジゼル!」
「ぐっ……うぅ……でも、一度言った事を反故するなんて私には……っ!」
両親から騎士としてのあり方を説かれた時、口うるさく言われたのは『騎士たる者、一度言った事は死んでも守れ』である。
戦いに勝ち、神御の物になりたくないから死ぬ、なんて死に方は両親にも、自分を騎士にしたシェスセリアにも申し訳が立たなく、ついにジゼルは撤回の言葉を口に出す事は無く、後悔の念に打ちひしがれるように項垂れるしかなかった。
「……なるほど。それでしたら、私もその賭け事に乗らせて頂いてもいいでしょうか?」
ぽん、と手を打ったシェスセリア。柔らかい笑みを浮かべながら小首を傾げる姿は何とも可愛らしく、思わず抱き締めたくなる程のものがある。
「おう、いいぞ! それじゃあ、俺が勝った場合は二人が。俺が負けた場合は俺が二人にって事だな」
「はい。私、賭け事は初めてなので少しわくわくします」
相変わらずにこやかな笑みを浮かべるシェスセリアだったが、ジゼル達にはその笑みがただの笑みではないように思えた。恐らくは、フィンがジゼルに言った言葉の意味を理解している上で持ちかけたのだろうと、そう見えた。
指導者とは時に非情な判断を求められる事も多い。何かを得るには何かを捨てる事が出来るからこそ、指導者足りえるのだ。
シェスセリアは今、あえて搦め手を使った。戦いに勝ち、帰還すればそれは神御の勝ちであり、二人は何でも言う事を聞かなければならないという約束が発生する。それに対して神御が何らかの、所謂手を付けるという行為を望んだ場合、その後にそれを理由に神御をトラロトリアの正式な戦力として取り入れようと考えたのだ。
考えれば当たり前の事で、今のトラロトリアには戦力はほぼないと言っていい。失った人材が直ぐに戻る訳はなく、残った人材でやりくりしなくてはならない。仮に元に戻ったとしても、トラロトリアに正面から帝国とぶつかって勝てる算段はほぼなく、また戦えば結果は同じ道を辿るだろう。しかし、ここに神御というイレギュラーを混ぜたらどうだろうか。
もし次ぎの戦いに勝つ程の力を持っているのなら、それはトラロトリアにとっては喉から手が出る程に欲しい戦力だ。先行部隊とは言え、帝国軍と戦って単機で勝利を収める程の戦力ならどの国だって欲しいと思うはず。今後も自国を守る為に力を欲するのなら、神御という貴重な存在は是非にも欲しい。
あえて搦め手という汚い手を使う事になっても、例えシェスセリア自身が神御の物になったとしても、それが結果としてトラロトリアを救う事になるのなら、彼女は迷い等抱く事はしない。その後に罵られようと、罵倒されようと、国を救えるのなら幾らでも黒に染まろうと、シェスセリアは心に誓った。
話が一段落した所で、シェスセリアは話の道筋を戻した。
「――それでフィン、ゼフト粒子という未知の素材で作られている以外は何が分かったのですか?」
「ぁ、はい。表層部分だけの情報なので全てではないのですが、この機体は搭乗したマギによって機体の特性を変えるらしいんです。初戦では初期設定で稼動していたようなのですが、恐らく次ぎからはジゼルが乗れば、ジゼルのマナに合わせた変化が出るはずです」
後悔に項垂れるジゼルを慰めていたフィンは小型のコンソールパネルを見直しながら返答する。表層部分だけとは言え、白銀の機体の基本スペックは判明している。その中で言っておくべき事のうちの一つをフィンは口にした。
「マギによって機体の特性が変わる……ですか。……ちょっと待ってください。ダークマターは特定のマナ質を必要とするはずでは?」
それが原因だからこそ、フィン達は当初手詰まりになっていたのだ。それは白旗を挙げたフィンも分かっている事で、故にシェスセリアの疑問にもスムーズな返答を返す。
「この機体は動力をゼフト粒子としていますが、それ以外はMAVRSです。その動力たるマギに条件はない、と言う事です。ダークマターは現在シンゴさんの胸に融合していますので、力の発動にはマギは関係ないんです」
