177話 悦
「――ちょ、ちょっと速度出し過ぎじゃない!? うっ……。揺れがきつい……」
「我慢してくれハチ! 赤っ! もっと速く移動できないか!?」
「並木遥、あなたは私の主じゃないです。それにこれ以上は流石に……」
「私からも……お願い。私は大丈夫だから」
「……了解しました」
赤に地上へ急ぐことを勧められて間もなく、俺たちは全力でダンジョンを駆け上がっていた。
飛行能力のある赤と、水上での高速移動が可能なハチが交代しながら運んでくれていることと、縄張り階層の地形変化、という赤直伝のダンジョン移動方法を用いているおかげで地上までの時間は大幅に短縮。
移動を開始してから数十分で上層まで移動が完了していた。
それでも京極さんの連絡を見て、俺たちの焦りは加速していた。
まさか、探索者協会の最上階を目指してくれなんて……。
脱獄犯が手練れの探索者やあの会長を倒せるほどに強いとは考えにくい。
だとすれば……今、陽葵さんを襲っている『頭痛』、これの原因となっているもっとまずいものがいる、或いはあるのかもしれない。
しかも不穏なのはその正体に対して『神測』が曖昧にしか答えを出せないということ。
距離が近ければより詳細なものが出せるらしいが……赤の時と同じように『それ』は『神測』に抵抗できるくらいのレベルを保有している可能性もはらんでいるんじゃないか?
陽葵さんの容体が心配ではあるけど、赤にはもっと速度を上げてもらわないと――
「――フルバースト」
赤の炎の性質を利用した消えない炎の縄、これを身体に巻き付けて赤の背に乗り込み移動していたのだが、それが勢いで吹き飛びそうなほど風になびき、俺たちも吹き飛んでしまうのではないかというくらい赤は思い切り速度を上げた。
見れば赤のは羽だけでなく、脚や腕、身体の至るところから炎を吐き出していた。
これだけの炎、ここに居る俺たちも真っ黒こげになるのが普通。だが、赤は熱によるダメージもコントロールできるらしくまるで熱くない。
こうして改めて考えるとこの竜というモンスターたちって異常だよな。
このレベルの戦力が用意できるなら神様が恐れている地上の人間にだって問題なく勝てるのでは……。
「――遥様! 見えるわよ!! ダンジョン街が!!」
ハチの声に促されて正面を見る。
街の光で眼が眩しい。
街の香りで鼻の奥がくすぐられる。
大した期間じゃなかったが、驚くほど懐かしさが全身を駆け巡る。
だけどそれに浸っている時間はない。
まずは状況の把握が必須。
「ここまで来たならそろそろいけるはず……『神測』」
そうして俺はダンジョン街の上空に飛び出ると同時に『神測』を発動。
『――街全体で洗脳スキルの緩和を確認、一部完全に解除されています。緩和させたのは……神宮という人間。これ以上対象の情報を得る事は不可能でした。また、洗脳スキルの保有モンスターを探索者協会内に確認。異常な殺気と竜を僕にした人間も確認。人間の名前は矢沢彰人。探索者協会会長。強力な魔法の発動を確認。対象となる2名の探索者が死亡するまで……約20秒』
「なっ!?」
予想外な名前に素っ頓狂な声が上がってしまった。
しかも洗脳が解除って……だから、陽葵さんにあんなひどい頭痛が……。
まるでちょっと前の俺を見てるみたい……ってなんで俺にはもう頭痛がないんだ?
なにか、まだ蓋をされているような、そんな感覚があるのはなんで……。
……。いや、それでも思い返せる。
誰が悪で、ダンジョン街はどうすべきなのか……それを、誰かが教えてくれていた。
地上の人間による過去の所業。それは許せないもの、今もなおどこかで俺たちをあざ笑っているという事実。
それも全部全部……『誰か』が。
……って、もうそれはいい!! 今はその地上の人間……俺たちを奴隷化しようとする、矢沢彰人を止めることだけを考えろ!
