法治主義と徳治主義と、僕先輩の論理学部
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。
「僕先輩の論理学部、ジャンルエッセイ出張編第2弾だ」
「先輩、まだやるのか?」
「前回が意外と好評だったみたいなんだ。聖属性エッセイストからも、対話形式で読み手に入りやすいとお褒めいただいたよ」
「こんな闇属性エッセイでお目を汚して申し訳ありません」
「何を言うんだい後輩君、人は闇を暴き叡知の光で照らして文明を進歩させてきたんだ。闇があるからこそ光の有り難みも解るというもの」
「言いたいこと言ってるだけなのに人の文明の歴史に無理矢理重ねてきた」
「さて、今回は法治主義についてだ」
「法で治めて治安しようってヤツか。法治国家とか。なんで法治主義を?」
「日本は法治国家だ、とやたらと主張するおじさんがいてね。聞いてて僕は笑いを堪えるのに苦労したんだ」
「?日本は法治国家じゃなかったか?」
「日本は法治国家では無く人治国家ではないか、というのはこれまで何度か批判されてきたことなんだ。産業革新投資機構の取締役が辞任を表明するときの記者会見でも、また、自衛隊の集団的自衛権の行使のときも、日本は法治国家では無くなった、と言われたものだよ」
「ふーん。日本は法治国家だと教わった気がするけど」
「このあたり、日本の歴史から見てみるといいかな。その前に先ずは法治主義とは何かを考察してみようか」
「法律で取り締まろうっていうのが法治主義なんじゃ?」
「という環境にどっぷり浸かっている僕たちは、言わば水槽の中から見てるようなものだ。比較して外から見る為に法治主義の反対を考えてみよう」
「法治主義の反対というと、法律の無い社会、無政府状態の無秩序社会? 暴力とヒャッハーが跋扈する力が全ての世の中とか?」
「そういう社会では集団を仕切るのは山賊の親分のような人物になるね。そしてルールを決めるのが力を持つ親分。これを人治主義と言う」
「それって独裁か? ジャイアニズム? 権力者の趣味と好き嫌いでルールができるのが人治主義?」
「そうなる。だけど王様は皆に優しくして欲しいなあ、善悪の判断がしっかりできる人に統治して欲しいなあ、と人々は願うわけだ。ジャイアンよりもしずかちゃんの方がいいと。この人徳のある統治者が、徳を持って民を治めるのがいい、というのを徳治主義と言う」
「徳治主義って聞いたこと無い」
「先進国の流行が法治主義だからね。徳治主義とは孔子の統治論で広まった。なので儒教の影響を受けた東アジアの国々では徳治主義が浸透している。日本もまた統治者である天皇が徳をもって仁政を施す、ということで徳治主義の国だったと言える」
「でも昔の日本、江戸時代とかでは法治国家だったんだろ」
「ルールで社会の治安を守ろうとするので法ができる。この法が、為政者が作るものか、それとも為政者もまた法の支配を受けるのか、という部分もある。法の下に王様も平民も平等とする、という人権宣言がフランス革命へと繋がるので、法治主義とは王権神授を塗り替えるものになった」
「あー、なるほど。法の上に王様がいるのか、法の下に王様がいるのかの違いか。法で治められている法治国家だからと言って、法治主義とイコールというわけでは無いのか」
「なので法治主義と徳治主義を分かりやすく説明すると、法治主義から見て徳治主義とは、
『身内びいきや賄賂のためにルールをねじ曲げる恥知らずな人』
となり、徳治主義から見た法治主義とは、
『ルールに従うだけで自分で善悪の判断もできない、優しさの無い冷たい機械のような人』
となる」
「極端から極端だな。間は無いのか?」
「間ときたか。人と人の間と書いて人間と読むからなかなか深いものがあるね。さて儒教の影響を受けた日本もまた徳治主義の名残がある。政治家が辞任するときに『不徳の致すところ』とか言ったりするだろう」
