そしてテレポーテーションはドッペルゲンガーの夢を見る
ドッペルゲンガーをご存じだろうか。
曰く、自分と瓜二つな人物が現れるという、死の前兆とも言われる不吉な伝説である。私が聞いた話では、ドッペルゲンガーを見た人はそいつに殺されてしまう、というものだった。
ドッペルゲンガーは置いといて、自分と瓜二つ。いや、自分そのものを遠く離れた場所に転移させることができるとしたら、どうだろうか。もしそれが叶うとしたら。それは、とても夢のような話だ。
だが、量子の世界ではそれができている。量子同士の強い相関を利用した、量子テレポーテーションというやつだ。実際にテレポートをする、といったものではないが、片方の量子が持つ情報―――状態と言い換えてもいい―――が、遠く離れた量子に対して同じ状態に移すことができるのだ―――移す際に大元の量子の状態は壊れてしまうが。量子自体は別物だが、同じ状態の量子であるのであれば、それは同じものといっても良いだろう。
もしそれがミクロな世界である量子ではなく、マクロな世界で実現できたら。それは現実世界で、物質転移、テレポートが可能ということになる。量子テレポーテーションと同じ原理を空間自体に適用し、物質ごと遠くに転移させてしまうのだ。量子テレポーテーションでは転移した後、オリジナルは壊れてしまうが、転移先に状態が全く同一のものが出現するわけだから、実質テレポートしたのと同じ、というわけだ。
ここでひとつパラドクス的な話が出てくる。テセウスの船というやつだ。元々あった船を、痛んだり壊れた部品を修繕、交換していくうちにすべての構成部品が入れ替わったとき、それはもとの船と同一個体か、という話だ。哲学的な話だが、人間を始めとする生物は日々新たな細胞を作り、循環し、常に部品を入れ替えているのだ。1か月前の自分と今の自分が同じか、と問われたときにノーという人はいないだろう。連続した自分がここに在る、それが自分を証明するためのすべてだ。
話がそれたが、テレポーテーションで元の物質は壊れるが、転移先に新たに全く同じ状態の物質が現れる。テセウスの船の話を持ち出すと厄介だが、そこに在るものを見れば、それで十分だ。あるものが一つの地点から消え、まったく同じものが遠く離れた場所に現れた。つまりこれこそ、テレポーテーションという現象そのものではないか。それが量子であれ、物体であれ、生物であれテレポートが可能であるということではないか。
私は科学者だ。人のつながりと環境に恵まれ、理論と実現可能な実験設備が用意できれば自由に実験できるだけの恵まれた科学者だった。生物のテレポートを最終目標に、研究と実験を重ねているところだ。今のところ、物質ならそれなりの大きさのものでも転移、もといテレポートに成功している。小さな動物もテレポートに成功しているように見える。物質なら単純に検査すれば良いだけの話だが、生物になるとそれが難しい。特徴という意味では、実験後の個体を解剖してみれば良いだけの話だ。だが、その個体がもっていた知識は、経験は、記憶は―――とうなっているのか。それらについて確認することができていない。より記憶や経験などがはっきりする大型の動物を実験にするには実績や許可、倫理的な問題などが山積みだ。その結果を確認するのにもどのようにするか、想像するだけで頭を抱えたくなる。
今日はネズミで実験をするところだ。前もって個体の片足にわざと傷をつけ、わざとけがの後を残している。そのため、歩くのにびっこを引く癖がついている。経験や記憶、というところまでは再現できないが、その個体が持つ状態を再現できているか確認するのにはこれが今は精一杯だ。
これから始める実験の準備と、実験設備の確認をしていく。
助手が準備を進めてくれている。実験準備の内容を読み上げる。今回実験するのは、先ほど設置していた足にけがをしているネズミだ。この実験は量子テレポーテーションをもとにしている。量子は不確定性をもっており、観測するまではいくつもの状態をもっており、観測することで始めて状態が一つに固定される。それまでは、あらゆる可能性が混在している、つまりシュレディンガーのネコ状態、というやつだ。今回のテレポーテーションでも不確定性をそのままに転移先へコピーする必要がある。それが量子テレポーテーションだ。スキャンされた量子の不確定性は壊れてしまうが、転移先の量子には不確定性ごとコピーされる。それを空間の対象丸ごと行うことでマクロなスケールでのテレポーテーションを行おうというのが私の実験だ。
