表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

ふたりきりの時間

教科書やら、参考書、問題集、いろいろ抱えながら、玄関で「お邪魔します」と声をかけ、勝手知ったるなんとやらで、家の中に入った。


 小さい頃から、それぞれの家を行き来しているおかげで、フリーパスだ。


 いつもおれたちが集まる居間から続く和室で、緋色は待っていた。晃希はいなかった。こんな時は気を利かせてくれるのか、おれたちの間に入っては来ない。


「どこがわからない?」


 さっそく、教科書を広げると緋色はここと指をさした。

 おれの目に華奢な指が目に入ってくる。

 おれの手の中にすっぽりと入ってしまいそうな小さい手だ。

 

 思わず触れてしまいたくなるような柔らかそうな手。

 危ない。

 本当に触れたくなってしまう。

 おれは意識しないように問題を見た。


「これ簡単な問題じゃん。すぐわかる問題なのに」


 中学校は始まったばかりで、数学もまだやさしい。

 ただ、この時期にきちんとついていかないと、苦手になったり、数学嫌いになったりする確率は高い。


 緋色は頭がいいと認識があるので、ここで躓くとは思えない。


「えっ・・・とね。聞いてなかったの」


 緋色はえへっと肩をすくめた。


「聞いてないって・・・・何やってたんだよ」


「問題を解いてた」


「問題って?」


「教科書見てたら、すごく気になる問題を見つけて、どうしても答えを知りたくなっちゃって、夢中でやってたら、終わってた」


 えへへ・・・と、悪びれず照れ笑いをする緋色を見ながら、その顔もかわいいけど・・・


 気になる問題って、後からやればいいだろう。大事な授業中になに他のことやってんだよ。

 不思議ちゃん? 天然? 緋色って時たま、不可解な行動をする。


「ちゃんと聞いとかないと、後で困るのは緋色だぞ」


 ちょっと厳しく言ってみる。小学校の頃も、時々教えたりしていたのだが、中学校になると勉強も難しくなってくる。

 受験にも直結するし、忠告と思って言ったのだが・・・・・


「うん。そうだね。でも教えてくれるでしょう?」


 緋色がまっすぐにおれを見ながらいう。


「はっ?」


「わからない問題があったら、翔くん、教えてくれるでしょう。翔くん、教えるの上手だし、それじゃ、ダメなのかなぁ?」


 甘えるような声に瞳を潤ませ、上目づかいでおれをみる緋色にどきんと心臓が跳ねる。


 究極の殺し文句。ダメだといえるわけがない。惚れた弱みなのか。

 どうしてこうも人をその気にさせるのが上手なのだろう。


 緋色にはいつも頼られていたい。いつでもどんな時でも、緋色のためならと思ってしまう。

 つまらない人間だと、何にもできない男だと思われたくなくて、勉強だって、部活だって頑張っている。兄貴にも負けたくなくて。


 そのおかげで、成績は学年一位だし、サッカー部でもレギュラーだ。

 緋色はそんなこと気にはしないかもしれないけれど、自分が嫌だった。

 緋色に誇れる自分でいたい。


「いいよ。いつでも教えてあげるよ」


 白旗。降参だ。緋色にはかなわない。


「やったあ! ありがとう。翔くん」


 諸手をあげて喜ぶ緋色。

 これじゃあ、授業中何しててもいいと言ったも同然だ。

 緋色の術中に嵌った感はぬぐえないけれど。


 緋色の期待は裏切れないから、頑張らなければ。


 件の問題は少し説明しただけで、緋色はすぐに解いてしまった。

 今は別の問題を解いている。


 元々、物覚えが早く、記憶力もいい緋色だから、そう手間はかからない。

 授業さえちゃんと聞いていれば、頭のいい緋色のこと、何の問題もないはずなのだが、時々、すっぽりとどこかが抜けている。


 だからなのか、里花とよく勉強会を開いている。


 どちらかというと里花に優先権があって、おれはその次って、感じで。

 今日、里花は早々に帰っていったから。

 くっ・・・顔を思い出したら無性にムカムカしてきた。


 やめよう。


 せっかく緋色と二人きりなのだから。

 おれは頭の中から里花を追い出した。

 改めて、緋色に視線を移す。


 ノートに目を落として、問題を解いている。

 シャープペンを動かし、時々顎に手を当てて考え、それからまた、ペンをはしらせる。

 真剣な横顔に見惚れる。

 すぐ目の前に緋色。いい匂いがする。シャンプーのにおい? 

