第三十三話
「ううー……。ほ、ホントにあなた、寝ずの番ですか?」
「まあね。気にしなくてもいいよ?」
「気にします!」
日が落ちたので、眠ることにした。地面に雑魚寝という、環境的には最悪のものだけど、そこにはエレナだって文句をいう気はないようだ。僕たちは座って、眠る眠らないの論議を続けていた。
今まで歩きづめだったから休ませてあげたいんだけど……。エレナはどうも納得しないみたい。
「私、お姫様じゃないんですよ? あなたの奴隷志願です。そんなのにわざわざ守らなくても……」
「……君は、自分を守ろうとしないから」
「自分の身ぐらい、守れます!」
随分自信たっぷりだね。コロシアムじゃ震えて何もできなかったのにさ。
……。いじわるしたくなった。それも、かなり酷いレベルで。
僕は自分から奴隷になろうとする人間が大キライだ。それは普段から言ってるし、エレナも了承していたはずだ。……だから、その罰も含めて、ね。
「ふうん……じゃ、試してみる?」
だんだん目も慣れてきたし、今なら戦闘だってできる。
「え、なにが、きゃっ!?」
僕はエレナを押し倒した。手首を押さえつけて、馬乗りになる。隙を突く必要なんてまるでない。エレナは僕に警戒さえしていない。男はみんな獣だって、いつも言ってるのにね。
「な、な、な、なにを……」
「ほら、守ってご覧? 自分の身ぐらい、守れるんだろう?」
「あ、あの、あのあの」
「抵抗しないっていうんなら、このまま……」
僕はエレナの耳に口を寄せる。
ぴくりと彼女は跳ねるみたいに体を震えさせた。
「このまま、愉しんじゃうよ?」
震えが止まった。あまりの恐怖に震えることさえ忘れた……といった感じだ。
「あ、あ……」
「ほら、早く、抵抗して。自分の身は自分でも守れるんだろう? 貞操と命の危機だよ、早く守らなきゃ」
「え? わ、私、こ、殺される、んですか……?」
「……それもいいね。君は今から愉しまれて、弄ばれて、虐めぬかれた末に、惨殺されるんだ」
「あ、あの……」
僕は片手でエレナの両手を頭上で押さえつける。
片手が空いた。エレナはまだ危機感がないのか、未だに抵抗しようともしない。
「……さて、愉しもうかな」
危機感を持ってもらいたいだけだから、やりすぎは禁物。でも、やらなすぎるのも、ダメだ。
「あ、あの、や、やめて……ください……」
「口だけでやめてもらえるとでも?」
僕は空いた手をエレナの顎に添える。指先で顎をなぞる。
「や、ん……」
エレナは嫌そうに身をよじるけど、僕は逃がさない。手をさらに地面に押し付ける。
「痛っ……」
痛みに眉を顰める彼女を見ていると、心が痛む。けど、やめるわけにはいかない。
「……どうしたの? 抵抗しないの?」
「て、抵抗なんて、ひゃん、で、できるわけ、ん、ないです、んんっ……」
「そう。じゃあ、君の命は今日限りだね。せいぜい愉しませてもらうよ」
こっちの危機じゃ、抵抗しない。どうして? そんな疑問を残しつつ、僕はエレナの顎から手を離し、アークソードを抜く。それを、彼女の首筋に突きつける。
「ひっ……」
「少しづつ、皮を剥いでいこう。次に腕と足を切り落として、動けないようにする。そうして抵抗できなくなったところで……ふふふ」
「や、や、あ、アルさん、ほ、本気、ですか……?」
ようやく、押さえつけた手に力がこもった。やっと命の危機を感じてくれたか。
「本気だよ。抵抗しようとしないんなら、好きにしていい、ってことだよね。好きに殺させてもらうよ」
「や、嫌っ!」
少しだけエレナの首に刃を押し付ける。血が出るか出ないかのギリギリでホールド。
「い、いや、いゃ……」
「抵抗しないの?」
「こ、殺さないで……」
だんだん押さえつけた手に抵抗しようとする力が強くなる。足もジタバタさせて、本格的に抵抗を始める。
「や、やめて、こ、ころさないで、いや、やです!」
力が強くなっていく。首からアークソードを離す。突きつけたままではあるけど、暴れて首を切っちゃったらシャレにならないからね。
「……うわっ」
弾かれたふりをして、僕はエレナの上からどいた。
「なかなかやるね。でも、抵抗しようとするのがかなり遅かったよ?」
「……」
じっ、と仇敵を見るような目で睨みつけられた。
「……エレナ?」
「最低です!」
今度は逆に飛びかかられた。押し倒されて、手を掴まれ、頭上で地面に押さえつけられる。さっきとまるきり立場が逆、というわけだ。
「最低です、アルさんは最低です!」
「……だって」
「だってもへったくれもありません! 乙女の純情踏みにじっておいて……っ!」
よっぽど怖かったみたい。
「……それで、立場を逆転させて、どうするつもり?」
「私は、あなたに勝てる自信はありません」
よく言うよ。本気で手を自由にしようとしてるのに、びくともしない。
「だから、ちゃっちゃと目的を果たすことにします」
「目的ってなにっ、痛っ」
地面にさらに押し付けられる。手が痛いよ。ごめん、エレナ。
「私、期待してたんですよ? してくれるんじゃないかって。でも、でも……」
なにをされたかったのかな?
