呪われた王子の声は私にしか聞こえません。いや、ほんとですって。
トーズ王国には美しい王様と王妃様がいた。二人には二人の可愛らしい男の子に恵まれ、上の子供をシャルル、下の子供をルイと名付け天使のように眩しい一家として周辺諸国にも知られる仲良し王家だった。
シャルルが15歳になると、友達や将来の王子妃を探し始めるために小規模なガーデンパーティーがしばしば開かれて、身分がそこまで高くない貴族も招かれて王宮に足を運ぶことができた。シャルルは金髪碧眼で、柔らかい癖のある髪の毛が日に当たってキラキラ光っていた。そんなシャルルを男の子も女の子も、誰もが囲んで人だかりが出来ていたがシャルルはニコニコして交流を楽しんでいた。
ヒルデガルドはあまり大きくない領地の子爵令嬢で、長女だ。下に妹はいるが弟はいない。いつか生まれるかもしれないけれど、今は基本、自分が婿を取るのだと言い聞かされていた。だから、身分の問題も相まって王子妃候補になることは出来ない。
「お母様、王子様のお妃様にならないんだったら、パーティーなんて行くだけ無駄じゃないの?」
「王子妃になる子のお友達にはなれるかもしれないでしょ?」
「誰になるのかも分からないのに?」
「なりそうな子はいるから、よく見ておくことよ。王子様のお妃様とお友達になれたら、その後のあなたの人生がとっても楽になるからね。」
「私の人生が楽になるってどういうこと?」
「王子妃のお妃様とのお友達とは仲良くしたい、っていう人は結構いるのよ。王子様のお友達とも仲良くなる機会も増えるしね。そういう中からあなたの将来のお婿さんも出てくるかもしれないわね。そうすると、髪がボサボサで、髭も整えず、腰が曲がったおじいさんと結婚したりすることは無くなるかもってことよ。おじいさんがダメっていうわけじゃないけれどね。」
「それは大事だわ。」
「王子様を見つけて幸せな結婚をすることも素敵だけれど、不幸せな人生を送らないための第一歩よ。」
「よくわかりました。お母様、天才。いい子にします。」
そんなわけで、積極的に社交界には顔を出すように心がけていた。高位貴族が王子妃候補になりそうなものだが実際には選びたい放題という状況ではなかった。公爵家に適齢の娘はおらず、侯爵家に一人王子よりも4つ年上の19歳、伯爵令嬢が年下は6歳から年上は22歳までの娘が5人ほどおり、この中から選ばれるのではないかと皆が思っていた。ヒルデガルドと同じ12歳の年頃の娘は3人おり、どの子供も母に引っ張られてグイグイとシャルルの側に行っていた。ヒルデガルドには、母親たちがまさしく獲物を狙う獣にしか見えなかったし、自分があの仲間にならなくて済んで本当によかった、そしてあの哀れな王子様は心底可哀想だ、と思った。
(あの猛禽類の王者とお友達になるのとか、本気で無理。)
今日のガーデンパーティーは春になって大分暖かくなってきて、本当に気持ちの良い素晴らしいパーティーだった。今日も取り巻きから少し離れた距離から王子様を眺めていた。シャルルの柔らかい金色の髪が、太陽の光を受けて動くとキラッと光る。大きな蒼い瞳に、優しい笑顔をいつも浮かべていて、真っ白な服に色とりどりの刺繍が小さく細やかに入っている。袖口のペールブルーが柔らかさをさらに演出している。
この日シャルルが着ていた服はシルクで出来ていて、細やかな植物の刺繍が施されていた。目を凝らしてみると、一つ一つの花言葉が「勤勉」「誠実」「「尊重と愛情」「幸福な家庭」など、素敵な意味を持つものが厳選されているところも素晴らしいなとヒルデガルドは心の中でこっそりため息を漏らした。特に、苺が可愛らしいな、と思って思わず長々と凝視してしまったら、バチっとシャルルと目が合った。
シャルルの瞳は今日の青空よりももっと抜けるような蒼さで、ヒルデガルドは何もしていないのに一瞬吸い寄せられるように瞳を見つめ返した後、ハッとしてばっと下を向いた。
(あぁ、手の届かない方だとは分かっているけれど、なんであんなにカッコイイのかしら。