「なるほど……。そう言う仕組みなのですね。マギが変わる事での変化というのは、例えばパワー重視になったりスピード重視になったりと、そう言う事ですか?」
「恐らくは……。どこがどう変わるのかまでは実際に搭乗させて確かめるしかないかと。今のこの状態を基本形態とし、搭乗したマギの特性を使用すると特性形態に変わるようです。二つの形態は切り替えが可能なようですので、戦況によって切り替える、という運用方法も可能かと思われます」
すらすらと詰まることなくフィンの説明は続く。今一MAVRSの事も、この機体の事も分かっていない神御は自分が納得できるようにフィンの説明を脳内で変換して聞くのに徹する。
「これも確認しなくてははっきりとした事が言えませんが、仮にマギを二人登場させた場合、特性形態が二種類になる事もありえるかもしれません」
「しかし、それを調べる時間は私達にはない……そう言うことですね?」
フィンはしっかりと頷いて返す。出来る事ならちゃんと性能と能力を確かめたいという思いはあるが、それをするには圧倒的に時間がない。せめて出来る事を優先させる事にしたフィンは、ざっとであるが得たデータを元にして話を進める。
「各部ハードポイントや掌手部の形状は一般MAVRSと変わりませんでした。ですので、武装はそのまま流用が可能です。各パーツのジョイント部分も共通規格ですので、MAVRSとしての特性も失われてはいません。――ただ、今ある各パーツは全て一般機の物ですので、ゼフト粒子による特殊外部装甲の防御力や特性形態が生かせない、というデメリットも存在します」
戦域状況や作戦内容によって各部パーツや武装を切り替える高い汎用性こそがMAVRS最大の特徴だ。それはこの機体でも変わらないのだが、如何せんこの機体は外部装甲だけではなく、内部稼動骨格にサブジェネレーター等の細部に至るまでが特殊だ。仮に脚部を一般機の物に換装したとして、初戦で見せた高機動を再現すれば着地の際に脚部が負荷に耐え切れずに破損してしまう恐れがある。MAVRSが換装という汎用性を実戦でも有用だと証明したのは、どれを選んでも一定の信頼があるからだ。
しかし、白銀の機体と一般機とではそもそもの機体強度の違いがあり、更に各関節の動きを補助するサブジェネレーターの出力違いもあり、基本状態での動きに慣れができると別パーツに換装した際に、その鈍重さに戸惑いが生まれてしまう。それが実戦では死に繋がる事も当然ある為、フィンとしては次ぎの戦いには換装システムを使わない方針でいる。
「現状では換装システムは使用を禁止した方が良さそうですね。……そのゼフト粒子によるパーツは量産できるのですか?」
「現状ではお答えするのは難しいですね……。装甲や駆動用燃料がゼフト粒子に由来するものだと言う事と、そのゼフト粒子はシンゴさんが……と言うよりシンゴさんの胸にあるダークマターが生み出しているものですから、それを得ても生成ができるかどうかは……」
ゼフト粒子が使われています、という程度しか分かってない現状で、どうやったらそれを結合させ、素材と出来るかは分かっていない。そもそも人の手によってそれが生成可能なのかもまだ分からないのだ。それらを調べるには半日という時間では短すぎる。トラロトリアの命運が明日以降へ繋がらなければそれも夢想の中の出来事になってしまう。
「何をするにしても、私達に明日という日を得る為にも、次ぎの戦いで勝つしかない、という事ですか……」
そしてそれは戦いに赴く二人の双肩に掛かっている。トラロトリアに住む何百万もの人々の未来を背負うことになると神御は改めて認識させられた。他人の命を背負うという重たさと責任を認識しても、何故かそれを重たいとは考えない自分に、神御は内心で驚いた。別段軽んじている訳でも、楽観視している訳でもない。ただ漠然と、負ける気という物がまったくしなかった。それはジゼルとの約束事があるからという事ではなく、神御にも分からない、出所不明な自信がそう思わせた。
