天使の降りた街 第三話
広場には多くの人が陽光の下で穏やかな時間を過ごしていた。
その中にはシアたちが向かっている露天で買い物をしている人も何人かいて、店主から受け取った紙袋を手にその人たちは笑顔で離れていった。
二人は露店の前に来ると店主に注文をして紙袋を受け取るり、それを持って空いているベンチに腰を下ろした。
「いい匂いだね」
紙袋越しから香る、甘くて香ばしい匂いに、シアが幸せそうに微笑む。
「あぁそうだな――で、これが……」
そう言いながらセインが袋を開けて、それを手に取った。
「この町の特産品で、天使が好んだって言われているアップルパイさ」
取り出したのはできたてでまだ暖かい、黄金色をした一切れのアップルパイ。
「え、天使ってあの天使?」
しかし、シア反応したのはセインが手に持つアップルパイではなく、彼が言った天使という言葉だった。
これまでのシアの言動から、セインは彼女なら真っ先にアップルパイに食いついてくるだろう。そう思っていたのだが、予想とは違い天使の方に反応した事を意外に思いながらも、逆に彼女も女の子なんだなと納得した。
「あぁ、1000年前に神様と共に消えた天使達のことさ」
だったら少し面白い話をしようと。セインは天使とこの街について話し始めた。
「彼らは神の使徒として、死んだ人の魂を天国へ導いていた事から“導き手”とも言うんだけど、彼らはその役目から死ぬ前か、神の使命以外では人の前にはあまり現れなかったらしい。けれど、そんな彼らがこの街のアップルパイを食べるためだけにわざわざ地上に何度も降りて来た事があったんだってさ。それから今までこの町では天使の愛した食べ物としてこのアップルパイが特産品になったんだよ」
「へぇー、まだあったんだ……これ」
セインの話を聞き、シアは渡されたアップルパイを見てそう呟いた。
「あれ、もしかして食べた事あったの?」
そんなシアの呟きを聞いたセインは思わず聞き返した。
「うん。ずっと昔にここに来たときにね。――――うん、やっぱり美味しい」
その言葉にセインは、ほかのモノにした方がよかったかかな、と思いもしたが、シアがアップルパイを食べて幸せそう微笑むのを見て、コレで良かったなと思い直した。
「それはよかった。――あっ、だったらこれは知っているかな?」
「え、何?」
セインは、シアが天使の事やこの街の事にあまり詳しくなさそうだからコレも知らないのでは無いかとも思い、聞いてみる事にした。
「不思議に思わなかった? この町は首都からも離れてるし、交通の要所でも無いのに何故こんなにも栄えているのか」
「あっ、思った思った。何でなの?」
「あぁ、それは――――」
予想通りの反応が面白くて、セインは微笑みながらその言葉の続きを口にしようとした時だった。遠くの方が騒ぎ出した。
それに思わず二人は話を中断してあたりを見渡す。二人だけで無く、広場に居る者全員がその不穏な気配に周囲を見渡していた。
そして、あたりの人の視線がその騒ぎの元へと向く。
それは広場へとつながる大通りの一つ。
聞こえてくるのは人々の悲鳴と、雑音。
それが少しずつこちらへと近づいてきていた。
そして、それが視界に入った。
それは猛スピードでこちらに向かって走ってくる荷馬車だった。
「!? ――全員道を空けろ、轢かれるぞ!!」
それを見た瞬間、セインが周囲で固まる人々に向けて大声で怒鳴った。
その声に我に返った多くの人々が安全な場所へ逃げようと、せわしなく動く。
「こっちだ、早く!!」
セインもすぐにその場から離れようと、シアの手を取り走り出した。それにシアもついて行こうとしたときだった。
「――――ッ!?」
視界の隅でそれに気がついたシアは握られた手をふりほどいた。それにセインは驚き、振り返りシアの方を振り返って、目を見開いた。
シアが走り出したその先。そこには一人の幼い少年が、周囲の様子に呆然と立ち尽くしていた。
そして、その少年が立っている場所は、あの馬車が通りすぎるであろう道の丁度真ん中。
その少年を助けようと、少年の元へ走るシア。しかし、すでに馬車はすぐ近くまで来ている。
「クッソォォ!!」
セインは急いで向きを変え、少年と、シアの方へと向かう。しかし、どうしてもぎりぎりで間に合わない。
迫り来る馬車を呆然と見つめる少年。そんな少年の元にシアはたどり着くと、そっと優しく抱きしめた。
「――もう大丈夫」
そして、馬車を睨む。
暴走する馬車と抱きしめ合う二人の小さな影。この後の結末を誰もが予想し、ある者は目を閉じ顔を伏せ、ある者は驚愕に目を見開き――
「シアァァァァァァァァッ!!」
セイン届かない手を伸ばし、ありったけの声で叫んだ。
そして、
「――――――“爆ぜろ!”」
――――――バンッ!!
