第四十七話
……。
あれ。身体が動かなくなった。のに、僕は意識がある。いや、意識の残滓、かな。まるで鳥になったみたいに、僕は沢山の死体が転がる大通りを見ていた。俯瞰風景、っていうのかな。
「あ、アル、さん……」
エレナは呆然と、動かなくなった僕を見つめている。泣きそうな目で、絶望に顔色を曇らせて。
「……そんな……」
キサラは呆然と言った。生きている人間の中にジークの姿はない。きっと、僕はあいつを斬れたんだろう。でなければ、三人が元気に生きているわけがない。
「……そんな。嘘よ。アルが、死んじゃうなんて……嘘よッ!」
レナは、恥も外聞もなく泣き始めた。僕のために泣いてくれているのだろうか。そうだろう。……なら、嬉しいな。伝えたいけど、伝えられない。
「……アルさん、知ってたんですね、こうなること」
よくわかったね。
届くことはないとわかっていても、そう言わずにはいられなかった。もし届いたら、きっとエレナは頬を膨らませて、僕に怒るんだろう。でも、僕はそれでもいいと思っていた。また、この子と会話ができるなら、どんな話題でもいい。
「……私、剣は握りたくないって言いませんでした?」
言ってなかったよ?
「……でも、あなたの遺言です、聞き届けてあげます」
エレナはそう言うと、僕の傍に座り込んで、アークソードの柄に触れようとする。
「……っ、だ、ダメよ! エレナ、話を聞いていなかったの!? あなたがそれに触っちゃったら、カースソードに乗っ取られちゃうのよ!?」
「かまいません。アルさんの遺言です、聞かないわけにはいかないんです」
「ど、どうして……?」
「アルさんは私の恩人で、大切な人で、好きな人ですから」
まるで当然のことのように、サラリとエレナは言った。……びっくりした。
「……だ、だからって」
「それに、私は、これから1人で旅をしなければなりません。どちらにせよ、武器は必要です」
「……私も、一緒に……」
「わかってます。一緒に行きましょうね」
悲しげな表情をしたキサラと、虚ろな瞳をしたエレナ。二人ともこんな状態じゃ、旅人になってくれることを素直に喜べない。
「……っ! な、何よ、二人とも……。好きにしなさい!」
レナはそう言って、涙ながらにどこかへと去ってしまった。僕の身体が動けば、追いかけるのに。
「……じゃあ、好きにすることにします。アルさん、もし、私が呪いに負けたら、あなたに乗っ取られることになるんですよね?」
そうだよ。
「なら、私はそれでいいです。あなたに、私をあげます。好き使ってください」
ダメだよ。僕はもう誰にもなりたくないんだ。
「大丈夫です。きっと、私は呪いに打ち勝ちます。そして、あなたの剣と一緒に、旅を……」
最後は、声にならなかった。嗚咽と、涙。
「ねえ、アルさん。私、ずっと、ずっと、アルさん、あなたと旅をしていたかったです……っ」
僕と、ずっと。エレナは僕が人じゃないことを知ってる。でも、それでもエレナは僕と一緒に旅をしたいと言ってくれた。……ありがとう。そう言いたいよ。
「……エレナ、私が持つ。そうすれば、あなたはアルと旅ができる……」
「それだけはダメです! なんのために痛い思いをしたんですか! 奴隷でない人生を送るためでしょう!?」
名案を思いついたような顔をしたキサラに、エレナは厳しく言った。
「……そうだけど……でも、あなたが、アルと……」
はっとしたように、エレナはキサラを見た。キサラはまるで自分が消えて僕が生き返ればそれでいい、と目で言っていた。そんなキサラを見たエレナは、悲しげな瞳に少しだけ優しげな色が灯った。
「あ、あはは……。大丈夫ですよ。今のは仮定の話ですから。……そうですね、冗談、ですよ。アルさんのことは好きですけど、それでも、体をあげるほどじゃありません。貞操ならいくらでも差し上げますけど。……って、アルさん、女の子でしたね」
事実なので怒りようもないし、身体がないので怒れない。今は、きっと歴とした男なんだろうけど。
「さ、さて、ちゃっちゃと呪いを返り討ちにして、旅立ちましょうか!」
「……うん……」
キサラはエレナのために、エレナはキサラのために無理をして、明るく振舞っているのは明らかだ。……でも、いつか、その嘘が本当になればいいな。いや、なるさ。僕が消えて、二人で一緒に歩いていけば、あとは時間が傷を癒してくれる。
