13 Polaris
Polaris・・・北極星
日没になり、ジーナは漸く解放された気分で、自分たちに与えらえている部屋に戻って来た。
(あ~~、流石に飽きたかも)
色事に長けてタフなジーナでも、流石に疲労が溜まっている。部屋の前まで来ると、1つ深呼吸をして体と気分を切り替えた。そんな雰囲気で、現在の相棒の前に立つわけにはいかない。
すると目の前でドアが開き、例のリーダー格らしい男が出てくる。
「日没だな。鬼ごっこは終わりってこった。俺は充分面白かったけど、不満が残った奴もいるな」
あわよくば2人とも、出来れば複数回、と思っていたが当てが外れたというところなのだろう。
「明日は忙しいし、夜が明けたら最初のように順番で相手をしてもらうぜ」
ジーナは男の肩越しに中の様子を見る。空はベッドの上で、ぐったりと身体を投げ出していた。この男の相手をさせられたことはひと目でわかる。
ギロリと男を睨みつけたジーナに、意味が解らないという表情を見せた男は、後でまた飯を持ってきてやると言い残して部屋に鍵を掛けると、鼻歌を歌いながら去って行った。
「空!・・・大丈夫?」
ベッドに駆け寄って来たジーナに気づき、空はゆっくりと起き上がって答えた。
「・・・はい・・・何とか。例の症状は出ていませんので・・・」
空の顔色は確かに白いが、青褪めていると言うほどではない。ダメージは、凌辱された恐怖と実際の行為によるものだろう。ジーナは少しだけ安堵し、彼女を手伝って身支度を整えてやった。
暫くして部屋に食料が放り込まれた。2人はそれを胃に収めながら、集めた情報を共有する。
空は船長の話と船底にある爆弾の話を伝え、集めた品々を見せた。
「その気持ちは解らないでもないけど、やっぱり船は沈めたくないわよねぇ」
ジーナからの賛同も得たので、今後の行動の方針も固まった。
「マスターキーが手に入ったから、どこでも出入り自由よね」
空はいくらか回復したようで、落ち着いて答える。
「はい、もう少し休んで体力をしっかり回復させたら、真夜中くらいに決行しましょう」
やがて時が過ぎ、そろそろ頃合いだと判断した空とジーナはしっかりと装備を整える。拳銃を収めたヒップホルダーを付けると、安心感と共に身が引き締まる気がした。博への連絡は、男が去った直後に行っておいた。彼は安堵の色も明らかに、救出に向かうので待っているように答えた。
先ずは、船底の爆弾をどうにかしないといけない。
重い木箱を2人がかりで移動させることも出来たが、時間が掛かりそうなのと音を立てたくないので、そちらは諦めた。万が一失敗した場合を考えて、空は1人で船底に降りる。ジーナは不承不承ではあったが、階段の上で待機した。
爆発が起きてしまった場合に、空を助け出すためと船内にいる他の命への対処が必要だからだ。
空は前回来た時に見つけておいた木箱の隙間の前に立つ。
手には談話室で見つけたピストルクロスボウがあった。隙間はクロスボウを縦にすれば余裕で通る。自分の拳銃でもタイマー部分に当てることは可能だが、距離を考えると威力に不安があったし、跳弾で爆弾が起爆される心配もある。クロスボウならその点は安心だった。
空は呼吸を整えると、その隙間からしっかりと目標を視認してためらいなくトリガーを引く。
彼女のスキルは正しく目標を捉え、矢は真っすぐにタイマーと爆弾を繋ぐ導線を断ち切った。
次は船員たちの制圧だ。空は爆弾の安全を確認すると、ピストルクロスボウをその場に残し、階段を上がってジーナと合流する。
彼らの居住区の部屋を回り、今は贅沢にそれぞれが使っている個室のドアをマスターキーを使って開け、有無を言わさず制圧しガムテープで拘束した。
10人の船員のうち6人はその方法で拘束したが、残り4人は居住区にはいなかった。おそらく2人くらいは操舵室にいるのだろうと思われたが、念のため居住区以外の場所を探し回って漸く2名を制圧する。空とジーナが操舵室に向かった時には、東の空が白み始めていた。
操舵室の前に立つと、ジーナがドアをノックする。
「・・・なんだぁ、こんな時間に」
眠そうな声と共にドアを開けた男の腕を掴んで、ジーナがその身体を廊下に引きずり出すと、間髪入れずに空が中に飛び込んだ。
「動くな!」
計器パネルを見ていたもう1人の男が、振り向いて硬直する。
「そのまま床に伏せなさい!」
空の鋭い声に、男はなす術がなかった。
「進行方向をG島の港に変更しました。1時間後には領海内に入ります」
