第十話 再会編 因子Ⅱ そして新たな序章
人生が物語だとしたら、
必ず起承転結があるはずだ。
つまり、キミの人生が終わることはまだありえない。
物語的に言って、ね。
第十話 再会編 因子Ⅱ そして新たな序章
「自分の魂と身体を妹に捧げるなんて正気かい、臨夢クン?」
シャープペンをその場に落としてそう呟いた彼女は、まるで信じられないという顔をしていた。その姿を己の中から見ていた僕は、彼女が驚いているというその姿こそが驚きだったが、その一方でそれもまあ当然のことなのだろうと、納得はしていた。
「アナタがそんなに驚く姿を初めて見たわね。そんなにお兄ちゃんの愛の深さに感動したのかしら?」
「愛の深さ以上に、愛沢臨夢の異常さに私は今、心底驚いているんだよ」
伊達メガネを外すとそれを右手でグシャリ、と握り潰した彼女は、額に一筋の汗を流し、引きつった笑顔を浮かべながらその赤みがかった茶色の眼で僕たちを見つめ、
「……スピリットアドバンテージ」
“魂の優位性”と言葉をこぼした。
「初めて見たときからおかしいとは思っていたんだ。臨夢クンの身体の中に望見ちゃんの魂がダブって見えたとき、何故か本来の身体の持ち主である臨夢クンの方が魂の存在の大きさが小さかった」
「それはそうよ。だってお兄ちゃんは私のために“魂の優位性”を私に譲ってくれたんだから」
――魂の優位性
三年前のあの日、僕は持てうる限りの知識を使って何とかこの最悪の中の最悪を挽回できる策はないかと考えた。この八方塞がりで絶体絶命な状況の抜け道がないかと必死に探し続けた。間違った世界、妖魔、ワンダーインリアルワールド、愛沢兄妹、赤石姫士、概念遣い、シルヴィア=ローゼンクロイツ、完全愛、合一するための五箇条、二重魂、人生の崩壊、絶対的な死、月光に煌めく銀色の刃、包み込む絶望の白塵、横たわる死体、望見の死体、愛する人の死体、死、死、死……死。あらゆる単語が脳内を駆け巡り、容赦の無い痛みが五感を支配する中、考えて、探して、絶望して、諦めそうになって、それでも最期のときを迎える時までギリギリ粘った僕が、唯一閃いたのが今のこの状況だった。
(全ての問題は二重魂における弊害、それだけだった。一つの出力器に対して、二つの同列同格の入力器。矛盾のある命令、キャパシティオーバーな指令によって引き起こされるエラー。そしてそれこそが致命的で致死的な因子となる)
元々、一つの身体には一つの魂が原則なのだ。
それを二つの魂が好き勝手に一つの身体を動かそうとすれば、当然死傷を伴う支障を来すに決まっている。
それならば、
それならば、
それならば!!
(命令系統を一つに統一してしまえばいい!!)
同列ではなく、あくまでも直列。
同格ではなく、どうしようもないほどの別格。
二つの魂における優性と劣性、上位と下位、支配と従属。
最初から二つの内のどちらの魂が優先されるかをはっきりと決めておけば、二重魂の弊害が起こることはなくなる。
そして、
この選択肢を見出した僕にとって、どちらの魂を上に置くかは悩む必要がないほど簡単な問題だった。
「だが、どうやって? “魂の優位性”なんてものを普通の人間が簡単に弄れるはずがないじゃないか」
「ふふふ、それを平然とやりのけてしまうのが私のお兄ちゃんなのよ」
恋は盲目という言葉を体現したかのような、無条件で無上限の無制限な肯定。望見の中では僕こそが絶対だという表明。そんな理屈とも理論とも言えぬ物言いを聞いた姫は、驚きを通り越してひどく呆れ顔で溜息を吐いた。
「馬鹿を言っちゃダメだよ、望見ちゃん。実体のない魂を操作するのは本来“概念遣い”の中でも最も難しい作業の一つなんだ。それを自分の魂の下にキミの魂をくっつけるという単純な作業ならまだしも、魂の順位を逆転させてくっつけるなんて馬鹿げているにも程があるだろ」
「……それはそんなに難しいことなのかしら?」