ミクロな量子の世界での事象ををマクロでも実現させる。とてもじゃないが簡単なことではない。小さな物質ですら何百、何千と繰り返してやっと転移ができるようになったのだ。生物実験に移ってからはもっとひどかった。生き物は絶えず動いている。せっかく生体をスキャンしても動いているため正確なスキャンができず、転移先に正しい情報を伝えられず、入れ物となる肉体の再現をすることがまず不可能だったのだ。そのあとで量子スキャンを実施しても生体スキャン時と整合性の取れない情報となってしまっているため、情報の書き込みにも失敗してしまう。二重の意味で転移するためのステップで失敗していたのだ。それからは、転移する生物を仮死状態にして、実験をするようになった。それからは肉体の転移には成功するようになったが、結果は死体が2つ残るだけ。仮死状態にしても、細胞は生きている。ゆっくりと動いているのだ。
そこからまた頭を悩ませることとなったが新たな方式を生み出した。生物を冷凍、完全に凍らせるわけではなく、その手前まで温度をさげる。そして生命活動が停止するが、死んでいない状態をつくりだす。いわゆるコールドスリープというわけだ。その状態にすれば単なる仮死状態とはことなり、細胞の活動も停止しているはず。生体スキャンと量子スキャンの間の整合性は取れるはずだ。
実験の準備状況を逐一報告してくれる助手、その手順は次の通りだ。
フェーズ1は被検体をコールドスリープ。フェーズ2はコールドスリープ状態の被検体の生体スキャンとその複製体のプリント。フェーズ3は被検体の量子状態スキャンとフェーズ2で作成した複製体へのプリント。最後にコールドスリープを解除してテレポーテーションが成功、という算段だ。
この方法だと実験後には被検体と複製体で2体に増えてしまうが、実験が100%成功する保証がなければ被検体を消すわけにはいかない。現段階ではテレポートというよりは複製だが、こればかりは致し方ない。
実験の進捗状況を見守り、成功することを祈る。ただそれだけしかできない。もどかしい気持ちを抑えながら最後のフェーズまで見守り、コールドスリープを解除した複製体に注目する。さて、結果はどうか。
「複製体が目を覚ましました。」
助手の声も遠く聞こえる。容器の中のコピーを食い入るように見つめる。ゆっくりと動きだしたコピーは、怪我をしているはずの足をかばうようにびっこを引きながら歩き出す。―――成功だ。
「成功だ。」
口に出して実感する。ようやくスタートラインに立てたのだ。これから、ヒトでテレポーテーションができるようになるまで、後いくつの試練が待ち受けていることか。気を引き締めた。
「ドッペルゲンガーって知ってる?」
―――ネズミの実験からしばらくしたある日の昼食時、食堂で昼食を食べていると別の研究室の同僚からそんな質問を受けた。
よくあるドッペルゲンガーの都市伝説は、自分とそっくりの姿の人間を見た人は死んでしまうというものだ。これが本当の話だったのなら噂など広まりようがない。続きがあるといわんばかりの顔をしている同僚に興味を引かれ続きを促した。
曰く、自分とそっくりの人影を見たという目撃談が多発しており、その目撃場所が旧研究棟だというのだ。
怪しい話だな、と素直に思った。この手の噂話や怪談や都市伝説の種は本当に厄介だ。出所が不明確な割に場所などはやたら具体的だったりする。それによる風評被害は簡単に受けるが、それを払拭するのにはかなりの労力を要する。がーーー。
「まあ、旧研究棟じゃ当たり前すぎるか。」
「だな。」
2人とも同時にうなづいた。今は使われていない施設、普段から人気のいない場所。その手の話が持ち上がるには、雰囲気などの材料がバッチリすぎるのだ。
そして、そんな話が出たからと言ってさして影響も被害もない。誰も使っていないし。人も元から近寄らないような場所なのだから。
「と、こんなところだ。少しは気分転換になったかい?だいぶ研究が忙しそうだが。この間は人弾楽したんじゃなかったか?」
