第3話丨因縁の序曲
俺とエリスの間に、新たな絆が芽生えてから数週間後。
村の平穏は、突如として終わりを告げた。
――ゴオオオオオオッ!
大地を揺るがすような、凄まじい咆哮。それは、村の近くの森から聞こえてきた。村中の人々が、恐怖に顔をこわばらせて空を見上げる。
森の木々が、まるで巨大な何かに薙ぎ払われるように、なぎ倒されていく。
「な、なんだありゃ……!?」
村の見張り台にいた男が、震える声で叫んだ。
その視線の先には、翼を持つ巨大な竜――ワイバーンの姿があった。その体躯は村の家よりも大きく、鋭い爪と牙が陽光を浴びて鈍く輝いている。
「父さん、無茶だ!相手は上級モンスターだぞ!?」
父のトマスが、村の男たちを集めて警備隊を組織し、ワイバーン討伐に向かうことを決意した。俺は、父の無謀な決断を必死に止めようとした。前世の知識が、この戦いがいかに無謀であるかを告げていた。
「だが、誰かがやらねばならんのだ。俺は元冒険者だ。お前たちの父親だ。家族と、この村を守るのが、俺の仕事だ」
「だけど……」
トマスの決意は固かった。その目には、恐怖ではなく、覚悟の光が宿っていた。俺の中には葉の魂が入っている。その事に少しの後ろめたさを感じながら、見送った父の背中がやけに大きく見えた。
トマスと警備隊がワイバーンの討伐に向かってどのくらい経ったか。ノエルは、運ばれてきたケガ人を必死に治療する母へと告げた。
「ごめん、母さん。俺、やっぱり行くよ」
「ノエル……」
「俺だって長男なんだ。父さんを助けたい」
母ミリアは、ノエルのその言葉に対して何も言わなかった。ただノエルのことを見つめ、頷いた。
「ありがとう、母さん。いくぞ、エリス」
「うん、急ごう!」
ノエルはその場にいたエリスを連れ、全速力で父の元へ向かった。
その背中を見守るミリアの表情は、成長した愛する息子への少しの期待感と、子どもを危険地帯に送り出す大きな不安の、両面を覗かせていた。
♦
警備隊は、ワイバーンに全く歯が立たなかった。鋭い爪と炎のブレスの前に、次々と倒れていく。
「父さん!」
俺は、エリスと共に現場へと駆けつけた。
そこには、絶望的な光景が広がっていた。
(……遅かった。恐らく何人かはもう……)
「ノエル……!なぜ来たんだ?!」
トマスは息子が突然現れたことに驚愕する。上級モンスターへ勇み足な息子を止めるべきだったが、一瞬思考が止まってしまった。
「エリス、援護を頼む!」
父の静止も聞かず、ノエルはワイバーンへ向かいだす。
トマスの手は、ノエルの風の如き速度を捉えることができなかった。
「わかっているわ!」
エリスに風魔法での援護をもらいながら、俺は木刀を握りしめ、ワイバーンへと突撃する。
「やめろ、ノエル!そんな武器で何ができる!」
エリスの放つ風の刃が、ワイバーンの注意を引く。その隙に、俺はワイバーンの足元に滑り込み、アキレス腱を切り裂いた。
ギャオオオオ!