「……さて、と。アルさん。最期になりますけど、勝負しましょう」
ここにいないはずの僕に、エレナは語りかける。……いいよ。一度、君とは勝負したかったんだ。
「あなたが勝てば、私の体をあげます。私が勝てば、あなたをください」
いいよ。どっちにしろ、僕はもう動けないし。ただの、そこらへんに落ちている剣となんら変わりない。
「……エレナ……」
「大丈夫です。勝ちます。勝って、旅します。アルさんの分まで」
躊躇いがちにもエレナは柄に手を伸ばし……。
「……一応、言っておきます。さよならです、キサラさん、アルさん」
「……っ。さよなら……」
さよなら。
別れの言葉と共に。
意識が、どこかへと連れ去られたような感覚がした。
……きっと、連れ去られる先は……。
カースソードの、中だ。
「え、あれ、ここは?」
「僕の中だよ」
暗い昏い空間。森の時に見た夢の中と、ほぼ同じ。あの時は夢を見ていたことさえ忘れていたけど、今はあの夢の場所がここであるとはっきりとわかる。どこまでも広く果てはなく、どこまでも暗く光はない。けれど、矛盾したことに互いのすがたははっきりと見えた。
「あなたの中、だなんて……なんだかエッチぃ響きですね」
「あのね。僕は男だよ?」
「身体は女の子じゃないですか」
「……むう。切り返しがよくなったね」
「私が目指すのは、あなたのような旅人ですから」
目指して欲しくない気もする。
「……驚かないの?」
「驚いてます。なんだかずっとここに居たい、って思ってます」
「……どうして?」
知らないふりをするのは辛い。けど、けれど。もし、僕がエレナの気持ちを知っていて、僕はまんざらでもないと思っていると知ったら? もしかしたら、ずっとここにいると言い出すかもしれない。
「私、こんな暗いところが大好きなんです。きっと、気持ちよく眠れるとおもいます。……ずっと、ずっと」
「……そうだね。きっと、最初は怖いだろうけど、一度眠ったら、ぐっすり眠れるだろうね」
「ええ」
……だめだ。
「さあ、世間話はこれくらい。勝負、いや、試験、だね。試験をしようか」
「……はい」
これ以上、エレナとこんな嘘だらけの話をしていたくない。これ以上話していたら、言ってしまいそうになる。寂しいよ、君も、一緒に。……それだけは、言ってはいけない。
「……で、でも、どうやって……」
「こうやって」
暗闇が僕の右手を覆い隠して、それが晴れると、手には慣れ親しんだアークソードがあった。
「君も、やってごらん。出したいと思えば出せるよ。ここで出した武器が、そのまま君の武器になる」
前任者は弓で、僕は剣。さあ、エレナは何になるだろう?
「……んっ」
僕と同じようにエレナの右手を闇が包み込み、それが晴れると、そこには。
「……君らしいよ」
「そ、そうですか?」
エレナの手には、小振りで、柄には可愛らしい装飾が施された片刃の剣が握られていた。
「……それで、試験って、なにするんですか?」
「僕と戦って、僕を負かせばいいんだよ」
少しだけ驚いたような顔をした。
「……私、戦えません」
「僕の戦闘を、ずっと隣で見てきたろう?」
時には、危険を冒してでも。
「……でも……」
「これ以上、迷わないで。僕はもう、死んでるんだ。これは、ただの通過儀礼だよ」
じゃあ、アルは、それすらもできなかったということだろうか。きっと、同じような状況だったんだろう。前任者とアルは僕とエレナみたいな関係で、何かがあって、前任者が僕みたいに死んだ。アルはエレナと同じようにここに来て……。試験を、クリアできなかったんだろう。
「……でも、アルさん」
「アル、は僕の外殻だよ。僕はカースソード。カースって呼んで」
あえて、エレナとの差を強調する。そうでもしないと、きっとエレナは僕に剣を向けないだろう。
「……カースさん、あなたは、私の前で動いて、話しています。……それを死んでいるとは、思えません」
「……そう」
……ダメだよ、エレナ。僕は死人。君は生きている。生きている限り、生きようとしなきゃ。
「……じゃあ、キサラは置いて逝くんだね」
「……っ」
エレナは唇を噛み締めた。
「……そうでした。私は、キサラさんを外に置いて来たんでした。……あなたの存在が強烈すぎて、忘れてしまいました。それだけ、死んだ人が目の前にいるって、すごいことなんですよ?」