「全ては俺たちに掛かってるって訳か。……んじゃあ、試してみるか」
「試す? 一応起動は可能だけど、敵はまだ攻めてきていないし、作戦だってまだちゃんと決まっていない。出撃は許可できないわよ?」
「や、さっき言ってただろ? マギによって特性が変わるって。それを確かめてみようかなと。どんなのか分かってれば、作戦も立てられ易いんじゃないかなって思ったんだけど」
訝しむフィンに神御は頭の後ろで手を組みながら顎でジゼルをしゃくってみせた。次ぎの戦いではマギとして搭乗するのはジゼルである事は変更されない事項だ。であれば、ジゼルが搭乗した場合の特性形態がどんなのものであるか確かめるのは、確かに作戦の幅を利かせるネタの一つになるだろう。
「なるほど。――で、あれば、確認は直ぐに行った方がいいですね。残りの時間はどれだけあるかはわかりませんから。……ではフィン。特性形態と、残った武器の試験使用の準備に取り掛かってもらえますか?」
「了解しました。元々搭載する武装のチェックも兼ねてのテスト起動は行うつもりでしたから、それと合わせるという事で準備します」
それだけを手早く告げると、フィンは声を張り上げて整備兵達に指示を飛ばした。機体に取り付いていた整備兵達はするすると身軽な動きで機体から離れ、それぞれの仕事をする為に散っていく。
「準備ができたら呼んでください。それではサリュー、行きますよ?」
「は、はい、シェスセリア様っ!」
先ほどシェスセリアに叱咤され黙っていたサリューだったが、呼ばれて弾かれるように視線を上げると笑みを向けるシェスセリアに一瞬戸惑った。
「先ほどはごめんなさい。本当は私が言わなければならない事を貴方に言わせてしまって……許してもらえるかしら?」
「そ、そんな、許すなんて……。差し出がましい事を言ってしまった私こそ罰せられるべきです。シェスセリア様に謝っていただくなんて、とても……」
「ふふ、貴方は優しいですね。それでは、これで仲直り、ではどうですか?」
ふっと向けられた微笑にサリューは卒倒してしまいそうな程の思いがこみ上げ、しかしそれをぐっと堪えて何度も頷いた。
「ありがとう、サリュー。――それでは戻りましょう。やる事はまだまだありますから」
「は、はいっ!」
二人の様子を見ていた小柄な二人のメイドは一瞬きょとんとしたものの、直ぐに全身を使って喜ぶと、今度は慌てて二人の後を追って倉庫を後にした。
残された二人。ジゼルは先ほどの事があるからか、どこか落ち着かない雰囲気で神御をジト目で見ている。
「――――ん? なに?」
「……ぁ、貴方なんかに好きになる事なんか、絶対ないんだからねっ! それだけ言いたかったの! ……ふぅ。じゃあ付いてきて」
顔を真っ赤に染め上げて強く叫ぶジゼル。勢いに飲まれて仰け反った神御だったが、ジゼルの言いたい事の意味はさっぱり分からず、しきりに首を傾げた。
「な、何なんだ……? って、どこ行くんだよ? 機体はこっちだぞ?」
「はぁ……貴方ね、その格好で乗るの? 幾らMAVRSのコクピットが対衝撃に優れているって言っても、そのままの格好じゃ次ぎの戦いで高機動に耐えられないわよ? この国には男性用の物はないから簡単に改造したものだけど、一応はスーツを用意してるから、着替えに行くわよ」
なるほど、と神御は得心を得た様子で大きい動作で頷いた。確かに、ロボットに乗るというのに学生服姿というのはどこか締りがない。元女性用であっても、専用スーツを着るというのはどこか感慨深いものがあった。
◇
「――いくらこれしかないって言ってもさ、もうちょっと何とかんないの?」
自分の格好を姿見で確認しながら神御は納得できない表情を浮かべている。姿見に映る姿は一言で言えば女装だった。
マギはマギリングジェネレーター内ではマナ抽出の為に胸部を露出する事になるのだが、それ以外の時には乳房を覆う為のアタッチメントになっているパーツを取り付けるようになっている。
