12 Sagittarius
Sagittarius・・・射手座
ジーナは小さな窓から差し込む強い日差しに目を覚まし、腕の中で穏やかな寝息をたてて眠る空の身体からそっと離れた。
冷たかった身体は暖かくなり、辛そうな様子は無くなっている。ホッと安堵の息を漏らし、ジーナは彼女を起こさないよう気を付けてベッドから降りた。
どうやらもう、昼近くになっているようだ。けれど、廊下からは何も聞こえず、船は静かに航行を続けている。ジーナは身繕いをすると、床に散らばったままの空の衣服を集めた。
「・・・ん・・・」
ベッドの上の空が身じろぎし、微かな声を漏らした。
「目が覚めた?具合はどう?」
ジーナは駆け寄って、彼女の顔を覗き込む。空はふわりと子供のような笑顔を浮かべると、起き上がりながら答える。
「はい、ぐっすり眠れたので回復できたようです。暖めてくれて、ありがとうございました、ジーナ」
暖めて貰っていたその間の出来事など無かったかのように、あっさりと言う空に、ジーナは明るい笑顔で返す。
「良かったわ。着替え、出来る?」
ハイと答えた彼女に衣類を渡すと、ジーナはお道化た顔で肩をすくめた。
「ちょっと残念。リアル着せ替え人形ごっこが出来るかと思ったのに」
そんな彼女に、空は至極真面目な顔で答えた。
「やりたければ、どうぞ?」
ジーナは一瞬目を丸くするが、ニカッと笑って早速その嬉しい申し出に取り掛かった。下着から順に、足を取り手を取って着せ付けてゆく。
こんな楽しいシチュエーションは、これが最初で最後だという事実には敢えて目を背けながら。
そして2人は、入手した情報を教え合った。
ワン・トゥランは、ジーナが連れて行かれた時には既に殺され、その遺体は海に投げ捨てられていた。アンタレス号の船長は、クーデター成功のニュースが入った直後に、船員らの手によって軟禁されている。彼らは王党派とは言っても、主義主張があるわけでは無いようだ。けれど本国に戻っても、安全は保障されそうもない。そこでどこかに上陸して身を隠し、情勢を見て身の振り方を考えると言う方向に話が固まっているようだ。
「そうなると、無人島に上陸してもダメなのよね」
それでは最新の情報が入らないし、それだったら国際交流が盛んで人口も多い場所が良いだろう、とジーナが言う。
「そうですね。船の進行方向などを考慮すると、G島辺りが妥当かと思います」
「A国の領土だわ。観光とかレジャーとか、バカンスで訪れる人が多いわよね」
「G島の目立たないところに停泊して、ボートで上陸するつもりかもしれません。けれど、それならこちらにも好都合です」
領海内に入れば、FOIは遠慮なく行動できる。A国軍の協力も得られるので、アンタレス号が拿捕されるのは時間の問題だ。
「トンネルの出口が見えたみたいね。なら、アタシたちも出来ることはしておきたいわ」
ただ黙って救出を待つだけ、というのは性に合わないとジーナは言う。それについては、空も同意見だった。2人は、今後の行動について話し合う。
先ずは、船内の構造を知ること。奪われた装備品を、取り戻すこと。博と連絡を取り、出来れば自分たちが救出される前に船員たちを制圧してしまいたい。
それには先ず、2人は船内を行動する自由を得なければならない。
「ねぇ、アタシに良いアイディアがあるの」
ジーナは、不敵な笑みを浮かべた。
FOI日本支局では、総力を挙げてアンタレス号の現在地と目的地を探した。
博は豪を傍に置き、自分の人脈を全て使って情報と協力を得る。本部を通じて、軍事衛星や通信衛星のデータを貰いそれらを分析していた。
「アンタレス号は、G島に向かっていると思われます。領海内に入ったら直ぐに拿捕できるよう、手配しておきます。僕と豪、それから真とエディで直ぐにG島に向かいます」
博は指示を下した。
船室のドアがガチャリと開き、男たちの1人が顔を出した。
「おい!食え」
声と同時に、部屋の中にペットボトルの水とパンが投げ込まれる。ジーナは素早く動き、ドアに足を入れて閉められないようにすると、明るい笑顔を作って話しかけた。
「アリガト!お腹空いちゃってたのよ」
「イイから、足引っ込めろ。潰すぞ」
物騒な言葉を浴びせる男だが、ジーナはその雰囲気を正確に感じ取っていた。
仲間に内緒で、こっそり持ってきたようには見えない。昨晩よりも、ずっと落ち着いている様子だ。これなら、ある程度話が通じるだろう。
