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第三十六話

  夜になった。温泉の近くで洗った服を乾かしているので、今僕らは下着姿である。しかもタチの悪いことにキサラは薄着の、下着みたいな服しか持っていなくて、それは血に塗れてしまった。というわけでキサラは今全裸なのだが……。


  「……キサラ、たのむからさ、寝てくれない?」

  「……怖い……」

 

  にも関わらず、彼女は見張りを務める僕から離れようとしない。エレナはぐうすか眠っている。疲れていたんだろうけど……どうしてキサラを止めてくれない、と思わなくもない。


  「怖い?夜が怖いの?」

 

  彼女は首を振った。


  「……あなたが……」

  「僕が?」

  

  彼女は頷く。


  「……襲われるのか、と思うと……」

  「それだったらこの状況の方がよっぽどだと思うけど?」


  また、彼女は首を振った。


  「……目が覚めて、襲われてたら、もう眠れなくなる……。そんなのは、嫌……」

  「……ああ、そういうこと」


  なんか初めて長めのセンテンスで会話ができた気がする。そんなことより。


  「君は、僕が寝込みを襲うと?」


  首肯。


  「で、どうせ襲われるなら意識があって、覚悟できる状況がいい?」


  首肯。


  「一度寝込みを襲われたら、怖くてもう二度と眠れなくなる、と?」


  首肯。


  ふうん。


  「正直言って、襲われた方が楽?」

  「……」


  躊躇って、首肯。


  「……何を要求されるのかわからないのが、怖い……」

  「ふうん。そうか、君は奴隷……だったね」


  忘れてた。彼女は奴隷なんだ。あまりに虐げられる生活になれすぎて、それがなくなったらたまらなく不安になる。だからこんな夜中にこんな姿で寝ずの番をする僕にこんなことを言うんだ。


  「……それでも、僕は命令しないよ」

 「……どうして……?

 「それは、君とは仲間でいたいからさ」

  「……」

  「眠ったほうがいい。環境が変わったから、体に無理な力が入ってると思う。眠って、体を休ませてあげないと。……君の体だろう?」

  「……でも……」

  「君は、僕と仲間は嫌?」

  「……わかった……」


  しぶしぶ、キサラは即席の寝所に帰っていった。寝所と言っても布切れ一枚を広げただけの本当に粗末なものだけど。


  「……」


  僕はふと星空を見上げる。綺麗だ。見上げる僕は、こんなにも汚れているのに。……いや、汚れているからこそ、見上げられるし、綺麗だと思えるんだ。

  キサラも、この夜空を綺麗と感じるのだろうか。いつか、彼女とこんな他愛もないことを語れるようになるんだろうか。彼女に、心の底からの笑顔が灯ることがあるのだろうか。

  僕が、果てしなく綺麗だと、思えるぐらいの、彼女の笑顔が。






  次の日。


  「ううー……冷たいです……」

  「……」

  「仕方ないじゃないか。それとも下着姿で荒野を歩く?」


  エレナは激しく首を振った。

  結局、服は乾かなかった。当たり前だね。それでも進まないわけにはいかないから、僕たちは濡れた服を着て歩いている。冷たいのは僕も一緒。ここは我慢してよ。


  「それで……次の国には、着きますか?」

  「さあ?」

  「……まさか、知らないの……?」


  その通りさ、キサラ。


  「期待しちゃダメですよ、キサラさん。アルさんは頼りになりますけど行き当たりばったりなんですから」

  「エレナ、頼むから変なこと吹き込まないでくれ」

  「……いい。私が信じるのは、あなただけ……」


  重い。その純粋そうな瞳が重い!


  「む。少しくらいは信じてくれてもいいじゃないですか!」


  ふるふると彼女は首を振った。


  「……私は、奴隷。主人以外は、誰も信じない……」

  「優秀ですね~。私には、そんなのできそうもありません」

  「それが、優秀かどうかの線引きなの?」

  「まさか。でも、誑かされないように、主人以外を信じるない、というのがひとつの見方でもあります」

  「詳しいね」

  「故郷のお国柄、ですよ」

  「ああ……」


  エレナの故郷は風俗とか、ラブホテルとか、いわゆる性産業で有名だったりする。そんな国だ、奴隷もたくさん売り買いされるんだろう。


  「……私は、あなたにとって優秀……?」

  「ううん……」


  なんて答えたらいいんだろう。


  「優秀に決まってますよ! 奴隷さんをたくさん見てきた私が言うんです、間違いありません!」

  「……あなたはどう……?」


  キサラが僕に期待の目を向ける。少しだけエレナに視線をズラす。


  私に合わせてください!


  なんだかそう言ってる気がした。


  「……君は、優秀だよ」

  「……ありがとうございます……」


  キサラが微笑んで、エレナが安堵したところを見ると、僕は正しかったようだ。


  「そういえば、大丈夫? 昨日から随分歩いてるけど」

  「……うん。こんなの、まだ楽な方……」


  起きてからずっと歩きっぱなしなのに楽な方って、あの四人組はよほどキサラにつらく当たってたんだね。


  「……ま、あとしばらく歩けばきっと次の国に行けるさ」

  「行けなかったらどうするんですか?」

  「また、しばらく歩けばきっと次の国に行けるさ、って思う」

  「……なんだかすっごく虚しいですね」

  「心を強く持つ知恵だと言ってよ」

  「……ふふ……」


  僕たちは国を目指して、荒野を進む。

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