2 Taurus
Taurus・・・牡牛座
「A国大使夫人から、ファッションショーの招待状が来たのですが」
FOI日本支局・局長宛に届いた招待状を手に、博が少しばかり困惑した表情で捜査官たちに告げた。
先日大使夫人の開いたパーティーで、警備という任務に就いた捜査官たちだが、こちらも困惑した表情になる。
「・・・大使夫人は解ったけど、何でファッションショー?」
小夜子が首を傾げながら言う。大使夫人はデザインの趣味でもあったのだろうか。まさかモデルとして出るというわけでもないだろうに。
「先ほど、それに関しての連絡が入りました」
前回のパーティーで主賓としてもてなしたマタラン王国の第4王妃、ラセナテ殿下が再び来日するということになり、先方の希望で日本人デザイナーのファッションショーを見ることになった。大使夫人は有名な日本人デザイナーと打ち合わせをし日程も取り決めたが、直前でラセナテ王妃から行かれないという連絡が入った。
「先日クーデターが起きまして、それは鎮圧されたのですが、まだ政情不安状態なので国を出られないということらしいです」
博の説明に、捜査官たちは頷く。
大使夫人は、ここでに中止すれば準備を整えてきたデザイナー達にに申し訳が無いからと、スポンサーとして小規模なファッションショーを開くことにする。その辺りは、社交の一環として上手くやったのだろう。マタラン王国からも第4王妃付きの女官が1人、こっそりと来てくれることになった。
「親しい他の大使夫人などを招待しているそうですが、多少の報道関係者を入れても、やはり少し寂しくなってしまうので、警備も兼ねて来て欲しいと言う事のようです」
そんな説明を聞いて、空を除く女性陣はソワソワし出す。全員、興味はあるが一度も行ったことが無いのだ。けれど、ファッションショーの開催日が明日だと聞くと、小夜子と春から大きなため息が漏れた。
「明日ぁ~~、ついてないわぁ。警視庁で会議入ってるぅ」
「あ~~私も明日は、古い友人とランチ予定でした」
するとジーナは、満面の笑みで宣言する。
「アタシは空いてるわ!人数多い方がいいんでしょ。行くわ!」
「良いですよ。空はどうしますか?」
博は先ほどから黙ってニコニコしているだけの空に向かって問いかけた。
10日ほど前に、空はヴィクター医師から呼び出され、彼の強い要望に負けて傷跡の皮膚移植手術を受けていた。綺麗になった胸と下腹部にヴィクターのプライドは保たれたようだが、空としてはそれなりにメリットもあった傷跡が失くなってしまったのが少々残念でもあった。
予後も順調で、数日前には支局に戻り内勤を開始した空だが、まだ外には出ていない。それを考えての博の言葉だった。
「宜しければ、ご一緒します。身体をならすにも良いかと思いますので」
ファッションショーの警備兼観客という仕事なら、丁度良い運動量だろう。
博以外の男性陣は支局に残って仕事をするというので、結局、博・空・ジーナの3人で招待を受けることになった。
会場は大使夫人好みのこじんまりとした洋館だったが、庭はよく手入れされており、紫陽花やカサブランカ、ダリアなどが美しく咲いている。けれど3人が到着した時には、既に会場の準備は整っていた。
建物の中で一番広いホールには、ステージやランウェイが設置され、ライトや椅子などの用意も全て終わっている。背景には今日のファッションショーのテーマである『和』を意識した日本画が描かれていた。招待客も、何人かはもう来ていた。
「ごきげんよう、高木局長。いらしてくださって嬉しいですわ。あら、こちらは以前のパーティーにもいらして下さった方たちですわね」
大使夫人は博たちを見つけると、走り寄って来て気さくに話しかける。
「あの時はダンスのパートナーもお引き受けくださって、ありがとう。今日は警備と言うより、ファッションショーを楽しんでいただきたいわ」