「なんか聞き覚えあるな。不徳とは、えーと、身に徳の備わっていないこと。人の行うべき道に反すること」
「僕は政治家に人徳を求めてどうするのか? と思うのだよね。別に不道徳でも仕事をちゃんとしてればプライベートなんてどうでもいいじゃないか。不倫してようが、愛人が何人いようが、キャバクラ通い、ホストクラブ通いがやめられなかろうが、ギャンブル中毒で競馬やパチンコがやめられなかろうが、やることやっていれば私生活なんて好きにしたらいい」
「なるほど、政治家という為政者に人徳を求めるのは徳治主義か」
「不徳なんて理由で仕事を投げ出すのは無責任じゃないかい? 不徳でも有徳でもなんでもいいからやるべきことをやればいいのに」
「徳治主義だと不道徳な人には上にいて欲しく無いってことになるのか。まあ、先生って呼ばれる人は人格者であって欲しい気はするか」
「人格者ねえ。賄賂も受け取らない、汚職もしない、スキャンダルも起こさない、不正もしない。代わりに政治もできないし仕事もできない、なんてできない尽くしの人が政治家に相応しいと言うなら、国会議員の椅子にはぬいぐるみでも座らせて置けばいいのに」
「案外それで上手く行ったりして」
「徳治主義で無いのなら、例えば政治家が被虐趣味でお尻を鞭で叩かれたら画期的な政策を思い付くというなら、毎晩のように女王様にOPしてもらえばいい」
「まあ、やることやってくれているなら、スーツの下が荒縄で亀甲縛りでも、豹柄Tバックのラメ入り金モール付きでもいいんじゃないかな」
「それはそれで違う意味で一票入れたくなるね。そして政治家に人徳を求めるなら、プラトンのイデア論を参考にするべきだろう」
「プラトンと言うと哲学者か、ソクラテスの弟子の」
「プラトンが『国家』において記した理想的な政治形態とは、『卓越した知性・強靭な体力・完全な倫理』を持ち、私有財産と性的放逸を放棄した哲人が統治する哲人政治。つまり政治家は、賄賂に流されたりしないように個人の財産を持ってはならない。身内贔屓をしないように家族を持ってはならないし、結婚もしてはならない。これが徳治主義の極点だ」
「それ、人間なのか? それだと政治家は出家したお坊さんしかできない仕事にならないか?」
「為政者に人徳なんてものを求めたならここに行き着くよ。だが人はそこまで行き着けない。日本人が求めた徳治主義はもう少し人間味のあるもので、それが分かりやすいのは時代劇『水戸黄門』と『暴れん坊将軍』だ」
「あー、為政者が分かりやすい正義の味方で悪党をやっつけてくれるんだ。となると『大岡越前』も『遠山の金さん』もそうなのか」
「『大岡越前』が出たところで日本の司法の話もちょっとしておこうか。日本の司法は徳治主義の影響が見られるところでもある。裁判での情状酌量とか、裁判官の人情味溢れる判決とかね」
「情状酌量が徳治主義?」
「言い方は悪いが、犯人への同情から法を歪めているとも言える。法治主義ならば許されないだろう。また法治主義ならば裁判は事実を争点にする。ところが日本では犯人の自白と動機が裁判で重要となる。この自白偏重主義はイギリスのBBCでも記事になったり、国連拷問禁止委員会からも代用監獄の撤廃と取り調べの可視化をすべきと勧告されている」
「人情と同情、自白と反省の態度で法を歪めるから法治主義では無いと」
「そういうこと」
「だけど日本は世界の中でも治安のいい国だろ」
「そうだね、各国の安全度を順位付けした、2020年版の『世界平和度指数』では日本は世界第9位。日本と言えば治安の良い国とされている」
「それは日本人が法律を守っているからなんじゃないのか?」
「違うね、どちらかと言えば日本人は法律を守らない民族性の国だ。例としては、横断歩道のある道路を渡ろうとする歩行者がいるのに、自動車が歩行者の横断を優先せずに走ることは道路交通法に違反する。だが実際には8割以上のドライバーは一時停止していない。