うちの厩舎小屋で働くチビのマルタンに教えてやりたくても、私の言葉じゃあのかっこよさは全然伝わらないと思う。
それに、あんなに人に囲まれて、質問攻めにされているだけでも無理なのに
あぁ、あんな風に朗らかにお返事している最中、
話を遮って自分のつまらない話を始めてしまう女の子に対して、
あんなにキラキラした優しい眼差しを、嘘かもしれないけどちゃんと向けられるなんて
なんて優しいのかしら!!!私だったら、絶対、途中でお花摘みに行く。)
自分の世界とは違う人を目にして、なんとなくパーティー会場から抜け出したい気分になったヒルデガルドは、ブラブラすることにした。目的もなく歩いていると、会場からそこまで離れていないけれど喧騒からは離れられる程よい場所にプライベートなエリアを発見した。そこにはなんとブランコまであったので、あの王子様もここに来たことがあるのかな、なんて思いながらブランコを漕いで沈んだ気分を高揚させようとした。少しずつ揺れて、頬を撫でる風が強くなる。空がちらりちらりと瞳に映る。
「あれっ、君は誰?」
随分経ってからシャルルが現れた。すっかりブランコに夢中になって会場に戻るのを忘れていた。
「もうガーデンパーティーも終わりだよ。きっと君のご両親は、君がいなくなったことに気がついて今頃心配されていると思うから行っておやり。」
「っっ、はい、失礼いたしました。」
「ここは、僕の秘密の花園なんだ。疲れた時にこっそりやってきて、そのブランコで気持ちを上げる。
君もブランコで気持ちが元気になったかい?」
「はい、ありがとうございました。漕ぎながら腕を伸ばしたら、すごくスピードが出て、それでドキドキして夢中になって、とにかく楽しくてあっという間に時間が過ぎました。お邪魔させていただいてありがとうございました。」
「えっ、漕ぎながら腕を伸ばすってどうやって?」
「えっ…?やったことない?」
「うん、やって見せてよ。」
「えっ、、、と、いいですけど、地味に見えて結構怖いからあんまり真似しない方がいいかもしれません。」
「いいから早くやって見せてよ。」
「わ、分かったからそんなに急かさないでください。えっと…座ってではなくてこうやって立って結構高くまで漕いでから、こうやってグッと腕を伸ばすと…ひゃー!すごく地面が近く感じるし、なんだかぶつかっちゃいそうで怖いの!」
「見た目は確かに地味だね…」
「だから言ったじゃない!でもやってみるとぜんぜん怖いんだから。」
「なら僕に代わってよ。」
「良いわよ。」
「いや、そんなに怖いわけ…ってウオォォォォ!!!!なんだこれ!めっちゃ怖いじゃん!」
「でしょでしょ!」
「はー、面白かった。面白い乗り方教えてくれてありがとう。」
「うふふ。またここにきたら試してみてね。」
半刻も遊んでいないのに随分と昔から遊んでいたかのように打ち解けて話すことができるのは、王子のまとう気安い雰囲気のお陰だろう。
((また遊びたいな。))
二人はその後のパーティーで、目と目が合うと、決まってあのブランコで落ち合って話をするのだった。
話すことはくだらなくて、今欲しい剣はどんなだとか、今日来ていた伯爵令嬢の話の聞かなさっぷりとか、街で評判のスイーツだとか、本当になんでもないこと。
二人で話している間は、友達ルール発動で畏まらないこと。外に出たら、お互いに小さな紳士淑女になること。そんなことをして、年を重ね、シャルルは17歳になっていた。
その年の王子の生誕記念パーティーに、その魔女はやってきた。
「なんて綺麗な王子様。私の恋人にぴったり。私と結婚して、王子妃としてこの城に住んであげるわ。」
うっとりとした魔女が王子の元にするっとやってくる。近衛は護衛をしようとするが、魔女が出す煙を吸うとたちまちバタバタと倒れてしまう。会場は阿鼻叫喚、貴族たちは大慌てで会場から逃げ出そうとするし、王様・王妃様もいち早くその場を後にする。シャルルは足が縫い付けられたようにその場から離れられず、魔女は蛇のようにシャルルに近づく。ヒルデガルドは、逃げる途中、どうしてもシャルルが気になって先を急ぐ親と逸れ、会場脇で状況を見守っていた。