と、訊こうとする前にエレナは僕の手首を思いっきり握り締めた。
いたた、いた、痛いって!
「でも、なにも殺そうとすることないじゃないですかっ!」
「だって、あんまりにも危機感ないんだから」
「そんなこと関係ありません! 私、あなた以外にならちゃんと警戒も危機感も持ちます!」
「……本当に?」
「そうです! なのに、首にあんなの押しつけて、ほ、ホントに殺されるんだ、って……」
ポタ、ポタと僕の胸に水滴が落ちる。
「……エレナ?」
「ホントに、ホントに、私、バラバラにされちゃうんだって、手足を斬られて、好き勝手虐められたあげく、殺されちゃうんだって……」
とす。僕の胸に、エレナの頭が落ちてきた。攻撃の意思があったわけではなく、まるで、甘えるみたいだった。涙声のエレナは、僕の上で小さく震える。
いつのまにか、手は自由になっていた。
「あ、あなた、は、私が、どれだけ怖い思いをしたと……うく、思ってるんですか……」
僕は、どうやらやりすぎたみたいだった。かなり深い罪悪感が、いまさらになって襲ってくる。
「……ごめんよ、エレナ」
自由になっていた手で、僕はエレナを抱きしめた。
「うく、ゆ、許してあげます……。で、でも、わ、私、怖かったんですからね!? もうしないでくださいよ!?」
彼女は潤んだ目を僕に向けた。
僕はエレナに微笑んで、言った。
「……それは、ちょっとわかんない」
「酷いです!」
わめきそうになったエレナを優しくどかして、横にならせる。
「え、なにを」
「僕からも身を守れない君に、夜は任せられない。……でも、ずっと起きてるのはぼくも辛いから、任せられるように訓練しよう」
エレナはびっくりしたように目を見開いた。
「……く、訓練、ですか?」
「うん。いや?」
エレナはふるふると首を振る。
「大丈夫です。……でも、それならそうと言ってくださいよ! 怖かったじゃないですか!」
「怖くなきゃ訓練にならないじゃないか。もちろん油断したり気を抜いたりしたら殺すまではいかなくても、痛い目に遭ってもらうからね」
エレナはぴくりと体を震わせた。
「い、痛い目って……?」
「たとえば指の骨を折ったり」
「ひぃ」
「たとえば皮を剥いだり」
「はぅ」
「たとえば髪の毛丸刈りにしたり」
「くぅ」
「たとえば……さっきみたいに、襲いかかったり、とかね」
「……きゅう」
あれ、動かなくなった。よっぽど怖くなったんだろうな。うんうん。危機感持ってくれてうれしいよ。信用はガタ落ちだろうけど、まあそんなのはこの子の命には替えれないから。もし僕がいなくなっても、今日のことやこれから先する訓練をしていれば、きっと役に立つはずだ。
「……ふう。明日から、忙しくなるな……」
星空を見上げながら、僕は呟いた。……今日は一段と、星がきれいに見えた。




