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5 Aries

Aries・・・牡羊座

 次に空の意識が戻ったのは、機内だった。

 隣に座っているらしいルースの声が聞こえる。

「・・・空?・・・Sky?・・・解る?ルースよ・・・聞こえてたら、合図して」


 補聴器の近くで囁くように声を掛けるルースに、空はフッと小さく息をついた。その程度の事は何とか出来るが、瞼を持ち上げることも指先を動かすことさえ不可能だ。

 それでも、ルースはその意図を理解してくれた。

「今、王妃は席を外しているわ。コルピを食べさせられたのは解っています。マランタを発つ直前に本部から任務が追加されて・・・これよ」

 ルースは空の力ない手を取ると、自分のポケットの中に入れた。

(・・・これ・・・は、コルピ?・・)

 小さなビニール袋に入った木の実が4つ、指先で確認できた。


「何とか入手して持ち帰るのが追加任務。これを本部に届けます」

 出された3粒を1度に口の中に入れ、1粒だけを嚙み砕いて飲み込み、残り2粒は口の中で保管していた。無口で仏頂面を通していたのはそのためだった。

「今はスマホを没収されているけど、A国に着いたら直ぐに連絡を入れる。貴女も、何とかして王妃から引き離して病院に連れてゆくから、それまで・・・」

 ルースの言葉は唐突に終わった。王妃が戻って来たのだろう。けれど空は、しっかりと彼女の言葉を受け取っていた。

(・・・この先、何があっても・・・必ず戻ります)

 彼の元に帰るために。助けてくれる人はいるのだから。


 しかし、ルースの思惑は外れた。知らされていなかったが、目的地は本国ではなくH島だったのだ。しかも王妃一行は空港に着くなり警護の捜査官たちを置き去りにして、王国の所有する別荘に入ってしまった。別荘とは言え、そこはマランタ王国の公的な施設でもある。

 ルースはH島のFOI支部に急ぎ赴き、コルピを本部に送るよう頼むとアンジーに連絡を入れる。詳しい報告をすると、アンジーは直ぐにルースに新しい任務を与えた。FOI日本支局と協力して、空を救出するようにと言うものだった。


 支局のミーティングスペースで、捜査官たちが情報をまとめている時、ルースから連絡が入った。

「ルース・ベルウ捜査官です。機内で菊池空捜査官と一緒でした」

 それだけで、彼女が今回の警護に就いていた捜査官であったことが解る。

「H島にいます。王妃一行は、菊知捜査官を連れて別荘に入っています。彼女の救出を、そちらと協力して行うよう任務を受けました」

「助かります。こちらも直ぐにH島に向かいます」


 空がいるマランタ王国の別荘が、公的施設であることは博も知っていた。外交上そう簡単に踏み込めないことも解っているが、場合によっては強引に突入する可能性はある。

「本部の許可を取らずに行動する可能性があります。その場合処分は間違いないでしょう。ですので、今回は僕1人で行きます」

 自分が全責任を負えば、首になるのは1人だけだ。そんな博に真とジーナが待ったをかけた。

「んじゃ、俺も行く。首になっても、刑事に戻ればイイだけのこった」

「アタシも行くわよ。処分が何よ!ダメって言われても行くわ」

 こうなる、博が何を言っても無駄だろう。残りの捜査官たちも付いて行きたいのは山々だが、後方支援に徹すると言ってくれたので、3人は急ぎH島へ赴いた。

 博は機内でルースと連絡を取り、春から連絡を受けて入手した別荘に出入りする業者リストを送る。

 屋敷の中に入り込めそうな情報を、少しでも得ておこうと思った。


 頬を撫でる涼やかな風に、空は意識が浮上するのを知った。

(・・・海の匂いがします)