「さぁ、私の愛しい美しい王子様。明日には教皇庁にいきましょうね。」
「う、麗しい魔女殿、誠にありがとうございます。私の王子妃の席は空いております。しかし、私の心にはすでに愛しい人が一人、住んでおります。貴方の手を取るべき尊い方は別にいらっしゃるはずです。」
「なんですって!!!!キィぃぃーーー!!!私が欲しいのは金髪碧眼のお人形のようなあなた!他の王子なんて必要ない!!欲しい、どうしても欲しい!!」
魔女はブツブツと何かを唱えたと思うと、真っ黒い煙が王子の体の周りを包み込み、煙が霧散した後には何も残らなかった。
王子様が、消えたのだ。
「あっははははは!完璧な王子様が手に入らないなら、二次元にしちゃえばいいのよ!私の王子様、この先老いることなく、朽ちることなく、この絵の中で貴方の魂は生きながらえますからね。ずっとずっと一緒よ。あーっはっはっは!」
そういうと、会場にかかっていた王子の肖像画を持って立ち去ったのだった。
王子は実際に失踪し、ヒルデガルド以外にも会場には近衛、騎士、要人は残っており、魔女が王子の魂を絵に移して持ち去ったようだ、ということが複数証言上がると、魔女討伐隊が組まれた。しかし、そもそも魔女の行方もわからず徒に時間が過ぎ去ってゆき、見つかることはなかった。そうして二年が経ち、弟が17歳の年を迎えたその年に第二王子の立太子式典が開かれたのだった。
その年に王妃は、王国中隅々まで、シャルルの像を作らせて小さな町でも彼のことを忘れないように像を置かせた。優しく、勤勉で、美しい王子は永遠に戻ってこない。この銅像の姿のまま。それでも、王室はいなくなったシャルルをいつまでも覚えていようとした。この銅像には、大きな街の像には周りを金で覆い剣の鞘には宝石が施され、噴水の中央に高い台座が建てられそこに建てられた。
◇ ◇ ◇
ヒルデガルドも適齢期になった。婿を取らないといけないとは頭では分かっているが、話がうまくいっていなかった。ルイの王子妃候補者とも適切な距離感を持って交友関係を築いているし、早くしないと優良物件は売れていくものだとも思う。それでも、ふとした瞬間、シャルルのあの蒼い瞳を思い出すのだ。知らない誰かの手をとって舞踏会でダンスのステップを踏むたびに、あの金髪の彼を思い出す。ある時、周りに誰もいないからと、ぽつりとシャルルの銅像に話しかけてしまった。
「シャルル。どこに行っちゃったの。あなたと添えないと分かっているけど、それでもあなたの青い瞳をもう一度見たい。」
ーーー僕ももっと君の瞳を見ていたい。
「もう一度あなたとくだらない話をしたい。」
ーーー僕もだ。もう一度剣を握りたい。
「えっ・・・!!??どういうこと??シャルル、あなたの声が聞こえる!」
ーーー聞こえるの??魔女にかけられた魔法は杜撰だったんだ。王子を模ったものであれば何にでも魂の一部が移ってしまう。だから、絵画や、母上が作ってくれた銅像にも魂が繋がっていて、全部全部、見えるし聞こえちゃうんだ。
「なんですって!?」
ーーーでも、声が伝わったのは君一人だけ。母上もよく話しかけてくれるけれど、僕の声は伝わっていないみたいだ。
「それは。。。ねぇシャルル。これからも、私たち、こうしてお話ししましょう。そうして、あなたが戻る方法はずっと探し続けましょう。」
ーーーヒルデガルド・・・君との時間は何よりも大事だよ。
ヒルデガルドはその時から、シャルルの呪いをとく方法がないか、魔女の手がかりがないかを探し始めた。そして、シャルルとの会話の時間を必ず持つように特に心がけた。
ーーーヒルデガルド、この間植物園の視点から、君がビュート卿と散歩しているところを見てしまった。ビュート卿が君のことを熱っぽく見ていたから、婚約申し込まれちゃった?
