プロローグ丨双星
二つの世界があった。
一つは、科学の光が星を覆い、緩やかな黄昏へと向かう世界。
もう1つは、魔素の息吹が生命を育む、神秘に満ちた世界。
神々は、その二つの盤上で、壮大な遊戯に興じていた。
運命という名の糸で、二つの魂を弄びながら。
やがて訪れる世界の律を根底から覆す反逆の旋律が、まだ誰にも知られぬ二つの星の、あまりに遠い天球で、静かに奏でられ始めたことを知らずに。
◆
西暦2040年、東南アジア、熱帯雨林。
返り血を浴びたコンバットナイフを無造作に振るいながら、俺、黒江 葉はインカムに淡々と報告を入れる。
「……制圧完了。離脱する」
熱帯特有の湿った空気が、硝煙と血の匂いを纏わりつかせる。所属は、世界最強と謳われる傭兵集団『Eidolos』。表向きは紛争解決を請け負うプロフェッショナル集団だが、その内実は謎に包まれている。
撤収ポイントでヘリを待ちながら、俺は一人、組織に纏わる馬鹿げた噂を思い出していた。
『Eidolos』の頂点に君臨する十人の怪物――『十傑』。奴らはただの人間じゃない。人智を超えた力を異世界で得て、この現世に帰還した者たちだ、と。
くだらない与太話だ。だが、映像で見た奴らの戦闘能力は、その与太話に妙な説得力を持たせていた。物理法則を無視したかのような機動力、一撃で戦車を屠るほどの破壊力。
退屈を紛らわすための知的好奇心から、俺は密かにその噂の真偽を調べていた。そして1つの仮説にたどり着いた。『テラ・スフィア』と呼ばれる、魔素に満ちた並行世界の存在に。
『――待機せよ、ヨウ』
思考を遮るように、予期せぬ指示がインカムから飛んできた。声の主は、アークス・レオン。組織のトップにして、十傑第一席。世界最強の男。
「……ボス直々の通信とはどうしたんです?俺みたいな下っ端に」
軽口を叩いてみるが、内心では緊張が走る。この男が、末端の隊員に直接コンタクトしてくるなど、通常ではあり得ない。
『ヨウ。お前のその、つまらない常識を疑う悪癖は、時に面白い結果をもたらす』
アークスの声は、心底楽しそうだった。
『お前にとっての、最終試験だ。この黄昏の世界を救うための『鍵』になる覚悟があるか、試させてもらうぞ』
「鍵……?」
アークスの言葉と同時に、足元の地面に描かれていたらしい紋様が、凄まじい光を放った。いつの間に仕掛けられていたのか。幾何学的な模様が明滅し、視界を白く染め上げる。
「は……?」
抵抗する間もなかった。激しい浮遊感と、全身を内側から引き裂かれるような感覚。意識が途切れる寸前、アークスの楽しそうな声が頭に響いた。
『精々、新しい世界で足掻いてこい。お前の魂が本物なら、いずれまた会うこともあるだろう』
(……マジかよ、あの人。俺が調べていたことは、全部……)
それが、黒江 葉としての、『最後の記憶』だった。
◆
同時刻、異世界『テラ・スフィア』、アーテナ大陸。白銀の鎧に身を包んだリヒト・フォン・アルクライドは、帝国に反旗を翻した地方領主の残党を、その長剣で薙ぎ払っていた。
「聖なる光よ、我が剣に集え!ホーリーブレード!」
若くして聖騎士の位に上り詰めた彼の剣技は、まさに天才の名にふさわしい。
追い詰められた敵の魔術師が、最後の力を振り絞り、禁断の術式を詠唱する。
「――混沌の渦よ、全てを飲み込め!」
足元に、見たこともない複雑な魔法陣が展開された。その紋様は、リヒトが知るどんな魔法とも異なり、どこか冒涜的で、そして、まるで世界の理そのものを嘲笑うかのような、歪な輝きを放っていた。
「なっ……!大魔法か!?総員、退避せよ!」
リヒトは部下に叫ぶが、すでに遅かった。
強烈な光が彼を包み込み、意識が急速に遠のいていく。故郷の、そして敬愛する祖父と、厳格な父の顔が、脳裏をよぎった。
(じい様……父上……!)
それが、彼がテラ・スフィアで発した、最後の言葉だった。
こうして、二つの星は、それぞれの天球から墜とされた。
片や、奪われた未来を取り戻すために。
片や、失われた過去を追い求めて。
二つの魂が、神々の盤上で、互いの存在も知らずのまま、あまりに数奇な運命の軌道を、描き始めた。
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