やり直す のどか編
小学校1年生の女の子『のどか』の短編です。
初投稿なので、誤字脱字、拙い表現などあると思いますが、
楽しんで頂けたら嬉しいです。
路地裏で見つけた小さな店の店主は、
毛並みのつややかな黒猫だった。
「ガランガランッ!」
錆び付いているのか鈍い音の呼び鈴が鳴って、
見れば十代後半だろうか、人間の女の子が息を切らして
開いたドアのノブを握りしめて立っていた。
黒猫は彼女を一瞥しただけで
すぐに興味を失ったように毛繕いを始めた。
「やっと……やっと見つけた……黒猫さん!」
彼女の強い視線に、黒猫はピタリと動きを止める。
白い長袖のブラウスに、デニムのスカート
黒い髪は耳の下で綺麗に切り揃えられて化粧っ気はない。
学生のようにも見える。
黒猫の金色の瞳が細められ、
値踏みするようにじっと見つめ返してくる。
「……ほう。
あの『迷い鳥の暗号』を解いて、
ここまで辿り着いたか。大した執念だ」
猫の声は、低音の男性のそれで、
何食わぬ顔で、人間の言葉を呟いている。
店内は薄暗く、間口は狭く、
奥へ奥へを長く延びているようで、
一見しただけでは、何を売る店なのか分からなかった。
しだいに目が慣れてくると、
壁という壁にびっしりと掛けられている物が
全て古びた時計だと気づいた。
どの時計も、別々の時間を示しているように見えた。
おびただしい数の時計があるはずなのに
店内はしんと静まり返っている。
彼女は我に帰った。
「あ…あの、く…黒猫さん!
私…私は、伊藤のどか……です。
あなたの力を借りたいの。
その……過去に戻れる力を!」
「伊藤のどか、と言ったか。
私のことは『クロノ』と呼べ。
……にしても、過去に戻りたい、か」
クロノと名乗った黒猫は、
フンと鼻を鳴らしてカウンターの上へ飛び乗る。
黒猫が、のどかを上から見下した。
無数の時計の針が、まるで彼の言葉に同調するように
一瞬、ピタリと止まる。
「のどか。
過去を変えるのは、お前たち人間が思うほど容易いことではない。
巻き戻せるのは、せいぜい『数時間前』。
しかも、お前の支払う代償はとても大きい。
『一番深く心に刻まれた記憶』を奪うことになるぞ。
それでも、戻りたいか?」
クロノの金色の瞳が、薄暗い店内で妖しく光った。
「私、あの日の入学式に戻りたいの。
小学校一年生の入学式の日に……。」
次の言葉を探すように、のどかが床を睨みつける。
クロノは鼻の上にシワを寄せたが、
何も言わずに、のどかの言葉を待った。
「小学校はね…。ずっと楽しみにしてたの。
私、一人っ子だったから。
お友達ができるでしょ?
すごく、すっごく楽しみで……。
入学式の日もね……ワクワクしてたの。」
のどかの顔が歪む……。
苦しそうに何度か息を吐いた後、
ブラウスの裾を両手で握りしめながら、ゆっくり語り始めた。
「入学式はちゃんと出たんだよ。普通に……。
でもお昼ご飯の時にね。
私、みんなで一緒に手を合わせて『いただきます!』
するなんて知らなくて……。
1人だけ先に食べちゃって……。」
のどかの脳裏にあの日の記憶が浮かび上がる。
「はむっ!おいひぃ〜♪」
「あ!のどかちゃんが、
いただきますしてないのに勝手に食べた!」
「あー食べてるぅ!」
「いただきますせずに食べたらダメだよ〜」
「ダメだなのに〜!」
子供達が口々にのどかを非難する。
(何?なんで?)
のどかは硬直した。
だってクラス中の子たちの目が、のどかを見ていたから。
怖くなって教室の後ろの方を必死で探す。
壁際に立っていた母さんに駆け寄った。
「母さん!母さん……。」
(言葉が出てこない。いつも、おしゃべり得意なのに……。)
「私………まんま食べたかったの……。」
ようやく言えた言葉は、
赤ちゃんが言うような言葉だった……。
周りの保護者の表情まで凍りついた気がした。
何が何だか分からなくて、頭が真っ白になった。
必死で抱きついた母さんは、のどかを抱き寄せてくれたけど
お母さんの目は、怒りを孕んで、すごく冷たく見えた。
その後のことは覚えていない。
帰宅すると、のどかは自分の部屋に飛び込んだ。
自分がしでかした失敗で、頭がいっぱいだったから。
1階の台所から、母さんの声が聞こえてくる。
のどかは、自分の部屋のドアを少しだけ開けて聞き耳を立てた。
「よりによって『まんま』だよ!『まんま!』
赤ん坊じゃあるまいし!」
イライラした母さんの声が一段と高くなる。
「人前でみっともない!もう穴があったら入りたかったわよ!」
「はははっ!