2019年、厚生労働省が実施した外国人技能実習生の実習実施者に対する監督指導の結果からは、労働基準監督署等が監督指導を実施したのは9455の事業場。で、そのうち6796の事業場に労働基準法違反、労働安全衛生法違反があった。違反率は71.9%だ。
裁判員制度は辞退者が60%を超えている。そして正当な理由なく欠席した場合は10万円以下の過料を科す規定がある。ところがこの過料が適用されたことは無い。
このように法律を守らない例はいくつもある。日本人は法律を守らない。正確には法律を『守る法律』と『守らなくていい法律』と都合に合わせて取捨選択している民族性と言える」
「じゃあ、法律を守らないのになんで治安がいいんだ?」
「それを分かりやすく示す例がある。2014年、国連自由権規約委員会が日本に出した勧告の中のひとつにあるのが、
『公営住宅に同性カップルが入居できるようにするべき』
というもの。LGBT問題だね。これに対し日本政府は、
『公営住宅法の改正によって、同性カップルは入居できるようになっている』
と、回答した。
『本当に同性カップルが入居できているのか?』
と、改めて質問がされ日本政府はこう応えた。
『法律を改正したことによって、入居の条件は自治体が決めることになった』
実態は自治体では同性カップルの公営住宅の入居は拒否されている。これは日本政府は、『法律は整っているのだから問題は自治体に責任がある』と説明したことになる。
つまり日本では、法律とは諸外国に突っ込まれたときに体面を守る為のもので、実際は法律どおりにはしていない。法律よりも自治体などが決める地方のローカルルールを優先している訳だ。これが日本の治安の良さに繋がるんだ」
「法律は守らないけどローカルルールは守る、と。なるほど、法律の代わりに守るルールがあるから治安は良くなると」
「そういうこと。他にも、人気のお店に入るには行列に並んで順番を守る、なんていうのは法律には無い。そのルールはお店の人が決めたルールで、ルールを守るのはそのお店を愛用する人達だ」
「行列に割り込むのは軽犯罪なんじゃないのか?」
「飲食店などにできた行列に割り込んだ場合には『公共の乗り物、演劇などの催し、割り当て物資の配給』には該当しないんだ。だから割り込んでも軽犯罪法違反には問われ無い。行列の割り込みは法律違反では無くマナー違反だよ。こんな感じで法律の不備はマナーや気遣い、思いやりで補うことになる」
「思いやり、ねえ。思いやりでしてる人よりルールだから従っている、という人の方が多そうだ。だけど先輩、マナー違反を注意して平和に穏便にっていうのは日本以外の国でもあるだろ」
「そうだね後輩君。だが日本でこの小さな共同体のルールを遵守する、というのはマナーの話かな? 空気を読めという話になるんじゃないかい?」
「同調圧力の話になるのか。そうなるとちゃんと文章にされてない、皆がなんとなく守っている決まり事に従っている人が多いから治安がいいと」
「国の決めた法律よりも小さな共同体のローカルルールを守る。これで世界第9位の治安の良さを誇るわけだが、これがイジメとブラック企業にも繋がるんだ。国の決めた法律よりも学校のクラスのルールを、企業の職場のルールを遵守する人が多いからイジメとブラック企業は無くならない。イジメと治安の良さの根が同じところにあるわけだ」
「それだと日本はイジメがあるから治安がいいってことになりそうだが?」
「実際、そう主張する人もいる。イジメが無くなれば日本の治安は悪化する。イジメがあるから治安の良さが保たれる。イジメはおもてなしと同じ日本の文化だ、とね」
「ずいぶんとイカれた言い様だ」
「僕も狂った理屈だと思うよ。だけど狂気の論理にも一理有りだ。検証するにはイジメを減らすと治安が悪化するかどうか、実際に実験でもしてみればいい」
