外伝 アップルパイを求めて 後編
すみません。後編が長くなったので中編と分けました。
村人に自分たちの存在がばれたと理解した瞬間、魔物の群れは今までのゆっくりとした動きとは比べものにならない速さで、麓から村までの距離をかけ出した。
魔物がいる位置から村まではまだだいぶ距離が離れているとはいえ、あの速さだと奴らが村にたどり着くのに五分とかからないだろう。
それを理解した村人は逃げる事はあきらめ、女子供は家の奥に隠れ、武器を持てる者達は魔物の襲来に備えた。
しかし、村人は理解していた。
こんなモノで奴らを止めることは出来ないと。
その表情には不安と絶望の色が濃く現れていた。
村へと向かっていた魔物の群れ。
その中の一部が途中で足を止めた。
他の群れが真っ直ぐに村を目指す中、その一部の魔物はしきりに鼻を動かし、その視線が村はずれにある大きな屋敷に向けられた。
群れから取り残された数頭の魔物。
そして、一匹の魔物がのそりと動き出し、それに続くように他の魔物も動き出した。
彼らが向かうのは村では無く、村から離れた場所にある屋敷。
そこに隠れている二つの匂い。
それに気がついた魔物の口がニヤリと不気味にゆがみ、赤い口の中だ見えた。
その数は群れの数で言えばわずかなモノだった。しかし、たった二人の人間を殺すのには十分な数だった。
「お嬢様、一階の部屋の鍵は全部かけました。後、護身用にコレをお持ちください」
部屋に入ってきたイリアがそう言って差し出してきたのは、細身の剣。
マーレにはそれが広間に飾られていた祖父の形見だとすぐにわかった。
「…………まさか私がこんなモノを持つなんて、お父様もお母様も思わなかったでしょうね」
苦笑を浮かべながらそれを受け取り一回だけ振ってみるが、何とも頼りない。
「……あなたが持った方がいいんじゃないかしら?」
「私はすでに持っていますので大丈夫です」
顔をしかめながらイリアに尋ねると、彼女は懐からナイフを取り出してマーレに見せた。
それは無駄な装飾の無い実用的なナイフだった。
しかし、そんな装飾も何もないナイフにマーレは見覚えがなかった。
「……そんなナイフこの家にあったの?」
「私の私物です」
「……何でそんなの持っているの?」
「この屋敷にはお嬢様と私の二人しか居ないのですから、護身用にと」
「まぁいいわ」
準備も出来たため部屋のドアにクローゼットを倒してバリケードにしようとした時だった。
――バリン!!
一階から聞こえた窓の割れる音。
「急いでクローゼットを倒すわよ!」
「はい!」
その音に焦りを覚えながら、マーレは叫んだ。
そして、すぐにクローゼットを倒してドアへと付ける。
それと同時に何かが破壊される音が一階から響く。
すぐにそれがドアが破壊された音だと気がついた。
それを聞いてマーレはギリッと歯に力を入れて顔をゆがめた。
この屋敷のドアは全て同じ作りだ。それがわずかな時間稼ぎにもならずに破壊されたということは、この扉もクローゼットと自分たち二人の力では耐えきることはまず不可能だということだ。
そして、魔物が階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「来るわよ!!」
「はい!!」
二人はクローゼットに体重をかけてドアが開かないように力を入れた。
その瞬間――
――ドン!!
「きゃっ!?」
「くっ!?」
その衝撃にマーレが足を滑らしてその場に尻餅をつき、イリアは何とか耐えたがその表情には隠しきれない焦りと共に苦しそうにゆがんでいた。
「――ッ、この!!」
マーレは次の衝撃を耐えるために立ち上がること無く、背中でクローゼットを押さえて両足に力を入れた。
――ドン!!
次は何とか耐えることが出来たが、二人はそれでも長くは持たない事を理解していた。
「お嬢様」
「大丈夫よ、もう少し耐えれば……大丈夫だから」
マーレはその顔に無理矢理笑顔を浮かべてイリアを励ました。
その時だった。
――ドカンッ!!
