第二章 第七項「終劇、アナモナ子島」
振り下ろした蒼氷剣ミヅハは流れる軌跡と共に溢れ出る水泡をも冷たく、そして硬く鋭い氷へと変えていく。水が固まって砕けて滑る耳障りな音が鳴り響いた。剣の回りだけではなく、ミヅハの力によって広がる氷の範囲はあっという間に自らの腕すらも氷付けにしてしまった。青く煌く刃は徐々に動きを鈍らせ、後少しでアウントノアの頭部を捉えるかという寸前の所で停止してしまった。
「く、っそぉっ! かてぇっ!!」
まるで自分の腕が凍りついたかのような錯覚を神御は覚えた。実際には神御の体には何の変化もないのだが、自身の体と接続しているゼフトグライゼンの体がそうなってしまっている為に、パイロットである神御にもその影響が出ているのだ。何も無い空間で腕がピタリと停止して動かない様は異様であるが、今の神御にそれを気にしている余裕はない。
神御の作戦ではミヅハによってアウントノアを氷付けにし、地上へと打ち上げてからカグヅチによって撃破するつもりであった。しかし、予想していなかった事態が起きてしまった。ミヅハの水を凍らせる速度があまりにも速かったのだ。ミヅハは常時であっても常に周囲の水分を凍らせて白い靄を作り出している程の力を持っている。刀身の先が少しでも何かに触れようものなら、そこを中心にして広範囲を凍らせてしまうほどだ。
計算が狂ったのは神御がミヅハの性能を正確に把握していなかったせいである。しかし、それは仕方のない事だ。性能を試すにはミヅハを出現させる必要があるのだが、そうする為にはジゼルに負担を掛けなくてはならず、モードチェンジは一回でジゼルの魔力を限界ギリギリまで奪ってしまうのだ。そうそう試せるような代物ではない。
多少無理は承知の上でも試しておくべきだったと神御は内心で愚痴りながらも、周囲に意識を向ける。ミヅハの力は既にアウントノアにも及んでおり、慌てて離脱しようとした姿勢のまま既に六割程が凍り付いている。頭部周辺から始まったそれは既に上半身を飲み込んでいるので、パイロットとマギの脱出は不可能だ。最悪二人ともが凍り付けになっているかもしれないが、今の神御にそれを気にしている余裕はない。
チラリと向けた視線の先にモードチェンジを維持できる時間の限界までが表示されている。既に半分を過ぎ、イエローゾーンと言った所だ。神御はそれを素早く確認した後に舌打しつつ、もう一機のMAVRSを探す。
「どこだ! どこに……いたっ!」
自機よりも水深の浅い部分に目的の物はあった。味方のアウントノアが凍り付けにされたのを知って早々に逃げたのだろう。神御が見つけた時にはかなりの距離が開いてしまっている。急いで追いかけようとするも、ミヅハを握る左手は硬く大きな氷に包まれてしまっているせいでバランスが傾き、不慣れな海中ではスラスターを最大にしても速度はまったく出ない。そうしている内にタイムリミットは直ぐそこにまで迫っていた。
「一か八か試すしかないか……。いっけぇ、カグヅチッ!!」
自由の利く右手を鋭く前に突き出す。神御の咆哮と共に紅蓮の剣が唸りを上げて燃え上がった。大量の水が焼ける音と共に蒸発していく。しかし、ミヅハと同様に反則なまでの力を持つカグヅチであっても海全てを蒸発させられる程の力はない。燃え盛る炎は剣がから離れると徐々にその威力を弱め、百も進まない内に大海の圧力に飲み込まれて消滅してしまった。
「ダメかっ! っそぉっ! このままじゃ逃げちまうぞ!」
叫びながらも神御は必死に追い縋ろうと機体を前進させるが、シェイルノアとの距離はどんどんと離されていく。歯痒い気持ちをどうにか堪えつつも、神御はただただ追いかけるしかなかった。
そしてついにタイムリミットを迎える。
ガクっと機体が傾く。驚いて回りを見れば、コクピットの明かりが非常用に切り替わっていた。モードチェンジの限界時間は0を示し、エネルギー残量は最低稼動分が残されているだけ。
「――ジゼルっ!」
慌ててウインドウを呼び出す。繋がった先はマギリングジェネレーター内部。魔水の中で意識を失ったジゼルが力なく浮かんでいた。神御はそれをただ、力なく見ているしかなかった。
◇
