11 Capricorn
Capricorn・・・山羊座
警視庁からの報告もあって、昨日の地下街爆破事件はある程度のことが解って来た。博は、Y港に向かう途中、捜査官たちにそれを伝える。
業務用駐車場に残されていた軽トラはレンタカーで、借りたのはウィルマだった。搬入業者風の制服は、それらしいものを適当に入手したようで、爆心地近くの遺体は、ウィルマと一緒に来たと思われる男性だった。
ウィルマの最後の言葉から、彼女は自分たちが受け取る荷物の中身を知らされていなかったのだと推測される。今のところ解っているのは、爆弾がかなり纏まった数であったと言う事と、おそらくは何かの手違いで誤爆したのではないかと言う事だ。
手製爆弾だったのかもしれない。ウィルマの所属するレジスタンスがそれを秘密裏に購入し、クーデターに使用するためにマランタ王国に運ぶつもりだったと思われた。
現在Y港に停泊している大型クルーザーは、オーナーが国王、つまり王室が所有する船舶だった。その船で王室に対するクーデターに使用する爆弾を運ぶと言うのは、何とも皮肉な話だが、確かにメリットは大きいだろう。積み込み作業に関するチェックは、船員にレジスタンスのメンバーが居れば、ある程度は誤魔化せるだろうから。
そして、Y港に向かう車の中で、春から緊急連絡が入った。
「マランタ王国のクーデターが成功しました。国王は身柄を拘束されたそうです」
FOI日本支局の捜査官たち4人、博・空・ジーナ・真がY港に到着した時、大型クルーザーは既に出港準備を終えるところだった。
クーデター成功の情報が入ったのだろう。本国に戻るのかどうかは不明だが、荷物などの積み込みは既に終わっていたようだ。
デッキに取り付けられているタラップが収納されようとしていて、その時間も惜しいかのように船体が動き出している。
「あれは!」
車から飛び出した空は、デッキにいる人影を見て叫んだ。
昨日自分がその死を看取った、レジスタンスのウィルマにそっくりな女性。彼女が、ワン・トゥランに違いない。
空は咄嗟に走り出し、収納され始めたタラップに飛び乗った。ウィルマに託されたメッセージを伝えなければならない。それを済ませたら、海に飛び込んで逃げれば良いのだから。
「あっ!空!」
そんな空の姿を見たジーナは直ぐにその後を追い、収納が終わりかけたタラップの端に飛びついた。
岸壁からは見えなかったが、デッキには船員たちが何人もいた。空はその男たちを搔い潜って、ウィルマの姉らしい女性の方へ走り出す。けれどその背中に、大声が浴びせられた。
「止まれ!動くな!・・・コイツは、お前の仲間だろう」
振り向いた空の眼に、2人の屈強な男に捕らえられているジーナの姿が映った。
空とジーナは、空いていた船室に一旦閉じ込められた。装備や通信機器は奪われたが、出港準備に忙しいのか取り敢えずの措置で軟禁されたと言う事だろう。
「ご、ごめん・・・アタシが余計なことしたばっかりに・・・」
ジーナは泣き出しそうな顔で、空に謝る。タラップに飛びついてぶら下がったは良いが、デッキで待ち受けていた船員たちになす術もなく動きを封じられてしまったのだ。そのせいで、空までが捕まってしまった。自分だけなら良い。誰よりも大切で、愛していると公言して憚らない相手を、自分が窮地に追い込んだようなものなのだ。
「ジーナ・・・大丈夫ですよ。何とか方法を見つけて、脱出しましょう。他の皆も、助けてくれるはずですから。一緒だと、心強いですし」
空は、ニッコリと笑って答えた。
その頃岸壁では、連絡を絶った2人を救出するため、博たちが行動を起こしていた。けれど全速力で動き出した大型クルーザーは、それを追う船の準備が出来た頃には、とうに湾外に出てしまっていた。
大型クルーザーの名は『アンタレス』と言った。全速力で逃げるアンタレス号は、追手やレーダーから逃げ続けついに領海外に出てしまう。
博たちは一旦支局に戻り、全力でアンタレス号を拿捕する手立てを探す。
少しでも早く、2人を救出したい。
博は焦る気持ちを何とか宥めながら、豪を傍に着けて行動を開始した。
空とジーナは、押し込められている船室の小さな窓から外の様子を窺い、船が外海に出ていることを知る。やがて日が暮れると、夜空の星で進行方向を割り出した。
「・・・南西に向かっているようです」
「スピードは、落としているみたいね」
そんな会話をしていると、ドアの外に荒々しい足音が聞こえ、いきなりドアが開かれた。
「取り敢えず、入ってろ。尋問の続きは、また後だ」
