第四十八話
……私は目覚めました。なんだか頭の回転が早くなったような気がします。これも、カースソードの力でしょうか。
「……え、エレナ……? それとも……?」
「大丈夫ですよ、私はちゃんと私です」
私が私なのかアルさんなのかわからなくて、不安そうなキサラさんに、私は安心させるように言いました。
「……あなたの、名前は……?」
「エレナですよ?」
「……よかった……」
名前まで言って、ようやく安心してもらえました。もう、心配性ですね。
「……アルは……」
「……もう、いません」
それを聞くと、キサラさんは大きく目を見開いて、だんだんその瞳は涙で滲みました。あふれる涙をを必死にこらえようとしているキサラさんに、私は言います。
「……泣いてもいいんですよ。私も、いっぱい泣きました」
「……っく……」
それは静かな涙でした。レナさんのように怒鳴り散らすでもなく、私のように嗚咽をあげるでもなく、ただ静かに。涙だけを流す、そんな泣きかたでした。
「……大丈夫だよ」
「……エレナ……?」
元気になってほしくて、アルさんの真似をして、キサラさんを励ましてみます。でも、あまり効果はありませんでした。むしろ、傷つけてしまったかもしれません。
「……アルさんのモノマネです。上手でしたか?」
おどけて言う私に、キサラさんはうなずきました。そしてまた、静かに涙を流します。
「……エレナ、大丈夫……?」
「……大丈夫、ですよ」
再会を喜んでくれても、私は素直に喜べません。私はあの人を、この手で殺めたのですよ? 好きだった、愛していた人を、この手で、この、剣で。
「……エレナ、それは……?」
気がつけば手にあった剣をさして、キサラさんが訊きました。
「……そう、ですね。リトルブレイドかタイニーエッジ、どっちかにしようと思っているんですが」
「……ね、ねえ、アークソードは、どこ……?」
「その代わりに、これだそうです」
私は手に持った剣をキサラさんに見せます。アークソードの半分ぐらいの大きさしかなくて、軽くて、柄には鉄色の可愛らしい装飾も施されています。私には、ピッタリです。
「……そう……」
そう答えるキサラさんはどこか虚ろで、なんだか、この人ははどうしてもアルさんを失った悲しみを忘れられないようです。私だって悲しいです。けど、私まで悲しんでいたら、なんにもできなくなります。もしかしたらあの人の後を追いたくなってしまうかもしれません。そんなことにならないためにも、ここは、頑張らないといけません。多少無理してでも、明るくならないと。
「……行きましょうか、キサラさん」
「……どこへ……」
「どこかへです。私たちは、旅人ですから」
「……アルの、体は……」
「ここに置いていきましょう」
「……ぃゃ……」
小さな、でも確かな否定。……たしかに、アルさんと離れたくない気持ちはよく、わかります。でも、いくらアルさんの遺体を運んでも、アルさんは生き返らないんですよ。言い方は悪いですけど、もう、これはアルさんの形をした肉の塊です。そうでも思わないと、私は進めそうにありません。
「……行きましょうよ、キサラさん」
「……キサラって、呼んで……アルが、言ってたみたいに……」
「そうですか……。行きましょうか、キサラ」
「……」
うん、とは言いませんでした。けれど、キサラは立ち上がりました。その目はまだアルさんの体を見つめています。それを私は未練がましい、とは思いません。私だって、本音を言えばいつまでも時間の許す限りアルさんの面影を見つめて、みっともなく泣き喚いて、すがりついていたいです。でも、それじゃだめなんです。約束もあります。でも、それ以上に私はここで終わりたくなんかないんです。
「……行きましょうか」
「……うん……」
まだアルさんを見つめるキサラに先を促して、私たちはすっかり人気のなくなったこの国を出ます。アルさんがミケーア商会の人たちを倒して、ううん、殺してくれたから、こうして私たちは安全に国を出ることができます。そう考えて、また泣きそうになりました。……ダメです、今は、ダメです。もし、私がここで泣いて、立ち止まってしまったら、もう進めなくなります。それはいけません。