おちゃらけてから、真面目な表情になってこちらの顔を覗き見る。どうやら私のことを心配してくれての気分点眼をしてくれていたらしい。
「ああ。一瞬研究のことを忘れて、お前のことをバカじゃないのか?と疑うくらいには気分転換になったよ。」
「それは光栄だな。」
怒るでもなく、軽く受け流される。それだけ心配されていたのだろう。確かにこんを詰め過ぎているのかもしれない。
「ひと段落じゃなくて、ここからが本番だからな、この研究は。」
「ヒト実験か。厄介なテーマの研究だな、全く。」
身体はいいから頭はちゃんとリフレッシュしろといいのこして、同僚は席をたった。まったく、私の性格をよく理解しているやつだ。少しだけこの後のスケジュールのことを考えた後、私も席を立ち食堂を後にした。
ネズミの実験から3カ月が経った。結論から言うと、実験は先に進んでいない。実験の許可が下りなかったからだ。実験の準備は着々と進めているが、先のネズミ以上の動物に対しての実験に対して研究所から許可が下りなかった。曰く、倫理観の問題らしい。実験の後に残る転移元の死体、これが大きな問題だということだ。ただの動物虐待にしかならないため、その点をクリアしてから先に進むように、と。
頭を抱えた。研究所から出された課題に対する解決策はある。が、それこそ倫理問題だったからだ。死体が後に残ることが問題だというのならば、残らないように消去してしまえばいい。具体的には、転移先にプリントする際に、スキャンが終わった転移元のオリジナルを焼失させてしまえばいい。そのための機能も今の実験装置で簡単に実現可能だ。
だが、それは倫理的に問題はないのだろうか。実験の結果、確かに転送元のオリジナル、被検体は生命活動を停止する。だが、実験の仕方によっては生命活動を維持したままになることはないか。そこで焼失の手法をとった場合、命を奪うことにならないだろうか。それこそ倫理問題ということになる。その可能性を危惧しての、今の実験のやり方なのだ。実験後、ちゃんと生命活動が停止していることを確認してから死体を処分する。
成功した先の実験で被検体は転移元で生命活動を停止し、転移先で複製体として生命活動を継続させた。マクロ的な視点でみれば一つの生命体がその活動を維持しているということになる。だがミクロ的な視点、実験をしている身としては、一か所で生命活動を停止した個体があり、それとは別に新たな生命体が別の場所で発生したように見えてしまう。こうなった場合、どうしてもプリントと同時にオリジナルである被検体に焼失処理を行う気にはなれない。
そもそもテレポーテーションの話なので、転移先に複製体ができたのなら被検体は用済みだという考え方もある。自分自身そのように割り切ることができればいいのだが、モヤモヤが拭えないでいる。今の状態、つまり被検体の複製体を転移先に作成するという手法では、文字通りコピーを作成しているということになる。この時、生物のコピーが完全に行えた場合はどうなるのだろうか。
例えば人間の場合、コピー先に新たな人間が誕生したということになる。この時、複製元と複製先、どちらを本物として扱うのだろうか。テレポートをした、という前提の下でいえば複製元はテレポートの残滓であり、複製先の方が本物ということになる。そこに意識や生命活動がともなっていたとしても、だ。だが連続した意識をもつ複製元が偽物と言えるのか、突如現れた転移先の複製体の意識を本物といっていいのか。なんとも歯がゆい問題のように思えてしまうのだ。それこそテセウスの船と同様の問題のように。全く同じ部品でできた者同士、ただし片方は複製。本当の意味でテレポーテーションが実現し、転移先にしか被検体が存在しないのならば、迷うことは無いだろう。だが今はその過程、今行っている実験では転移元にも転移先にも同じ人間が存在しうるのだ。
―――ダメだ。頭の中に生まれた堂々巡りになりそうなモヤモヤを振り払う。 可能性の話をしてもしょうがない。やがて直面する問題ではあるが、今はまだそのステップにたどり着いてすらいないのだから。以前聞いた同僚のドッペルゲンガーの話を思い出し、余計な考えをめぐらせてしまった。今は実験を先に進めることを考えなければならない。足踏み状態で止まっている、実験を先に進めるにはどうしたらよいか。一つ、最終手段とも言える方法があるが、それを行うべきか悩む。その手段をとるということは後戻りが許されないということ、そして失敗した際には、あらゆる意味でもう先が無いということ。