「まあ、人に合わせるのが苦手な俺には共同体のルールというのはピンと来ないけど」
「そこだよ、僕の言いたいことは。それを説明するために法とは何か、を語ろう」
「え? まさか、まだ本題じゃ無かったのか?」
「もともとこのテーマは『僕先輩の論理学部』の第2章でやるつもりだったんだ。これでもまとめたつもりなんだが。さて、法というのはもともとが仏教用語。仏法僧の三宝のひとつ。仏の教えのことを法と呼んだ」
「いきなり宗教の話になった」
「法律と宗教の関係は根深いよ。キリスト教背景の欧米のような一神教の文化では、法律とは神と人の約束、契約だ。法律を守ることは神の教えに従うことで、法律を破ることは神に抗うことになる」
「いきなり法律が神の掟になった?」
「もともと法律が神の掟だった、が正解。法律を支えるのが神だったんだ。逆らうのが難しい存在だね。法律を守れば神の教えに従うことになり、法律を破ると天罰が下る。そして一神教の神様とは戒律が厳しい。これで欧米では法律という『神の掟』が張り巡らされることになる。そのために日本のように空気という曖昧な掟の出番が無かった」
「ということは、一神教が背景にある文化では法律に厳しい、と。それ以外の文化圏は法律にいい加減ということか?」
「ある意味で良い加減なのかな? 法律は社会を守る補助的なものでしかなく、道徳を優先するには時に法律を無視してもいい、となるのが徳治主義だ。つまり現在の法治主義は一神教から生まれ、徳治主義はアニミズムから生まれたとも言える」
「八百万の神々のおわす日本では、法律は神様との約束にはならなかったということか」
「ところが日本は法治主義になってしまった。それも自発的にでは無く、戦争に負けて法治主義を戦勝国に押し付けられた形だ。1946年、連合国占領下の日本で昭和天皇の詔書が発布される。人間宣言と呼ばれるものだね。『天皇を現御神とするのは架空の観念である』と神性を否定した」
「日本は戦争に負けたことで徳治主義から法治主義になったのか」
「ところがそうすんなりと行くものでは無い。歴史とともに長く染み着いた民族性が簡単に変わる筈が無い。その後は戦勝国に慮り、欧米的な法治主義の振りをするのに苦心することになる」
「法治主義の振りをする、さっきの体面を取り繕うための法律ってのに繋がるのか」
「纏めて言うと日本とは、建前は法治主義、本音は徳治主義、実態は小さな共同体の決まり事を何よりも優先する村治主義だ」
「村治主義って、いきなりスケールがちっちゃくなったな」
「狭い国土の日本には合っていたわけだね。だがこれまでわりと上手く行っていた村治主義が今になって揺らいできた。法治主義という建前と徳治主義という本音のバランスが崩れてきた。これはグローバル化と学校教育の影響もあるだろうね。高齢者ほど徳治主義の傾向が強いが、若い世代ほど法治主義の傾向が強い」
「時代劇が好きなのはお年寄りだって?」
「若い世代が、為政者が正義の味方というファンタジーにリアリティを感じられなくなってきたのかもね。僕や後輩君のように。そして学校教育で学んだことをもとにすれば、法治主義プラス民主主義の考え方では、皆で作った法律を皆で守ろう、となる」
「ん? 法律ってのは偉い人が作って民衆に押し付けるもんなんじゃないのか?」
「その偉い人を選挙で選ぶことになってるんだけどね。一応説明しておくと、法律とは国家による国民に対する決まり事だ。そして憲法とは国民による国家に対する決まり事。法律とは最高法規である憲法を犯さないように立法されている」
「あれ? 日本の憲法はアメリカが作ったものなんじゃないのか? 戦勝国の」
「この辺りが日本のややこしいとこだね。フランスみたいに革命起こして憲法作ったとなれば分かりやすくていいのに」