「わかってるよ。でも、君は向こうに帰るんだろう?」
「……はい。約束、ですから」
「キサラとの?」
「それも、あります。でも、あなたと約束しました。一方的にあなたがしたんですけど。……私は、あなたの剣を持って、旅をしなければなりませんから」
ゆっくりとエレナは剣を構えた。辿々しく、けれど瞳には確かな意思を宿して、切っ先を僕に向けた。
「……私は、死にませんでした。あなたが守ってくれていたからです。これからも、死にません。私が自分で自分を守るからです」
「……良い心掛けだね。感心するよ」
冗談抜きで、そう思う。ほんの少しの間で、エレナは急成長した。いや、なにも成長はしていないのかもしれない。ただ、覚悟が決まっただけなのかも。
「じゃ、始めるよ」
「はいです!」
僕は容赦なしに、大きく振りかぶって斬りかかる。
エレナは大きく横に跳んで避けた。へえ、意外。体力はあるから、こんな芸当ができるんだね。
「……あなたを斬る、と覚悟したんですけど、どうもですね……」
「まあ、気持ちはわかる」
「本当ですか?」
うん。君を斬る、なんて。
「……うん。でも、容赦はしない」
「はい!」
僕らは斬り合う。一合二合。剣が大きいから威力のある僕と、小さいけど体の力が強いエレナとで、力の差はほとんどなかった。あとは、エレナが見よう見まねで戦おうとするだけで、僕らの差はあっという間に埋まる。……なんだ。剣としての僕も、この程度か。今初めて剣を握ったような女の子と拮抗するような実力。カースソードに戦闘を任せすぎたんだ。……でも、もしそうしていなければ、とっくに勝負はきまっていただろう。
「はあっ!」
エレナの気合い一閃。僕は辛うじて防ぐ。
「なかなかやるじゃないか」
「ずっと、見てましたから。ずっと、夢見てましたから。あなたの隣で背中を合わせて戦いたいって!」
鋭い一撃が、幾度も僕を狙う。僕はそれらを受け流す。
「……そうなんだ」
「はい。だから、本当は戦いたくないんです。いますぐにでも斬り殺されて、あなたに体をあげたい、って思うくらいなんです」
「……そう」
僕はエレナ胴を狙って横に斬る。エレナは後ろに跳んで躱した。……すごいな。もしかしてエレナって、戦闘センスもあるのかな。
「……どうして私、あなたに剣を向けてるんだろう、って思います。あなたに殺されて、あなたを生かしてあげたいはずなのに、なんでこんなに抵抗してるんだろうって思います」
「ふうん」
じゃあ、動かないでよ。なんで戦うのさ。
「でも、私は負けません! あなたのことが、好きだから、あなたの望みは、叶えさせてあげます!」
その言葉に、僕の手が止まった。僕の、望みか。ここで、誰にもなることなく死んでいくこと。エレナには言ってなかったのに、どうしてわかったんだろう。
「やぁあああッ!」
あ、油断した。
気がついたら、エレナは僕のすぐそばで、僕のお腹に小剣を突き立てていた。血は、出ない。けど、けど、僕は、もう。
「………ぐす」
エレナは僕に剣を刺したまま、うつむき、肩を震わせていた。
「……あ、ある、さん、うくっ。ひっく。あ、アルさん、か、勝ちまし、ひっく、勝ちました、よ……?」
「……うん、完璧に、君の勝ちだ」
僕を見上げるエレナの頬には、涙が流れていた。……これで僕が消えてしまうことが、悲しいのかな。
「うっく、ぐす、わ、私、ひぐ、自分の身を、自分でまもれます、よ」
「そうだね」
「……だ、だから、うく、ひっく、だから、安心して、ください……」
「うん、安心する」
……お別れだ。だんだん意識が薄れていく。でも、これでいいんだ。なにも残らない。けど、エレナは生き残る。それでいいんだ。
「……エレナ、いってらっしゃい。辛い時もあるかもしれないけど、頑張ってね」
「……はい、です……」
だんだん、だんだん僕が消えていく。呪の僕が、旅人のアルが消えていく。
「……さよなら、です……っ!」
「……さよなら」
さよなら、キサラ、レナ、エレナ。君たちと出会えて、本当に僕は……。
楽しかった。ありがとう。エレナも、強くなった。これで、僕はなんの心残りもなく、消えていける。終わっていける。これで、最期。
……エレナ、さようなら。