 瞼は重いが、何とか持ち上がる。高級そうだが殺風景な天井には、武骨なフックが幾つも取り付けてある。

 室内であることは間違いないが、何のための部屋なのか。

「・・・あら、お目覚めね。そろそろコルピの効き目も切れる頃だけど、もう必要はないわね」

 ふわりとエキゾチックな香りを漂わせ、空の視界の中にラセナテ王妃の姿が現れた。

「ここはH島の別荘だけど、公的施設だから治外法権よ。だから誰も来ないし、気兼ねも無いわ。昨晩は女同士の絡み合いを見せてもらったけど・・・」

 空は昨夜1晩中行われた行為を思い出した。逞しい侍女に背後から拘束され、コルピで自我を失った若い女性2人に弄ばれた。王妃の命令通りに行動する彼女たちは、指と舌そして様々な道具で責めた。意味をなさない声を、どれだけ上げさせられただろう。何度意識を飛ばされたことだろう。


「陛下は私があんな風にされているのを見ていたけれど、どう思っていたのかしら。同じことををしてみたけど、私には解らない・・・。昨晩はあれだけで終わりにしたけど、ここなら気を遣わなくても大丈夫だから、私がされたことを全部できるわ」

 どれだけ声を上げようが、怪我をしようが、或いはそれで命を落とそうが、好きなようにできる。王妃はアン・チアレスに戻ったように、虚飾を捨てて素の表情を浮かべる。

 それは残忍で自暴自棄で、けれど縋るものを探しているような哀れさもあった。


「何故、このような服を着せるのですか?」

 白い薄物の丈の長い服を着せられて天井から吊るされた空は、平坦な口調で尋ねた。先ほど目に入ったフックはこの目的のための物だったようで、先ほど寝かされていた場所もただの木のテーブルだ。どうやらこの部屋は、そういう趣味の行為に使われるものであるらしい。

「私が寝ていると、陛下に叩き起こされて吊るされたのよ。先に寝ていたのが気に食わなかったようで、これでお仕置きされたわ」

 ラセナテは手に懲罰用の鞭を持って笑う。

「こうやって吊るされた、と?」

 思考が戻り話せるようになったのなら、こうして会話を続けて僅かでも情報を得るしかない。

 空はまだ諦めていなかった。手首を戒めている鎖には棘のような物が付いていて、少しでも動くと食い込んでくる。足は床に付いているが、バランスを崩せば棘が皮膚を破るだろう。

「ええ、そう・・・あの頃彼はサディスティックなsexに興味津々で、色んなことを試してきたのよ。それを全部してあげたいところだけど、流石にここでは道具が揃わないから残念だわ」

(・・・限界に挑戦、と言えば聞こえは良いですが)

 自分は捜査官だ。苦痛に耐える訓練も受けている。けれどそれがどこまで通用するかは解らない。

 空はしっかりとラセナテの顔に視線を据え、キュッと唇を噛み締めた。


 どれだけの時間が過ぎたのだろう。

 薄い服は破れ血に汚れたただの布切れになり、空の身体に張り付いていた。手首から流れる血が身体のあちこちの傷から滲み出るそれと合流して、足元に血溜まりを作っている。ラセナテと空の荒い呼吸だけが、室内の空気を震わせていた。

「ハァ・・・ハァ・・・悲鳴も上げない・・・ハァ・・のね」

 疲れて痺れた腕から鞭を放り出して、ラセナテは悲しそうな表情を浮かべる。

「私は泣き叫んだけど・・・」

「・・・逃げ出そうとは・・・・思わなかった・・・・のですか?」

「思わなかったわ・・・」

 元の暮らしに戻りたいと思ったことは一度も無かった。村に戻りたいと思ったことも。

「第4王妃の座・・・陛下の寵愛・・・それだけが・・・」

 そこまで呟いて、それを振り払うように彼女は頭を振った。

「血に染まった私を、陛下は綺麗だと言ったわ。確かに、真っ赤なドレスを着ているように見えなくもないわね。・・・そしてその後、彼はそのまま私を欲望の捌け口にしたの。前からも後ろからも・・・貴女にもそれ用の男を用意しておいたわ」