「なるほど、形式だけ戦勝国の真似してできてるから建前の法治主義になるわけだ」
「時が流れて本音を忘れて建前に染められた人達が増えてきた。そして過疎化と都市化からかつての村社会が減少していく。そして徳治主義のお年寄りと法治主義の若者と世代間の思想の違いも現れた」
「そんなに違うものなのか?」
「これは未払い賃金を払おうとしないブラック企業の言い分なのだけどね、
『弊社は労働基準法を採用していない』
と、のたまったのだよ」
「法律って企業が採用したり不採用にしたりするものじゃないだろうに」
「徳治主義とは人徳や人情で法律を無視する。悪用すると自分に都合の悪い法律は無視するという面が現れる」
「その企業が独立国なのか? 社長が大統領なのか? 先ず賃金の未払いがどうかしている」
「と考えるのは僕たちが学校で学んだからだ。ところが地方のお年寄りは、家族とは賃金0円で使える労働者と考えるのが当たり前という人もいる。中には人をタダでこき使うのに国が文句つけるのがおかしい、なんて言う人もね。老害世代あるあるのひとつだよ」
「あー、義務教育って大事だな。頭のおかしい老害ってけっこういるんだな」
「これも国の法律より、一部の家族という小さな共同体のローカルルールを優先したり、企業という共同体の決まり事を優先した結果になる。そしてそれをおかしいと感じる若い世代が増えてきたから、おかしなことを言ってると話のネタになるようになったんだ」
「そうか、俺は法治主義の思想に染められていたのか。でもこれなら徳治主義よりマシそうだ」
「そして後輩君のように法治主義的な考え方をする人が増えてきた。こうなると小さな共同体のローカルルールよりも国の法律を優先するのが当然となる。これで法律を犯さなければ、法律不要のローカルルール優先の小集団に従う必要は無い、という人も増えた」
「確かに俺はそんな考え方でクラスの奴らに合わせる気も無いけど。先輩だってそうだろ」
「そうだね、いい時代になったものだね」
「で、先輩、結局のとこ法治主義と徳治主義、どっちがいいんだ? 徳治主義はルール破りが当たり前になるようだけど?」
「一応フォローしておくと、徳治主義は人が性善説ならば成り立つんだ」
「じゃ無理だな。俺は性善説なんて信じられない」
「法治主義にも欠点はあるよ。悪法もまた法なり、だ。ナチス時代のドイツでは法律に従えばユダヤ人を迫害せよ、となる」
「法律の方が頭おかしいってケースもあるわけか」
「法律を作るのもまた人だ。そして法律を使うのもまた人だ。法律の使い方にしても『10人の真犯人を逃すとも、ひとりの無辜を罰するなかれ』という法格言もあるが、世の中には『2、3人が冤罪になっても真犯人が10人捕まればいい』という人もいる」
「冤罪を出さずに真犯人を捕まえられないか?」
「人類は未だにそのための完全な手法を開発できてはいないよ。だから真犯人を見つける推理ドラマは人気があるんだ」
「法律を作る人と使う人の人徳によるってことか? そうなるとニワトリと卵みたいだ。どっちが先だ」
「法治主義と徳治主義、どっちがいいかなんて言うのは空手とボクシングのどっちが強いか、というのと同じだよ」
「いや、リアルファイトで決められても」
「法治主義も徳治主義もどちらも思想だ。人のより良き社会の為に考えてできたもので、そうだね、例えるならどちらも登山者のようなものだ」
「いきなり山登りの話になった」
「どちらもより良い社会という山の頂上を目指す登山者で、この二つは登山するルートが違うだけのこと。どちらも同じ山の頂上を目指して進んでいる。それをどっちのピッケルが実用的か、どっちの登山ブーツがカッコいいかでケンカしても意味が無い」
「あぁ、論破したがりの上げ足取りの議論はそこがつまらない」
「同じところを目指しているならケンカせずに、互いの短所を補いあい、互いの長所を伸ばしあうようにすればいい。法治と徳治が互いに影響しあうと良さそうなんだが」