「教授、次の実験のスケジュールですが…。」
一人で悶々と考えていると、助手が資料を手に話しかけてきた。次の実験―――研究所から許可が下りていない以上、できるのはネズミの実験だけ。何度同じ実験をすればいいのか、書類を受け取りいつもと同じ内容が書かれているはずの資料に目を通し、私は固まる。
「教授、何か問題でも?」
「大ありだ。これ、正気かい?」
書類に書かれていた異なる内容、それはヒト実験。しかも被検体は目の前にいる助手だ。
「はい。研究所の回答を待っていても、教授の研究は行き詰るだけ。これでは未来がありません。教授の実験の可能性をここで止めたらいけないと思うんです。だから―――。」
「だが、これはダメだ。この実験をするときの被検体は決まっているんだよ。」
決心をする。私が迷っていた最終手段を提案してきた。今がその時なのかもしれない。だから私は覚悟を決め、口を開いた。
「その役目は、私だ。」
―――あれからまた3か月が過ぎた。その間、ヒト実験が行えるよう機材などの準備を進めた。許可が下りてない以上、研究所には知られてはならない。別の実験をでっち上げ、ヒト実験が行えるだけの設備を整え続けた。設備がそれなりに必要な以上、準備もそれなりに時間がかかる。だが、覚悟していただけの時間はかからなかった。後は設備として整え、実験を行えるように機材の調整をしていくだけだった。
想像以上に順調に準備が整い、今この時、実験を行う手筈がすべて整った。
私は被検体として、研究施設に設置された転移装置の転送ポッドに入った。隣には転送先の、空っぽのポッドが鎮座している。実験が成功すれば、実験後は隣のポッドの中で目が覚めるはずだ。意識そのものが転送されれば、の話だが。もしかしたらこの実験で私そのものは死亡し、私の意識を継いだ複製体が隣のポッドで目が覚めるかもしれない。それはそれでいい。私の意識を完全に継いでいるのならば、この研究の最終目的まで導く意思も完ぺきにこなしてくれるだろう。テセウスの船なんて関係ない。同じ構成をしていて、同じものでできていればそれは同じものなのだ。そこに偽物なんてない。そう割り切ったのだ。
「実験開始だ」
その声を皮切りに実験を開始した。
「準備を開始します。フェーズ1から開始します。」
フェーズ1、コールドスリープ。私が意識を保っていられるのはここまでだ。後は実験の成功を祈って眠りにつくだけ。そして成功の報告を聞くだけだ。私の意識は、すぐに遠くなっていった―――。
「―――じゅ、―――うじゅ!教授!」
遠くから声が聞こえてくる。遠のいていた意識が次第にはっきりしてくる。暗い闇の底に沈んでいた意識が、無理やりまぶしい場所まで引き釣り挙げられたかのような感覚に陥りながら、自分の意識の覚醒を自覚する。
「教授、しっかりしてください!お願い、目を覚まして、教授!」
頭がふらふらすると思ったら、誰かが思い切り身体を揺さぶっている。いや誰かではない。聞き覚えのある声、普段からよく聞く声。まだ身体の感覚が鈍い。身体への命令もあまりうまく届かない。必死に身体を動かそうとして、ようやく指先と口が少しだけ動くのを感じた。ここにきて、ようやく視力もぼんやりと回復してきた。
「…じ、じっけん…は。」
まるで何日もしゃべったことが無いかのような、かすれた声をようやく絞り出す。指もぴくぴく動いているが、こちらは役に立ってくれていない。戻った視力で周りを見渡すと、私が居るのは転送先ではなく、転送元のポッドの方だった。その状況に、私は落胆の色を隠せなかった。
「失敗か。」
「すみません。フェーズ2の初期段階で異常を検知し、実験を強制終了しました。本当にすみません…。」
そう、実験は失敗に終わった。その事実だけで充分だった。まだヒト実験には早すぎた。そういうことだ。
「ドッペルゲンガーは信じるかい?」
実験をしてから2週間くらい経った頃だろうか。また同僚が昼食中に向かいに座りながら話しかけてきた。また都市伝説の話を持ち出し、懲りないなと思いつつ…今度は鼻で笑い飛ばすような気にもなれなかった。
「信じる…とは?」
念のため言葉の意味を確認する。