厳重な警備対象になる人物も特にいない。夫人はA国から来ている第4王妃付きの女官を3人に教えると、楽しそうに離れて行った。
しかし、ショーは予定時間になっても始まらない。招待客がざわつき始めたところで、大使夫人が慌てたように博の所にやってきた。
流石のFOI日本支局長も、またかと思わざるを得ない。
「また今度もお願いで本当に申し訳ないのだけれど、菊知さんを貸していただけないかしら?」
今回出演する予定のモデルは5人と少なかったのだが、そのうちの1人が急な腹痛で病院に行ってしまったのだと言う。
そこに遅れて、ファッションショーのプロデューサーだと言う男も来て説明を始めた。
「早田と言います。衣装の殆どは他のモデルたちとスタッフで何とかして穴埋めが出来そうなんだが、ラストのステージで全員が揃う時は、どうしても1人足りない。しかもそれが1番の自信作だから、黒髪でストレートのロングヘアでないと駄目だ、とデザイナーが主張してね。その1着でいいから、何とか助けて貰えないだろうか。スタッフ全員でサポートするので、指示通りに歩いてくれるだけで良いから。お願いします」
小規模なものとは言え、各国の大使夫人たちや少ないながら報道陣もいる。何とか最後までやり通したいと思うのは当然だろう。
3人は顔を見合わせたが、断る理由も特にないので、不承不承ではあったが博と空は承諾した。手を打って喜んだのは、大使夫人とジーナだった。
漸く準備が整い、ファッションショーが始まった。大使夫人の意向を取り入れたらしく、服のデザインは和の雰囲気を色濃く出している。それでいて、現代でも充分好まれそうに纏めているのはデザイナーのセンスと技量なのだろう。そんなショーの様子を、第4王妃の女官は熱心に撮影していた。
つつがなくショーは進み、いよいよラストになる。
4人のモデルは、次々とランウェイを歩き、そのままステージに残った。それぞれのドレスは、鴬色・浅黄色・珊瑚色・緋色と和風の色だが、どれも上品でありながら豪華な印象だ。
そして最後に、純白のウェディングドレスに身を包んだ空が出てくる。
幅広のサッシュを締めたドレスは、シンプルだが体に沿って流れるラインが美しい。裾を引く上着は、十二単をイメージしているらしく、結い上げずに背に流した黒髪と相まって、さながら現代の絵巻物のようだった。
「・・・・ほぅ~~、美しいわぁ~~」
ジーナが、満足そうなため息と共にうっとりと呟く。
「ええ、本当に・・・」
博はそう答えながらも、いささか悲しい気分を味わっていた。
アイカメラのAIからは、いつものように細かい情報が入っていたが、それだけでは物足りなかったのだ。
(・・・自分の眼で、見たいですね)
春の桜、夏の海・秋の紅葉・冬の雪。季節折々の美しい景色は、記憶の中にちゃんとある。AIからの情報を音声で聞けば、それを頭の中で鮮明に蘇らせることができるのだ。
けれど、愛する人の美しい姿は、どうやってもそうすることは出来ない。
空の顔や姿は、過去の記憶にある全ての女性の記憶から似ているだろうと思われるものを選び、頭の中で修正を加えたものでしかない。
それは本当の彼女の顔でも姿でもない、と思う。
だから1度でいいから、空を自分の眼で見て、その顔や姿を頭の中に焼き付けたいと願う。
(目が見えなくなって初めてかもしれません。こんなに見たいと思う事は・・・)
こっそりと寂しい溜息をついた時、ランウェイの先まで来た空がゆっくりとターンをする。
ところがその瞬間、カクッと彼女の身体が揺れた。
(ーーーーっ!)
慣れないピンヒールの靴が足元を危うくし、バランスを取ろうと足を踏み変えたら、ドレスの裾を踏んでしまった。
いつもの彼女なら、その程度の体勢の立て直しは容易だっただろう。けれど退院後、まだ体力も万全ではなくトレーニングも再開していない。おまけに衣装は重く、身体も動かしづらい。
空の身体は、そのままランウェイの端から宙に泳ぐように落ちた。
バサッッ!