周囲のざわめきを余所に神御は波打ち際に佇んでいた。昼の明かりはとうに消えうせ、地平線の向こうから顔を出して我が物顔で空を独占している月の明かりが淡く大地を照らしている。波が寄せては引いてを繰り返し、心を落ち着かせる波音が妙に大きく神御の鼓膜を揺さぶった。時折靡く潮風が肌寒く感じるようになった頃、不意に神御へと近づく影があった。
それに気づいた神御がゆっくりと振り返ると、気まずそうな表情を浮かべたジゼルが立っていた。パイロットスーツを着替えて軍部の制服に着替えている。
「――こんな所にいたのね。潮風も冷たくなってきたし、風邪、引くわよ?」
「……うん」
力の篭っていない返事がジゼルへと返ってくる。神御は短くそう返すと、また海の方へと体を向けた。
「何? 落ち込んでるの? 敵を逃がしてしまったのは貴方のせいじゃないのよ? ルシギ様が言った通り、私達の最低限の目標は敵の撃退なんだから、それが達成できたんだから反省こそすれ後悔する事はないわよ」
「……わかってる。でも、もし、俺がコイツをちゃんと扱えてたらって思うとね。っても、扱えるような代物なのかどうかも分かんないけど」
勇気を二度助けたダークマター。もしちゃんと扱えればあの状況を打破できる装備を生み出す事は出来たかもしれない。しかし、それは扱えたのならば、という前提が必要となる。そもそも人が扱える物なのか、二度の出来事は本当に勇気を助ける為に起きた事なのか。それらを確かめる術は今ここに存在していない。
「分かってるならそんな顔しないの。ほら、これで終わりじゃないんだからしっかりしないさいよね」
グイっと顔を引っ張られて神御は驚いた。両頬をジゼルの小さな手で包み込まれ、冷たい感触が伝わってくる。マナを限界まで消費させてしまったジゼルは体が衰弱してしまっている。何とか歩けるくらいまでは回復したものの、現在をもっても体調は芳しくない。神御を探すために夜の砂浜を歩いてきたせいでジゼルの体は血の気が失ったかのように冷たい。
「ジゼルの手、冷たい……」
「そりゃこんな寒いところで貴方を探し回る羽目になったんだもの。体も冷えるってものだわ。――貴方の頬は温かいわね」
「ごめん……。敵を追いかける前にシステムは解除しておけばジゼルのマナも――」
「あぁ、もうっ! 男のくせにイジイジしない! 過ぎた事をいつまでも悔やんでるんじゃないわよ!」
ジゼルの怒声が夜の砂浜に木霊する。頬を優しく包んでいたジゼルの手は突然強い力を持って掴みかかってきた。頬の肉を摘まれて左右に引っ張られ、鋭い痛みが走る。
「いでででっ!」
「確かに、貴方があの場面でシステムを切っていたら私のマナは枯渇しなかったでしょうね。それに関しては貴方のミス。モードチェンジ中は、私は一切操作できないから、切るか切らないかは貴方の判断に委ねるしかないんだもの。私のマナを残して次の行動に移るか、それとも限界まで使うのかは貴方次第。今回は残すべきだったのかもしれないわね」
あの場面で陸戦仕様のゼフトグライゼンが海戦仕様のシェイルノアに追い縋るのはどう考えても無理だ。向かってくるのなら撃退方法もあるが、逃げに徹しられては手も足もでないのはアウントノアとの戦いで分かっていた事だ。
「でもね。でも、それは後から見た結果論でしかないの。素直にこっちも撤退しておくべきだったのかもしれないし、もしかしたら敵がまた向かってくる可能性だってあったかもしれない。結果的に敵はそのまま逃げちゃった訳だから、こっちも撤退しておくのが正解だったんだろうけど、それはそれよ。敵に傷を負わせてこちらはほぼ無傷。正せるミスなら、次までに正してしまえばいいの。だから……だから辛気臭い顔しない。いい?」
「わ、わひゃった……」
「うん、よろしい。それじゃ戻るわよ」
漸く解放された頬を摩りながら、神御はジゼルの後を付いていく。一度は頷いたものの、やはり神御は心の奥に渦巻く靄を拭い去ることはできなかった。自分はここまでミスに拘る人間だったのかと驚きもあった。ジゼルの言った事は納得ができるし正論だったが、それでは納得できない思いがある。もっと上手くやれたんじゃないか、あの場面ではこうするべきだったという後悔が脳内で何度も反響し合う。
晴れない心のまま戻ると、夜だというのにそこは煌々とした明かりに照らされていた。
「――ぁ、シンゴ様、や~っと戻ってきたんですね!」
「ぉ、お帰りなさいませ……ぁぅ」