「言葉通りの意味だよ。自分のドッペルゲンガーが目撃されているという噂を聞いて、その存在を信じる気になったかいと聞いているのさ。」
そうだ。ここ最近、私の姿を、私が居ないはずの場所で目撃したという報告が多数上がってきている。最初研究員などから話を聞いたときは見間違いだろうとさとしていたが、その目撃の報告は予想以上に多く、見間違いだけで済ませるには異常ともいえる量になっていた。
「信じる…には私自身が目撃していないからな。」
「ドッペルゲンガーだよ?もし目撃したら、君が死んじゃうじゃないか。」
面白い意見を聞いたとばかりに、同僚は手をたたきながら嗤う。
「あと、君も聞いているだろうが。今回の噂でも目撃談は旧研究棟の付近に集中している。集中という言い方は変だな。目撃談があるのはそこだけだ。」
そうだ。自分が聞いたはなしでも、目撃談は旧研究棟で見たというはなしだけだった。というか、みな旧研究棟に何の用事があるのだというばかりに、目撃談が多いことにも辟易したが。
「そこはほら、怖いもの見たさというか…自分も流行に乗りたいというアレだよ。」
つまり、都市伝説の目撃者になりたいという軽い気持ちで旧研究に近づき、晴れてその一員になって帰ってきたというわけだ。他人のドッペルゲンガーを目撃したという話を持ち帰って。
「まあ、自分でいろいろと情報を集める必要が無くなったから楽じゃないか。後は検証と考察をすればいいのだから。」
悪乗りが過ぎる同僚に冷たい視線を送ると、おお怖いと言いながら立ち去って行った。ちょっかいをかけつつも、しっかりと昼食は食べ終わっていたらしい。私も残りの昼食を片付け、席を立った。
ドッペルゲンガー。
よく自分とそっくりの存在と遭遇すると、殺されるだか命を失ってしまうだかの話をもつ都市伝説だ。だが、都市伝説そのものに興味はない。問題は、以前は噂が何故か旧研究棟にいた人物が遭遇していたのに対し、今回は旧研究棟に立ちよってもいない私が他人によって目撃されているという内容に変わっているということだ。数か月前と、今回とで何か状況が変わったというのか。変わったとしたら何がトリガーとなって変わったのか。はっきり言って都市伝説に興味がない分、その内容の変遷に関係する原因を考えようとしても心当たりがない、としか言いようがない。心当たりといっても都市伝説に影響するような何かをした覚えはないのだ。ここ最近であったことといえば、実験で失敗したことくらい…。
「バカバカしい」
わざと大きな声をだし、思考を強制的に止める。在りえない可能性について考察しても時間の無駄だ。そこでドッペルゲンガーという都市伝説についての考察をやめ、今後の研究スケジュールについてどうすべきかにスイッチを切り替えた。
「お疲れさまです!」
これで終わりとばかりに勢いよくキーボードをたたき、元気よく助手は挨拶して帰ってしまった。今日の予定されていた作業はすべて終わり、時間ももう定時だ。
「帰るか」
たまには早く帰るのもいいだろう。ここのところ行き詰まってる問題も、リフレッシュが必要かもしれない。そう思い直し、帰り支度をすることにした。
以前にも増して、同僚から前日の所在を聞かれることが多くなった。理由を問うと、決まって似たような人を見かけた、というものだった。他人の空似、と片付けることもできるが前から噂がでている自分のドッペルゲンガーの話もあり気になってしまう。しかも目撃場所は相も変わらず旧研究棟の近くなのだ。気にしていなかったとはいえ、ドッペルゲンガーの話と結びつけたくもなる。
「考え事しながら歩いていたとはいえ、ここに来てしまうとは。」
着いたのは自分の家ではない。それどころか、研究施設の敷地から出てすらいない。ここはドッペルゲンガーの噂の発生源、旧研究棟だ。旧と名はついているものの研究するものからは旧なだけで、別の用途で使われているらしく建物の灯りはついている。自分が利用しなくなってから足が遠のいただけで廃墟扱いしていたことに少しだけ申し訳なく思う。
この様子だと用がない人が来て噂を立てたのではなく、用があってきた人が噂に遭遇した、と表現した方が正しいのだろう。
ふと建物の中に助手らしき影を見つけてしまう。定時でいそいそと切り上げていたからもう帰ったものだと思っていたが、旧研究棟に何の用があるのだろうか。