旨そうで待ちきれなかったんじゃないか? はははっ!」
「お父さんは、その場に居なかったから笑い話にできるのよ!
他のお母さん方から、どんな顔で見られたか!」
気まずくなったのか、それから父さんの声は聞こえてこない。
父さんと母さんの会話が、のどかを一層不安にさせた。
「次の日から、教室に入れなくなっちゃって。
クラスの子達の目が怖くて……。
何日ぐらいだろう……。
職員室の隅っこで椅子に座って、先生を目で追いかけてたの。
先生…助けて…って思いながら。
それからしばらく経って、
教室には入れるようになったんだけど。
給食時間は、どうしても怖くて教室で食べれなかったの。
いつも保健室で1人で食べてた。」
のどかの話を聞き終えるまで、クロノは微動だにせず、
ただじっとその金色の瞳で彼女を見つめていた。
静かだった店内には、いつの間にか無数の時計が時を刻む音が響いていた。
「……そうか。それがお前の、すべての始まりだったのだな」
クロノはカウンターから飛び降りると、
のどかの足元へと歩み寄り、その小さな前足でのどかの靴にそっと触れた。
「他人にしてみれば、幼い子供の些細な出来事に見えるかもしれない。
だが、お前にとっては違った。
人生のすべての歯車が狂い始めるほどの、大事件だったのだろう?
時間を巻き戻したい程に……。
よく、ここまで辿り着いたな。」
クロノの低い声に、
先ほどのような冷たさは、もうなかった。
「いいだろう。その記憶を代償に、
小学校一年生の入学式当日の昼食、
その『数分前』へ、お前を届けてやろう。
だが、戻ったところで、のどか、
お前には、今の記憶はない。
真っ白な状態で、もう一度あの瞬間を迎えることになるのだ。
それでもお前は、運命を変えられると思うか?」
「違う……そうじゃない!」
のどかの、裾を握りしめる手に更に力が入る。
「クロノ。。。代償は、 過去の記憶じゃなくて
明日から先の、私の寿命じゃダメかな?」
「……寿命だと……⁈」
クロノは猫特有の、低い唸り声をあげた。
背中の毛が逆立って波打っている。
まるでクロノが、一回り大きくなったように感じた。
金色の瞳が大きく見開かれ、
凝視するようにのどかを見据えた。
店内の無数の時計が、
一斉にガチャガチャと激しい音をたて始める。
まるでクロノの心の動揺に呼応するみたいに。
「バカを言うな!
人間の命の長さを奪うなど、私の規律に反する!
それに……
未来の命を削って過去を買い戻して、
一体その先に何が残るというのだ!」
のどかは苦しそうに背中を丸めて
荒い息と一緒に、気持ちを吐き出していく。
「私が……私が自分のこと……嫌いなの。
自信がなくて……。
自分の意見が言えなくて……。
そもそも、自分の意見が分からなくて……。
これ以上、自分のこと嫌いにならないように、
もう一回だけ、やり直したい!」
クロノはもう一度説得を試みようと、のどかの方を見た……。
のどかの、ブラウスを握りしめた手が震えている。
見据えられた瞳に、今にも溢れそうに涙が溜まっている。
それでも、絶対に引かないと決めた意志を、瞳の中に感じたのか、
クロノは、大きく一つため息をついた。
「……いや。
お前の言う通りかもしれぬな……。
記憶を消して戻したところで、同じ呪縛に囚われるだけか。
お前は今も、その時の『悔しさ』や『怖さ』を抱えたまま、
あの日あの時に縛られているのだろう?」
のどかは、なんと答えていいのか分からないまま
ただ真っ直ぐに、クロノの目を見つめ返した。
クロノは、壁に掛けられた、
ひときわ巨大な振り子時計の前に立ち
のどかを振り返った。
「……わかった。
お前のこれから先の寿命を、半分もらう事とする!
その代わり、記憶はそのまま残す。
入学式の昼食、『いただきます』の3分前だ。
伊藤のどか!
お前の望む人生をやり直すがいい。」
「クロノ……。」
クロノが、巨大な時計に向かって
ネジ巻き穴に、鍵を差し込んでくるりと回すと
見たこともないスピードで、時計の針が逆戻りし始めた。
クロノが、本来の猫の声で一声鳴けば、
時計の文字盤が眩い光を放ち、のどかの身体を包み込んだ。
眩しさに思わず目をつむると
カチコチと時を刻む音だけが、耳の奥で喧しく響いた。
のどかはしばらく放心していた。
光が収まって、のどかの目の前にあったのは……
ワクワクしていたあの日
楽しくて嬉しくてたまらなかった日
そこは、入学式当日の昼食前の教室だった。
子供達の賑やかなお喋りの声
おかずが盛り付けられるカチャカチャいう音
先生たちが、子どもたちに話しかけながら
おかずの入ったお皿をトレイに並べていく。
お汁も、ミルクも、パンもお箸も並べられて。
みんな揃って椅子に腰掛けて姿勢を正す。
「いただきます」の前の、みんなが静まった時間だ。
体が子供に戻ったせいか、
急に、食べたい衝動が一気に襲ってくる。
(え!?……待って待ってわたし!)
