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8 Virgo

Virgo・・・乙女座

 博の包帯が取れ、20時間程度の視力が得られる日の前日、支局内は何やら慌しい雰囲気になっていた。

 捜査官たちもスタッフも、彼のために限りある時間を有効に使わせてあげたかったのだ。

 博としてはただその間、空と一緒に過ごしたいと思っているに違いないのだが、どうせなら何か思い出になるようなシチュエーションを用意したかった。


 そんな状況になる少し前、小夜子は空をミーティングスペースに引っ張っていき、ひざ詰め談判のような説得を行った。

「ねぇ、空。何故、彼のプロポーズを受けないの?」

 旦那である真から、その辺りの事情は全て聞いていた小夜子である。

「・・・特にメリットは無いと思いますし、私は今のままで充分なんです」

 急に何を言い出すのか、と思わないでもない空だが一応きちんと返事をする。

「博の方は、籍を入れたいと思ってるわけでしょ。望みを叶えてあげても、いいんじゃない?」

 空は何と答えて良いか解らず黙ってしまう。細かい理由は幾つかあるような気がするが、それを1つずつ言わなければならないのだろうか。空は暫く考えてから、口を開いた。


「・・・私の両親は、どちらも犯罪者です。父は私という娘の強姦者で、母はそんな父を殺した殺人者ですから。そして、私も自分の意志で人を殺したことがあります。そういう女性を入籍するのは、問題視されるのではありませんか?」

 そんな空の言葉に、小夜子は軽く眉を顰めたが直ぐに真顔になって答えた。

「そんなの看板出してるわけじゃないし、そもそもそれで文句言うのなんて、親や親戚なんじゃないの?博も空も、もう両親はいないんだから・・・」

 そこに、いつの間にか傍に来た真が口を口を挟む。

「そう、そう。アイツの肉親なら俺くらいなモンだけど、全く気にしないぜ。もし空が入籍したら、俺にとっては義姉になるのか・・・『空姉さん』とか『姉貴』とかって呼ぶか?」

「それは、新鮮ですね」

 空は真の台詞に、思わずクスっと笑ってしまった。


 彼女の雰囲気が少し明るくなったので、小夜子はもうひと押しとまくし立てる。

「籍を入れて婚姻届けを出しても、いざとなれば離婚だってできるんだから、難しく考えなくても良いのよ。確かに戸籍には事実が残って、『戸籍に傷がつく』なんていう人もいない訳じゃないけど、それを重要視されるのは若い女性の事が殆どだわ。男性の場合、寧ろ箔が付いたりすることもあるのよね。博はもう40代なんだし・・・」

「そうですよぉ。地位もお金もあるのに独身だなんて、変な噂が立っちゃったりします。現に私の周りにもそんな噂をする人もいますよ。『ゲイなの?』とか、酷いのになると『不能かも』なんて」

 更に春までやってきて、そんな話をしだす。

 こうなると、後は首を縦に振るしかなくなってくる空だ。

「・・・解りました。次の機会には、承諾の意を表します。・・・それにしても、何だか離婚前提の結婚を勧められているような気もします」

 それでも彼にとってのメリットがあるのならそれで良いと思った空は、笑いながら答えた。

「オッケー、これで最初の難関はクリアね。空、この後は全部こちらに任せてもらうから、大人しく指示に従うこと。それと、博には絶対に内緒ね」

「は、はい」

 何だか妙な事になってきたが、とりあえず頷いて答えた空だった。


 そしていよいよ、博の包帯が取れる日が来た。

 時刻は午前9時。ここから明日の早朝まで、博は束の間の視力を得る。

 病室のカーテンを引き、ドクター・ヴィクターの指示で看護士が目まで覆う頭部の包帯を取った。

 けれど博は、瞼を上げないまま右手を伸ばす。

「・・・空?」

「はい・・・ここです」

 空は彼の手を取ると、自分の頬に導く。博は左手も伸ばし、彼女の顔を自分の正面になるよう姿勢を正す。そして、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