アンタレス号の計器類を調べ舵輪を設定した空は、2人目の男を拘束し終えたジーナに向かって報告する。これで、目的は全て達成したことになる。
「博たちは領海ギリギリのところで待ち構えてくれていると思いますので、制圧完了の報告を入れておいてもらえますか?」
船の方は、後はオートで進むだろう。空は連絡をジーナに任せ、操舵室を出ようとする。
「いいけど、どこ行くの?」
「第4王妃のところへ。私は決して優しくは無いんです」
王妃や侍女たちを放っておいても問題はないかと思うが、たとえ精神崩壊していてもラセナテが自分にしたことは許せないのだろう。そんな彼女に、ジーナはきっぱりと告げた。
「それじゃ、アタシも行くわ!」
マスターキーでドアを開け、もと第4王妃ラセナテのフロアに入ると、広く豪華な室内にいた船医と侍女たちが驚いて振り返る。
「だ、誰だ!」
「何、どういうこと?」
「なにがあったの?」
状況が理解できず口々に騒ぐ侍女たちを無視して、空は真っすぐにラセナテの前に歩み寄った。
もと王妃の地位にいた女性は、以前と比べると見る影もなくなっていた。
定まらない視線と絶え間なく口元から流れる涎。衣服こそ以前と同じように豪奢なものを身に纏ってるが、寧ろそれが哀れささえ誘う。目の前に立った空を認識するどころか、人がいる事さえ解っていない様子だった。
空は少しの間その様子を眺めると、小さく呟く。
「・・・これで気が済むわけではありませんが」
室内に、空の渾身の平手打ちの音が響いた。
ソファーから転げ落ちたラセナテは、火が付いたように泣き叫ぶが、侍女たちは駆け寄ることも出来ずに呆然としている。
「これは、アタシの分」
ジーナが近づき、四つん這いで逃げようとするラセナテの尻を蹴とばした。
「大事な人の全てを傷つけたんだから。そしてこれは、博の分。ついでよ、義理だけど」
もう一度彼女の尻を蹴って、ジーナはフンと鼻を鳴らして告げた。
「他にも代わりに蹴とばしてくれって思ってる人は沢山いるけど、これだけで許してあげるわ」
船医と侍女たちは、固まったまま動けないでいた。
クーデターの事実は既に知っていて、今後の事もある程度予測しているのだろう。諦めにも似た空気が漂っている。
「この船は、現在G島の港に向かっています。1時間後には領海内に入って拿捕されるでしょう」
空は追い打ちを掛けるようにそれだけを告げ、ジーナと共に部屋を出てドアをロックする。
船長や王妃たちの処遇は、然るべき方々に任せておけば良い。自分がやりたかったことは、これで終わった。ホッとしたような、スッキリしたような、けれどやはり微妙な感情も残る。けれど空は、軽く頭を振ってそんな気持ちを振り払った。
空はデッキに出た。
穏やかな海面から朝日が昇る。海風が心地よく髪をなびかせる。
そんな後姿を、少し離れた場所でジーナは声もかけずただ見詰めていた。
彼女のこんな姿を見るのは、これが最後なのだろう。
凛として黒髪をなびかせ何事も無かったかのように自然体で立つ空に、自分が愛する相手はこんなに綺麗なのだと誇らしくさえ思える。
ふと気づくと、そんな空の姿が霞んで見える。
涙でぼやけさせてはならない、とジーナは唇を噛んだ。しっかりと見詰めて、心に刻んでおこう。今の彼女を、見ていられるのは自分だけなのだから。
空は、ふと頭を上げる。
任務では無かったが、捜査官として自分に出来ることをやり遂げたという満足感があった。
明るくなった海面には、多くの船影とヘリコプターが見えた。アンタレス号が領海内に入るのを待っているそれらのどこかに、博がいる。
思い返せば、彼が自分を助けに来てくれた時、こんな風に無傷でしっかりと立っていたことは無かったように思う。大怪我をしていたり瀕死だったり、血まみれだったり意識が無かったり。
BBの事件の時も、第4王妃の事件の時も。他にも、沢山。
こういう姿で彼を迎えられるのは、理想なのかもしれない。
怪我もせずやるべきことを成し遂げて、彼が迎えに来るのを待つと言う事が。
今、漸くそれが出来たのだから、今回の出来事は捜査官としての最後の行動として相応しい。
彼が自分の近くに立ったら、走って行ってその腕の中に飛び込もう。
空は風に乱れる黒髪を抑えながら、真っすぐに水平線を見つめて微笑んだ。
そこが自分の帰る場所。
揺ぎ無く存在する一点は、夜空に輝くPolarStarのようにそこにある。