気づいたら、のどかはパンの端っこをパクリと咥えていた……。
(な ん で ⁈)
「あ!のどかちゃんが、いただきますしてないのに勝手に食べた!」
「あー食べてるぅ!」
「いただきますせずに食べたらダメなんだよ〜」
「ダメだよ!」
子供達が口々にのどかを非難する。
(なんで?ちゃんとわかってたのに!
記憶は、残してもらったのに……。)
また同じことが繰り返される怖さに
のどかの頭は真っ白になった。
見る見る顔が歪んで、今にも泣きそうになる。
思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
どれくらい固まっていたか分からない。
のどかは、大きく深呼吸した。
「いただきますせずに食べちゃって……ごめんなさい。
だって……すごく美味しそうで我慢できなかったんだもん……。」
のどかは、半分泣きながら謝って
困ったように、にへらと笑ってみせた。
「次からは、ちゃんといただきますしろよ〜」
向かいに座っていた、わんぱくそうな男の子が
仕方ないなという顔で答えてくれた。
「うん ごめん」
周りのみんなが
「しょうがないなぁ」とか
「お腹空いてたんだよねぇ〜」とか
「うちのお兄ちゃんも同じことして怒られてたよ〜」とか
思い思いに言葉をかけてくる。
先生の1人も
「のどかちゃん、ちゃんと謝れてえらいね!」って
笑って声をかけてくれた。
『あぁ……みんな謝ったら
ちゃんと許してくれるんだ……。』
「さぁさぁ、みんなで一緒に『いただきます』して
美味しい給食を食べましょう!」
先生の声に合わせて、みんなで『いただきます!』をした。
それからも多少のハプニングはありながらも
無事に入学式の1日が終わった。
家に帰ると、のどかは急いで自分の部屋に駆け込んだ。
(終わったんだ。。。やり直せたんだ!
もう一度1年生からやり直せるんだ!)
握り拳を振り上げてガッツポーズすると
部屋の中でぴょんぴょんジャンプする。
何度も何度も。
開けっぱなしのドアから
1階の台所で、母さんが話す声が聞こえてくる。
「まったく……のどかったら、いただきますもせずに食べ始めちゃって。
でも……そのあと、ちゃんとみんなに謝ることができたの。
もうほんとにハラハラさせられたわぁ!
保育園に行ってなかったから心配してたけど、
あの子、案外たくましいのかも!」
聞こえてくる母さんの声には、あの日とは違う、
少し誇らしげな響きが混ざっていた。
「はははっ、のどからしいや!」
父さんも楽しそうに笑っている。
のどかはベッドに大の字に転がって天井を見つめた。
事故にあったら危険だからと、
保育園には通わせてもらえなかったのどか。
両親の過剰なくらいの心配性の原因は、
病気で視力を失った左目にある。
もしも、もう片方の視力も失ってしまったら……。
もしも、左から車が来ても、のどかの目では見えなかったら……。
両親が過保護になるのも無理はない。
時間を巻き戻した今も
相変わらず左目の視力は失ったままだ。
でも、のどかは、これから始まる楽しい学校生活への
期待の方が大きかった。
開け放った窓の外から、風にのって
「カチコチ」と、かすかに時計の音が聞こえた気がして
立ち上がって外を見る。
のどかは窓の外を見つめながら小さく呟く。
「ありがとう、クロノ。
私、失った寿命の半分なんて、
お釣りが来るくらいに、これから一生懸命人生を楽しむよ!
ずっと、怖いと思ってた周りの人たちにも
ちゃんと話せば、分かってくれるって気づいたから」
(本当は今だって怖い……。
これから先だって、やり直す前の私には
たくさんたくさん苦しいことがあった。
でも、今度はもう少しだけ
自分の気持ちを、ちゃんと口に出せる気がする。
出せるかな……?出せるといいな……。)
その時、遠くの細い路地で、
一匹の黒猫がフンと鼻を鳴らし、
満足そうに長い尻尾を揺らしたような……そんな気がした。
(おわり)
のどかちゃんの物語はいかがだったでしょうか?
のどかちゃんの別のお話も、みなさんにお届けできるように頑張ります。
応援よろしくお願いします。




