天使の降りた街 第六話
太陽も完全に沈み、あたりは闇が広がっていた。
しかし、街の中では自分たちを探す衛兵があたりを巡回しており、今もある通りをランプを持った二人組が歩いていた。
周囲を警戒しながら歩く衛兵。しかし、彼らが手に持っているランプだけでは暗くなった街の中を完全に照らし出すのは不可能だった。
二人の衛兵はそれでも可能な範囲を警戒しながら通りを歩いて行く。そして、彼らは道を曲がり、その通りを後にした。
彼らが通り過ぎたことで明かりも消えて、また暗闇があたりを包む。
その暗闇の中、物陰から二つの影がそっと出てき。
彼らはもう一度あたりを警戒するように見渡すと、できるだけ音を立てないように気をつけながら、急いでその通りを横断した。
もちろん、この二つの影はシアとセインの二人だ。
彼らが向かうのはこの通りの向こう。そこがセインがシアに教えた最も人目の少ない場所だった。
そこはこの街にある貴族の私有地だった。周囲には人が住んでいないため人目も少なく、貴族の私有地のため許可が無ければ衛兵も入ることができない。そのため一度中に侵入すれば衛兵からは見つかる心配はかった。
「どうやら居ないようだな」
それでも警戒は怠らずに、二人は物陰に隠れながら周囲を見渡すが、壁の上にも、周りにも人の影は無い。
「………………」
一方のシアはどこか釈然としない表情を浮かべながら、周囲を見渡していた。
「そんな警戒しなくても大丈夫だって」
そう言ってセインはシアを安心させようとさっと隠れていたところから出て行く。
その不用意な行動を止めようとシアがセインに声をかけようとした時だった。
瞬間、風切り音が聞こえた。
「――ッ! セイン!!」
シアはその危機を伝えるためにセインに叫ぶ。
「え?」
――――トスッ
その叫び声に歩いていたセインが動きを止めて振り返る。瞬間、セインの肩に軽い音とともに小さな衝撃がかかった。
それに気が付いたセインが自分の肩を見ると、そこには一本の矢が突き刺さっていた。
そして、あたりに強い光が灯る。
それはこの暗闇を一瞬で昼に変えるかのような光だった。
その光に照らされる中、シアはそれを気にすること無く急いで走り出すと惚けているセインをその小さな身体で抱きかかえた。その直後、無数の矢が二人達を狙って放たれた。
セインを抱きかかえたままその矢を避けるシア。
そのまま二人は壁の方に追いやられ、打ち出される矢がピタリと止まる。
周囲を警戒するシア。そんな二人の空間がゆがむ。そして、そのゆがみが徐々に形を作り出し、突然と二人を取り囲むように聖騎士の集団が姿を表した。
「変だとは思ってはいたけど、まさか法術以外にも神語を使っているとは思わなかったかな」
それを見て納得するシア。
「ほう、さすがに魔女と言ったところか、まさか神語の事を知っているとは」
その言葉に中央にいた聖騎士一人がわずかな驚きをもってシアを見つめた。
まさかこの力を知っている者が外に居るとは思わなかったからだ。そのため、続けて放たれた言葉は周囲にさらなる衝撃を与えた。
「うん、あなたたちよりかは詳しいつもりだよ。さっきまで隠れるのに使っていたのは“隠蔽”で、この光は“光源”でしょ?」
シアは聖騎士達が持つ光る杖を見た。
その言葉に周囲が動揺する。それは目の前の男も同じで、その目が驚きで見開かれシアを見つめていた。
「貴様……その情報をどこで手に入れた?」
神語の存在は教会に属する者でも中でも一部の者しか知らない極秘の存在だ。さらにその文字と効果を知っているのはその中でもごく一部の者たちに限られる。
そのためその内容を知っている者がただ者で無いことは明白だった。
「どこでって言われても、だいぶ昔だから覚えてないかな」
ふざけているとしか言いようのない言葉でシアは答えた。
「……まぁいい、どこでそれを知ったかはこの後でゆっくり聞き出してやる」
