第一章 第九項「三人メイド」
「ここが王宮内で一番高い場所。ここからならカーヴェントの街並みが良く見えるでしょ?」
そう言ってジゼルが指差した方にはカーヴェントの街並みが一望できた。中央の噴水のある大きな広場から蜘蛛の巣を思わせる放射線状に伸びる大通りと細かな道は見事に均等が取れており、見事なまでの景観であった。街並みを見下ろすこの出来る程の高さであるにも関わらず、無数に張り巡らされた街路樹を歩く人の姿見える。それほど近いのかと聞かれれば、それは否だ。人の行き来が見える程に、今のカーヴェントは人口が密集しているのだ。
イングリードアース――それがこの世界の名前だ。トラロトリアはイングリードアースにおいて南東の位置する幾つかの小島を一つの国としている諸島国家だ。大きい島があれば小さい島もあり、国内で人が住める島は全部で五つある。一つは首都カーヴェントのあるトラロトリア本島。深緑をした森林地帯を持つアナモ子島に瓢箪ような形をしたエレルナ子島、大きく隆起した山岳のあるデリルナ子島に島の半分がマングローブになっているシェメモ子島の五つだ。それらの島々は建国の母である初代トラロトリア女王の四人の娘の名から付けられている。
本島であってもMAVRSの配備に軍事力の強化が未熟であった為、他の四つの子島は更に無力であった。その為、会戦の直前に民を守る為に首都へと押し込めたのだ。帝国軍を撃退したとは言え、それは一時凌ぎでしかなく、彼女らを帰す訳には行かず、今も尚カーヴェントには多くの人が犇めき合っている。
「せめて本隊が撤退してくれれば皆を家に帰してあげられるのに……」
「今のところは深刻な問題とか出てないんだろ? 取敢えずは現状維持を頑張るしかないんじゃない?」
「それも何時まで続くか分からないわ……。幾らトラロトリアの本島は肥沃な大地と海産物とかがあるって言っても、やっぱり限界があるもの」
トラロトリア本島の大部分は肥沃な大地で、農業と放牧に適していた。更にアナモ子島の森林地帯では豊富な果実や野草が取れ、デリルナ子島では日持ちの良い食物が作られていた。同じく平坦な大地であるエレルナ子島にシェメモ子島、トラロトリア本島では多くの海産物が取れる事もあり、トラロトリアは自国内のみの産業で自給自足が成り立っていた。
とは言え、それは本島と各子島が正常に機能していた場合の話であり、今のトラロトリアは本島の首都カーヴェントにしか人が居ない。それではまともに生産業を機能させる事は出来ず、何れ限界は来る。政を行う首脳陣に女王シェスセリアは最低限、港町サンロラルを機能させたいとは言っているのだが、完全に安全とは言えない現状ではそれは難しいというのが軍部の見解であった。
先行部隊の母艦に主力であるMAVRSを全機撃破したとは言え、兵士全てを倒した訳ではない。今もどこかに身を潜めて無警戒にやってきた民を襲うか分かったものではないからだ。可能な限り素早く安全を確保する、という言葉を残したまま軍部を仕切る騎士団長ルシギを筆頭にして半分以上の歩兵戦力を持って、現在サンロラルを奪還中である。
同時に、激戦を乗り越えた白銀の巨人であるゼフトグライゼンもフルメンテナンスと各部のチェック、引き続いてのデータ採取の為に現在は第七倉庫に閉じ込められている。となれば、する事のなくなった神御を、同様に手が空いているジゼルがトラロトリアを案内するという事になったのだ。
「――ルシギ様も動いているし、どうにかなると思うしかないわね。……それじゃあ次は王宮内を案内するわ。ついでに、そろそろ貴方の部屋も用意できてるはずだし」
衣食住を約束するという言葉通り、神御が住まう場所が現在急ピッチで準備中である。城下町は当然の如く集められた民達でごった返している為、場所を確保できるわけもないし、眼の届く範囲でより安全な場所を、と考えた末に王宮の一室を、となったのだ。王宮内では客人や他国の使者が泊まる為の部屋が幾つかある為に、それ自体は困ることはなかった。
ジゼルに続いて神御は王宮内に戻る。二人が居たのは王宮の中央に立つ尖塔の最上階だ。螺旋階段を下りると石造りの通路に出る。ビキニアーマーの騎士達がマントをはためかせ、健康的な肉体を惜しげもなく晒しながら慌しくしている。右に左へと行き交う半裸に近い女性の姿に神御は思わず目が行ってしまうのに逆らう事はなかった。
が、その行為は激痛と共に遮られた。見るまでもなく、ジゼルがこめかみを引くつかせながら神御の足をこれでもかと踏みつけていた。
「一体、何を、見てる、の、かしらぁ?」
「痛い痛い痛い痛いっ! 潰れるっ! 潰れるからっ!」
踵に体重を乗せながらギリギリと捻られる。たっぷりと一分ほど掛けて痛めつけられた後、漸く解放された。
「ったく。何でこんなのに助けられたんだろ」