アタッチメント部分は個人のバストサイズに合わせた大きさと形の物を用意するのだが、当然だが神御にあった物がある訳がない。かと言って外したままでは肌寒い外気が漂う中では体に良くないし、外したままでは防具としての意味もなくなる。決してないとは言えない、それを付けていたからこそ怪我を間逃れた、という可能性もなくはない。それを考えれば、備えあればなんとやらだ。
神御に与えられた急ごしらえのスーツは身長と体格が似通っているマギから借りた物だ。
アタッチメント部分はバストサイズで変化するもので、持ち主のマギは見事な豊満たる実りの持ち主である事が分かる。神御がそれを付けるとまるで出来の悪い女装に見えた。笑いを取るためにボールを二つ、服の中に忍ばせているような、そんな格好だ。
「い、一応は貴方の命を守る物でもあるんだから……つ、付けてないと、ね、ぷぷ……」
と、必死に笑いを堪えようとしているのにまったく抑えられていない笑い声が漏れ出ている。その様子にジト目でもって睨む神御だったが、何度見ても不恰好である自分に溜息がもれ出ると共に、もし自分がジゼル側の立場だったら絶対に腹を抱えて笑っているな、とも思い強く言い返せなかった。
いくら身を守る為とは言え、最低限の格好というものは残しておきたいと思うのは神御が若いからと断言できる事ではない。
「……ふんっ! どっちでもみっともないなら、こっちの方がいい」
胸部パーツをもぎ取るように取り外して籠の中へと叩き込んだ。胸元がフルオープンというのは特殊性癖な人に思われるかもしれないが、出来損ないの女装でいるよりは幾分か心の持ちようが違う。
「ごめんなさい。笑うつもりはなかったんだけど、ちょっとサイズがあれだったから……ぷふっ。――あぁ、だからごめんってば。何があるか分からないんだし、付けて行った方が良いと思うわよ? ほら、クッション代わりになるかもしれないし」
「や、いい。これ付けて生き残るくらいなら、俺は死ぬ方を選ぶね」
自分の周りに集まってきた人がその時の姿を見て何を思うか。それを考えるだけで神御はげんなりした。死んだときの姿が出来損ないの女装でした、では死んでも死にきれない。
「それよりもほら、さっさと試してみようぜ。ジゼルの言う通り、俺はまだあれを一回しか動かしたことがない初心者なんだし」
「そうね。ちょっと残念だけど……。あんまり長くはテストしていられないけど、貴方には少しでも慣れておいてほしいしね」
最終的にどんな作戦内容になるとしても、段取りを決める時間は必要になる。細かい部分を煮詰める話し合いもあるので、あまり長くは試運転していられないのだ。かと言って神御が言うように、機体もパイロットも特別だとしても、やはり初心者が操縦する事には変わりはない。例え少しであっても経験を積むことは決してマイナスにはならないのだ。
更衣室からどこへ行ったらいいのかも分かっていない神御だったが、少しでも早くその場を離れたくて一人でさっさと部屋を出て行ってしまった。
後を追うとしたジゼルだったが、足元の籠に入れられてしまったアタッチメントパーツを名残惜しそうに見つめる。できれば、出来損ない女装の格好を他の人にも見せたかったのだが、あまりしつこくしては気分を害してしまうと思い、頭を振って思考を切り替えた。
更衣室から出ると、丁度二人を呼びにきたのであろうフィンが現れた。
「あぁ、やっぱり外したんだ。まぁ……そうだよね」
苦笑いを浮かべつつ、先ほどよりはフランクな口調でフィンは神御の胸元を見て言った。この国には女性用のスーツしかないので、着るとなれば当然乳房を覆う形のアタッチメントパーツを付ける事になるのだが、恐らくは付けてこないだろうな、という予想がフィンにはあった。見事その予想は的中したのだが、アタッチメントパーツのない状態での格好というのもやはりどこか不恰好で、反応に困った、という所だ。
「あら、フィン。貴方がこっちに来たって事は、準備OKって事ね。シェスセリア様来ててるんでしょ?」
「当然よ。流石にヴィルア平原でやるわけにもいかないから、メンスル山脈の方に準備させておいたわ」