「どうせ逃げられやしないんだから、そんなに警戒しないでよ。アンタ、昨晩の男たちの中で一番ヨカッタわ。彼らのリーダーなの?」
胸の谷間を見せつけるように甘い声で囁くジーナに、男は僅かに警戒心を解いたようだ。
「リーダーなんていないさ。10人で話し合って決めてるからな」
「でも、アンタの意見は結構通るんじゃないの。ねぇ、今日もアタシは全員の相手をするのかしら?」
「かもな。今のところ、いつもの仕事以外は話し合いしてるだけだからな」
目的地は決まり、その後の行動計画も決まったのだろう。大型クルーザーの運航に関しては、ある程度オートで出来るだろうし、今更船内掃除などの雑用などしなくても構わないのだ。
それでも話し合いをしていると言う事は、船内の金目の物をどう分配するかなどについてだろう。
空は、そんな事を考えながら、黙ってジーナを見守っていた。
「だったら、提案があるんだけど。昨晩と同じじゃつまらなくない?順番だって、決めるのは面倒でしょ。後回しになる方は、不満もあるでしょうしね。どうせなら、面白いシチュエーションはどうかなって思うのよ。鬼ごっこはどう?」
「あ?」
「だからアタシが船内を逃げて、捕まえた人が好きなようにしてイイってこと。身体に触れたら一切抵抗しないとか、1度捕まったら30分独占できるとか、そんな風に決めておけばイイじゃない。終わったらアタシはまた逃げるし、それなら次の相手まで少し休めるわ。日没までって決めておいて、何回目でも捕まえられたらオッケーにすれば、不公平感は無いでしょ」
「・・・悪くねぇかもな」
娯楽に飢えているのだろう。女を追いかけて手に入れるというシチュエーションは、他の欲も満たせそうだ。男はジーナの提案に乗った。
「それじゃ、そうするか。仲間に伝えて来るから・・・そうだな、30分後からスタートって事にしようぜ。それまでに飯を食って、裸になって部屋から出な。その方がこっちのモチベーションも上がるし、いちいち脱がせる手間も省けるってもんだ。あ、言っとくが2人ともだからな」
男は口早にそう伝えると、鍵もかけずにさっさと走り去ってしまう。
「えっ!ちょっと・・・」
逃げ回るのは自分だけ、のつもりだったジーナは焦って男の後を追おうとするが、そこに空が声を掛けた。
「私は構いませんよ。船内捜索は、2人の方が効率が良いでしょう」
「えぇ~~、だって裸よ?」
「今更ですし。捕まらなければ問題はないかと」
身体能力は落ちているが、視覚と臭覚は今まで通り鋭いままだ。狭い船の通路なら、臭いで誰がいつ頃そこを通り、どちらに向かったかは判断できる。鬼より先に気づいて逃げる事も出来る筈だ。
「彼らの臭いも覚えましたし、見つからないように行動するくらいなら余裕で出来ますから」
体調も戻っている、と付け加えた空は平然とそう言ってのけた。
そうと決まれば、時間は有効に使わなければならない。ジーナと空は急いで食料と水を胃に詰め込むと、さっさと服を脱ぎ始めた。馬鹿正直に30分後に部屋を出る義理は無い。
何も持たず、生まれたままの姿でドアに向かった2人だが、そんな自分たちを見てジーナが苦笑いで言う。
「何だか、この絵面って凄いわねぇ。気分的には、任務に出る感じなんだけど」
「確かに・・・こういう経験は初めてです」
気を引き締めて、でも裸で。
心もとない感覚はあるが、それは意識的にねじ伏せるしか無いだろう。防御力ゼロだが、裸族か原始人になったと思えば良い。そんな事を考えた空に、ジーナはフフッと笑って言った。
「エデンの園のイブになったと思えばイイか」
裸の例えが全く違う2人は、打ち合わせておいた通りに行動を開始した。
ジーナは基本的にデッキ周辺と船員たちの居住区辺りを動きまわることにしていたので、空は先ず上階を目指す。
「ああ、やはりこのフロアは入れませんね」
最上階のフロアは、第4王妃たちが使用しているのだろう。クーデター直後から封鎖されているのだと思う。
中には第4王妃と侍女たち、そして船医がいるはずだ。
(・・・医務室を探しましょう)
船医は随分と前から、王妃専属のようになっていただろう。とは言ってもこれだけ大きなクルーザーで王室の船ならば、設備が整った医務室はあるはずだ。船医が軟禁状態ならば、船員たちは自由に使えるようドアはロックされていないのではないだろうか。
空は踵を返して下のフロアに降りる。そして直ぐに医務室を見つけ、思った通りロックされていないドアから中に入った。
医務室の中を探し回り、空は使えそうな物を見つけ出す。
