表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔導双星のリベリオン』  作者: 木徳寺
〈第一部〉第1章
5/56

第4話丨鋼鉄の檻

 ざあざあ、と雨が降る。

 意識が覚醒するより先に、リヒト・フォン・アルクライドの聴覚が、絶え間なく降り注ぐ雨音と、寄せては返す波の音を拾っていた。次に、潮の香りと、生暖かい雨が肌を打つ感覚が戻ってくる。


(ここは……どこだ……?)


 重い瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともない灰色の空と、荒れ狂う海だった。自分が、黒い砂利が広がる海岸に倒れていることを理解するのに、数秒を要した。

 最後の記憶は、反乱分子との戦闘。敵の魔術師が放った、未知の転移魔法。そうだ、あの光に飲み込まれて――。


「ぐっ……!」


 体を起こそうとして、激しい脱力感に襲われる。体内の魔素が、ほとんど空っぽになっていた。騎士として鍛え上げた肉体は健在だが、その力を十全に引き出すための源が、枯渇している。まるで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのような、根源的な息苦しさ。


(魔素が……ない?いや、極端に薄いのか……?)


 ここは故郷ではない。その事実が、冷たい絶望となってリヒトの心を侵食していく。

 雨は、彼の白銀の鎧を無慈悲に打ち付け、体温を奪っていく。帝国最強と謳われるアルクライド家の血を引く天才騎士も、未知の世界に一人放り出されては、ただの無力な男でしかなかった。


 その時、不意に、雨音以外の音が耳に届いた。

 砂利を踏む、規則正しい足音。

 リヒトが顔を上げると、そこに一人の女性が立っていた。


 腰まで届く、雨に濡れた青い長髪。全てを見透かすかのような、翠の瞳。年齢はリヒトと同じくらいだろうか。体にフィットした黒い戦闘服を身に纏い、その立ち姿には一切の隙がない。

 彼女は、まるで最初からそこにいることが決まっていたかのように、静かにリヒトを見下ろしていた。


「……誰だ?」


 警戒を露わに問いかけるリヒト。だが、女性は何も答えない。ただ、その翠の瞳で、値踏みするように彼を観察している。その視線は、リヒトの騎士としての誇りを、根底から揺さぶるような鋭さを持っていた。


 やがて、彼女はゆっくりとリヒトに近づくと、その細腕で、いとも容易く彼を抱え上げた。成人男性を、しかも鎧ごと。信じがたい光景に、リヒトは抵抗することすら忘れていた。


 どこへ行くのか、何をする気なのか。

 問いかけようとしたリヒトの意識は、そこで再び闇に飲まれた。

 後に残されたのは、降りしきる雨と、二人の足跡を静かに消していく、無慈悲な波の音だけだった。


 ♦


 リヒトが次に目を覚ましたのは、清潔だが無機質な医療室のベッドの上だった。窓の外には、どこまでも続く青い海が広がっている。


「目が覚めたようね」


 凛とした声に振り返ると、そこにあの青い髪の女性が立っていた。彼女は淡々とした口調で、リヒトに絶望的な事実を告げた。


「私はシエラ。ここは『現世』。あなたたちがいた世界とは違う次元よ。そして、この世界の大気中には、あなたたちの力の源である『魔素』がほとんど存在しない。あなたはここで、本来の力を発揮することはできない」


「な……!では、故郷へは……ガルニアへは戻れないというのか!?」


「ええ。私達のボスは、あなたを向こうの世界に送り返す気はない。今こちら側の世界では色々問題があってね……。急ぎ戦力となる人材を集めているの。あなたのような、ね」


 事実上の、囚人宣告。

 帝国最強の騎士団に所属し、その中でも天才と謳われた自分の力が、この世界では通用しない。騎士としての誇りも、祖国への忠誠も、ここでは何の意味も持たない。リヒトは、生まれて初めての完全な無力感に苛まれた。


 そんなリヒトの様子を見かねてか、シエラは一つの提案を持ちかけた。


「……一つ、方法があるわ。私との一騎打ちで、もしあなたが勝つことができれば私から、ここのボス……アークス様へ、あなたの帰還について掛け合ってあげてもいい」


 それは、リヒトにとって、唯一残された希望の光だった。


「……わかった。その勝負、受けよう」


 場所は、アヴァロンの内部にある広大な修練場へと移された。天井からは、本物の空と見紛うほどのリアルな青空が映し出されている。


「武器は、それを使うといいわ」


 シエラが指差した先には、リヒトが愛用していた長剣が置かれていた。


「始めましょうか」


 シエラは、腰に提げた細身の剣を、静かに抜き放つ。

 リヒトは、体内に残るわずかな魔素をかき集め、剣に集中させる。だが、故郷にいた時のように、剣がまばゆい光を放つことはない。


(くっ……やはり、魔素が足りない……!)