苦痛の叫びを上げ、ワイバーンが片膝をつく。
好機だ。だが、俺たちの攻撃はそこまでだった。体勢を立て直したワイバーンの尻尾が、俺の体を無慈悲に打ち据える。
「ぐっ……!」
意識が遠のいていく。
エリスと父の悲鳴が、どこか遠くで聞こえる。俺は、自分の無力さをただ噛みしめることしかできなかった。
あっけない死、短い人生だった。
俺は前世と違い、人を助けるためだけに動いた。けれど、守ると誓った人たちを守れずに、こんなにもあっさりと死ぬのか。
俺は、自ら評価していた自分よりもずっと無力だった。
(ここまで、か……)
諦めかけた、その時だった。
「――退屈しのぎにはなるかと思ったが、期待外れだな」
まるで遊びに飽きた子供のような、無機質な声が響いた。
いつの間にか、ワイバーンの眼前に、一人の人影が立っていた。フードを目深に被り、その素顔は窺えない。だが、その体躯から放たれる威圧感は、尋常ではなかった。
ワイバーンが威嚇の咆哮を上げるが、その人影は意にも介さない。
「五月蝿い」
ただ一言。
その言葉と同時に、天が裂けたかのような轟音が響き渡った。
紫色の雷が、天から無数に降り注ぎ、ワイバーンを串刺しにする。それはもはや、魔法というより天災そのものだった。
断末魔の叫びすら上げることなく、ワイバーンは一瞬で塵と化した。
人影は、俺たちを一瞥することもなく、興味を失ったように踵を返す。
「なっ……待ってくれ!」
俺は必死に声を張り上げるが、人影は闇に溶けるように消えてしまった。
後に残されたのは、圧倒的な力の残滓と、呆然と立ち尽くす俺たちだけだった。その人知を超えた圧倒的な力は、俺の心に、届かぬ高みへの強烈な憧れと、さらなる強さへの渇望を植え付けた。
♦
謎の人物がワイバーンを倒した後、村は静まり返っていた。
焦げ付いた地面、なぎ倒された木々、そしてワイバーンがいた場所には、雷撃によって抉られた巨大なクレーターだけが残されている。その光景は、先ほどまで繰り広げられていた死闘の激しさと、それを一瞬で終わらせた圧倒的な力の存在を、雄弁に物語っていた。
助かったという安堵よりも、人知を超えた力への畏怖が、村人たちを支配していた。負傷した父や生き残った警備隊の男たちも、言葉を失い、ただ呆然と空を見上げている。
「一体、何者だったんだ……」
「あれほどの雷魔法……まさか、伝説の『雷神』……?我々は、神に救われたのか……?」
村人たちの囁きを聞きながら、俺とエリスは、自身の力のなさに唇を噛み締めていた。
あの力の前では、俺たちの努力など、児戯に等しい。必死に食らいつき、命を懸けて戦った相手を、あの人物はまるで虫けらのように、一瞬で消し去った。悔しさ、無力感、そして、ほんの少しの憧憬。様々な感情が、胸の中で渦巻いていた。
その夜、俺は父と話をした。母が父の傷の手当てをする傍らで、俺は意を決して口を開いた。
「父さん、俺、もっと強くなりたい」
俺の言葉に、トマスは包帯を巻くミリアの手を止めさせ、ゆっくりと体を起こした。そして、俺の目をじっと見つめた。その目は、昼間の戦いで見せた勇ましさとは違う、静かで、深い色をしていた。
「……そうか。あの力を見せつけられちまったからな。そう思うのも、無理はねえ」
トマスは、自身の無力さを噛みしめるように言った。
「俺はな、ノエル。昔、上級冒険者として、それなりに名の知れた存在だった。だが、王級の壁は越えられなかった。自分の限界を知って、この村で、お前やミリアと静かに暮らすことを選んだんだ。だが、今日、思い知らされたよ。この村の平和なんて、薄氷の上にあるような、脆いもんだってな」
父は、俺の肩に手を置いた。その手は、傷の痛みか、それとも悔しさからか、わずかに震えていた。
「お前には、俺にはない才能がある。それは、父親だからわかる。この村にいて、俺から剣を学ぶだけじゃ、お前はいずれ、俺と同じ壁にぶつかるだろう。だから……」
トマスは一度言葉を切り、そして、力強く言った。
「お前はもう、この村に収まる器じゃねえ。外の世界へ行け、ノエル。そして、お前の信じる道を突き進め。本当の強さを、その手で掴んでこい」
それは、父が俺の成長を認め、そして、自分の果たせなかった夢を託すような、そんな言葉だった。
母のミリアも、涙を浮かべながら俺の背中を押してくれた。
「体にだけは、気をつけるのよ。どんなに強くなっても、あなたは私たちの大切な息子なんだから。いつでも、ここに帰ってきていいのよ」
両親の温かい言葉が、胸に沁みた。
俺は、この村を出て、冒険者になることを決意した。
エリスと共に、あの「雷神」のような、本当の強さを手に入れるために。