「なるほど、どっちかだけに傾くというのがタチが悪いと。となると良きライバル関係が理想なのか」
「世界でも例を見ない法治主義と徳治主義の共存という日本の村治主義はこれまで続いてきた。だが徳治主義のデメリット、都合で法律を無視することに対して不満の声を上げる人が増えたように思う」
「いや、おかしなルールを強制するのはどうかしてると思うぞ」
「後輩君のように法治主義傾向の強い人が増えた気もするね。まあ、おかしなルールを潰す為にはより強い権力が後ろ楯にあるルール、国の法律を引っ張ってくるのがいい、ということかもしれないね」
「個人で共同体という集団に反抗したらテロリスト扱いされるからじゃないのか」
「ふむ、同意する味方の数がそのまま力になるというのは実に民主主義っぽいね」
「それで、村治主義が衰退したら、日本はこれから建前の法治主義から本音も法治主義の国に変わるのか?」
「それはどうだろうね? 未来のことは分からない。同盟国のアメリカに協調して法治主義となるのか、経済的に中国にすり寄るために徳治主義になるのか。日本は2018年度から小学校で、2019年度からは中学校でも道徳の教科化が始まったので、これから徳治主義の傾向が強まるかもしれない。ただ、僕が気になるのは法律を過剰に信じている人の危うさだ」
「危ういか? 法律が社会を守るって信じてる人が増えれば秩序は守られるんじゃないのか?」
「法律は人を守らないよ。法律にあるのは法律を犯した者には罰則がある、と書かれているだけだ」
「犯罪者を取り締まるのも法律なんじゃ?」
「では後輩君。君が突然に殺人鬼とばったり出くわしたなら? その殺人鬼が後輩君を殺そうと襲ってきたらどうする?」
「逃げるよ。そっか、非常時には法律もルールもマナーもクソも無いか」
「命の瀬戸際に、今際の際に法律には何の力も無い。法律の出番はこの狂気の殺人鬼が後輩君を殺した後、警察に捕まってからだ。法律は人を守らない。人が法律を守るのだよ」
「たまにおかしな無法者も現れるが、大多数が法律を守っていれば平和で安全か」
「さて、それもどうかな? キング牧師は『バスの中では白人に席を譲らねばならない』という法律に抗ってノーベル平和賞を受賞したのだよ」
「ややこしいな。何事もケースバイケースってことか?」
「民主主義であれば法律を守る多数派を守るために法律を破る少数派を排除せよ、ともなる。ではその少数派を人間扱いしなくとも良いのか? 日本という国の中では、多数派の決めたルールのために満足に研究できなかった研究者がいた。彼は日本を出てアメリカ国籍を得てアメリカ人になった。アメリカでのびのびと研究できる環境を手に入れて、やがてノーベル賞を受賞した。ノーベル賞受賞者の彼を日本人と報道するのはおかしいのだけどね。彼は日本出身のアメリカ国籍を持つアメリカ人なのに」
「現代版の追放物語みたいだな。今さら日本人だと言ってももう遅いってとこか」
「ややこしくなったならもっとシンプルに考えたまえよ」
「シンプルに行くと、法律だろうが道徳だろうが頭おかしいと思うものには抗え、とか?」
「それで正解。それが君の思想だ」
「俺の思想の話だったのか?」
「主義とは思想のことだよ。法治主義も徳治主義もただの思想だ。だがそこから社会を良くしようという法律が生まれる。人がなぜ、法や徳を尊ぶのか? それを忘れて出来上がった制度を利用しようとする人が増えるとおかしなことになる」
「だけど先輩、俺たちは生まれたときから何の為にできたか分からないルールが溢れているところに生きている。考えるのも面倒くさいから取り敢えず従っておこうという人も多いだろ」
「怠慢だと思うけどね。でもそれもまた処世術か」
「問題が起きなければそのままでいい、って人が多数派なんじゃないのか」