 それでも、やるしかなかった。リヒトは、アルクライド家に伝わる剣技の型をとり、シエラへと突撃した。

 だが、その一撃は、あまりにもあっさりと受け流された。


 気づいた時には、シエラはリヒトの背後に回り込み、その首筋に刃を突きつけていた。

 あまりの速さに、リヒトは反応することすらできなかった。


「……まだ、続ける?」


「……まだだ!」


 リヒトは諦めなかった。何度も、何度も、シエラに斬りかかっていく。だが、彼の剣がシエラを捉えることは一度もなかった。狙いは全て読まれ、動きは完璧に見切られ、磨き上げてきたはずの剣技は、赤子の手をひねるようにあしらわれる。


 そして、数十合打ち合った後、リヒトの剣はシエラの一閃によって弾き飛ばされ、彼は修練場の床に大の字に倒れ込んだ。


「……私の、負けだ」


 完膚なきまでの敗北。騎士としての誇りは、完全に打ち砕かれた。

 シエラは、そんなリヒトに静かに告げた。


「私は、第一席から、あなたの監視兼世話役を命じられているわ。今日から、あなたは私の管理下に置かれる。まずは、この世界の常識と、『Eidolos』のルールを覚えてもらうから」


 それは、敗者に対する、無慈悲な宣告だった。リヒトは、ただ天井の偽物の空を見上げながら、己の無力さを噛みしめることしかできなかった。


 ♦


 シエラに完敗してから数週間。リヒトは、アヴァロンでの生活に少しずつ慣れ始めていた。

 アヴァロンは、一つの巨大な海上都市だった。居住区、商業区、娯楽施設、そして広大な訓練施設。全てが、この海上プラントの中に収まっている。リヒトが故郷で見てきたどの都市よりも、進んだ技術で作られた要塞。それが、アヴァロンの第一印象だった。


「すごい……これが、現世の……」


 シエラの案内で居住区を歩きながら、リヒトは感嘆の声を漏らす。空には、見たこともない鉄の鳥が飛び交い、人々は『スマートフォン』と呼ばれる薄い板に向かって話しかけている。全てが、彼の常識を超えていた。


 そんなある日、リヒトはアヴァロンの図書館で、一人の少女と出会った。

 腰まで伸びる艶やかな黒髪、理知的な光を宿す瞳。日本の学校の制服らしきものを身にまとったその少女は、膨大な資料の中から、何かを探しているようだった。


 少女が、資料棚の最上段にある本に手を伸ばそうとして、バランスを崩した。その体を、リヒトが咄嗟に支えたのだ。


「大丈夫か?」


「……え、あ、ありがとうございます」


 その時、少女の視線が、リヒトの胸元に縫い付けられた紋章に釘付けになった。それは、彼が脱ぎ捨てた鎧からシエラが取り外し、訓練服に付けてくれたものだった。ガルニア帝国、アルクライド家の紋章。


「その紋章……!」


「ん?ああ、これは我が家の……」


「兄のパソコンに、それとよく似たデータが残っていました。あなたは、一体何者なんですか?」


 少女の真剣な眼差しに、リヒトは息を呑む。

 少女は、自らのハッキング技術を駆使し、アヴァロンの機密データにアクセスし、リヒトが『テラ・スフィア』から来た存在であることを、すでに突き止めていたのだ。


「私は黒江 麗華(くろえれいか)といいます。あなたなら、兄さんのことを何か知っているかもしれない。お願いです、私に協力してください」


 二人の出会いは、偶然だった。

 麗華は、兄が失踪した後、『Eidolos』に保護され、このアヴァロンで暮らしていた。兄の手がかりを探すため、組織のデータベースへのアクセスを条件に、彼らに協力していたのだ。


「……わかった。俺にできることなら、協力しよう」


 こうして、異世界から来た騎士と、現世の天才ハッカー。それぞれの目的のために、二人は手を取り合うことになった。それは、まだ誰にも知られていない、二つの世界を繋ぐ、最初の絆だった。


 ♦

 