瞬間、馬車の車輪が大きな音を立てて破裂し、バランスを崩したそれは大きく弧を描き、道をそれる。そして、暴走する馬車は広場の噴水へと激突。横転してその動きを止めた。
静まりかえる空気の中、横転した馬車の車輪がカラカラと回る音と、壊れた噴水から飛び出る水の音だけがあたりを包み込んだ。
「――シア、大丈夫か!!?」
いち早く我に返ったセインが、二人が居た場所へと向かう。
「――――えぇ、大丈夫よセイン。かすり傷一つ無いわ」
シアは胸の中で抱く少年の無事をセインへと優しく微笑みながら伝えた。一方、その少年は今になって自分に恐ろしいことが起きたことに気が付いたのか、大声で泣いてはいるが、彼女の言うとおり怪我はおっていないようだった。
「そうか――、…………よかった」
セインは二人が無事だとわかり、ホッと胸を撫で下ろした。
「――――クラン!!」
そんな三人の元に人垣をかき分けて駆け寄ってくる一人の女性。
「ママァッ!」
その女性に気が付いた少年は大声で母親を呼び、シアはそっと腕を解いた。そして、タッと少年が母親の方へ走り出した。
「……よかった」
抱きしめあう親子の姿を見守りながら、シアは優しく微笑んだ。
「レーティシア……君は一体――」
そんなシアを見つめながらセインは先ほどの光景を思い出し、そして、今の天使のように慈愛に満ちた眼差しで親子を見守るシアを見て、何を言えばいいのかわからなくなっていた。
そんな時だった。
「――――――――魔女だ」
その声は喧騒とする広場の中で、大きく響いた。
ハッとセインもそう言葉を発した男の方へと視線を向ける。
「お、俺は見たぞ! さっきの馬車、あの女が何か叫んで腕を振り下ろした瞬間に、馬車が爆発したのを。アレは魔法だ。あいつは魔女だ!!」
それだけ叫ぶと、男は逃げるように人ごみの向こうへと消えていった。
それと同時に、男の言った言葉の意味を理解した周囲の人々も、恐ろしいものを見るようにシアを見つめていた。
そして、一人の男性がその場から逃げだした。
それに続いて周囲から人が離れていく。
目の前にいた親子も、母親が悪魔を見るような驚愕の表情でレーティシアを見つめていた。
そして、子供がそんな母親には気づかずに、レーティシアに近づこうとした。母親はそんな息子を急いで抱き上げると、レーティシアから急いで逃げだした。
そんな母親に抱かれながら、子供は離れていくレーティシアにバイバイと手を振る。
それに苦笑を浮かべながら、レーティシアも手を振り返した。
その間に逃げださずに残っていた人々が、物騒な雰囲気を出しながら、手に棒や石を持ち、二人を取り囲もうと近づいてくるのが見えた。
それに気がついたセインは、悪態をつくとレーティシアの手を握った。
「こっちだ!!」
「えっ?」
驚いた表情を浮かべるレーティシアを無視してセインは走り出した。