「あら?もしかしてヤキモチ妬いてくれてるの?たまたま先日競馬に行った時に挨拶して、そこで今度植物園に一緒に行きませんか、って話になったのよ。伯爵家のゾフィーがお母様と一緒になってビュート卿に熱心にアプローチしていたから、私がビュート卿と一緒に歩いている時の表情ったらなかったわ。別に甘酸っぱい話とかにはならなかったわよ。」
ーーービュート卿の領地は海が近いから海洋貿易を盛んなお陰で裕福だっていうもっぱらの噂だよね。。。
「うーん、どうかしらね。私、お金はもちろん大切だけどそれだけじゃないって思ってるから。ゾフィーはしっかりお金第一。外国の物が自由に買えると思っているようなのよ。この間のお茶会で『いずれ結婚することができたら融通するわ』なんて言っていたのよ。婚約を申し込まれたわけでもないのにその自信はどこから来るのかしらって呆れちゃったわ。」
ーーー君は自分の魅力をもっと知ったほうがいいよ…
「ふふ、ありがとう。頭ではわかっているけれど、気持ちが追いついていかないわ。
だって、私はあなたが…」
そう言って口をつぐむヒルデガルドを見て、シャルルは、ヒルデガルドがただただ幸せになってくれればいいと思っていた。
◇ ◇ ◇
ある年、王国に天候不良と流行病が一気に広がった。ヒルデガルドの領地では農業が主要産業だった。流行病で亡くなった農民も少なくはなく、被害は日増しに増え、ヒルデガルドの婚活は絶望的となった。誰も婿入りしたいとは思わないだろう。
これはヒルデガルドの領地だけの問題ではなく、支度金が求められるため同じく困窮を強いられる貴族の娘全てに言えることだった。
ヒルデガルドは自分の婿取りは諦めて、資産家の後妻を狙うことに意識を変えた。流行病がおさまる気配は一向になく、先の見えない不安から暗い空気が世の中にじわりじわりと広まっていった。ヒルデガルドが結婚し、婚家からの財政支援で子爵領の領地経営を立て直す他道は無い。いずれ、自分の可愛い妹の婿取りが完璧に出来るように今出来ることに集中することにしたのだ。王子妃の侍女になることを考えるなんて、今はそんな余裕はなかった。だが、そんなヒルデガルドを嫁にとりたがる家ももちろんなく、焦る気持ちだけが毎日毎日シェルバーン子爵家を浸していた。
そんな中、市井では「本当に困った人のもとに王子像の貴金属がもたらされる」という噂が流れた。ヒルデガルドが語りかけにいく街の王子像は、確かに像を包んでいた金が剥がされて中のブロンズが剥き出しになっていた。きっと、生活に困窮した人が少しでも生活の足しにしようとひん剥いたのだろうか。雨が降ったせいで、ブロンズが溶けてまるで王子が泣いているように見えた。
「あぁ、あの王子像のおかげで生き延びた人が、この街に確実にいるのよ。
シャルル、あなたは像になってなお、民を生かすのね。立派だわ…
…立派じゃなくていい、私はただただ、あなたに会いたい。」
ぽつりとつぶやいたヒルデガルドの声は誰にも届かなかった。
ヒルデガルドの住む領地は今期の納税軽減措置を決め、来春の作付けに向けて資金援助などを行うことになった。適切な支援をしなくては冬を越せない領民が増えるからだ。一方で、最低限の支援に留まり積極支援を渋る貴族が一定数いた。冬を前に社交界シーズンも終わりを迎えようとする中、舞踏会では必要な支援施策を出さないまま変わらず煌びやかなドレスや貴金属を身に纏っている貴族が新聞で報じられ市民からの反感により一部領地では暴動も起き始めていた。
ヒルデガルドも、情報を求めて社交界には留まっていた。けれども、婚活は諦めてしまったので、前に着たドレスをリメイクして少しでも経費を抑えようとしていた。母も同様だが、元々持っていたドレスが多く、うまく着こなしていた。
「あら、ヒルデガルド。あなたったら、本当にペールブルーがお好きなのね。そんなに何度も着たら、ペールブルーがくすみブルーになるのもそう遠くはないわね。」
「本当に貧乏ったらしいんだから。」
「ドレスくらい、新調してもらえないの?」