 海上プラント『アヴァロン』。その平穏は、突如として破られた。


『警報!レベル5のサイバー攻撃を検知!同時に、セクター7に未確認の次元歪曲を確認!』


 施設内に、けたたましい警報音と、オペレーターの緊迫した声が響き渡る。

 アヴァロンの中枢システムが、正体不明の勢力によるハッキングを受け、同時に、施設の外部からモンスターの群れが出現したのだ。


「ちっ、面倒な時に!」


 指令室では、十傑の一人、サイラス・ヴァイスが忌々しげに舌打ちをしていた。


 施設内は、瞬く間にパニックに陥った。避難誘導のアナウンスが響き、戦闘員たちが慌ただしく行き交う。

 その混乱の中、リヒトと麗華も、居住区でモンスターの群れに遭遇した。それは、リヒトが故郷で何度も戦ったことのある、ゴブリンやオークといった低級モンスターだった。


「リヒトさん、危ない!」


「下がるんだ、麗華君!」


 リヒトは、麗華を背後にかばい、訓練用に貸与されていた長剣を構える。

 この世界では、魔素がほとんどないため、彼の代名詞である聖魔法は使えない。だが、それでも、彼の騎士としての実力は、錆びついてはいなかった。


 卓越した剣技と、戦場の流れを読む戦術眼。

 リヒトは、最小限の動きでモンスターの攻撃をいなし、的確に急所を貫いていく。その姿は、まるで流麗な舞のようだった。

 彼の騎士としての実力の片鱗は、駆けつけたシエラや他の戦闘員たちを驚かせるには、十分すぎた。


「……やるじゃない」


 シエラは、リヒトの戦いぶりを見て、小さく呟いた。


 一方、麗華もまた、自室の端末から、その能力を発揮していた。


「敵の攻撃パターン、特定しました。メインサーバーへの侵入経路は三つ。一つをダミーで潰し、残りの二つにファイアウォールを集中させます!」


 彼女の指が、驚異的な速さでキーボードを叩く。卓越したハッキング能力で、敵のサイバー攻撃のパターンを瞬時に分析し、防衛システムの維持に貢献していたのだ。


 絶望的な状況の中、異世界から来た騎士と、現世の天才ハッカー。

 二人の予期せぬ活躍が、アヴァロンの危機を救う、一筋の光明となりつつあった。


 攻防は、熾烈を極めた。リヒトは、シエラや他の『Eidolos』の隊員たちと共闘し、次々と現れるモンスターを斬り伏せていく。


「そこのお前!右翼が手薄だ、援護しろ!」


「承知した!」


 最初はリヒトを異分子として見ていた隊員たちも、その圧倒的な剣技と的確な状況判断を目の当たりにし、次第に彼を信頼し、仲間として受け入れていった。

 魔素がないこの世界での戦い方に慣れていない、というハンデを、純粋な技量と経験で補うリヒトの戦いぶりは、彼らにとって驚異ですらあった。


「リヒトさん、次の出現予測ポイントは、セクター4の動力部です!数は、先ほどの倍以上!」


 インカムから、麗華の冷静な声が飛んでくる。

 彼女は、管制室で、敵のサイバー攻撃から防衛システムの制御権を奪い返し、モンスターの出現パターンを予測していたのだ。


「了解した!シエラ殿、皆を!動力部へ向かうぞ!」


「……ええ。あなたに、指図されるのは癪だけど」


 シエラは、ぶっきらぼうに答えながらも、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。

 彼女もまた、リヒトの実力と、そして、どんな状況でも仲間を守ろうとする彼の騎士としての在り方を、認め始めていた。


 数時間に及ぶ死闘の末、アヴァロンはなんとか敵の襲撃を退けることに成功した。

 サイバー攻撃は麗華の活躍によって完全に遮断され、モンスターの群れも、リヒトたちの奮戦によって殲滅された。


 戦いが終わり、シエラはリヒトと麗華の前に立った。


「……あなたたちのおかげで、助かった。礼を言うわ」


「俺は騎士として、当然のことをしたまでだ」


「私もできることをしただけです」


 シエラは、そんな二人を見つめ、静かに告げた。


「あなたたちは、もう単なる保護対象じゃない。私たちの『戦力』よ。リヒト、あなたには、この世界で生き抜くための力を得る権利がある。だから、『Eidolos』と共闘しなさい」


 それは、命令ではなく、対等な立場としての提案だった。

 リヒトは、この世界で戦う覚悟を決めた。それは、もはや無力な囚人としてではなく、自らの意志で未来を切り拓くための、力強い一歩だった。

最後までお読みいただきありがとうございます。

よろしければ、作品の評価、感想をいただけますと嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