不満気にそう言い捨てるとジゼルはさっさと先に進んで行ってしまう。漸く解放された足に無事で良かったと涙を流しつつ、片足飛びという奇妙な移動方法で追いかけた。
◇
神御に与えられたのは王宮の二階にある一室だった。角部屋で、部屋の奥と右側には窓がある。大人が三人寝られそうな大きなベッドにテレビ等でしか見た事がない豪華な作りをしたソファー。タンスやテーブルは光沢のある木製で、足はソファーと同じように綺麗に丸みがかかった作りをしている。石造りの床の上には赤色に金の刺繍をあしらった絨毯が敷かれており、靴で上がってよいものなのかと気が引けてしまうほどの作りであった。流石にシャンデリアや金の食器等はなく、神御は内心でホッとした。
丁度ベッドメイキングを終えた所であったようで、二人の来訪に気づいてメイド達が振り向いて見事に揃って綺麗な会釈をする。
「一応貴方は異世界人だし、そうでなくても別の国ともなると色々と違う事が多いから、この子達が貴方の世話をするわ。この二人は知ってるわよね?」
紹介された二人に見覚えがあり、神御は頷いて返した。
もう一度会釈をした二人は初日にシェスセリアの脇に控えていた三人のメイドの内の二人、双子メイドだった。赤毛をツインテールに結わった元気活発そうな目をした少女に、翠色の髪の毛を腰ほどまで伸ばした大人しそうな目をした少女の二人だ。
「今日からシンゴ様付きを命じられたルーベルでっす! よろしく~です!」
「う、ウリディスです。よ、よろしくお願いしますっ!!」
赤毛のルーベルは見た目通り元気が溢れんばかりの笑顔と声。対するウリディスは緊張した面持ちで真面目そうな雰囲気だ。
二人に対する神御の反応は、
「しゃ、喋ったっ!?」
「むっ! 喋りますよ、そりゃ! シンゴ様、アタシ達の事なんだと思ってたんですかぁ!」
「ご、ごめん……。最初に会った時は全然喋ってなかったじゃん? なんか無口系なのかな、と」
その時を思い返してみれば、確かに二人は一切言葉を口にしていない。多少はジェスチャーでもって感情を表していたが、それだけだ。二人もその時の事を思い出した様子で、納得するように頷いた。
「ぁ~そう言えばそうですね~。あの時はシェスセリア様達が大事な話をしていたので、喋っちゃダメなのかな~的な雰囲気だったんで~……一応?」
「う、うん……。わ、私も……ちゃ、ちゃんと喋りますから……えっと、その……」
無口ではないと言いたい様子なのだが、やはり緊張からなのか上手く言葉が続かない様子のウリディ。
「そっか。ごめんな、変な事言って。これからよろしくな。多分……や、確実に色々と世話になると思う……」
まったく常識の異世界での暮らしだ。誰にも迷惑をかけずに暮らせるとは口が裂けても言えない神御であった。
「大丈夫でっす。私達におっまかせですよ!」
ブイっと指を立てるルーベルに、ウリディは言葉を詰まらせながらも何度も頷いた。
「二人は殆ど貴方と行動するから……手、出すんじゃないわよ?」
「なっ!? だ、出すわけないだろ!」
「どうかしら? 男って女なら誰でも良いって聞くし……」
疑いの目線を向けてくるジゼルに神御は反論の言葉を上手く紡げずに唸り声を上げるしかなかった。好きでもない女性と付き合えるかと聞かれればNOと答えるが、裸の女性が誘っていたらYESと答える。男とはそんな悲しい生き物である。
「ほらやっぱりそうなんじゃない。二人共、気をつけなさいよ? いつ組み敷かれるかわかったもんじゃないんだから」
「え~でも~、シンゴ様って今じゃ救国の英雄じゃないですか! シンゴ様だったら私は何時でもウェルカムですよ!」
「わ、私は別に……。ぁ、でも! し、シンゴ様が嫌って訳じゃ……」
鼻息荒くそう宣言するルーベルと恥ずかしそうにもじもじと体を揺するウリディに反応はなんとも対象的であった。
「や、流石に年齢的な問題が……」
「あ~シンゴ様、私達が気にしてる事~! 私達、これでも成人の儀式は終わらせた身ですよ! もう大人ですよ! どうですか!?」
「どうですかって言われてもな……。年齢というか、見た目?」
現実的な言葉にルーベルは「ガーン!!」と大きなショックを受けた様子で開いた口が塞がらなかった。一方、静かにショックを受けたらしいウリディは膝を浮いて項垂れていた。
「ちょっと、苛めてるんじゃないわよ。女性には優しく! 男としての底が知れるわよ」
それに対しては不満気な声を出して抗議してみたが、ジゼルはどこ吹く風を無視した。
「――あぁ、ごめんなさい。えっと、この子も貴方付きのメイドだけど、主にこの部屋の事とか食事とかの担当だから、二人よりは一緒に居る時間は少ないかもね」
すっかり存在を忘れていた三人目のメイドはニッコリと笑みを浮かべながら一歩前に出た。手には純白のタオルを畳んで持っており、両足を綺麗揃えてゆっくりと頭を下げた。エプロンドレス姿が何ともマッチした女性だ。