ヴィルア平原は首都カーヴェントの正面に広がる平野部で、小高い丘と穀倉地帯が広がり、中央を走る街道を辿っていけば港町サンロラルまで繋がっている。首都防壁からなら、天気が良ければサンロラルが見えるくらいに、間には大きな障害物のない穏やかな地帯だ。しかし、今は首都に神御達が、港町に帝国軍が居る為、遮る物のないヴィルア平原でテストをしようものなら、あちらにこちらの手札を晒してしまう事になる。
反対に首都カーヴェントの側面から背面へと連なっている山脈地帯メンスルはMAVRSを隠すのには十分な標高を持っているので、多少迂回する形にはなるが、そちらでやった方が安全と言える。
「裏門に馬車を用意してるから、早く行きましょう」
先導するように行くフィンの後を付いき、城壁を伝うようにして城の裏側まで移動した。裏門と言うだけあり、馬車一つが通れるくらいの小さな鉄城門がひっそりとあるだけ。この裏門はその名の通り、城の裏から外に出る為の門で、一般の人が使う用ではない。街には南門というちゃんとした大きな門がある。
なら何故そちらを使わずにこちらなのかというと、現在カーヴェントにある四つの大門は全て閉じられているからだ。元々数で負けているトラロトリアは敵の奇襲をある程度阻止する為に全ての門を閉じている。ある程度、というのはMAVRSが直接攻めてきた場合には意味は成さないし、歩兵であっても帝国軍は一度に八千もの戦奴を投入するのだから、例え大門を閉じていても突破されるのは直ぐだろう。
裏門の周りには数人の兵士が立っている。幾らMAVRSが戦争の基本戦力に成り代わったと言っても、やはり人と人との戦いでは最終的にその体一つで行わなければならない。敵を倒すだけならばMAVRSでも十分だが、そこを占拠するというのなら、やはりMAVRSは直前までしか使えないので、最終的には剣や槍、魔法を持って戦う事になるのだ。
待っていた兵士の格好を見て神御はあんぐりと口を開いて目を疑った。兵士くらいはいるだろうと思っていたし、兵士は鎧を纏っているのが普通だ。しかし、そこにいたのは少ない面積で最低限の守りしか果たしていない極小の鎧を纏った女性達だった。一言で言えば、ビキニアーマーの女性達が居た、である。
豊かなボディイラインを覆うのはビキニタイプの胸当てと股当て、肩と腕にと金属製の防具であるが、果たしてそれにどれだけの防御効果があるというのだろうか。胸当てなど、豊かな乳房を支えるだけの金属製ブラジャーにしか見えない。それらに加えて腰布を巻き編み上げサンダルを履き、お揃いの兜に両刃の剣を腰に吊り下げている。背中には円形の盾を背負っており、一見して剣士や騎士というより剣闘士に近い。
「――どうしたの? そんなバカみたいな顔して?」
口を開けて停止している神御を見てジゼルは心底不審がる思いを隠す事無く表情に浮かべて首を傾げた。
「……や、あの格好って、ここじゃ普通なのか? ってか、この世界であの格好はおかしくはないの?」
「あの格好って……あぁ。――って、変な目で見てるんじゃないわよっ! あれはトラロトリアを建国なさった初代女王様も纏っていたこの国の正式な防具なんだからね! 騎士の正装なんだから邪まな目で見ないで」
女性だけの国を作ったという初代女王からしてビキニアーマーで戦っていたのなら、それはさぞかし相手にとっては戦い辛い相手だっただろう。動くたびに激しく揺れる乳房の挙動に目を奪われない男は男ではないと神御は神に誓って断言できる。ついでに、そんな相手を前にしたら絶対全力で戦えない自信もあった。
「何をしてるの、二人共。残された時間はないんだから、ぱっぱと動く!」
ぱんぱんと手を叩いてフィンに急かされ、まだ文句が言い足りない様子だったジゼルだったが、半目で睨んだ後に鼻を鳴らしてそっぽを向くとそのまま馬車に乗り込んだ。
「何怒ってるだよ……? ――はぁ、それにしても良い乳、もとい、良い格好……もとい、すげぇ格好……?」