先ず大きなバスタオルを体に巻き、引出しにあった注射針を数本出して胸の辺りに刺しておく。そして急いで部屋を出ると、次の場所を目指した。
(これだけでも、気分は少し違いますね)
風呂上がりのような格好で、空は廊下を歩いた。
同じフロアには、船長室があった。
ロックは解除されている表示だが、廊下側に後から取り付けたらしい大きな南京錠がある。船長はここに閉じ込められているのだろう、と空は考えた。
船員たちは船長室に彼を放り込み、マスターキーを取り上げ、けれど予備がある筈だと思って、念のため外から南京錠を取り付けたのではないだろうか。急いで行った仕事だと見えて、倉庫から探したらしい南京錠は古く、応急工事のような取り付け方である。
(この錠なら、早速これが役に立ちます)
空はバスタオルに刺してあった注射針を抜くと、その針を使ってピッキングで開錠する。辺りにはまだ船員たちの気配はない。空はドアを開けてするりと身体を滑り込ませた。
「誰かね!」
窓際の椅子に座っていた初老の男性が驚いて声を上げた。
入ってくるのは船員たちだけだと思っていたところに、バスタオル1枚だけを体に巻き付けた美女がいきなり入ってくれば、そりゃ驚くだろう。
「こんな格好で失礼します。アクシデントで乗船してしまったのですが、船員たちから逃げているところです」
この男が船長で間違いないだろう。
空は軽く頭を下げて、礼儀正しく挨拶をした。
「予備のマスターキーを、お持ちですね。貸していただけないでしょうか?」
廊下で見たドアはアンロック状態だった。船長は予備のマスターキーで開くかどうか試してみたに違いない。南京錠のために出ることは叶わなかったが。
そう思った空は、彼が持っている筈のそれを貸してくれるよう頼んだ。
「・・・君は、一般人では無いようだが?」
「はい、FOI日本支局の捜査官です」
落ち着いた様子の船長は、人柄もよさそうだ。しかも軟禁状態なのだから、それを告げても特に問題はないだろう。空は正直に身分を明かす。
「成程・・・これから、どうするつもりだね?」
「任務を受けているわけではありませんので、取り敢えずは身の安全と脱出が目的です」
「ふむ、貸しても良いが、少し話を聞いてからにしてもらえまいか。君にとっても、役に立つ情報だと思う。ずっとここに1人でいるものだから、色々と考えたこともあってね」
そんな船長の言葉に空は頷いた。南京錠は、遠目で見れば開いていることが解らないようにしてある。ここに船員たちが探しに入ることは無いだろう。
船長は微笑んで礼を言い、穏やかな口調で話し始めた。
「私はね、現国王、いやもう元国王だな。その従兄に当たる。かなり末席だが、王位継承権もある。けれど私は王位にも政治にも興味は無くて、海が好きだと言う理由だけで逃げるようにこの船の船長になった。処女航海の時から、ずっとだ」
それなりに満足な人生だったが、本国に帰れば一方的な裁判の後、待っているのは処刑だろう。だから、どうせならこの船と一緒に海に沈みたい。
「政情不安になった時から、アンタレス号の船底付近に爆弾を置いているんだ。いつでも自沈できるようにとね。そしてクーデターの知らせが入った時、軟禁される前にそのタイマーをセットした」
船員たちは、王党派ではあるが、命を投げうってでも王室に忠誠を誓うような奴らではない。おそらくどこかに上陸して、船から逃げ出すだろうと予想した。おおよその上陸地点を考慮し、その手前辺りで爆発するように爆破時刻を設定した。
「大型船というのは、船底に穴が開いても直ぐには沈まない。救命ボートと救命具は足りている筈だが、君は場所を確認しておいた方が良いだろうな。・・・誰かに聞いておいて貰いたかったのだよ。アンタレス号が沈んだのは、私の責任だと言う事をね」
船長はそこでニコリと笑った。
ここで彼に考えを翻させるのは無理だろう。そう判断した空は静かに答えた。
「解りました。何かして欲しい事はありますか?」
「ありがとう、特にないな。君は優しいね。その御礼に、セットした爆破時間を教えておこう。今晩、いや明日の明け方くらいになるよ」
空は黙って頭を下げると、踵を返して廊下に出る。そして南京錠を掛けなおすと、爆弾があると言う船底に行ってみることにした。
船底には様々な荷物があった。その一番奥、重い木箱が積まれている隙間から、威力の高そうな爆弾とそれに繋がるタイマーが見えた。普段は使わないような木箱はどれもかなりの重量があり、その1つでさえ自分には動かすことが出来ない。空は確認を済ませると、考えながら狭い階段を上がってゆく。