♦
旅立ちの準備を進めていた、ある日のことだった。
村に、見慣れない一団がやってきた。アーテナ大陸の大国、ガルニア帝国の軍服を身にまとった兵士たちだ。
「私はガルニア帝国の聖騎士長アストル。この村に、強力な魔法の使い手がいると聞いた。我々と共に来てもらおう」
隊長らしき男が、エリスを指差して言った。彼らは、戦争で疲弊した戦力を補充するため、力のある者を強制的に徴兵しているのだという。
大陸を跨いでまで、珍しい精霊魔法を扱うエリスのことを嗅ぎつけてきたらしい。
「嫌よ!私は行かない!」
「抵抗は許さん!」
兵士たちが、エリスに掴みかかろうとする。俺は、迷わず兵士たちの前に立ちはだかった。
「この子には、指一本触れさせない」
俺は次々と兵士たちを打ち倒していく。だが、隊長として部隊を率いていた聖騎士アストルは、格が違った。
「小僧が、身の程を知れ」
聖騎士の振るう剣が、俺の体を吹き飛ばした。魔力を剣に纏わせる、魔剣化。聖騎士クラスの騎士だけが使える高等技術だ。
「ノエル!」
エリスの悲鳴が響く。薄れゆく意識の中、俺は聖騎士に連れ去られていくエリスの後ろ姿を見ていた。
(くそっ……こんなところで……)
ノエルは地面に伏せ、そのまま意識を失った。
「――やれやれ、若者は血の気が多くていかん」
ノエルは意識が途切れる寸前、そんな声を聞いた気がした。
♦
「……目が覚めたかの」
穏やかな、しかし芯の通った声が、頭上から降ってきた。
ノエルが目を開けると、見慣れた自室の天井と、心配そうに顔を覗き込む老人の姿があった。腰に差した一振りの剣。ワイバーンを倒し、そして、帝国騎士に敗れ意識を失う直前に現れた、あの老人だ。
「ここは……?」
「お主の家じゃ。お主の両親は先程、村の復旧作業の手伝いに出ていったぞい」
その言葉で、ノエルの意識は完全に覚醒した。帝国。聖騎士アストル。そして、連れ去られたエリスの姿。
「くそっ!」
ノエルは、怒りと無力さに身を任せ、ベッドのシーツを強く握りしめた。勢いよく体を起こし、老人に詰め寄る。
「あんた、何者なんだ!?奴らはどこへ行った!?エリスは……エリスはどうなったんだ!」
「落ち着け、小僧。今のままのお主が行ったところで、犬死にするだけじゃ。あの聖騎士一人に、手も足も出なかったお主が、どうやって帝国と戦うというんじゃ?」
「それは……っ」
的確な指摘に、ノエルは言葉を詰まらせる。悔しいが、老人の言う通りだった。
悔しさに俯くノエルに、老人は静かに語りかけた。
「お主、面白いものを持っておるな。その身に宿す魔素……それはただの魔素ではない。もっと禍々しく、混沌とした何かじゃ」
「……!」
ノエルは息を呑んだ。この老人は、一目見ただけで、自分の内に秘めた力の異質さを見抜いたというのか。
「その力、今のままではお主自身を滅ぼすぞ。だが、もしそれを正しく制御し、己が力とすることができたなら……あるいは」
老人は、そこで一度言葉を切り、ノエルの目を真っ直ぐに見つめた。
「ワシの名はゼファー。ワシがお主を鍛えよう。その代わり、お主の全てをワシに預けてもらう。どうじゃ?」
それは、抗いがたい提案だった。この老人ならば、自分を強くしてくれる。その確信が、ノエルの胸に宿った。エリスを救いたい。その一心で、彼は迷いなく頭を下げた。
「……頼む。俺を、強くしてくれ」
こうして、ノエルとゼファーの、奇妙な師弟関係が成立した。
その日から、村での数週間の基礎修行が始まった。それは、これまでの自己流の訓練とは全く異なる、体系化されたものだった。
日が昇ると同時に叩き起こされ、村の周りを走り込み、丸太を担いで山を登り降りする。午後からは、剣の素振り千本と、魔素を体内で循環させる訓練。夜は、ゼファーによる座学。魔法理論から始まり、大陸の地理、モンスターの生態に至るまで、その知識は多岐にわたった。
数週間後、旅立ちの日が来た。
「父さん、母さん、行ってくる。必ず、エリスを連れて帰るから」
「ああ、ノエル。気をつけてな。ゼファー殿、息子をよろしくお願いいたします」
「うむ。この子はワシが責任を持って預かる。必ず、一人前の男にして返そう」
父トマスと母ミリアは、息子の成長と、これから始まる危険な旅路を案じながらも、その背中を涙で見送った。
ノエルは、二度と両親に心配をかけまいと、そして、必ずエリスを救い出すと、固く心に誓い、師と共にリーフェン村を後にした。彼の穏やかだった子供時代は、ここに終わりを告げたのだった。
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