まったく修正されていない感想を漏らしつつ、神御も馬車に乗り、最後にフィンが入って馬車は動き出した。
◇
『――マギリングジェネレーター稼動開始。マナ抽出プラグ、マギに接続確認。起動シークエンス、開始』
オペレーターを務める整備兵の勤勉な声が淡々と告げられる。テスト起動という事で、最初の出力は機体外に置かれたもう一つのマギリングジェネレーターから行われている。中には別のマギが入り、マナを生成している。
『整備兵の退避を確認。周囲5キロ県内に反応なし。――いつでもいけます』
周囲をレーダーで索敵した整備兵が自分達以外の存在が周辺5キロ県内にいない事を報告すると、それを受けたフィンが小さく頷いた。
『これより新型MAVRSの起動実験および実戦兵器のテストを行います。――先ずその機体の慣らし運転から始めるから……いい?』
「了解、問題ないわ。私がサポートするから、シンゴはテスト項目通りに機体を動かしてね?」
「おぅ。――っても、項目メッチャ多いんですけど……」
神御の目線の高さに表示される半透明の画面――ホロウインドウにはフィンが作ったテスト項目がずらっと並んで表示されている。両手足を動かす所から歩いたり走ったり、ジャンプしたり転がったりと、思わずうんざりしてしまう程の項目数だ。
『最初だけの事だから我慢して。――それじゃあ起動させるわよ。ジゼル』
フィンの許可を得てジゼルは力強く頷く。外部からのマナが一端絶たれ、エネルギー供給が無くなった旨がアラートとして表示された。
マギリングジェネレーター内に満ちる魔水の中で、ジゼルは勢い良く胸部パーツを外した。支えがなくなった事でジゼルの豊かな乳房が重量感を感じさせる動きで揺れる。上部から垂れ下がるマナ抽出プラグを引っ掴むと、自分の双乳に取り付けた。僅かな駆動音と共にジゼルの体から乳房を通してマナが抽出し始めた。
「んっ……マナ、抽出開始」
体から一瞬力が抜けるような感覚にジゼルは小さく声を漏らす。アラートが消えたのを確認すると、ホロウインドウに映されるフィンが頷いた。
『マナ抽出開始を確認。マギリングジェネレーターの稼動を確認。ジェネレーター安定稼動領域まで残り7%。同時にサブジェネレーターの稼動開始』
ジゼルの体から抽出されたマナがMAVRSという巨人を動かす血へと変換され、全身に送られる。薄暗かったコクピットにゆるやかな明かりが灯ると全方位モニターにも同様に光りが生まれる。
『全方位モニターと魔科学電動脳のリンクを開始。――主モニター、表示します』
電子音のような音が響くと、儚げだった光りが一気に強まり、コクピット内およびマギリングジェネレーター内の全方位モニターに周囲の風景が映し出された。メインコクピットは足場があるので真下は見辛いが、マギリングジェネレーター内は足元がないので、一見すればジゼルが空中に浮いているようにも見える。
『全システム、オールグリーン。いつでも行けます!』
『了解。――あぁ、そう言えば、その機体の名前を決めていなかったわね。何かないと呼び辛いし……』
フィンの言葉に全員が思い出した。白銀の機体と呼ぶばかりで、この機体固有の名前はない。しかし、だからと言って直ぐに良い名前が出てくるわけもなく、どうしようか、という沈黙が流れる。
『――ゼフト……ゼフトグライゼン、ではどうでしょうか?』
沈黙を破ったのは離れて見ていたシェスセリアだった。サリューから受け取った小型マイクを手にそう言った。
「ゼフト、グライゼン……。確か、混ざり合う、という意味でしたね」
『えぇ。その機体は元々私達の世界に在ったMAVRSと、ダークマターが生み出した未知の粒子、ゼフト粒子が混ざり合った存在。故に、ゼフトグライゼン。――安直ではありますけど』
シェスセリアははにかみながら言った。グライゼンとはこの世界での言葉で、現在使われている言語よりも少し古い言語での単語だ。ゼフト粒子が混ざり合ったMAVRS、と読み解けば確かに安直ではあるが、的を射ている名前だ。