研究員のプライベートには立ち入らないと決めているが、目の前で目撃してしまうと、つい気になってしまう。人のプライバシーを覗くのは悪いと思いつつ、姿を消した方へ足を向けた。
「本当に、普通に使われているんだな。」
旧研究棟に入り、辺りを見回しながら呟く。中に入ると、定時は過ぎたものの、こうこうと明かりがついている。今もきちんと建物として機能していることがわかる。自分が使わなくなっただけで、勝手に廃墟みたいになってると思い込んでいた。
ふと、廊下の奥に人影がよぎる。それは見覚えのあるものだった。
「なんでこんなところに?」
思わず口に出てしまう。それは、よく知っている人物。まだ使われている施設だとわかったとはいえ、少なくとも自分たちの研究では使用していない施設だ。こんなところに何の用があるというのだろうか。他人のプライバシーを覗く引け目を感じつつも、怖さ半分、興味半分で先に進む。
途中からは先に行く人影が見えるほどに追いついたので、完全な尾行になってしまったが、確実に目的地までついていくことができた。
最後に、大きな扉の奥に消えたのを見届けてから、その扉の前までいくと、扉のプレートには信じられない文字が刻まれていた。
―――生体転移実験室:臨時実験室―――
どういうことだ。生体転移の実験施設は新研究棟に一つしかない筈だ。それが、旧研究棟に臨時実験室とは一体どういうことだ。
「ああ、見つけてしまったんですね。」
その声に振り返ると、後ろには二つの影が在った。一つはうちの研究室の助手、その人だ。そしてもう一人。それが問題だった。その影もよく知る人物だった。それは誰でもない、自分そのものだったのだから。
「これはどういうことだい。」
疑問は沢山在ったが、驚きのあまり多くは口にできず、かろうじてその言葉だけ声に出せた。助手は隣に機械のようにたたずんでいる私そっくりの人物の肩に手を置き、語りだした。
「これですか。これは教授の複製体です。この間の実験で作成したんです。研究室でそのまま複製するとばれちゃうんで、こちらの予備設備にデータを送って、生成しました。結果はぼちぼちです。見ての通り、自我も何も在ったものではないのですから。やっぱり歓声体にするには第3フェーズまで進める必要がありそうですね。」
そういいながら、私の複製体の顔をぺちぺちと叩いて遊んでいる。複製体は何の反応も示さない。まさに生けるしかばね、という状態だ。
「でも教授、在る意味これでも充分成功なんですよ。これなら気軽に複製体が作成できる。これが意味することを想像していますか?とりわけ医療分野に対して大きな貢献ができるんです。これを学会に発表して世間に公開すれば、それだけで世界はひっくり返りますよ。テレポートの実験から出てきた思わぬ副産物、まさに瓢箪から駒ですよ。」
私はテレポーテーションだけに夢中になっていたため、その着眼点は完全に無かった。確かにそれだけで大発明と言われてもおかしくない成果だ。だが私の目標としているところにはまだほど遠い。ここで終わるわけにはいかない。
「ああ、だがここで終わるつもりはない。」
私の言葉に、助手はそれはそうでしょうと、大きくうなずく。
「ところで、ひとつ大きな疑問があるんです。こちらの教授と、目の前の教授、どちらが本物の教授なのでしょうか。」
テセウスの船か、だがそんなことはいうまでもない。
「ここに私が居る。その時点で本物は私だ。」
「ですが、もしここであなたが死んでしまったら、あなた自身が焼失してしまったら本物はこちらの教授、ということになりませんか。」
胸をはって答えた私に、被せるように意見を言う助手。その内容に背筋が凍る。
「取り押さえろ。」
助手が命令すると、私の複製体は意外にも機敏な動きで距離を詰め、あっという間に油断していた私を押さえつけてしまった。
「ああ、自我はないといいましたが言うことは理解しますし、自分でしゃべることもできます。教育すれば自我も目覚めるかもしれません。これは誰にも公表する気はありませんけどね。」
ゆっくりと近づいてくる助手。その手には薬品の入った注射器が握られていた。
「おめでとうございます。今日が教授の新しい誕生日です。残りの研究も含めて私が引き継いであげますよ。」
首元に針を刺され、記憶している言葉はそれが最後だった。