 鼻孔をくすぐる甘い匂いに酔いそうになる。


 ドアを開けてるとはいえ、部屋の中はおれたち二人で静かな空間の中、ノートをすべるペンの音だけが聞こえる。


 二人きりなんて、どのくらいぶりだろう。


 中学生になって、セーラー服に変わると小柄で、童顔で、かわいいけれど、どこか大人びた緋色がいた。


 恋は理屈じゃないと思う。いつから好きだったなんてわからない。

 気づいたときには好きになっていた。

 やめよう、諦めよう。何度思ったかしれない。


 緋色の心には兄貴だけ。そう自分に言い聞かせても、募るのは想いばかり。いつか、おれのことを見てくれたら。

 その瞳におれだけを映してくれたならと、願う自分がいる。


 はらり・・・

 と幾筋かの緋色の髪が解け、頬にかかる。

 よく見ると、緩く編まれた三つ編みは、所々、おくれ毛がでている。

 もう一度結びなおした方がいいかもしれない。


 邪魔になりそうな髪を指先で払ってやりたい衝動に駆られる。

 もう少しで届こうかという手を寸止め。触りたい。

 けど、理性が邪魔をする。好きだから、簡単には触れない。

 もし、触ってしまったら、離せなくなりそうで・・・それが怖い。


 邪魔になったのか頬にかかった髪を指で払うように耳にかける。何気ないその仕草が艶めいていて仄かに色香を感じ、おれは思わず息をのんだ。


 全身に電流が走ったような衝撃と同時にかあぁと顔が熱くなる。

 ごっくんと唾を飲み込む。

 やばい。

 完全に意識してしまった。顔が熱い。どうしよう。熱くなってしまった心と体。どうしたら冷めるんだろうと少々混乱していると、


「出来たあ!」


 緋色の満足そうな声が響く。


 あまりの恥ずかしさに視線を上げられずにいると、おれの前にノートを差し出した。おそるおそる緋色を窺えば、おれの気持ちなど一切気づきもしないだろう、にこにことした無邪気な笑顔の緋色の顔があった。


 はあぁ。大きく息を吐く。


 おれはただの幼馴染みで、それだけ、現実を思うと心が萎えていく。


「翔くん、顔赤いよ?」


 余韻だけは残っているのか、手を顔に当てるとまだ熱かった。


「この部屋暑い?」


 おれの顔の熱さが気になるのかしきりに聞いてくる。

 いや、熱いのはそのせいじゃないから。


「いや、暑くないし、大丈夫。何でもないから」


「風邪? 熱があるのかも」


 心配してくれているんだろう。

 気持ちは嬉しいけど、これも違うから・・・


 緋色はおれの顔をこれでもかと凝視してくる。

 後ろめたい気持ち満々なおれは妙に動揺する。

 まともに答えられない。


 そのうちに、緋色の手がすっと伸びてくる。額に伸びたそれを寸ででかわす。

やめてくれ。これは何の罰ゲームなんだ。さっき緋色に邪なことを考えていたからか。

 

「熱測るだけだよ」


 手をよけてしまったからか、口を尖らせて不満げにおれを見た。


「熱なんてないから、それよりほら、次の問題」


 話をそらせようと、今度は問題集を差し出す。

 一旦、そこに目を移した緋色だったが、


「やっぱり、気になる」


 そういって、また手を伸ばしてきた。

 今日に限って、こんなにしつこいんだ。


「いやいや、大丈夫だから」


 おれはじりじりと後ろに下がる。緋色はじりじりとおれに迫ってくる。

 お前は何とも思っていないかもしれないけれど・・・本当にやめてくれ。おれを煽らないでくれ。さっきの熱がまたぶり返してくる。

 触られたら、必死に抑えている理性のタカが外れてしまう。


「本当に赤いよ。絶対熱があるよ」


 心配してくれてくれるのは嬉しいけど。

 熱の意味が違うし。

 緋色との攻防は、とうとう壁際まで追い詰められ、いよいよ逃げ場がなくなった。


「往生際が悪いな。そんなに触られるのいや?」


 緋色の傷ついたような顔。そんな顔をさせたいわけじゃない。


「いやじゃない・・・」

 

おれだって触ってほしい。でも今は本当にまずい。



「だったら」


 もう一度伸ばされた手。逃げ場を失ったおれは観念して目をつぶった。どうなっても知らないからな。


「緋色、亮くんよ」


 不意に声がかかった。

 おれへと伸ばされていた手が下ろされ、おれは目を開けた。


 部屋の入り口には、有希子さんがいた。


 助かったあ。と安堵したのもつかの間。


「お兄ちゃん?」


 緋色の声の調子が一気に上がる。

 ぱっと顔を輝かせたかと思うと、弾かれたように立ち上がり部屋を出ていった。その素早いこと、風のように・・・・


 しーんと静まり返った部屋の中、ぽつんと一人残されたおれは、そのまま壁に寄り掛かりズズっと腰を落とした。


 何だったんだ。おれの葛藤もどこへやら。

 あんなに悩んだのがバカみたいだ。

 兄貴が来ただけで、こんなにも状況が変わる。


 一気にテンションが下がった。


「ごめんね。緋色ったら、亮くんと出ていったみたいなの」


 有希子さんがもう一度顔を出して、済まなさそうに謝ってくれた。


「ああ、でしょうね」


 おれはそれだけ言うのが精いっぱいだった。


 兄貴が来た時点で、予想はついていたから、今さら、がっかりもしない。


 おれへの心配も。緋色にとっての一番は兄貴で。

 兄貴と比べたら、おれは塵にも等しい存在。


 で、なんでこんな時に限って、早く帰ってくるんだよ、兄貴のやつ。しかも邪魔しやがって。


 悪態をつきながら、机の教科書とノートを片付けると、緋色の家を後にした。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