衣装の立てる音と共に、空の身体は受け止められていた。
彼女がよろめいた瞬間、咄嗟に立ち上がって飛び出した博が彼女を見事に抱き止めていた。
一瞬、息を呑んだ観客たちが拍手をする。アドリブで、司会者が告げた。
「花嫁は、無事に愛する人の腕の中に・・・」
そのまま空を抱いて控室まで運んだ博は、彼女を座らせるとその頬に優しくキスをする。
「綺麗でしたよ、空」
「すみません、助かりました。モデルの方との身長差があったので、凄く高さがあるハイヒールを履かされまして・・・」
博は跪いて、ドレスの裾を少し捲りあげる。靴は片方脱げてしまったようで、おそらくこちらがバランスを崩した方なのだろう。
「足首、痛めてはいませんか?」
そう言いながら、そっと足首に触れ軽く動かしてみる。空の身体が、ビクッと揺れた。
「・・・まだ腫れてはいませんが、軽く捻挫しているようですね」
「大したことはありません。少し休めば・・・」
そこにジーナが、妙な顔つきで走り込んできた。
「・・・あ!足、捻ったの?大丈夫?」
ランウェイから落ちた空だが博が受け止めたから大丈夫だろうと思い、会場に残っていたジーナだ。
ショーもひと段落したので控室に入ってみれば、博が跪いて彼女の足首をとっているから驚く。
「軽い捻挫のようです。とりあえず冷やしておきましょうか。それと、残してきたシンデレラの靴を探しに行かないといけません」
博は笑って、軽く冗談を言いながら立ち上がる。するとジーナが、思い出したように告げた。
「それはイイけど、何だか奥の方が変な感じなの。それを知らせに来たんだけど・・・」
それを聞いた博は、急いで近くにあった洗面台でハンカチを濡らし空に手渡しながら言う。
「これで冷やしておいてください。ちょっと行ってきますので」
博はジーナを伴って、ショー会場の裏手に当たる奥の部屋に向かった。
短い廊下に続く最奥の小部屋は、モデルの1人が使っている控室だった。その扉の前で、スタッフらしい女性がオロオロとしている。
「どうしました?なにかあったのですか?」
博が落ち着いた声で優しく尋ねると、女性は安心したように話し始めた。
「FOIの方でしたよね。部屋の中に・・・多分モデルの綾川さんだと思いますが、倒れていて・・・その・・・今、もう1人のスタッフが知らせに行ってますけど、その人が中に入って死んでるって言ったんです・・・」
ここで待つように言われたという女性を廊下に残し、博とジーナは室内に入る。
モデルの女性は、ドレス姿のままで床に仰向けに倒れていた。首に指の後がくっきりと残り、絞殺されたことが解る。まだ身体は体温が残り、犯行直後だろうと思われた。
「ジーナ、直ぐに邸内にいる全員の足止めを。そしてスタッフたちに廊下に集まるよう言ってください。それから、警察に連絡です」
博の指示に、ジーナは了解と短く答えて走って行った。
博は室内の様子を、アイカメラの音声で確認する。
造りは空の控室と同じで、テーブルとパイプ椅子2脚。テーブルの上には、被害者の物らしいメイクボックスがある。遺体の横が濡れているのは、近くの壁際に転がっている花瓶の水が零れたものだろう。
その傍には、3本の百合の花が死者を弔うかのように散らばっていた。
「失礼します」
その時、聞き慣れた声が背後から掛かった。
「・・・空?」
「気になったので廊下に出てみたら、丁度ジーナが走っていくところでした」
何かあったのかと問いかけると、ジーナは殺人とだけ言い残して走り去った。空は任務だと判断し、そのままこちらに来たという。
邪魔な上着は脱いで、中のドレスの裾は邪魔なので捲り上げて手に持っている。足は両足とも裸足で、これでは結婚式から逃げ出した花嫁のようだ。
「私に出来ることはありませんか?」
そう言って、現場を荒らさないよう細心の注意を払って室内に入って来た空は、空気の匂いを感じて付け加えた。
「・・・百合の花の香りですね」
そこに、ジーナに言われて来たスタッフたちが廊下に集まった。博と空は一旦廊下に出る。
7名のスタッフは、男性が5人、女性が2人。
モデルたちは、まだ着替え中だという。
「これで、全員ですか?」