 その言葉に、空の背筋に戦慄が走った。

 痛みに抗って何とか続いていた思考が、恐怖に侵食されてゆく。

 怖い、と。

 嫌だ、と。

 けれど、何を言っても無駄だろう。しなければならない事は1つだけ。

 生き延びて帰ること。

 それだけは、何があっても絶対に忘れない。

 空は、硬く目を閉じた。


 痛みに震える身体。それでいてその中に快感を見出し、口から零れる喘ぎ。

 意図せぬ嬌声と共に、奈落に落ちる感覚。そしてまた、新たな痛みで無理やり覚醒させられる。

 両足首も手首と同じように戒められ、足を大きく広げさせられて天井から吊るされた。屠殺された牛や豚のような体勢で、足首に食い込む棘からは新たな血が噴き出す。

 空を凌辱する相手は、何度も入れ替わった。

 時間が果てしなく続くような感覚に、思考は完全に消え失せ、黒い渦のような恐怖と泥のように纏わりつく快楽だけが頭を支配する。


「・・・これでも、助けてとか止めてとか、言わないのね。言いたい事は無いの?」

 ゼェゼェと咽喉を鳴らしガックリと仰け反った空の顔を覗き込み、ラセナテが妙に可笑しそうな声で尋ねた。

「・・・・・かえ・・・して・・・」

 朦朧とした頭で、そんな言葉が口から出る。

 捜査官としての意地もプライドも無く、懇願する声が絞り出された。

「日本に・・・お願い・・・・彼の・・」


「・・・ふぅん、遺体でなら返しても良いけど。彼って言うのは、恋人?」

 ラセナテの声の温度が、急激に降下する。

「・・・かえし・・て・・」

 傍にいると誓った彼の所に、返して欲しい。ただその思いだけが、頭の中に残っている。

 ラセナテは激昂した。

 近くにあった短剣を取ると、憎しみを籠めた声で大声を上げる。

「私にはいなかったわ!そんな人!何よ、アンタなんか!」

 宙吊りにされて真っすぐに床に向かって落ちる空の髪を掴むと、彼女はそれに刃を入れる。

 ザクッ、ザクッ・・・

 何度も降り降ろされる短剣は、床に黒い髪を撒き散らしていった。


「私には、私には・・・陛下しかいなかったのっ!・・・・・・え?」

 ラセナテはふいに動きを止め、愕然としたように刃物を採り落とした。

「・・・私は・・・彼を・・」


 やっと気づいた。欲望を満たすためだけの相手でそのために王妃にさせられたけれど、自分はそれでもノクロン3世を唯一の相手として愛していたのだ。

 捨てられて忘れられるのが辛かった。自分の中の思い出が、それが陰惨なものであっても、薄れてゆくのが苦しかった。


「何でっ!・・・こんな事、気付きたくなかったっ!」

 気付かずに、彼を恨んで憎んでいた方が楽だった。

「何で気づかせたのっ!・・・アンタが憎いわ!・・・帰りたい場所があって、待ってる人がいるアンタがっ!」

 ラセナテの眼が、狂気を帯びた。



 博たちはH島の空港に降り立つと、直ぐにルースと連絡を入れる。彼女は必要なものを全て整えて、3人を迎えに来ていた。

「別荘に出入りする業者の中で、室内用の観葉植物の管理を任されている会社を見つけました。昨日、入れ替えのために別荘に入っていますが、不備があったという事にして鉢植えを交換する手はずを整えています」

 ルースの報告を聞きながら、3人は用意してあった制服に着替える。車は業者の軽トラで、荷台には交換用の観葉植物も積まれていた。厳重なセキュリティーが施された別荘の門の前で用件を告げると、鉄の門はオートで開く。軽トラはそのまま中に入った。ルースが裏口で使用人と対応している間に、3人は分かれて庭から屋敷を見て回る。