神語の光によって照らし出される光景。それはわずか二人、しかもそのうちの一人は負傷していて禄に動けない。そんな二人に対して十人以上の聖騎士が取り囲む、絶望的な状況だった。
そして、男は視線をシアから肩を押さえてうずくまるセインへと移した。
「ふん、お前が魔女に与した男か。今ので死んでおけば楽だったものを、運がなかったな」
「はは……、あいにく死に場所は自分で選ぶたちでね、おめおめとこんな所で死んでられるかよ」
「チッ、この背徳者め。なら、この後の拷問部屋で自分がどうやって死にたいかゆっくり考えさせてやる」
痛みに耐えながらセインは男の言葉に軽口を返し、そんな彼を男は忌々しげににらみつけた。そして、男はそのまま視線をシアへと戻した。
「神に逆らいし悪しき魔女め、今すぐそこに直り、神の裁きを受けろ」
「別に私は神様に逆らった……覚えは少なからずあるけど、神様の敵にはなったことはないよ?」
「黙れ魔女めが!! 貴様が魔女であるその事実が我が主の敵である証だ!!」
「別に魔法が使えるからって敵になるわけ無いでしょ、そりゃあの神は魔法よりも法術の方を好んで使っていたけど、使えたからって敵だとは言ってないでしょ」
そう吐き捨てると、予想外な所から横やりが来た。
「いや、言ってるよ」
「え?」
シアが振り返ると、背後にいるセインが微妙な表情を作っていた。
「我、法術を貫く、魔法は邪道だって……聖書にものっている有名な言葉」
「なっ!? あの馬鹿、人の前でそんな事ほざいたの!? あれほど自分の言動には気をつけろって言っていたのに……」
そう怒りをあらわに、神に対して暴言を吐くシア。
しかし、その言葉は神に対して怒っているというよりも、知り合いに対して怒っているといった感じだった。
神をまるで知人のように語る彼女。偏った知識を持つ彼女。あまりにも詳しすぎる魔法や法術といった知識。
「……レーティシア、君はいったい……」
そんな彼女の存在を改めて不可思議に感じたセインがジッとシアを見つめていた。
しかし、今はそれを尋ねる場ではない。
「き、貴様等!! 我の前で我が主を冒涜するとはいい度胸だ!! 貴様等に懺悔の時間など与えるモノか、この場で地獄へとたたき落としてやる!!」
男の怒声とともに、二人の周りを取り囲んでいた聖騎士が動く。
ある者は弓矢を構え、ある者は槍を、そして、残りは剣を構えて二人に向かってきた。
それは指示を出した目の前の男も同じで、男は一番に剣を振り上げて二人に襲いかかってきた。
その振り上げられた剣は何かの力が宿っているのか、青く光るオーラを宿していた。
しかし、その攻撃が二人に届くことは無かった。
「うっさいハゲ!! 今私はすっごくむかむかしてるの、この鬱憤の憂さ晴らしにつきあってもらうからね!! “炎よ燃えろ!!”」
シアの怒鳴り声と共に現れた強大な炎が、向かってきた聖騎士たちを襲う。
とっさに盾を構えて耐える男。
「グッ、この程……」
「“風よなぎ払え!!”」
しかし、そんな男の抵抗は、続けて放たれた攻撃によりあっさりと崩された。
言葉と共にシアの腕が水平になぎ払われ、それと同時に風が強烈な衝撃となって周囲の聖騎士を襲う。
「“水よ押し流せ!!”」
「グッ、グォォォォォォォ!!?」
そして、最後にシアは大量の水を生み出し、倒れる聖騎士達を押し流していった。
「……………………なんだこれ」
一瞬であたりに静けさが戻り、青年の声がむなしく響いた。周囲はシアが魔法で生み出した大量の水の所為で雨がふた後の様に地面はぬれて、水たまりがそこらにできていた。そこに聖騎士の姿は一人も見えず、あるのは彼らが持っていた剣や槍、後はあの光る杖だけで、その杖の光が周囲の様子を明るく照らし出していた。
「ふぅー。少しはスッキリしたかな。……さて」
晴れやかな笑顔を浮かべるシア。
彼女は一度だけ周囲の様子を見て異常が無いことを確認するとセインへと振り返った。
「ちょっと痛いけど我慢してね」
「え? ッ――――!?」