武装した船員の1人が、連れてきた女性を室内に放り込む。
それは、ワン・トゥランだった。
ワンは殴られて腫れ上がった顔をしていたが、それでも意識はしっかりとしていて、ウィルマにそっくりの顔を上げて空とジーナを見る。
「大丈夫?出来るだけ、手当てするわね」
ジーナは船室の中を探し回ってタオルを見つけると、洗面台でそれを濡らす。
「ワン・トゥランさんですね」
空は、ワンを助け起こして優しく尋ねる。そして、静かにマランタの公用語である仏語で伝えた。
『貴女の妹の、ウィルマさんからメッセージを預かっています』
『ウィルマの!・・・あの子、船に戻ってこなかったから・・・地下街爆発のニュースも聞いたし・・・何となくだけど、解ってた。ウィルマは死んだのね。私たちは双子だから、そう言うのって解るのよ』
『私は、ウィルマさんの最後の時に傍にいました。『愛してる』と伝えてくれるように頼まれました』
空はふと、伝言ならば口にできる「愛しています」の言葉に寂しさを覚えてしまった。
(自分の心から出たものでなければ、言えるのですが・・・)
彼にその言葉を伝えられないと言う事は、心に冷たい楔を埋め込まれているようなものだ。
『ああ、それじゃ・・・ウィルマは1人で死んだんじゃなかったのね。それだけでも、良かった・・・ありがとう。私も、レジスタンスであることがバレちゃったから・・・』
ワンはそう言うと、自分が知る限りの情報を2人に話してくれた。
『この船の乗組員は、船長を含めて11人。全員王党派よ。船長は貴族だしね。それと、今は第4王妃が乗ってるわ。そのフロアに侍女が3人と、年取った船医が1人。船員はそのフロアには入れないんだけど』
「第4王妃!」
ジーナは思わず声を上げた。空も驚いたようで、眼を見開いている。
『知ってるの?でも、ラセナテはもう廃人同然よ』
ワンは、他の船員から聞いた話として、2人に説明した。
去年A国のH島から乗船してきた時、第4王妃ラセナテの様子は既におかしかった。アンタレス号の船医の話では、原因は解らないが徐々に症状が悪化し、現在では周囲の状況も把握できない程、精神崩壊が進んでいるという。
当然アンタレス号の行き先を指示することも出来ないので、続けてきた世界周遊の旅を止めて本国へ帰ろうと、医師や船長が判断した。側近たちもそれに従うと言うので、1度日本に寄港して物資を補充してからマランタ王国に向けて出航する予定だった。
やがて、船室の外から足音が聞こえてきた。
『ああ、もう来たのね。クーデターは成功したし、今更隠す必要も無いからさっきの尋問で全部話したつもりだけど・・・まだあるのかな・・・何だかアイツら、パニックみたいになってて、自暴自棄って言うのかしら。マランタに帰っても、捕まって殺されるだけだって』
『ワン、諦めちゃダメよ。ウィルマの分も、生きないと。一緒に脱出するのよ!』
ジーナの声を背にして、ワンは振り返って寂しそうに頷き、入って来た船員たちに引き立てられて行った。空とジーナは、それを黙って見ていることしか出来なかった。
「・・・空?顔色が悪いわ・・・そこのベッドで横になりなさい」
ふと、ジーナは俯いている空の顔を覗き込み、慌てたように促す。疲れているのかもしれないが、微かに眉を寄せた彼女の顔は、確かに真っ青だった。
「・・・すみません・・・」
空は大人しくベッドに横になる。そこにまた船員がやって来て、今度はジーナが尋問を受けることになった。2人は事前に、FOI捜査官であることだけを隠し、日本の警視庁に所属する者だということにしておこうと決めていた。それ以外は、全て事実を話してしまうつもりだった。
けれど、ジーナが船室に戻されたのは、真夜中になってからだった。
ジーナの服は、かろうじて身に着けているという恰好で酷く乱れていた。怪我こそしていなかったが、情事の後の臭いを色濃く纏っている。
「おい!次は、お前だ」
入って来た船員が、空をベッドから引きずり下ろす。
「ちょっと!話が違うわ!彼女には、手を出さないって約束したはずよ!」
ジーナは男に飛びつくが、かなり疲労しているのだろう、あっさりと突き飛ばされてしまう。
「オマエの話の裏付けを、取らないといけないからな」
船員はニヤニヤと笑いながら、ふらつく空を引き立てて行く。
ジーナはドアに向かって、思いつく限りの罵声を浴びせ、悔しさに床を叩いた。
空が戻されてきたのは、明け方近くになってからだった。