 その時博の耳が捉えたのは、大切な人の弱々しい泣き叫ぶ声だった。

「・・・やめて・・・いやぁ・・・ぁああ・・・」

「しまった!」

 博は声がする部屋に向かって、庭を走った。


 空が連れ去られた時、彼は事の緊急性をさほど意識していなかった。

 マランタ王国の政権交代が近いうちに実行されることは明白で、おそらく現国王や王妃たちは逮捕されて処刑されるだろう。第4王妃は、自分に似ている空をその場合の身代わりとして利用しようとしているのではないか、と考えていたのだ。それならば当面の間、彼女の安全は保障される。

(甘かった!)


 広い庭を走り抜けた時、室内から悲鳴が上がる。

「・・・ヒィィーーッ!・・・」

 絞り出されたような悲鳴は、プツッと途切れた。

 博が室内に飛び込むと、目の前に大柄な侍女が立ちはだかる。その間に髪を振り乱し目を血走らせた王妃は、穴に飛び込む鼠のように部屋を飛び出していった。そこにジーナと、そして真が駆けつける。ボディーガードの大女を2人に任せ、博は空の身体に駆け寄った。


「・・・・う・・」

 博は思わず息を呑む。

 彼女の身体は、壊れたマリオネットのように床に投げ出されていた。


 身体中に走る腫れ上がった鞭の痕。

 手首と足首の傷は抉れて白い骨が見えている。

 切り刻まれて短く乱れた髪よりも、何度も殴打された顔が酷い。瞼は切れて血を流し半面は赤く染まっていて残り半面は腫れ上がっていた。口の中も相当切れているのだろう。傷だらけで真っ赤に膨れ上がった唇からは、鮮血が流れ出している。


 元の顔が判別できないような状態に、近寄ったジーナも息を呑む。

「ひ、酷い・・・」

 本当に空なのか、と疑いたくなる姿に、博は唇を噛み締めながら残った彼女の髪の、ウッドビーズが下がるひと房を指先で触れて呟いた。

「・・・空です」


「急げ!」

 侍女の制圧を終えた真が鋭く声を飛ばす。不法侵入しているのだから、することは救出だけなのだ。

 ジーナは窓のレースカーテンに飛びつくと、それを引きはがして駆け戻る。意図を察した博は、それで彼女の身体を包み抱き上げた。その間に、真は床に転がっていた容器を拾いあげる。空の顔を汚し辺りに零れていた甘ったるい香りがする液体の残りがまだ少し残っている。彼は容器の蓋をきっちり閉めると、ハンカチを取り出して包み、ポケットにしまった。

 不法侵入にカーテンの器物損壊、そして窃盗。ここにもう1つ持ち出すものが増えても、大差ないだろう。これが何かの役に立つような気がして、ドアに内側から鍵を掛けると急いで後を追う真だ。


 部屋の外にはルースが、広い庭に軽トラを突っ込ませて待っていた。荷台と助手席に分乗し、捜査官たちは屋敷を脱出する。

「このまま、A国の空軍基地に向かいます。アンジーが手筈を整えていますので、そのまま日本に向かってください」

 空軍基地で待っていた大型輸送機に乗り込むと、中には救急隊員たちがいた。早速応急手当を施される空の傍から離れない博に変わり、真がルースに礼を言った。

「助かった。ホントに感謝します。また連絡しますが、後はよろしく頼みます」

「いえ、任務ですから・・・でも、Skyの役に立てて良かったです」

 ルースはキリっと敬礼をすると、踵を返して報告と残務処理に向かった。有能かつ経験豊富で、心の奥に暖かいものを持つルースに、真は深い尊敬の意を込めて敬礼を送った。


 至宝である黄金の毛の羊は、奪還した。

 もう2度と奪われないよう、眠らないドラゴンとなってこの宝を守ろう。

 遠い昔の神話のように。



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