「キャァァ!?」
「お嬢様!!」
二人が護っていたドアの横。
マーレのすぐ横の壁が大きな音と共に砕け、その衝撃にマーレが吹き飛ばされた。
すぐに主人の下に駆け寄ろうとイリアが身を翻し、その足が止まる。
イリアの目の前。破壊された壁の穴から一匹の魔物が現れた。
「クッ」
とっさに懐のナイフを構えるが、魔物はそれに警戒することはなくジッとイリアを見つめた。そして、その視線がイリアから話されて倒れるマーレに向く。
それにイリアがハッと息をのむ。
その瞬間。魔物の口元がニヤリとゆがむ。
それが悪意のこもった笑みなんだとイリアはすぐに理解した。そして、そんな奴がこの状況でやる事にも。
「逃げてぇぇぇぇ!!」
「――――……え?」
床に倒れていたマーレはその叫び声に顔を上げた。
そして、その視界が移したのは大きく開かれた真っ赤な顎。
「あ」
そして、赤くて温かいモノが飛び散った。
ピチャッ、ピチャ――
飛び散る液体が、マーレの顔にかかった。
マーレは目の前の後期に言葉を無くし、ただ、ただ信じられなかった。信じたくなかった。
「…………い、」
彼女の目の前。そこには閉じられた魔物の顎と、
「イヤァァァァァァァァッ!!」
全身を真っ赤に塗らしたイリアの姿があった。
魔物はイリアを銜えたまま、大きく顔を揺らし、そのまま無造作にイリアの身体を投げ捨てた。
「イリア!?」
ドンッと床に落ちたイリアにマーレは急いで駆け寄った。
「あっ、あっ、あぁぁぁぁ……」
目の前まで駆け寄り、イリアの姿を確認したマーレはうめき声しか出せなかった。
真っ赤に塗れた身体。
床に広がる血だまり。
もうイリアは――
「…………お、……ま……」
「――――ッ、イリア!!」
その時、イリアの唇が微かに動き、声を漏らした。
「大丈夫、ですよ……まだ、何とか……」
そう言うと、彼女は腕に力を入れ、震えながら上半身を起こした。
「でも、そんなにも血が……」
起き上がろうとするイリアの身体は全身が真っ赤に塗れていた。そんな状態が大丈夫なはずが無い。
しかし、それにイリアは力なくだが、面白そうに笑う。
「コレは私だけの血じゃ無いですよ」
「え?」
「タダではやられません」
そう言うとイリアは、自分を襲った魔物を見つめた。
その魔物はイリアを離したにもかかわらず、いまだに口を開けて首を大きく揺らしていた。
そして、それと同時に部屋の中にピチャ、ピチャッと、液体のかかる音が響く。
それが血だと言うことにはすぐに気がついた。
しかし、一体何故?
マーレがその光景に疑問を感じていると魔物が大きく咳き込んだ。
――カラン、カラン――
それと同時に何か硬いモノが魔物の口から吐き出され、マーレ達から少し離れた場所で止まる。
マーレの視線が思わずその転がってきたモノに向く。
それはイリアが持っていたはずのナイフだった。
「お嬢様を襲うからですよ」
「あなたねぇ……」
クスリと微笑むイリア。
その姿を見て、マーレも思わず笑顔が生まれた。
そして、やっと異物が取れた魔物がその顔に怒りを浮かべて二人を睨んだ。
そして、その後ろからは別の魔物が穴から現れた。
しかし、二人にとってそんな絶望的な光景だと言うのに、彼女たちの表情にはその色は全くなく、それどころかこんな状況でも何とかなるのではないかという、あまりにも荒唐無稽な事を考えていた。
「生き残るわよ」
「はい、お嬢様」
そして、魔物が一斉に二人に飛びかかった。
それでも二人はあきらめること無く真っ直ぐに魔物を見つめ、魔物が目の前にせまり、真っ赤な顎が大きく開かれた。
そして、背後の壁が砕け、光が魔物を貫いた。
「…………遅いわよ」
「ごめんね」
クスリと微笑み後ろを振り返ると、純白の翼を広げて空を舞う、神々しい光に包まれたレーティシアが二人を見下ろしていた。
「ちょっと待っててね。すぐに終わらせるから」
そう言うと、レーティシアは右腕を上げた。それと同時に手のひらに一本の光の筋が生まれ、レーティシアはそれを掴むと、思いっきり振りかぶって投げた。
「ちょっ!!?」
「……あっ」
迫り来る光の槍に、マーレはイリアを抱きかかえると床に伏せた。
そして、轟音と共にマーレの前にいた魔物が光に貫かれてその姿を消した。
それと同時にマーレの目の前に大きな穴が空いた。
「私たちまで殺すきか!!?」
「ご、ごめ~ん!!」
あまりの出来事にマーレが力拳を作って上空のレーティシアに怒鳴った。