廊下の足音に耳を凝らしてひたすら待ち続けたジーナは、それを聞きつけると立ち上がってドアに向かう。乱暴に開けられたドアと共に、空の身体はジーナに向かって放り投げられた。反射的に受けとめ、抱きかかえたその白い身体は、体温を感じさせないほど冷え切っていた。
続けて彼女が着ていた服を中に投げ込むと、男は即座にドアを閉め鍵を掛ける。ジーナは急いで、空の呼吸と鼓動を確かめた。
「空!・・・しっかりして!」
細く不安定だが息はしている。ジーナは彼女をそっとベッドに運び、用意しておいた濡れタオルで身体を拭き、後始末もしてやった。
ふと顔を近づけると、空の口元から強い酒の匂いがする。おそらく気付けのために、無理やり飲まされたのだろう。それだけ何度も、気を失ったと言う事なのだ。
「・・・ジー・・・ナ・・」
薄っぺらい毛布をその体に掛けてやった時、空の唇から掠れた声が漏れる。覗き込むと、辛そうな表情で、空は何とか瞼を持ち上げていた。
「気がついたのね。今、お水を持ってくるわ」
ジーナはそう言って洗面台に向かうが、コップの1つも無い事は解っていた。掌で水を受けそれを口に含むと、ジーナはベッドサイドに取って返す。そして、再び目を閉じた空の顔に手を添えると、唇を重ねて含んだ水を流し込んだ。
「もっと飲める?・・・酷い目にあった?」
ジーナの言葉に、空は先ほどよりはしっかりとした表情で答えた。
「・・・いえ、それ程では・・・これは、薬が切れているからなので」
「薬?」
空はジーナの眼を真っすぐに見つめ、静かに話し始めた。
「博にも、まだ言っていないのですが・・・」
「え?何のこと・・・って言うか、アタシが先に聞いてもイイの?」
「博はきっと、もう知っているのだと思います。全て解っていて、それでも何も言わず、いつも通りに笑顔で傍にいてくれているのだと」
彼は、彼女が自分の口から言い出すのを待っているのかもしれない。伝えづらいに決まっているから、無理強いはさせまいと思っているのだろう。
そんな心の強さと懐の深さを持つ彼なら、先にジーナに話したからと言って怒ることも無い筈だ。
空は寂しそうに微笑むと、再び話し始める。
「以前、私がヴィクターの手術で、内臓を交換していることはジーナも知っていますよね。でも今回は交換することの出来ない部分が、使用可能期間を終えます。あと3か月くらいでしょう」
ここが、と言って空は自分の首の後ろに手を置いた。
「脳幹の一部が、もう不安定で・・・」
「そこって・・・」
「ええ、生命維持に必要な機能が時々不具合を起こします。それの対症療法として、ヴィクターから薬を処方してもらっているのですが、それを置いてきてしまっています」
ジーナは空の言葉に衝撃を受け、言葉も出ない。
「症状には波があるので、ピークを乗り越えられれば治まるのですが、こんな風に任務中に出るとやはり迷惑がかかりますね。実は、去年から・・・第4王妃の事件の前から、身体能力も落ちています。行動速度も反射速度も、今はもう一般人と変わらないくらいなんです」
「・・・そんなこと・・・3か月って・・・」
漸くジーナは言葉を絞り出すが、空は穏やかに微笑んで告げた。
「ですから、私はここから脱出できたら、FOIを退職します」
捜査官でなくなれば、支局の部屋からは出なくてはならない。博が手を回してなんとかしようとするだろうが、医務室の世話になるのも、仲間に気を遣われるのも申し訳ないと思う。
「ヴィクターにホスピスを探して貰っていますので、そこに移るつもりです」
淡々と話す空の言葉に、ジーナはただその青い瞳から涙を溢れさせていた。
空は上体を起こし、彼女の頬に手を伸ばした。頬を濡らす涙の暖かさをその掌で受け止め、空は顔を寄せてジーナの唇にそっとキスをする。
そして、僅かに唇を離すと、吐息の掛かる距離で囁いた。
「・・・寒いので・・・暖めてください」
「・・・空・・・」
「お願いします・・・ジーナ」
こんな自分を、愛してくれてありがとう。
こんな事でしか感謝を伝えられなくて、こんな風にしか応えられなくて、ごめんなさい。
空の気持ちは、ジーナに伝わっただろうか。
「アリガト・・・」
ジーナは小さく呟くと、深いキスで応えた。
それは手練も手管も無く、ただ心の中に溢れる愛しさを伝える口づけだった。
空の身体を寝かせ、ジーナは肌を合わせる。
悲しさと寂しさが渦巻く頭の中で、心を彩って暖かい光を放つその色だけを見つめようとする。
この腕の中に閉じ込めた、掛け替えのない存在を自分の全てに刻み込むように。