キョトン、とした顔で聞く望見。元々彼女の『ワンダーインリアルワールド』という能力は、理屈や理論を超越した……否。自ら新たな秩序を無秩序に創造するような物であるため、若干理論や理屈、常識を理解する力が弱いところがあった。もちろん僕は妹を愛するが故に、『それは無知ではなく無垢なのだから仕方がない』と思っているのだが、普段豪放磊落の割に“概念遣い”という特性から意外に常識的な思考の持ち主である姫は、彼女の言葉にただただ呆れるしかなかった。
「もはや難易度のレベルじゃないよ。魂の順位を逆転させるためには、一度自分の魂を身体から引き剥がしてその引き剥がした場所にキミの魂をくっつける必要があるけれど、“概念遣い”でもない人間が身体から魂を引き剥がすというのがまず私には信じられない。というか、はっきり言って不可能だ」
赤石姫士――人類最強のお姫様であり、今現在地球上にいる“概念遣い”の中でも最上位に位置する彼女がはっきりと断言した。
「そもそも魂と身体の結びつきというのは簡単に断ち切れるほどヤワじゃないんだ。自分が自分であるということへの誇り、充足、満足。死への恐怖。生への渇望。嫉妬。憎悪。悲観。愛。魂と身体は私たちが生命活動を送る上で感じるあらゆる感情によって繋げられている。シルヴィアの儀式には五箇条を含め色々な意味があったけれど、一番の大きな理由は、あの儀式全体を通して双子の身体と精神を極限まで弱らせることによって身体から魂を切り離しやすくすることにあったんだ」
「……」
「そして運良く絶妙な加減で自分を廃人寸前まで弱らせることができたとして、いざ魂と身体を引き剥がそうとしてごらん。一秒で死ぬだろうね。ショック死だ。自分が自分で無くなる痛み、自分が自分とかけ離れていく痛み、そして体中の全細胞から自分という根が何の躊躇もなく引き抜かれていくという物理的な痛み。想像を絶するとはまさにこのことだね。さすがにそんな痛みを感じたら私でも失禁してエクスタシーも感じながら確実に死んでしまうだろう。間違った世界の人間は、もちろん通常の人間よりも頑強だし、特殊な技法やそれこそ能力を使って痛みには強い……ううん、痛みを感じにくい連中が多いけれど、でもそれは決して痛みへの許容量が大きいと言うわけではないんだ」
私たちだって痛いものは痛いし、
辛いものは辛い。
「さて、閑話休題……いいかい、望見ちゃん。これだけの魂の大手術をまだ“概念遣い”である私やキミがしたというなら納得は出来るんだ。『ワンダーインリアルワールド』。数ある『創造系』の能力の中でもずば抜け過ぎていて、あと一歩で神様の領域に足を踏み入れてしまうほどの力を持ったキミが、私のお株を奪う概念弄りをしていたのなら私は別にこれほど驚きはしなかった。でも、違う。違うんだろ? これは、この結果を強引に導き出したのは、今も身体の中で黙秘を続けているキミの大好きなお兄さんなんだろ? しかも、彼は驚くべきことにそれを全て自分の身体に施術した。どんな方法を使ったのかはしらないが、心身薄弱どころか廃人寸前の状態で自分の魂を切り離し、キミの魂を縫い付け、再度切り離した自分の魂を定着させた。ははは、他人の魂だったらいざ知らず自分の身体にそんな施術をするなんて、全く、私どころかブラックジャック先生も諸手を上げてびっくりだよ……今の若い子は知ってるのかな、ブラックジャック。ディンゴに襲われたあの回だよ?」
「……ねえ、アナタは一体何が言いたいの?」
饒舌に、しかし絶妙に話の確信を避けて喋る彼女に対して、望見は堪らず口を挟んだ。
しかし、
「彼は一体何者なんだい?」
「……」
あれだけ僕のことを誇っていてくれた望見だったが、
彼女の確信を突いたその問いには答えられなかった。
答えられるはずがなかった。
だって、
――でも、世界で一番わからないのは、お兄ちゃんだよね
それこそが望見が僕に惹かれる一番の理由だったからだ。