毎回毎回、飽きもせず、ご令嬢たちから心無い言葉を言われる。最初は、似たようなデザインがお好きなのね、から始まって今やこの言種だ。ヒルデガルドだって、傷つかないわけじゃない。いつもの通り、マクレガー男爵令嬢とリズボン伯爵令嬢は、ヒルデガルドに噛み付いてくる。この二人のご実家は支援政策をほとんど対策せず今まで通り娘たちのドレスは毎回新調している。彼女たちの着ているドレスで、一体何件の人たちが後1ヶ月食事に困らないでいられるだろう。ふーっとため息を一つついて、ヒルデガルドはにっこりと笑顔を貼り付けて、彼女たちから少し体を斜めに向きを変えた。
「皆様に見ていただけるなんて光栄の極みですわ。このドレスについているレース、私の領地で最近開発しているものなんですの。チュールレースですが、デザインが独特なんです。本日のものはリボンを模したものになっているのですがご覧になれますか。」
「…あら、本当だわ。かなり繊細なレースなのね…」
「もしよろしければカーハンプトン公爵夫人のお好きなラナンキュラスをモチーフにしたレースをお届けさせていただければと思いますがいかがですか。」
「あら、それは素敵だこと。」
ヒルデガルドは、公爵令嬢の側にいた母親である公爵夫人に話を振ってその場の空気を変えた。娘たちについていた母親達は、社交界での様子を基本傍観していたが、公爵夫人に贈るというレースについてはしっかり見聞きしているのをヒルデガルドと母は確認した。
カーハンプトン公爵夫人へ贈ったレースは、繊細かつ豪華な意匠にし、力を入れて製作した。合わせて、家紋のレースも作り、ラナンキュラスの花束と添えてプレゼントした。夫人は喜んで、早速レースを使ってドレスを仕立てた。お茶会では美しいレースが評判となり、次々に色々な夫人がレースを求めるようになった。繊細な手作業なことに加え、フルカスタムオーダーメイドで色も自由に出来るにも関わらず納品は通常のシンプルなレースと同じくらい早く仕上げてくるので、シーズン最後のお茶会、晩餐会むけにと流行になった。通常のレースに比べると3倍の値段ではあるが、レースは一部にしか使わないため、多少金額が高くてもと購入する貴族が後をたたなかった。
「ヒルデガルド、私の女神。本当に素晴らしい!レースを公共事業化したお陰で冬を越せるだけの賃金が稼げたと報告が上がってきた。」
「お父様…お母様が広告塔ですので。家族の大事は皆んなで乗り越えないとですわ。」
「お前のドレスを作ってやれなくて本当に不甲斐ない。」
「そんなこと言わないで。まだうちにはシャーロットがいるから。これからだから。諦めないで。ね?」
「ヒルデガルド・・・ぐっ、、、すまない。」
そんな風に父に喜ばれたり悲しまれたりすると、ヒルデガルドは決まってシャルルに報告に行った。
ーーー流石ヒルデガルドだ。君の機転がたくさんの命を繋ぐ。僕なんかよりもずっと。
君の沈んだ心を、一緒にブランコに乗って浮かばせてあげたい。
「シ、シャルルったら!」
耳まで真っ赤になるヒルデガルドを見ることが大好きなシャルルは、その後も甘い言葉を囁き続きけた。
その後、社交シーズンが終わりを迎えるとヒルデガルドは領地に戻り、追加救援施策を父と共に考えた。
ヒルデガルドの場合は、淑女なので簡単に外をうろつけないが、上がってくる陳述書と父の領地視察に同行し、やはり来春まで待たずにジャガイモなどとにかく手入れが少なく簡単に育つ作物を中心にすぐにでも着手したらいいだろうと結論づけた。そこで、他領地から種芋を追加購入し貸付することで春には無事収穫することができた。
ーーーヒルデガルド・シェルバーン子爵令嬢は未婚だが、父の領地経営に口を出しているらしい。
結婚したら、尻に敷かれるぞ。
もしかしたら魔女のお仲間なのかもな。
いつの頃からか、そんな噂が広まった。シェルバーン領ではヒルデガルドの施策とわかるレース事業などは好意的に捉えられていたので、領民自身は悪く思っていなかったが、悪いゴシップはあっという間に広まる。そして、そんなヒルデガルドの元を、評判を聞いた魔女が気まぐれに訪れたのはまだ花冷えの寒い日のことだった。