制限時間は僅か。
最上階までこのままで間に合うかどうか、かなり微妙なところ……。
一体どうすれば……。
「遥様!! 魔法は私たちも感知したからレジストと状況回復を頑張ってみるわ!」
「でもそれは完全じゃないです。しかも集中しないとで、このように移動も不可……効果に関しては一時的な処置にすぎません。……だから、あなたに頼るのも、ハチちゃんのいう通りにするのも癪ですけど、あなたが確実に仕留めてください。多分それを陽葵様も望まれると思います。というわけで……いってきなさい!!」
頭を悩ませていると赤とハチが示し合わせたように魔法陣を展開。
高速で移動していた赤はいきなり炎を消し、急ブレーキをかけつつ……俺をつないでいた炎の縄ごと探索者協会の最上階目掛けて投げ飛ばしたのだ。
「う、わあああああああああああ!! あ、いつ……絶対恨み込めてんだろ!!」
だんだんと、近づく大きなガラス窓。
ヤバいこのままだと、衝突する……確かにこれなら時間はかからないが俺じゃなかったら死んでてもおかしくなかったぞ。
「――多重乗斬・隠」
俺はガラス窓がそこまで近づくとスキルを発動。
眼に入った邪魔そうなもの全て切り裂き、さらにはスキルで身体を強化。
前転しながら勢いを殺しつつも、ダメージが無いように部屋への侵入を成功させた。
そして改めて部屋の中を見回し……瀕死といっても過言じゃない状態の苺と宮平さん、それに3匹目の竜を瞳に映す。
「……京極さんの指示があってよかった。でもまさかこれ全部を会長が……いくら『洗脳』がなくなったからとはいえ、宮平さんたちを簡単に殺そうとするとは思いませんでしたよ」
悲惨な状況に怒った姿は見せず、冷静にこれをした人、会長に視線を移して俺は声を掛けた。
だって俺はまだ確認していないから、過去会長が地上の人間でありダンジョン街の、俺と同じ境遇の人間を奴隷化しようとした人間であっても……今も変わらずそのままなのかってことを。
「……。これはこれはまた厄介なお客さんだ。しかも、私のしたこと、しようとしたこと、その多くをお分かりのようで。……それも君のスキルによるものかい?」
悪びれた様子がまるでない薄ら笑い。
しかも興味は俺のスキルだけ、か。
「だったらどうだっていうんですか?」
「君のスキルは非常にレアだ。大人しく献上してくれませんか? でなければ……危険分子としてあなたも殺さないといけない」
躊躇なく俺を殺すと言ってのける会長。
ナイフをもって構えをとるその姿に俺は心底がっかりしてしまう。
「それは無理ですよ」
「……。構造理解。……。ふふ、並木遥君。君のレベル……『2』って、何があったのか知りませんがそれでよくそんな強気でいられますね。その程度じゃ私の誤解スキルや洗脳スキルは防げませんよ! 勿体ないですが一度洗脳してから全員殺すことにしましょう、かっ!!」
俺は陽葵さんと違ってまた頭痛が起きなかった。
以前俺にだけ頭痛が起きたのはきっと、これに対する抵抗欲が半端だったからで……今完全に上位の存在となった俺だから、自分の意思で記憶を取り戻すことができた。
それでもまだ思い出せない部分があるのは、多分別の、あの『誰か』によるもの。全員に掛けられた洗脳によるものとはきっと別。
だって……その証拠に、俺は今なにも感じていない、反抗できる。
「大丈夫。俺には、苺たちにも効かない。効かせない」
「な!? そんな馬鹿な!!」
「抵抗力付与、抵抗力強化。会長が扱うレベルのスキルならこれが有効。それに俺自身への効果も、これだけレベル依存な部分があるから問題ないみたいです」
スキルを発動して苺や宮平さんたちを保護。
余裕を見せてやると会長は面白いくらい狼狽えてくれた。
「レベル差、だと? なぜだ、君のレベルは2と……構造理解ではそうなって――」
「それは『2週目』のレベル2です。しかもその上限は……9999、だと思います」
地上の人間、記憶が戻り自分たちが下位の存在だと知って絶望する人も多いだろう。だけど……。
俺は自分が下位の人間で、さらにその中でも落ちぶれた存在であったと知ったがゆえに……レベルを突きつけるこの瞬間を思う存分楽しめるのだった。