「愛沢兄妹はやはり抜群でキミの知名度が高い……というか、臨夢クンの名前など知られていないに等しい。しかし、実は臨夢クンもキミに勝る劣らずの化け物で、しかも三年前に死んだと思われていた『ワンダーインリアルワールド』が今も存命だと知られたら、友達の私はともかく、間違った世界の他の連中はまず黙っていない。“請負人”の『衛士』と“監査人”の『押切』辺りはそれでも最初は様子見くらいだろうけれど、“配給人”の『埋宮』と“死配人”の『石神』辺りはすぐにでも出張ってくるよ」
「『埋宮』と『石神』……それはさすがに穏やかじゃないわね」
「そうだね。『埋宮』はともかく『石神』は穏やかじゃないし、爽やかじゃないよね。アイツら戦闘狂の上に真面目で陰険でしつこいから、私大嫌いなんだよ……と、まあ個人的な怨恨はさておき、さすがに私としてもね、友達がアイツ等に付け狙われるのは気分が良いものじゃないんだ。わかるでしょ?」
バラバラに砕いたメガネを更に握り潰した彼女は、そのまま右手を少し上げた。すると拳の隙間から細かな砂が零れ落ち、その零れた砂は机の上に置いてある左手の拳の中に吸い込まれていった。
「だから、教えて欲しい」
――ヒュン
砂が全部収まりきった左手を虚空で振ると、彼女の手から石槍砂漠の蠍尾が投擲された。その石槍は高速で螺旋しながら僕たちの顔の横を通り過ぎ、教室の黒板に激突した。しかし、不思議なことに螺旋の石槍は僕たちの髪留めを撃ち落としただけで、それ以外は一切の物体を破壊することなくその場でチョークの粉のような砂を撒き散らせて爆ぜてしまった。
「愛沢臨夢が何者なのかを。そして三年前に何があったのかを。そうすればアイツらには私がうまく説明してあげよう。説明をして、それでも納得できないようだったら、もう一度戦争という名の一方的な虐殺をしてあげよう」
「……なぜ?」
「うん? 何がだい?」
「なぜアナタのような埒外な存在がこうも私たちを気にするの? 確かに私が持っている能力は珍しいかもしれない。珍しいし、強力で凶悪かもしれない。だけど、それでも私たちは小さくて狭い世界で誰に迷惑をかけることもなく細々と暮らしていた普通の世界の住人で、アナタのような魑魅魍魎が跋扈する世界の住人が特別気にするような存在ではないと思うのだけれど」
望見は開放された髪の毛をゆっくりと右手で梳いて彼女にそう問いかけた。
そして、それは僕が何度も彼女に問いかけた質問でもあった。
――何故、僕たちのような矮小な存在をいつも気にかけるのですか。
――友達……あなたは本気で言っているのですか。
――僕たちはつまらない存在ですよ。
「何故ねぇ……」
僕が謙遜ではなく本気でそう言う度に、彼女は『キミたちは自分を過小評価している』と言う。しかし、たとえ彼女の言うことがその通りだとしても、明らかに僕たちに対する彼女の思い入れ、執着心は尋常ではなかった。
そう、執着心。
彼女は何故か僕たち兄妹に執着していた。
偶然出会ったあのときから三年前のあの日まで。
そして、
三年後の今日も。
「いやあ、改めて聞かれるとなんとも答えづらいものがあるんだけれど――」
望見の質問を聞いた彼女は、
いつもの通り心底邪悪そうな笑みを浮かべて、
「やっぱり、キミ達が描き出す物語が単純に面白いからかな?」
開け放たれている窓の外を指さした。
「えっ?」
そこには変わらぬ日常の風景が広がっていた。
真夏の太陽。
雲一つないスカイブルーの空。
未だ授業中だということを知らせる体育教師の木村が吹くホイッスルの音。
いつもと変わらない風景、おかしいところなど何一つない僕たちの日常。
しかし、
あえて、
あえて、その光景から異変というか異常を無理矢理見つけ出すとするのなら、
「カラス?」
外周を覆うフェンスの最上部に止まる夥しい量の黒い集団だった。
「はははは、キミ達と一緒にいると楽しくてしょうがないね――」
――来るよ
彼女がそう言った瞬間、
漆黒の大質量が教室に流れ込んできた。
新年初投稿。今年もよろしくお願いします。