それにレーティシアが涙目になりながら一生懸命に謝る。
「何やっているのですか?」
そんな光景に第三者の声がかかる。
「あっ、リーシャちゃん。村はもう大丈夫なの?」
「もちろんです」
そこに現れたのはレーティシアとは別の天使。
長い紫色の髪の彼女は半分閉じられた瞳レーティシアを見ながら、どこか感情の感じられない声で質問に答えた。
「後は逃げていった魔物の殲滅だけ」
「うん、私もすぐ行くね」
それにコクリと頷くと彼女は飛び立ってその場を後にした。
そして、レーティシアは二人の前に降りた。
「じゃあ先にイリアさんの治療をするね」
「ありがとうございま、す……――」
そう言うとイリアはその場に崩れた。
「イリア!?」
「大丈夫。気を失っただけだから」
「そう、よかった……」
ホッと息をつくマーレ。レーティシアは気を失ったイリアを法術で傷を癒やしていった。
「……レーティシア。私たちを助けてくれてありがとう」
「そんなこと当然だよ」
マーレがお礼を言うと、レーティシアはイリアの治療をしながら答えた。
「友達なんだから」
「――そうね」
そう笑顔で言う彼女にマーレは微笑み、そしてどこか誇らしげに眠るイリアを見つめた。
「友達だもんね」
「うん。そうだよ」
その呟きにレーティシアは嬉しそうに微笑んだ。
「さてと――」
そして、イリアの治療も終わったレーティシアは立ち上がるとマーレを見つめた。
「どうかしたの?」
「……えっとね、」
てっきり仲間の天使を追いかけると思っていたマーレが不思議そうに尋ねた。
「私ね、親しい人からはシアって呼ばれてるの。だから、マーレもそう呼んでくれないかな?」
すこし恥ずかしそうにしながらそう言うレーティシアを見て、マーレは苦笑を浮かべ、
「いや」
と答えた。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!? そこは普通シアって呼ばない!?」
予想外の返答にシアが驚愕の表情を浮かべ、それをマーレは可笑しそうに笑う。
「別に嫌いだからとかじゃないわ。ただ、今はまだ呼ばないだけよ」
「じゃあいつ呼んでくれるの?」
「私があのお菓子を完成させたらよ」
そう言うと、一瞬だけきょとんとしたレーティシアだったが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「だったらもう少し先になるね」
「言ってくれるじゃない。……でも、まぁ――」
そう言うとマーレは後ろを振り返った。
「……村と屋敷がこうなっちゃ、すぐには無理ね」
半壊した屋敷を見ながらそう答えた。
「ご、ごめんなさい」
それに思わず謝るレーティシア。
「フフ、別にいいわよ。私たちは生きてるんだから、屋敷くらい安いモノよ。幸い厨房が無事だから、事態が落ち着いたらすぐにでもまたお菓子は作れるしね」
そう言うとマーレは真っ直ぐにレーティシアを見つめた。
「だから待っていてちょうだい。次にあなたが来たときには完成させるから」
「うん、待ってるね」
そして、レーティシアは笑顔で頷くと、翼を大きく広げて空へと飛び立った。
その姿をマーレはずっと見つめた。
一年後。
「フッフッフッフ……ついに、完成したわ」
リッセル村から少し離れた場所にある屋敷。
その屋敷に住むリッセガルド家は古くからこの村の村長を務めてきたのだが、前村長夫妻が亡くなり一人娘がその任を次いでからは村人の支持は低くなっていき、その娘が自分の趣味に没頭しだしてからは完全に疎遠となっていた。
そんなある日に起きた事件。
屋敷に向かって天使が降りるのが目撃されたのだ。しかも一度では無く二度三度と何回も。
それには村人達も驚いたが、それ以上に畏怖した。
天使が何度も降りるような出来事。一体あの屋敷で何が起きているかを。
「これ以上にない出来よ」
しかし、そんな出来事も数ヶ月と続けば人々もだんだんと慣れてくるモノで、最近では前村長の娘は天使のお気に入りなのではないかと言われ、最近では噂を聞きつけた村の外の者達が天使を一目見ようと村にやってくるようになったほどだった。
「あぁ、コレでやっと勝てる!」
そして、事件が起こった。
魔物の襲来。
この世界でいまだに人々の驚異である魔物。しかもその群れに襲われてはこんな小さな村など一晩で滅ぼされてしまう。