「・・・・空?・・・やっと・・・」

 それ以上、言葉が出ない。胸の中に、熱い物が満ち溢れる。

「博・・・がっかりしたのでは、ありませんか?」

 少しばかり申し訳なさそうな表情になった彼女の言葉に、博は漸く我に返った。

「・・・僕は今、自分の想像力の貧困さに、呆れているところです」


 空と始めてあった頃、その容姿を確認するために触れさせてもらった。

 その後もアイカメラのAIの助けを借りて、自分の頭の中に彼女の顔立ちや表情を作り上げてきた。

 けれど今、ここにある彼女の姿には、生きた美しさがある。

 整った目鼻立ち、輝く黒い瞳、白い頬には生き生きとした張りと潤いがあって、紅も刺さずにいる自然な桃色の唇が花のようだと思う。


「・・・やっと、望みが叶いました。空・・・君は、本当に・・・綺麗です」

 ずっとこのまま、20時間全てを使っても、ずっと見ていたい。いっそこのまま、抱いてしまいたいとさえ思う。そんな博に、横から声が掛かった。

「時間を有効に使いたいんだけどナ」

「・・・その声は、真ですか。・・・初めて顔を見たわけですが・・・やはり僕とは似ていませんね」

 ニヤニヤ笑いの弟の顔を見てそんな事を言いながら、けれど博は嬉しそうだ。

「そこにいるのは、小夜子ですね。うん、想像通りです」

 そして博は促されて、廊下で待っていた豪・ジーナ・エディ、そしてふみ先生・花さんと対面する。それぞれと短い会話をした後で、ふと博は小夜子と空がいない事に気づいた。

「・・・空は?」

 限られた時間なのだから、片時も離れず傍にいて欲しいと思っていた相手がいない。博は慌てたように真に問いかけた。

「先に行ってる。俺たちも行くぞ。時間が勿体ないから、着替えずにそのままで来てくれ」

 半ば連行されるような恰好で、博は用意された車に乗せられて病棟を後にした。


 何を聞いてもはぐらかされるばかりの車内で、博は諦めて外の景色を眺めていた。春の風景は眼に優しくそれだけでも嬉しい筈なのだが、やはりどうしても空の事が気になる。

 やがて車は、白い建物の前に停まった。

「・・・ここは?」

「イイから、さっさと降りて準備をしてくれ」

 そこは、ガーデンウェディングを行う場所だった。


 タキシードを着せられ新郎の姿になった博は、姿見の前で1つ溜息を漏らす。

(十数年とはいえ、やはり知っていた自分とはかなり違ってますね)

 視力を失う前の自分は、もっと若々しかった。体形こそ変わってはいないが、顔や雰囲気が昔とは違う。

(現実を突きつけられた、と言う事ですね)

 いささか不本意ではあったが、この後の事を考えると胸は弾む。

 もう1つの望み。自分のために着てくれる彼女のウェディングドレス姿を見ることが出来るのだ。


 博が案内された場所は、周囲を咲き誇る花々と緑で囲まれガーデンウェディングの支度が整えられた庭だった。司会者役の真が、満面の笑みで奥の方に立っている。他の捜査官たちも改まった服装になり、通路の両脇に立っていた。博は真の前まで来るように言われる。


 そこに、ジーナに手を引かれた空が、姿を現した。

「・・・・ぁぁ・・・」

 言葉にならなかった。

 純白のシンプルなウェディングドレス姿は、ベールを被っていても輝くようで、目の前の光景に現実感が無くなる。ゆっくりと歩を進め彼の前に立った空に、博は漸くひと言だけ言葉を掛けた。

「・・・空、ありがとう」

 そして、そっと彼女のベールを上げると、その唇にキスを落とした。

「う~~、すっ飛ばしてソレ?まだ開式宣言もしてないんだけど?」

 真の言葉に、列席者は笑い声をあげた。


 順序は逆になったが開式宣言が行われ、新郎新婦の誓いの言葉が終わると指輪の交換になる。

 小さな赤い蝶ネクタイを着けたビートがリングバードになって、マリッジリングを入れた籠を翼の音と共に運んできた。

 新郎新婦にとって意外だったのは、その2つのリングのサイズがピッタリだったことだった。

「指輪のサイズは、春とケトルがデータにあった写真やら映像やらを分析して割り出したんだぜ」

 そんな司会者の説明に、流石はFOI日本支局だと今更ながらに思う2人だ。


 そして、真は1枚の紙を、博の前に広げた。

「・・・え?・・・こ、これは!」

 それは、婚姻届けの用紙だった。

「ホラ、サインしろ」

 真が差し出したペンを握り自分の名前を何とか書き入れる博だが、呆然とし過ぎて言われるがままの状態だ。けれど次に空がペンを握ると、我に返ってその表情を窺うように顔を覗き込む。