「……アルさん……」
私たちの旅立ちはあまり幸せなものではありません。けれど、いつかはアルさんと旅をしていた時のように、キサラと笑って、冗談を飛ばしあって、楽しんで旅をしたいです。
……そして、いつか、私が誰かのアルさんになれることを、目指して。
さあ、旅立ちましょう。
私は旅人。
ほんの一年ほど前から、ただあてもなく、観光こそを目的に荒野を歩き回っている。
「ねえ、エレナ」
「なぁに、キサラ?」
後ろから声をかけて来たのは、どこか儚い印象を持つ女の子、キサラ。ピンク色の髪に、桃色の瞳。服装は白い簡素なワンピース。あまり口数が少ないから、私は彼女の目を見て考えていることを読み取る。表情も少ないキサラだけど、目は意外と彼女の心情を表している。これは彼だって知らなかったはずだ。……またひとつ、彼に勝てることが増えた。
「血の匂いがする」
「本当に? 私はなんにも匂わないけど……」
私の口調は一年前と比べて、随分粗野になった。もちろん前のように口調を戻すことはあるが、それは大抵がからかいの意味を込めていたり、自分たちに有利になる時ぐらいに限定されている。 今なら彼と口喧嘩をしても勝てる気さえする。
「エレナは視覚も聴覚も優れているのにどうして嗅覚が人並み以下?」
「視覚と聴覚、オマケに嗅覚までよかったら私がまるでバケモノなにかみたいじゃない」
冗談だけど。多分、目と耳がよかったら鼻はあんまりいらないからだと思う。必要のない物は使わない。使わなければ衰えていく。体とはそういうものだろう。
「そうかな。便利でいいと思うけど」
「そうかもね。で、ここからどれくらいの場所?」
冗談はこの位にして、キサラに訊く。
「……あっち」
キサラが指を指した方向によく目を凝らすと、確かに、いくつか人の姿が確認できた。一人の人間を、何人かで囲んでいる。囲まれている人間の性別はわからないが、おそらく女の子だろう。
「よくあんなところからの匂い嗅ぎとれるね〜」
「あんなところまで見れるなんて……」
お互い、羨むものが一つはある。そうでなければやっていけない。
「ま、取りあえず行ってみましょう。話はそれからね」
「うん」
私たちは走ってその人影のところに行く。旅をする前は体力に自信がなかっけど、今は自信を持って体力があると言える。今となっては嫌な思い出しか思い出せない両親と故郷だけど、こんな体に産んでくれたことだけは感謝している。
「あの~?」
「んだよゴラッ!」
「ひっ……」
女の子を囲っている三人のうち一人に声をかける。すぐさま怒鳴られて、怯えたふりをする。
あの人との思い出を思い出せば、怯えたフリはすぐにできる。あの人は問答を少ししたあと、私をとらえようとしていた人たちを皆殺しにした。私はそこまで非情にはなれない。
「……なんだよ、女か」
私を怒鳴った人とは違う人が、嬉しそうにつぶやいた。
「あ、あの、何を、されている、のですか?」
「んん~? 興味あるのかな、おじょーちゃん」
また違う一人が、私たちにむけて下卑た笑みを向けた。吐き気がする。あの人は意地悪だったけど、ここまで嫌な笑みは浮かべなかった。それに、あの人は私をからかってはいたけど、優しかった。こんな奴と比べるなんて、私はどうかしている。
「あ、え、ええっと、はい」
「ひっひっひっひっひっ! 今からこいつをバラして売るところだったんだよ! お前らもこいつと一緒に仲良く売られろよ! お前は女だし、俺らと楽しんでから、なぁ!」
私に怒鳴った男性が、そんなことを言います。……。
今、理解できた。どうしてあの人が、私たちを助けたのか。それは、私たちのことを哀れんだり助けたくなったのではなく、私たちを連れる彼らが、許せなくなったからなんだろう。
「遠慮します~。私、貞操はある人に捧げているんですよ〜」
もう、この世にいないけど。
「げひゃひゃ! そんなの関係ねえよ! 楽しもうぜい!」