自衛の手段も無かった村人は襲いかかる魔物を見て、もう駄目だとあきらめかけた。
しかし、そんな絶体絶命のピンチに村人達の前に彼らは現れた。
暗闇が覆う夜の空を切り裂く二つの光。
それはまるで流れ星のように現れると、今まさに人々に襲いかかろうとした魔物をその手にもつ光の槍で貫き、圧倒的な力で村人を魔物から護った。
そして、見上げる彼らの前でそのうちの一つが屋敷の方へと飛んでいき、すぐにそれをおうようにもう一つの光も屋敷へと飛んでいった。
そこで村人は気がついた。
彼らがこんなにも早くこの村に駆けつけてくれたのは彼女のおかげなんだと。
「とてもいい匂いですねお嬢様」
「えぇ、でも匂いだけじゃないわよ。味も中身もコレまでに無いほどのできだから、楽しみにしていなさい」
夜も明けて魔物の脅威も消えて村の騒ぎも落ち着いた頃、屋敷から荷車を引いた二人の女性が村へとやってきた。
それが前村長の一人娘であるマーレ・リッセガルドであることは村人達はすぐにわかった。
村に現れた二人は、広場に集まる村人を見渡すと荷車にかけてあったシーツを取り払った。
その瞬間。村に広がったのはコレまでかいだことも無い甘くて美味しそうな香りだった。
「はい、お嬢様のお菓子は最高です」
彼女はそのいい匂いがす食べ物を村人へと渡していった。
手渡されたそれはコレまでに見たことも無い食べ物で、一握りの人間はそれに躊躇もしたが、すぐにその匂と空腹に負けて、豪快にかぶりついた。
それは今までに食べたことが無いほどのおいしさだった。
彼女はこの食べ物のレシピを公開して、コレを村の名物にすることで村の復興に役立てようと宣言。
そう宣言する彼女の姿とこの食べ物に村人は納得した。
彼女だから天使は何度も降りてきたのかと。
それからこの料理の名前はパイと呼ばれるようになり、リンゴの他にも肉やレモン、カボチャなどを具にすることでいろいろな種類が楽しめて、村の名物となり、復興に大きく貢献した。
「えぇ。このお菓子は今までに無い最高の出来よ。さぁ、早速準備しましょう」
「はい、すぐにお茶を用意しますね」
「いつも通り三つ用意してね」
「はい、わかりました」
「じゃあ、私はこのお菓子をあの場所に持って行くわね」
「あの場所って?」
「フフ、この屋敷の庭よ。今は花がきれいに咲いているからとってもきれいよ」
「うわぁ~楽しそう」
「えぇ、やっぱり甘いものはきれいな景色を見て美味しく食べないとね」
「うん、そうだよね」
いつの間にか現れたレーティシアに驚くことも無く二人は慣れた動作で準備を始めた。
そして、準備も終わり席に着く二人と、その二人の横でお茶の用意をする一人。
「いっただっきま~す」
出されたお菓子にフォークを入れて、レーティシアはそれを一口サイズにする。
そして、それをゆっくりと口へと入れて――
「あ………………」
そこでレーティシアの動きが止まった。
「美味しい……」
思わず出てきた言葉。
「――――よっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間、今まで黙って見つめていたマーレが喜びに絶叫した。
「やっと、やっと勝てた」
「う~ん、別に勝負していた訳じゃ無いけど、このお菓子は本当に美味しいし、私の負けかな」
「お嬢様、おめでとうございます。」
喜ぶマーレの姿にレーティシアは苦笑を浮かべ、イリアは喜ぶマーレに優しく微笑んだ。
「コレが完成したのはあなたのおかげよ、シア!」
「!? うんうん、マーレがあきらめなかったからだよ!」
マーレから初めて愛称で呼ばれて、シアは目をに開くとすぐに喜んだ。
「それはそうだけど、あなたがあの時に私のお菓子を食べていなかったら、コレは完成しなかったわ」
――だからあなたのおかげなの。
そう微笑みお礼を言うマーレにシアは少し恥ずかしそうにしながら、うんと頷いた。
「そうだ。このお菓子には名前は付いたの? たしか完成したら付けるとか言っていたけど」
「フッフッフッフ、もちろん。もう決まっているわ」
ふと思い出してシアが尋ねると、その言葉を待っていたとばかりにマーレが突然笑い出した。
「このお菓子は“アップルパイ”よ。シンプルでしょ?」
コレにて外伝は終了です。
次の章何ですが、全く書いていません。
一応、構想はあるのですが、次の投稿には少し時間がかかります。
そんな無計画な自分ですが、どうかまた投稿した時にはよろしくお願いします。