「空・・・良いんですか?・・・本当に?」

「はい」

 空はサラサラとサインをすると、顔を上げて彼の顔を見て笑顔を浮かべた。

「・・・よろしくお願いします」


 100回以上でも繰り返すと決意していたプロポーズは、こんな形であっさりと受け入れられたことになる。様々なプロポーズ場面を考えていた博にとっては、いささか拍子抜けした感もあったが、これもある意味ドラマチックだと言えない事も無いだろう。


「こんなサプライズは・・・反則です」

 博は泣き笑いのような表情になり、目の前の美しい花嫁を固く抱きしめた。


 その後は閉式宣言をし、2人はフラワーシャワーの中、会場を後にする。

 着替えだけをして後の事は皆に任せ、博と空は豪が運転する車で、支局に戻ることとなった。


「すみません、豪。この辺りで降ろして貰えませんか?少し歩きたいので」

 支局まであと少し、と言うところまで来て、博は豪に頼んだ。

 天気も良く、街路樹も新緑の装いで清々しい。こんな中を歩いて支局まで戻り、その外観も眺めてみたかった。豪は快く車を停めて、2人を降ろした。


「良い眺めですね。景色を見ながら風を感じるのは、より気持ちが良いものです」

 空の肩に軽く手を置いて楽しそうに歩く博が、道の先にある広場の賑わいに気づいて足を止めた。

「何か、イベントでもやっているのでしょうか。行ってみませんか?」

 彼は彼女の肩に置いていた手を下ろし、その手を握って小走りになる。そんな行動さえもが新鮮で、若返るような気もした。


 広場のイベントは小規模なグルメフェアで、様々な屋台が並び人の数も多かった。博はそんな混雑を避けて歩くことさえ楽しみながら、彼女にソフトクリームを買ってきて渡す。

「半分こ、しましょう」

 ラブラブの若者のようなこともしてみたかった。そして彼女が美味しそうに食べる様子も、実際に見てみたかったのだ。

(こんなに可愛らしく食べるんですね)

 皆が、彼女に色々と食べさせたがるのがよく解った。


 やがて食べ終わった2人が再び歩き出した時、広場の入り口の方から悲鳴のような声が次々と上がるのが聞こえてきた。

「・・・トラックが暴走して来ています。・・・行きます」

 視力の良い空は直ぐに状況を把握し、博が返事をする前に走り去ってしまった。

「えっ!・・・空!」

 急いで追いかける博だが、空のスピードに追い付くことは出来ない。

 空は走りながらバッグからウィップを取り出して装備した。トラックは、低速ではあるが蛇行しながらイベント会場への通路を進んでいる。このままでは、メイン会場に突っ込むことは間違いなかった。


 空は街路樹にウィップを飛ばし宙に跳ぶと、見事なタイミングでトラックの荷台に飛び乗る。そして運転席側のドアに手を伸ばし、開いていた窓から手を入れるとロックを外す。ふらふらと不安定に走るトラックのドアに身体を振られながらも、空は素早く運転席に身体を滑り込ませた。

 運転手は身体を横に倒し、意識を失っている状態だった。

 フロントガラス越しに、逃げ遅れた人の姿が見える。

 空は両手でハンドルを掴みトラックの進行方向を変えると同時に、片足でアクセルペダルに乗っかている運転手の足を蹴ってどかせると、もう片方の足でブレーキペダルを思い切り踏み込んだ。


 甲高いブレーキの音と、タイヤが擦れる音が響き、トラックは人も屋台も傷つけることなく停車した。


「空っ!」

 運転席から滑り落ちるようにして出て来た空に、駆け寄って来た博が叫んだ。

「大丈夫ですかっ?」

 普段よりも数段焦っているような彼の声に、空は頭を摩りながら答える。

「はい・・・ちょっと頭をぶつけちゃっただけです」

 急ブレーキのせいで頭をどこかにぶつけたが、瘤が出来るほどでもない。けれど博は、心配そうに彼女の頭とそして全身をチェックした。

「・・・ふぅ・・・怪我は無さそうですね。それにしても、寿命が縮まりました」

 実際に自分の眼で見た、危険を承知で行動する空の姿は、それこそ心臓が止まりそうな程に衝撃的だった。確かに彼女の動きは早い上に無駄がなく、危なげのない物だとは思うが。

(AIの音声で判断するより、ずっと心臓に悪いです・・・)