出迎えたのはルーベルとウリディの双子メイドだ。皺のない新品のメイド服に身を包んでいる。何故新品なのかと言うと、昼間着ていた服は真っ赤に染まってしまったからだ。敵の返り血で。着替えなおして直ぐに新品だからとルーベルはくるりと一回転して可愛らしくポーズを取ってアピールしたが、今よりも更に落ち込んでいた神御は大した反応を返しておらず、その事に関してルーベルはややご立腹であった。今も溜息混じりの言葉で、不機嫌そうな色が出ている。
「まったく、私のおにゅ~なメイド服を見ずして何故海を見ていられるのか!」
「お、お姉ちゃん! し、シンゴ様にも色々あるんだよ! それに、私達の服を見てどうするの?」
「どするのって、そりゃあ可愛いよねとか、やっぱりルーベル最高とか、愛してるとか?」
「さ、最後だけおかしいよぉ! 服と関係ないよね?」
「ウリディ。細かい事を気にしちゃぁ、負けだよ?」
細かい事だろうか。ウリディは必死に頭を悩ませたが、結局答えは出なかった。
「――それで、シンゴ様。この糞寒い中海を眺めて気持ちは少し晴れました?」
まったく遠慮する事のないルーベルの言葉に少し意外な思いを抱きつつも、神御は曖昧な笑みで返す。
「そうですか。ま、ミスは誰でもするもんですから、いつまでも悩んでても仕方ないですよ。私達のお母さんが言ってました、取り返しの付くミスなら幾らでもして次はそうならないように努力しろって。今回のがシンゴ様的にどんなミスなのかは分かりませんが、次は絶対しないぞって感じでリベンジしてみるのはどうですか? 回収した機体からどこの国かは割れてるので、仕返しし放題ですよ」
何故か嬉しそうに親指を立てるルーベル。神御は一瞬虚を突かれたように瞼を瞬かせ、一瞬間を置いてから堪えられずに笑い声を上げた。
「リベンジか。……そうだな。今回はしてやられたって感じだな。敵の作戦に見事にはまって焦った結果がこれだもんな。……あぁ、そうか。俺は悔しかったんだな。見事にはめられたのが。ムカついたんだよ、よくもやってくれたなって」
「あら奇遇ね。私も同じ思いよ。ついでにあそこまで見事に弱点を突いてくるようなやり方には結構ムカついてるわ」
「あぁ、あれはすげぇムカついた。こっちは陸用だってのに海の中で戦えとか、どんだけ卑怯なんだよって感じだな。――だから、次あったら容赦しねぇ。絶対にボコってごめんなさいって言わしてやる」
勿論、敵の弱点を突くのは戦術として当たり前の事であり、それにはまってしまった神御達が文句を言う事ではない。はまってしまった方が悪いのだから。しかし、愚痴を憚る事なく漏らした事で神御は心が晴れるのを感じた。そうすると次にやってくるのは熱く滾る程の強い気持ちだった。次は同じようにはいかないと心に深く刻み込む。
「そうね。土下座して誤らせてやるわ。――でも、その前にしなくちゃいけない事は多いわね。地上での戦いならどうにか対処のしようもあるけど、水中は苦手なのは変わらないもの。ミヅハを使って凍らせるっていうのは良い手ではあるけど、これはまぁ、次は通用しないわね、きっと」
それでも現状ではその手しか反撃の方法はないわけで、ジゼルは鼻を鳴らして苛立たしげに腕を組んだ。
「MAVRSの水中用パーツとかないの? それ装備したらある程度はいけそうな気がするけど?」
「なくはないけど……いぇ、今の状況じゃ贅沢なことは言っていられないわね。使える物は使わないともったいないわ。帰ったらフィンに相談しないとね」
ゼフトグライゼンの持ち味は異常なまでの頑強さと機体出力だ。しかし、それはゼフトグライゼンが今のパーツ構成である事が最大の要因になっており、一つでも欠ければその持ち味は色あせてしまう。それも場合によるのは今回の事で明らかになったのも事実だ。
「性能は落ちるだろうけど、海中で戦えるようになるっていうのは大きいから、一考の余地あり、ね」
「いいじゃないですか! 防御力を捨てて速度を得る、みたいな感じですよね? 何ていうか、格好良い!」
果たして格好良いだろうか、と神御とジゼルは内心で首を傾げたが、防御を捨てて速度を得る、というのは間違いではない。異常なまでの防御力も、ただサンドバックにされているのでは意味がない。それを生かせないのであれば、あえて捨てる事も好手だ。
その後に続く如何に格好良いのかというルーベルの話しはまったくもってどうでもいい話であった。