「ヒルデガルドという娘がいるのはここかい。」
「はい、私がヒルデガルドです。」
「ふん、魔女の仲間かもなんていうから顔を見に来たが普通の娘っ子じゃないか。わざわざ来て損した。」
「それはそれは、遠方からご足労いただいて、恐縮でございます。せっかくいらしていただいたので、どうぞほんの僅かではございますが、旅の疲れを癒していっていただければと思います。」
シェルバーン子爵家総出で、魔女に対して、心を込めておもてなしをすることにした。魔女の好きな食事、お菓子、お風呂、動物、本、したいといえばなんでも付き合った。侍女やメイドたちが怖がって近づけないので、ヒルデガルドがメイドの代わりに常に魔女の側に控えた。
「お茶」
「ケークサレが食べたい」
「テラスで風呂に入る」
「ベッドカバーをボルドーにして」
「湖に行ってくる」
「この材料持ってきて」
ヒルデガルドは魔女の一つ一つの要望に応え、メイドたちを説き伏せてマッサージなどもするなどして心から敵対心がないこと、歓迎しているということを態度で示し続けた。
マッサージが終わって、サングリアを水代わりにガブガブと飲んだ魔女はすっかり上機嫌になった。顔が赤いのはぱちぱちと爆ぜる暖炉の火に照らされているだけではないようだ。
「来て損したと思ったけど、お前なかなかやるじゃないか。すっかり疲れは癒えたし、のんびり過ごすことができたよ。湖遊びの際に見えた流行病だけど、ここに書いてある薬を作って飲ませな。次に遊びにくるときには、もっと盛大に迎えてくれることを期待しているからね。」
「あっ、ありがとうございます…!大きな御心に深く感謝いたします。」
魔女が薬の調合方を書いた紙を手渡してくれたその時、魔女のペンダントのロケットが開いていて、シャルルの絵がチラリと見えた。ヒルデガルドはハッと息を飲んだ。
「そ、その絵は…」
「あぁ、これかい?どうだいカッコいいだろう。私だけの王子様なんだよ。ふふふふふ。
この王子様には私しかいない。あたしが死ぬまで一緒なのさ。あっはっはっは。」
「た、確か王子様ですよね。も、もう戻ることはないのですか?」
「これは、真実に愛し合う者同士のキスで呪いは解ける。ただし、裸の心で。ふふ、うふふふふ。
王子はもう何年も私とだけ、一緒にいる。真実に愛し合うものはこの世にはいない。
私が持つ、この絵にだけ魂が宿っているのだから、一生王子は私のもの。うふふふふ。」
「そうなのですね。絵の王子は魔女様とお話されるのですか?」
「魂は写したが所詮絵は絵でしかない。話はできない。」
「そうなのですね…あっ、魔女様、サングリアが無くなっておりましたね。今注ぎます。」
「ふふふふふ。ヒルデガルド、いい子だ。」
魔女がしこたまお酒を飲み、酔い潰れてこの様子だと確実に昼までは起きてこないだろうという様子を見届けたヒルデガルドは、真夜中にも関わらず真っ直ぐシャルル像まで馬を駆けた。あたりは暗く周りには誰もいない。護衛さえつけてこなかったことに気がついたが、どうでも良かった。
ヒルデガルドは震える手で、いつも話しかけていた丸裸になった王子像によじ登った。
「シャルル。シャルル。貴方のこと、いつも想っていた。私、ずっと貴方のことが…」
そっとキスをする。
「…何も起きない。ふふっ、そうよね。愛し合うもの同士のキス、ですものね。うぅっ、シャルル…」
ヒルデガルドはその場に泣き崩れた。そして、体の芯まで冷えた頃、よろよろと馬に乗って屋敷に戻った。
翌朝になって、魔女はシェルバーン子爵家を去っていった。
ヒルデガルドは父と母に掛け合って、魔女からもらった治療薬を試験するための手配に早速入った。治験を行なうと、結果はすぐに出て問題ないことがわかった。慌てて、その治療薬を量産し、領地内の流行病は徐々に収束を見せていった。
魔女が渡してくれた治療薬の調合材料は基本領地内で賄えるものだったが、シェルバーン子爵領でしか取れない材料が一つだけ入っていた。そして、それがないと治らないこともわかった。ヒルデガルドは、魔女の気遣いに感謝し、国内で治療薬を求める領地に向けて手紙を書くためにペンを持った。