「ゼフトグライゼンか……いいな。なんかすげぇ強そうだし! よし、今日からこの機体の名前はゼフトグライゼンで決まりだな!」
「はぁ……なに、その短絡的な決め方。でも、シェスセリア様が直々に頂いた名前なんだもの、文句なんてあるわけがないわね」
誰かが名付けるより、王より賜った名前は何よりも貴重な事だ。それが国の命運を握る物だとすれば、その名前には多くの願いと使命が宿る。
『それでは改めて。――ゼフトグライゼン、起動っ!』
「了解! 立ち上がれ、ゼフトグライゼンっ!!」
神御の声に呼応して白銀の巨人、ゼフトグライゼンの瞳に力が宿る。各関節部のサブジェネレーターが駆動音を響かせて、巨体を持ち上げ始めた。
『各部異常なし。ゼフトグライゼン、安定稼動しています』
初陣の時と同じく、何の問題もなくゼフトグライゼンは立ち上がる。全方位モニターは各パイロットの視線に合わせて周辺の情報を細かく表示する。意識を集中させれば望遠システムが起動して映像が拡大される。試しにと下を意識して神御が見ると、少し離れた仮設テントから見上げるフィンやシェスセリア、その後に控えるサリュー達、それに熱い視線を送る整備兵達の姿が目の前にあるかのように拡大される。
上からの視線とあり、神御の視線んがふと、大きく開いたシェスセリアの胸元に注がれる。ジゼルよりも更に大きく実りを付け、たっぷりと寄せ上げられて深い谷間を作ったそこが拡大表示されると、神御は思わず鼻息荒く見入ってしまう。
「ちょっ!? な、何見てるのよこのスケベっ!」
「うぇ!? ぇ、こ、これそっちにも見えてんの!?」
荒ぶった声に驚き背筋を伸ばす神御が横を見れば、顔を真っ赤にして怒りの形相を浮かべるジゼルがこれでもかと睨みを利かせ、ウインドウ一杯に顔を寄せている。
「あったり前でしょ! こっちは貴方のサポートも兼ねてるのよ!? 貴方が見てる映像、機体の情報、各武装、全部把握できるようになってるの!」
つまり、ジゼルが見る神御の視界、そこに画面一杯にまで広げられたシェスセリアの胸の谷間があったのだ。
「うげ……。や、今のは不可抗力だ。下の状況を見ようとしたらたまたま見えただけだし」
「へぇ……たまたま見たんだ。あれだけ沢山人が居る中で、シェスセリア様の、それもむ、胸元を、貴方はたまたま、画面一杯にまでアップにして見ちゃったんだ……へぇ――」
胸の谷間という事でジゼルが羞恥に耳まで真っ赤に染め上げるが、それ以上に主の胸元を邪まな目で見ていた神御に対する怒りが溢れ出ている。
「や、ぇっと……つ、つまりだな……えぇ……す、すみません――」
ギロリと睨みつけるジゼルの圧力に負け、神御は深い嘆息混じりに項垂れた。
「ったく。システムをそんな事に使わないでよね。今回だけは、いい? 今回だけは、特別に許してあげるわ。――次ぎはないからね?」
剣呑な光りを宿した視線が神御に突き刺さる。返す言葉もなく、慄いた神御。
「はぁ……じゃあテスト、始めるわよ。いい、次ぎはちゃんとやるのよ?」
「……はい」
もう一度、今度は反省の意味を篭めて、神御は項垂れた。
『痴話喧嘩は終わった? 時間がないから早くテストを始めたいんだけど……?』
ふいに間に入ってきたフィンの顔に二人は仰け反って驚いた。
「ひゃぁ!? ふぃ、フィン……? って、何が痴話喧嘩よ! そんな関係じゃないわよ!?」
『ただそう見えただけだったんだけど……。そこまで強く否定されると怪しいわね』
と、今度は良い苛めネタを見つけたとばかりにしたり顔を浮かべた。フィンの返し言葉はジゼルにとっては意外な一撃だった。全力で否定したい思いは溢れんばかりにあるが、果たして今のやりとりを自分が第三者の視点で見ていたらどう思うかと考えると、何度思いを辿ってもフィンと同じ答えにしか行き着かなかった。
「ぁ……怪しくなんて……絶対に、絶対にないわっ!」
「……そんなに強調して言わなくてもよくね?」
絶対にないと断言されるのは、例えその気がなくても心を抉る物があった。