博の問いかけに、先ほど話をしに来たプロデューサーが答えた。
「はい、今日はこれだけです。モデルが殺されたって聞いたんですが、本当ですか?」
7人の中では彼が一番落ち着いているように見えるが、それでも狼狽している様子は隠せない。
「ええ、直ぐに警察が来ると思いますが、それまでに出来ることはやっておこうと思います。そこで
伺いたい事のですが、この部屋のカサブランカを飾ったのはスタッフの方ですか?」
質問に答えたのは、廊下で待っていた女性スタッフだった。
「いいえ、あれは綾川さんが庭から貰ってきた物で、持って帰るからそれまで水につけておきたいって言うので、私が花瓶を用意したんです」
その答えを聞いた後、空は集まったスタッフたちの姿を1人1人丁寧に見てゆく。そして博の傍に来ると、何かをそっと耳打ちした。
「すみませんが、男性の方2人、ちょっと手伝ってください。そうだな、プロデューサーの早田さんが1番落ち着いているようなのでお願いします。後は・・・君は力がありそうだから、お願いしたいです。すみません、お名前は?」
博に指名された男は、体格の割に小さい声で答えた。
「牛野です。雑用係みたいなもんです」
卑屈な言い方で答えた牛野だが、それ以外は何も言わず、早田と共に室内に入った。
「で、何をすればいいんですか?」
早田の言葉に、博は淡々と答える。
「早田さんは、ドアのところに立っていてください。牛野さんは、こちらへ」
不審そうな顔つきで、牛野は手招きする博の近くに来る。
「牛野さん。貴女の服ですが、こことここが汚れていますね。赤っぽい黄色の粉がついているようだ」
空は床に落ちていたカサブランカを1本、拾い上げてテーブルに置いた。
「綾川さんが殺された時、このカサブランカの花瓶が弾みで落ちたようです。百合の花の花粉は、1度付着すると容易には落ちないんですよ」
テーブルのカサブランカは、見事に花開いていてその雄蕊の先には沢山の花粉を付けた葯がある。花粉の色は、赤っぽい黄色をしていた。百合の花を室内に飾る場合、普通は葯ごと花粉を取っておくものだが、そのカサブランカは庭で切ってもらってそのままになっていたのだろう。
「ち、違う!俺じゃない。この汚れは、粉絵の具だ。俺は日本画が趣味で、今日のステージの背景も俺が描いた。ショーの準備の時に少し手直ししたから、その時についたんだ」
牛野は腹を立てたように、大きな声を出した。
「ふむ・・・粉絵の具ですか」
確かに牛野の服についた黄色い汚れは粉っぽくもある。後で詳しく調べれば解ることなので、追及するのはここまでだろうか。博が考え込むと、空はテーブルの隅にあったメイクボックスから小瓶を取り出した。
「確認してみます」
空は先ほど博から渡された濡れたハンカチを持ち、牛野の傍に来る。
「失礼します」
一応声を掛け、彼女は牛野の服の汚れの1つに濡れたハンカチをそっと当てた。そして次にハンカチを広げ、乾いた場所を探すと、そこに手に持った小瓶の中身を垂らす。
「これは、除光液です」
メイクボックスから出した小瓶を見せ、空は除光液に濡れたハンカチをもう1つの汚れに当てた。
そして良く見えるようにハンカチを広げる。
2つの汚れには、大きな違いがあった。
「百合の花粉の表面には脂が含まれています。べっとりとして落ちにくいのはそのためです。除光液に含まれるアセトンは、油性の物を溶かす性質があります。一方、日本画で使用される粉絵の具は、水で溶いて使う水溶性のものです」
空が広げたハンカチの汚れは、除光液を使用した部分の方が明らかに色が濃かった。
「ありがとう、空。と言う事は、やはり牛野さんのその汚れはカサブランカの花粉だと言う可能性が高いですね。そうすると・・・」
博の言葉を最後まで聞かず、牛野はその場にガックリと膝をついた。
「・・・死ぬとは思わなかったんだ・・・俺は・・・」
そこに通報を受けた警察が、到着した。
「彼が犯人だと自白しました。後はお願いします」
博は身分証を見せると、空を伴って廊下に出る。
殺されたモデルと牛野の間に何があったのかは、警察が調べてくれるだろう。それ以上の事をする必要は無い。取り敢えず、早期解決に多少は役に立ったのだから、後は任せて帰るだけだ。