ヒルデガルドに意地悪をいい、領民のことを思わなかったマクレガー男爵家とリズボン伯爵家には通常の倍の卸値の指定と、その半分の金額で市場に配るよう指定した。男爵家は支払いに応じたが、莫大な費用になり贅沢はできなくなったようだとお茶会で聞いた。リズボン伯爵家は卸値価格のまま市場に出していたので、半値で薬を市場に流した。伯爵家は大量の治療薬の在庫を抱え、しかも卸値が他領に比べ高いので、売ることもできず、領民からも伯爵家が高額な金額で売ろうとしたということで市民感情は今までになく悪いようだ。
ヒルデガルドはもう二度と、シャルルの像に足を運ばなかった。
◇ ◇ ◇
治療薬のお陰で、シャーロットの持参金が用意できた。今回の治療薬開発の功績でヒルデガルド自身が婿取りをすることも叶いそうだ。相変わらず、噂を信じて軟弱な男性からは連絡はこないが、それでもちらほらと、ヒルデガルドへの求婚の手紙が届いていた。
「お姉様、どうされるの。」
「そうねぇ。会って見ないことにはね。」
「お姉様のお心には、私の知らないどなたかが住んでいらっしゃるようですけれど。」
「ふふっ、よく見ていることね。えぇ、確かに私の心に住んでいた人がいたけれど、私はその方が私にも心を返してはくれないと、知っているの。」
「まぁ…お姉様。涙をお拭きになって。あらっ、何かしら、階下が騒がしいようだけれどお客様がいらしたのかしら。」
バタン!とドアが開いてメイドがバタバタと部屋に飛び込んできた。
「ヒ、ヒルデガルドお嬢様!お、王子様がいらっしゃっています!!どうか応接室まで、すぐに。」
「なんですって??」
慌ててヒルデガルドは応接室に向かった。窓の外から柔らかな午後の日差しが降り注いでいる。金髪が陽の光を浴びてキラキラと輝いて見える。外の庭園を見ていた、その人がゆっくりこちらに振り向いた。
「っっ、シャルル?」
「やぁ。ヒルデガルド。こんにちは。」
「あなた、一体どうして…」
「さぁ、どうしてだろうね。呪いが解けて、肉体が戻ってきたんだけど、魂がまだ戻りきっていないんだ。」
「なんですって??」
「魔女のペンダントにされていた僕がまず広場の像に戻ってきたけれど、それ以外の魂は近くにあった魂が吸い寄せられてきて、ようやく動けるようになったんだ。酷いよヒルデガルド、僕の呪いを解いておきながら、放置しちゃうなんて。」
「あっ、あっ、あなた、広場の像のシャルルなの?」
「広場の像のシャルルっていうか、全部僕は僕だけど。そう、あの時、呪いが解けて、僕の肉体が戻ったんだ。その後、魂が欠けていることに気がついた。シェルバーン子爵の支援を受けて王都に戻りながら魂を集めて回ったんだ。父や母にも挨拶済だよ。僕を放置したヒルデガルドにだけ、情報が回ら無いようにしたからね。びっくりした?」
「っっ、びっくりしたわよ!」
「ははっ!サプライズが成功して良かった。」
シャルルがそっとヒルデガルドの手を掴む。そっと手袋を外し、その手にゆっくりと口付けた。
「ヒルデガルド。僕だけのの本物。どうか私と結婚してもらえないでしょうか。」
「えっ…!!!えっ、えっ、で、でも子爵家じゃ、、、」
「もうルイが立太子しているから、僕の相手は高位貴族から選ばなくても良くなったんだよ。だから、ヒルデガルド、僕をお婿さんにして。」
「〜〜〜っっっ!!!」
◇ ◇ ◇
シャルルはヒルデガルドとこぢんまりとした式を挙げた。魔女は隣国の男爵令息となんと結婚したらしい。男爵令息は魔女を屋敷から出さないほど溺愛しており、すでに子供が二人生まれていると風の噂で聞こえてきた。
シャルルは、ヒルデガルドとともに不作の対策と再発防止策、流行病が起きた時の対策方法について仕組み化を考えて何度も実験した。その後も小さな不作や流行病は起きたが、その都度改善点を修正し、子爵領は大きな被害を出さずに領地経営を守り抜いた。父から代替わりしたあとも大きな混乱なく、安定したいい領主となって人々に慕われた。
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