 見えない方が良い、と言う事もあるのだろうか。

 それでも、落ち着いてみれば、空のこういう姿を見れたことは幸運だったのかもしれない。昔、真が言っていた『空の美しい瞬間』をこの目で見ることが出来たのだから。


 駆けつけてきた警官に身分証を見せて説明すると、2人はそそくさとその場を離れて支局に帰った。時刻は夕方になっている。残りの時間は、2人きりで有効に使いたかった。


 メインルームに入ると、コンピューターのケトルから声がかかる。

 《 ゴケッコン オメデトウゴザイマス ルスチュウハ イジョウナシ ホカノメンバーハ カッテニヒロウエンヲヤッテルカラ アサマデカエラナイ トイウコトデス 》

 至れり尽くせり過ぎる、仲間たちだ。

 その好意に甘えることにして、2人は部屋に入った。


 部屋の中には、皆の心づくしの花が飾られ、さり気なくメッセージカードが添えらえていた。

 祝福の暖かい空気に包まれてどちらからともなく寄り添った2人は、溢れる想いを込めた口づけを交わす。腕の中の幸せを確かめるように抱擁して、博は静かに口を開いた。

「僕に、君の全てを見せてください」

「はい」

 空は短く、けれどしっかりと彼の眼を見て綺麗に微笑みながら答えた。


 髪につけたウッドビーズさえも外し、生まれたままの姿で彼の前に立つ空の姿は、神々しいまでに綺麗だった。涼やかな香気さえ漂うような白い裸身は、触れることさえ躊躇われるようだ。

 伏し目がちに佇みながら、けれど一切隠すことなく博の前に晒されるその姿は、全てを許す彼女の心を表している。

「・・・ありがとう・・・空・・・」


 自分を愛を受け入れてくれて

 その心と身体で自分を愛してくれて

 今までずっと傍にいてくれて

 そしてこれからもずっと、一緒に生きてゆくと誓ってくれて


 だから、残りの時間は全て、彼女を愛することに費やしたい。

 その姿を、その色を、この目で見た時に本当に全てを見たことになるのだから。

 そんな彼の気持ちを感じ取ったのか。

 空は静かに彼に寄り添い、自ら唇を彼のそれに重ねた。

 それは、『愛しています』という言葉を言うことが出来ない空の、彼への愛の表現だった。


 何度も悦びを分かち合い、余韻を味わっては再び求め合う。

 そんな時間は、ひと晩でも短かった。

 甘い声が響く寝室で、愛してやまない彼女に匂いに包まれ、染まる肌の美しさに酔う。

 けれど、いつしか夜明けは近づき、窓の外は曙の色に染まって来た。


「・・・そろそろ、時間かな」

 博は、ポツリと呟いた。

 願いは全て叶ったと思う。けれどやはり、再び闇の世界に戻るのはつらい。

「・・・博」

 空は体を起こして、彼の顔を両手で挟みながら囁いた。

「こうしています。博の眼が、最後の写すのも私であるように」

「・・・ありがとう、愛してますよ、僕の空」

 彼女が、自分からそう言ってくれたのが嬉しい。

 本当は自分から言おうと思っていた言葉だった。

 博は強張りそうだった自分の表情が、柔らかく緩むのを感じていた。

「今までと変わりはありません。私はずっと傍にいます。時間が許す限り、傍にいると誓います。変わったことは・・・私が博の妻になった、と言う事だけです」


 視界が急激に暗くなるが、博は少しも怖いとは思わなかった。

 ご褒美のような時間が終わるだけだ。

 また日常に戻って、空と共に生きてゆくだけだ。

 これからは、そう、夫婦として。


 博は瞼を閉じると、いつもの口調で空に答える。

「そうですね。では今朝は、一緒に朝寝を貪りましょうか・・・ええと、何て呼ばれたいですか?」

「え?」

「僕の妻になったのですから、愛をこめて呼ぶ場合に多いのは、『ハニー』『スウィートハート』『ダーリン』『マイ・ラブ』などですが、どれが良いですか?」

 気持ちの切り替えが素晴らしいとしか言えない博の言葉に、安心はするが困惑もする。

「・・・お気持ちだけで、充分ですので」

 空は、どうにかそう答え、今まで通りにしてくださいと頼む。

「おや、残念」

 博は明るく笑い声を立て、彼女の身体を腕の中に閉じ込めた。


 大丈夫。また今から、今までと同じように時を重ねていける。

 いや今までよりもずっと、深く想い合って愛し合っていける。

 次に目覚めた時は暗闇の世界でも、眼と脳裏に焼き付けた彼女の姿が、これからの時間を豊かなものにしてくれるのだから。


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