「……遠慮します、と言っているのですが?」
私は後ろ腰から小剣リトルエッジを抜きます。元カースソードで、あの人の魂が入った剣。小ぶりで、私の体にぴったりと合った剣。
「なんだよ? やる気か?」
「……もちろん」
まず、ひとり。まさか今まで怯えていた人間が剣を振れるとは思っていなかったのか、完全に油断していた目の前の男に斬りかかる。彼は抵抗もできず、昏倒。実に惜しいことだが、峰打ちなので殺してはいない。
「なっ、お前、猫かぶってやがったな!?」
「媚びている、と言っていただけますか?」
あの人に対しては、気が付いたら媚を売っていた。嫌われたら殺されると感じていたからなのか、ただ単に彼のことが好きだったからなのかは、今となってはもう判らないけど。
「やっ」
短く息を吐いて、二人目を気絶させる。
「……ちっ! メスガキの癖に生意気なっ!」
「よかったですね、あの人がいなくて」
「あんだと!?」
もしここにあの人がいたら、あなたたち皆殺しでしょうから。……そうだ、少しはあの人のように、圧倒的にやってみよう。少しだけ本気を出す。
「行きますよ? しっかり防いでくださいね?」
「な、なに言ってやがる!」
一歩跳んで、最後の男の横に。一瞬の挙動で胴を狙って横に斬る。驚いたことに、彼は腰からナイフを取り出して、私の剣を防いだ。……ああ、もう。
「……ッ」
一歩跳んで、彼の後ろに。彼は反応して、こちらを向く。つまり。
「キサラ!」
キサラに、後ろを向けた格好になる。……それは一番やってはいけないミスだ。
「がっ……」
びくんと、男は全身を一度大きく震わせて、そして倒れた。
「……殺した?」
キサラは首を振った。
私は彼女の答えを聞いて胸を撫で下ろした。よかった。
「大丈夫?」
私はできるだけ怯えさせないように気を付けながら、倒れている女の子に手を……って、あれ。
「あ、ありがとう、ございます……」
声は少し高めだが、間違いなく男の子の声だった。
「え、ええっと、私はエレナ、こっちはキサラ。あなたの名前は?」
君、男の子だったんだ、とは言わない。きっと勘違いされるのは嫌だろうから。
「あ、はい。俺は」
なんだか無理して俺、って言ってるみたい。似合ってない。
「俺、アルって言います。アルフォンスを縮めて、アル」
「……」
私とキサラは目を見合わせた。アルだって?
「……ま、まあいいわ。で、あなたどうしてここで、こんな連中に?」
少年はたどたどしくも事情を説明してくれる。といっても、彼自身あまり自分の身に何が起きているのか理解できないみたいだった。……まるで、私みたい。
「……そう。じゃあ、お家に帰る? それとも、私たちと来る?」
どうして、誘ったりしたんだろう。また、私は誰かをアルと呼びたかったのだろうか。
「……ついて行って、いいんですか?」
意外なことに、彼はそう訊いてきた。へえ。
「私はいいけど、キサラは?」
「私も、別に」
「じゃあ決まりね。取りあえず、あなたの故郷に行きましょうか。ここからそう遠くないんでしょう?」
図星だったのか、少年は少し驚いたような顔をした。
「どうして?」
「ま、旅人ならできて当然の推理、かな。それと、補給をしなきゃいけないし。食い扶持がひとり増えるんだからね」
本当は、私がそうだったから言ってみただけなんだけど。
「……わかりました。こっちです」
彼は渋々、故郷に向かって歩いていった。くす。ふてくされた感じがなんだか可愛らしい。ああ、これが、あの人が私をからかっていた理由かな。なんて他愛ないことを思いながら、私たちは進む。
彼との旅はどれくらいの長さになるのだろう? レナと旅した期間ぐらいだろうか、それとも、私とあの人ぐらいだろうか。私の夢はあの人のような旅人になることだから、できることならこの子とは長く旅をしていたいな。
「よろしくね、少年」
「アルですって」
「あはは、その名前を私たちの前で名乗るには、もうちょいかかるね」
「……?」
まあ、何はともあれ。
さあ、旅立とう!
fin