「初めまして、シンゴ様。主にお部屋担当をさせて頂きますロセウス、と言います。これからよろしく願いします」
もう一度綺麗なお辞儀をするロセウス。
双子メイドとは違い、背格好はジゼルに近い。エプロンドレスの上からでも過剰とも言える自己主張をする胸の大きさが第一に目を惹く。思わずガン見しそうになるが、ジゼルにまた足を踏まれても堪らないと、神御は強引に眼球の動きを抑制した。
「お部屋担当って?」
胸に言ってしまいそうになる視線をどうにか誤魔化す為に神御は話題を振ってみた。と言っても、お部屋担当という言葉の意味が分からなかったので丁度良かったという事もある。
「はい。主にシンゴ様がお使いになるベッドにこの部屋全体の清掃、シンゴ様のお召し物の洗濯が主になります。後はシンゴ様がここでお食事をなさる際には私がお運びいたします」
「はぁ~……なるほどね。……そう言えば、飯はどこで食べればいいんだ? もしかして糞長いテーブルで~とか言わないよな?」
貴族の食事となれば、無駄に長いテーブルの端と端に座って静かに食べる、というイメージが神御にはあった。
「シェスセリア様と同じ場所で食べられる訳ないでしょ。王宮内で食べるなら食堂、外なら酒場とか飯処って感じかしらね。王宮内は基本タダだけど、外ならお金が要るから、今の貴方には無縁ね」
一応今回の報奨としてお金を貰える事になっているが、国の現状が現状なだけに先送りの予定だ。となれば、王宮内の食堂を利用する事になるのは決定事項だった。
「持ってきてもらうのも悪いし、食べにいくよ」
「分かりました。――あぁそれと、私に何か御用がある際にはこの呼び鈴をお使い下さい。王宮内でしたら直ぐに参ります」
磨き上げられたテーブルの上には銀色に光小さなハンドベルが置かれていた。試しに鳴らしてみると甲高い、透き通るような音が響く。すると、ロセウスの胸元に付けられていたバッジが青色に輝いた。
「これで御用があると分かるようになっているんです。ただ、王宮内は広いので、場合によっては少し待ってもう事になりますが、ご理解下さい」
物見の尖塔から此処まででも、歩いて5、6分程は掛かっている。洗濯等で離れていればそれも仕方がないと言える。
「ん、大丈夫だよ。鳴らしたら直ぐ来い、なんてモンペな事しないから」
「もん、ぺ……ですか?」
言葉の意味が分からず、ロセウスだけではなくジゼル達も不思議そうな表情を浮かべていた。
「あぁそうか……えっと、文句ばっかり言う人、の事かな、うん」
正確には理不尽かつ自己中心的な要求をする親、であるが、神御が使った意味としても使えなくはないのでまったく間違いではない。
「は、はぁ……? と、兎に角、そう言うことですので、御用の際はご遠慮なさらずにお鳴らしてください」
人を使うというのは慣れておらず、何となく使う事は気が引けたのだが取敢えずは頷いておくことにした。
「それでは、私はまだ仕事がありますのでこれで失礼します」
丁寧なお辞儀をした後、洗濯物をまとめてロセウスは退室した。それを見送った神御達は、さて次はどうしようかという雰囲気になった。
「王宮内の案内を続けましょうか。貴方が使う場所は……大浴場と食道、後は第七格納庫くらいかしら?」
「そうなる、のかなな? ――あぁ、そうだ。訓練施設とかあるんだろ? 剣とか槍とか使う系のやつ」
「あるにはあるけど、行ってどうするの? 貴方はパイロットなんだから、歩兵の真似事をしても意味はないと思うけど……?」
訝しむ表情を浮かべるジゼル。MAVRSのパイロットなのだから操縦技術を磨きたいと言うのならまだ分かるが、歩兵の訓練施設が一体なんの役に立つのだろうかという思いだ。
「そりゃこっちの世界のパイロットは元々訓練してるから良いんだろうけど、俺、完全に素人だぞ? 剣の扱いだって習ったことないし。そう言うところ教えてもらおうかな~って思ったんだけど?」
返した神御の言葉は意外にも的を射ていた。意表を突かれたジゼルは僅かに悔しさを抱いたが、前向きに考えてくれている神御に、素直に賞賛の思いを抱いた。
「なるほどね。いいわ、それなら私が直々に鍛えてあげる。一応これでも元は騎士ですからね」
力こぶを作ってみせるジゼルに神御は頷いて返した。
剣の腕は勿論磨きたいという思いは確かにある。しかし、それ以上に、剣を振るってみたいという思いの方が強かった。何せ、元の世界では憧れるしかなかった物を、こちらの世界では当たり前のものとして扱えるのだから。これで興奮しなければ男ではないと、神御は断言できた。
「それじゃあそれも織り交ぜて、案内再開って事で。――じゃあ行くわよ」
「ぁ、アタシ達もお供しまっす!」
「お、お供します!」
「おう。よし、行くぞ!」
元気な声を上げ、先を行くジゼルを追う形で三人も続いた。