歩き出した博の耳に、裸足の空の微かな足音が聞こえた。不自然な音は、僅かにビッコを引いていると解る。彼はスタッフたちが立ち尽くす目の前で、いきなり空を抱き上げた。
「控室に行きましょう。着替えないといけないでしょう?」
「あ、あの・・・歩けます」
「ふみ先生に診てもらうまでは、歩行禁止にします」
そこに警察に後を引き継いだジーナが戻って来たが、そんな2人の姿を見るとつい立ち止まってしまった。
(何よ・・・様になってるじゃないの)
悔しいけど、自分じゃこうはいかないだろうな、とジーナはため息をついた。
帰局してふみ先生の診断を受け、軽い捻挫だからと湿布を貼って貰った空だが、暗い気分のまま部屋のソファーに座っていた。
「・・・トレーニングの開始が、また遅れてしまいました」
そんな空の前に、アイスココアをコトンと置いて博が優しく慰める。
「仕方がないですよ。無理をしないで、早く治すことですね」
「・・・そうですね。ありがとうございます」
小さな溜息をついて、空はアイスココアに手を伸ばす。そんな空の傍に、博はいきなり跪いて彼女の手を取った。
「空、結婚してください」
「・・・・・は?」
眼を最大限に見開き、口はポカンと開いたまま、空は彼の顔を見た。
(ええと・・・誰とですか?と言うのは・・・この場合・・・博とですよね)
妙な思考回路が形成されつつある。
「ですから、籍を入れませんかと言う事です。入籍してちゃんと夫婦になりませんかという意味ですよ」
いきなり呆けてしまったような空に、噛んで含めるように言葉を続けてみる。
「今日のウェディングドレス姿も素敵でしたけど、愛する人が自分のためにそれを着てくれるというのは、もっと素晴らしい気持ちになれるだろうと思うんです」
空は、深呼吸をして脳に酸素を送る。
「結婚すると、どんなメリットがあるのですか?」
思考が再開されても、そんな返事をするところが空なのかもしれない。そんな彼女を十分理解して、それでも愛している彼は、真面目に答えた。
「え?・・・そうですね、例えばドアの前で『誰だ?』と聞かれても、考え込んだり『愛人です』と答えなくても済みますよ」
どうやらRipper事件での空の言葉を、未だに気にしている博なのだ。結婚すれば、『妻です』とか『配偶者です』とあっさり答えれば良くなる。
空も、あの時の事を言っているのだということは直ぐに解った。
「ああいう状況は、そうそうあるものでもありませんし、そう言う時にもっと適切だと思われる言葉を、先日思いつきました。『内縁の妻』を使用すれば良いのではないかと」
(う~~ん、それもどうかと・・・)
事情があって入籍できないわけでは無いのだ。
あるとすれば、それは空の気持ちだけなのかもしれない。
「それに、結婚しないと傍にいられないというわけでは無いでしょう?私は、今のままで充分なんです」
僅かに目を伏せて答える空に、博は静かに立ち上がってその隣に腰かけた。
「解りました。2回目のプロポーズも、失敗に終わったと言う事ですね」
「すみません・・・え?・・・2回目?」
1回目の記憶が全く無い。
「ええ、1回目はそれがプロポーズだと気付いても貰えなかったんですよ」
マダム高木の名を持つ薔薇の花を、受け取って欲しいと渡したのだ。6ペンスの唄の謎を解いた時の事なのだが、その時博は、彼女にそれを気づかせるのは無理だと思い知った。だから今回は、はっきりとした言葉でプロポーズをしてみたのだ。
「何か・・・本当にすみません」
恐縮してしまった空に、博はその肩を抱き寄せた。
「いえいえ、まだ2回目ですからね。世の中には100回以上プロポーズする意気込みがある人もいるようなので、僕もそれに倣おうと思ってますから。諦めずに、何度でもトライするつもりです」
まだ空の心は、そこまで育っていないのかもしれない。
何か、躊躇するような壁があるのかもしれない。
けれど、時間を掛ければきっと何とかなる。
何しろ自分は、自他ともに認める粘着質でしつこい性格なのだから。
何か言いかけた空の唇をキスで塞ぎ、博はそのまま彼女の身体をソファーに押し倒す。
プロポーズに失敗しても、やることはやる彼だった。