「問題は起きつつあると感じたから言いたくなったんだよね。法律を厳しくすれば秩序は保たれる、という考えからイジメも厳罰化しようという案も出る。だが法律が新たな犯罪の原因にもなりえる。アメリカでは死刑のある州と死刑の無い州があるが、猟奇的なサイコパスがスリルを求めて、わざわざ死刑のある州に移動して犯行を起こしたりね」
「死刑がイカれた殺人鬼を呼び寄せてしまったのか」
「日本でも死刑になるために人を殺すという犯罪が起きた。法律で決められた罰則が犯行の目的にもなってしまう。こういうのが現代の問題だ」
「犯罪を取り締まるための法律が新たな犯罪を生む、か。この世に悪の種は尽きまじってことか」
「衣食満ち足りて礼節を知る、という言葉もあるが、余裕が無くなればマナー違反、ルール違反は増えていくよ。転売が増えるのはコロナのパンデミックでのマスク転売バブルが理由のひとつだが、その根にあるのはマナー違反をしてでも稼ぎたい人が多いからだ」
「マナー違反はまだルール違反じゃ無い、か。そうなると法律が役に立つのはルールやマナーを守る余裕がある間だけか」
「この法律のグレーの部分を攻めて利益を得よう、という人が増えるのが法律が普及した社会で見えてきた、法治主義の負の側面だ」
「そこだけ見れば法律も、ヤクザか詐欺師の商売道具だな」
「法律が作る刑罰が犯罪の目的にもなる時代。刑務所に入る目的で罪を犯す事件もあれば、死刑になるために人殺する事件も起きた。法律を厳しくし犯罪を取り締まろうとしても、犯罪とは社会の病理だ。厳しく煩い不寛容な社会とは不健康な生活と同じ。やがて様々な病を発症するようになるだろうね」
「死刑になるために無関係な人を道連れにする破滅型犯罪、か。これから増えていきそうな気がする。ところで先輩、法律っていったいいくつあるんだ?」
「細かい数字は分からないが、約2000あるよ。それが?」
「いや、法律を守っていれば捕まることなく生きていける可能性は高まる、と考えていたんだが。思い返せば法律そのものに俺はあんまり詳しくないな、と。総数でいくつあるかも気にしてなかった」
「専門家で無ければ約2000も憶えていられないだろうね」
「いくつあるのか、実際にはなんて書かれているのか、そういうことを知らないままに守っていれば安泰と思い込むというのは、なんだかお経みたいだな、と」
「お経ね。面白い見方だ。法律がお経とは。なんて書いてあるのか意味は解らないけれど、なにやらありがたいものらしい。徳のあるお坊さんが唱えているのだから、と」
「お経のように法律を信仰する新しい宗教に、知らないうちに浸かっているのかもな」
「さしずめ『法律神話』かな? 神を解体し人が作った神無き宗教。かつては安全神話に守られた原子力発電所が爆発事故を起こしたのだから、法律神話は何を引き起こしてくれるだろうね? これは未来が楽しみになってきたよ」
「取り敢えず面倒を避けるなら、周囲と合わせて法律を有り難がっておけばいいってことか」
「建前はそれでもいいだろう。僕が言いたいのはね、法律も道徳も出来合いのものを利用するだけでは社会は劣化していく。システムを利用する寄生的な者が増えれば、それは母屋を食い荒らすシロアリが蔓延るのと同じことだ」
「そういうのをどうにかするにはどうすれば?」
「それが解れば現代社会はこんな有り様にはなっていないんじゃないかな? 僕が言えるのは法治主義や徳治主義といったかつての思想を参考に、自分の思想を探すのがいいと思うよ」
「難しいことを言う。人に言うことを聞かせられる奴が偉い世の中じゃ、自分の思想を持ってる奴は生き難いだろうに」
「生き難いからこそ思想は生まれ洗練される。感情の喪失が新たな思想を生むのさ。人生への絶望こそが、人の生きる世界をより良くしようという思想の根源なのだから」
BGM
『Red fraction』
MELL