シアはセインの前でしゃがみこむと、セインの肩に刺さっていた矢を思いっきり引っこ抜いた。その痛みにセインが小さく悲鳴を上げる。
何を? そう思い顔を上げたセイン。しかし、それはすぐにわかった。
ポッと淡い光が自分の顔のすぐ横で光る。それが先ほど矢を抜いた場所だとわかり顔を向けると、傷がある場所をシアが手で押さえていた。
そして、その手のひらは淡い光を放ち、セインの傷口を包んでいた。
その光は見覚えのあるモノだった、怪我の多い衛兵はよくその光に助けられるからだ。
しかし、それを使うことができるのは神官だけのはずだ。法術を魔女が使うなどと聞いたことが無い。
驚きで固まるセインをよそに、肩の傷は法術の力でふさがっていった。
「これでよしと」
傷口を完全に治したシアは満足そうにうなずいた。
「…………なんで、法術を」
一方のセインはまさか彼女が法術まで使えるとは思わず、あまりの出来事に驚いて固まっていた。
「ん? 法術は体内のマナを操れるようになったら誰でも使えるようになるから、魔女だとか魔女じゃ無いとかはあまり関係ないよ」
そんなセインの疑問をシアがさも何でも無いことのように答えるが、その認識ははっきり言って間違っている。実際世間一般では法術とは神の力を借りて使える奇跡と言われているため、間違っても神の敵と言われている魔女が使えるはずが無いことなのだ。
セインもシアから魔法と法術について話を聞いていても、コレを見るまではシアは法術は使えないと無意識に思っていた。
しかし、よくよく考えてみれば、シアが法術らしきモノを使っていたのも確かだ。
――何であんな体格であんな力を出せるのか不思議には思っていたが――
自分の勘違いでこんなにも驚いていたとわかり、セインは小さくため息をはいた。
一方のシアは、セインの傷を治すと、そこら辺に落ちていた枝を拾い、それで地面に何かを描き始めた。
「なぁ、何描いてるんだ?」
「ん~……? あぁ、魔法陣だよ。今からすることは人に見られるとやっかいだからね。こうやってしばらくの間、人が来ないようにするの」
手を止めること無く答えるシア。
「いや、魔法陣だよって言われてもわからないんだが……、さっき言っていた神語っとかと言うのとは違うのか?」
そう言うとセインは水に流されずに地面に残っていた光る杖に視線を向けた。
「うん、神語は文字自体に力を持つモノで、魔法陣は絵や図形に意味を持たせてマナと反応させるモノだよ」
「あぁー……、ようは二つとも不思議な力を使えるって事だな」
よくわからないがそういうモノなんだと納得させるセイン。
そんなセインが可笑しくて、シアは苦笑をこぼじた。
「はは。まぁそんな所かな――っと。さて、邪魔者もいなくなったし準備も完了。そろそろ行こうか」
魔法陣を描き終えたレーティシアはセインに向き直った。
「行くって、どこに?」
「外に決まってるじゃない」
「いや、でも壁が……」
そう言って壁を見上げようっとして、その動きが止まる。
突然、シアの身体全体が光り輝いたからだ。
「なっ!!?」
それがただ事ではないと理解しながら見つめていたセインの瞳がその後に続く光景を見て、驚愕に見開かれる。
光り輝くシアの身体が一瞬膨らんだと思った瞬間、その背中から純白の翼が生えてきたからだ。
「ふぅ、これで良し」
背中に広げられた翼を確認するように2,3度羽ばたかせるシア。
そんな彼女の横では、目の前の光景に驚きを通り越して驚愕に震えるセイン。
「な、な、なっ、つ、つばっ…………て、天使?」
「みんなには内緒だよ」
クスッと、人差し指をその口元に当てて、シアはいたずらが成功したような無邪気な笑顔でセインにそう言う。
「さぁ、魔法陣の効果が消える前に行きましょ」
そして、いまだに状況について行けていないセインの手をとると、シアが背中の翼を大きく広げ、――バサンッ――その翼を大きく羽ばたかせた。
そして、その一降りでシアとセインは目の前の壁を易々と超え、一気に空へと舞う。
そのままシアはセインを抱えたまま夜の空を飛び立った。