(爆発を起こさせたくはないですね)
船長の希望は叶えられない事になるが、助けられる命は全て助けたいと思う。
(それも、私のエゴかもしれませんが・・・)
FOI捜査官としてのプライドなのかもしれない。どんな命も見殺しにしたくないのだ。これが捜査官としての最後の行動なら、なおさら。
(それにしても・・・そんな最後の行動が、裸の鬼ごっこと言うのはどうなんでしょうね)
空は軽く首を傾げた後、思考を切り替えて狭い階段を上がった。
ジーナは最初の相手にわざと捕まり、そのテクニックでサッサとコトを済ませると、その耳元に甘く囁いた。アナタが気に入ったから、次に捕まるならまたアナタがイイわ、と。
「外のデッキの、どこか見つからないような所に隠れているから、探しに来て」
そう言い残し連れ込まれた小部屋から出ると、デッキには出ずに居住区の辺りをウロウロする。そうやって、3人程度は外に出しておくつもりだった。
空が少しでも行動しやすくなるように、自分に出来ることは全て行う。当然居住区の船員たちの部屋も、入れるところは全て入り捜索も行っていた。
空が次に行う事は、自分たちのスマホと装備品を見つけることだ。捕まった時に奪われたそれらを、船員の誰かが個人的に預かるとは思えない。あるとすれば、彼らの共有スペースだろう。
空は居住区に向かった。幸い廊下に人影は無かったが、突き当りの食堂兼談話室のような部屋が正面にある。開け放たれたドアから、1番若そうな船員が退屈そうに居眠りしているのが見えた。
そんな廊下に漂う匂いがジーナのものだと気付いた空は、それを追ってドアを開ける。
「わっ!・・・なんだ、空ね。ちょっと、ビックリしたわ」
「すみません・・・お疲れ様です、ジーナ」
疲れた様子も見せず、彼女はニカッと笑いながら手に持った品を見せた。
「ホラ、ガムテープ見つけたわ」
空は差し出されたそれをありがたく受け取り、小声でジーナに頼む。
「向こうの談話室にいる男を、そこから引き離して貰えませんか」
要は見つかって捕まってくれと言うようなものだから、頼むのはかなり気が引けたが、自分では上手くやれる自信がない。
「オッケー、任せて」
ジーナはスッと立ち上がると、気負いもなくドアの向こうに姿を消す。やがて別の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。
ジーナは持てるスキルと特性を生かして、男たちを手玉に取った。
捕まると、惚れ惚れするコケティッシュな笑みを浮かべて男の耳元で囁く。
「アタシは今から30分、アナタだけのものよ。好きなように呼んで。恋人の名前でも、誰でも良いわ。アナタの大切な女性の代わりになるから」
金髪碧眼のナイスバディな美女に、そんな風に言われて熱くならない船員はいなかった。
空は素早く談話室に入り室内を探し始める。鍵の掛かったキャビネットをピッキングで開錠すると、果たしてそこには探していた品々が入っていた。
スマホが十分使える状態であることを確認し、空は巻いていたバスタオルを外してそれら全てを包み始める。ふと壁を見ると、装飾品のように掛けられているピストルクロスボウある。船員の誰かが、趣味で使っているものかもしれなかった。
(使えるかもしれません・・・)
スポーツタイプらしいそのクロスボウも一緒にバスタオルに包むと、空はそれを胸に抱えて自分たちの部屋に戻った。
部屋に戻ってバスタオルに包んだ荷物をベッドの下に隠すと、空は裸のままベッドに腰かけ、小さな窓の外を見る。そろそろ日没で、鬼ごっこの終了も近い頃だ。
陽が沈むまでの間、再び部屋を出て逃げるか隠れるかするのもアリかと思うが、ここを離れるのは不安が残る。集めてきたベッド下の品々を、見つかってはならないのだ。
空が覚悟を決めてそのまま待つと、案の定、昼過ぎにパンを持ってきた男が顔を出した。
「やっぱり、ここにいたな。そろそろ日没だからな。こっちに逃げ込んでるんじゃないかと思ったぜ。あっちの金髪ネェちゃんと違って、アンタはこういうの好きじゃ無さそうだしな」
男は読みが当たった嬉しさと、漸く捕まえることが出来た獲物を好きに出来る喜びを露わにして近づき、空の腕を掴んだ。
空はベッドの上で、時が過ぎるのを待つ。
ジーナにばかり、男たちの相手を任せるのも申し訳ないと思っていた。
日没まであと少し。
体調を維持できることだけを祈っていた。