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プロローグ


(もういやだ、やめよう)

何回目だろうかこのぼやきは。


受話器をへし折りそうな怒りをギューッと体の内側に押し込み、口角をこれでもかというくらいもちあげて、挑むように笑顔を作った。もちろん相手には見えないけれど、これをするかしないかで声の印象がだいぶ変わる。


「私の方でも配慮が足らなく…たいへん申し訳なかったです。次からは気をつけていきますので…」


保護者がフン、と鼻で笑うのが受話器越しに聞こえた。


こんな時、あぁ、貫禄が欲しい、と思う。

隣に座る主任のように、教師なりたての若手を頭のてっぺんから足の裏まで目だけで見下した上に学校通り越してで教育委員会に文句の電話しちゃうような保護者が何人かかってもビクともしないような、重量感とひとにらみで子供たちがビシィ!!ってなるような眼力。相手の心にまっすぐ届くような説得力。


分かりました、これからの頑張りを見ていますからね、と言って、相手…榎木太陽の母親は電話をガシャりと切った。


「………っ!」


やり場のない怒りをくううう、と下ろした拳に込めた。

矢継ぎ早に隣の重量級の主任が話しかけてくる。


「で?相手の親はなんだって?…うん、だから言ったじゃないか、もっと早くから手を打てたケースだよ。あなた子どものこと全然見てないじゃない!」


もうそんなことは何度も聞いた。


確かに、3年目とはいえ、ちょっとやんちゃな4年生の担任になって、春から気合いも楽しみも充分あった。

子供たちともやりたいこといっぱいあったし、やってきたように思う。


…どこからだろう、ボタンをかけ違えたのは。


きっかけはクラスでもリーダー的存在榎木の一言だった。


「お前、うざい、キモイ、消えろ」


その後に続くようにクラス中のうざい、キモイ、キエロ、コールが波紋を描くように広がっていった。


正直訳が分からなかった。


榎木の両親が昨年離婚し、大手化粧品会社に務める母親が1人で育てていたということもあり、心のケアや愛情不足の心配はしていて、私なりに関係を大事にしてきたつもりだった。


いつもにこやかでハキハキとして、友人も多く教師からの評判も良かった榎木太陽。


私との関係も悪くなく、彼の興味のある天体の本などを貸して、宇宙の話題も話すなど、本当に何事もなかった。あの日までは。



そもそもの始まりは、「ソードグランドワールド」、という今流行りのオンラインゲームが子供たちにもどうやら広まってるらしい、ということだった。


通称SGW、と呼ばれるそのゲームは自分のアバターを作り、それを主人公にSGWの世界を旅していくRPGのようなゲームで、物語を進める上で、オンライン上で仲間を作ったりできる、というシステムがあり、大人だけではなく、子供も含め、全世界で爆発的ヒットを記録更新し続けている。


オンラインゲームということで、顔の見えないやりとりで友人らとトラブルを起こし、それを学校内に解決して欲しいと持ち込まれるケースが最近多い。


うちのクラスでも、何人かがオンラインゲームで繋がっていて、その中に榎木がいた。


「うちの子がいじめられているらしい」


朝30人分の連絡帳をチェックしながら、榎木のところで手が止まった。


母親からは、榎木が昨日暗い顔をして部屋を出てきた。どうやら泣いたような感じもする。話を聞くと、オンラインゲームで何人かと音声チャットをしていて、トイレに立とうとしたのだがつまづいてぶつかった拍子に机の上の物が落ちてきたので、それをさっと片付けようとした際に誰かひとりが「最近の太陽は調子に乗ってる」などと言い出し、「おれもそう思う」など賛同する声が聞こえたらしい。さらに、「担任の前でいい顔してる、気に入られようとしている」などと。


その後は榎木に対する不満や悪口のオンパレードだったらしい。


指導が行き届いていない。どうしてくれるのか。榎木は深く傷ついている。


保護者からクレームだった。


榎木と話をしよう、クラスのみんなとも改めて話をしなければ、そう思って口を開き、みんなの最近の様子や困ってることがあったら教えて欲しい、というような事を言った次の瞬間だった。


榎木がうざい、キモイ、消えろ、と言ったのは。


クラスは180度変わってしまった。


授業中の無視はもちろん、私への嫌がらせもあった。

特に女子は辛らつで、コソコソ話や、私の悪口や落書きを書いた手紙も回った。


もうどうしようもないまま、私のクラスの4年1組は三学期に突入していた。


そんな時でも仕事は容赦ない。

来週の会議の資料。

通信票。

評価。

面談や研修の資料。

学年の会計……


主任と反対側の私の机右側は、紙類がもりもりと積もっていた。



……



電話から何時間経っただろう。


コンタクトレンズが落ちそうな目でパソコンのディスプレイを見つめる。


すでに主任はもちろん、残ってる人もほぼいない。管理職でさえも帰る準備を始めている。


終わらない。減らない。

明日も過ごさなきゃならない。

淡々と、1日1日を消化しなくてはならない。


でも、帰らなくちゃ…。


結局そう思い始めてから1時間後に私は帰った。



暗くなった商店街をとぼとぼ歩く。

駅前のスーパーで値段の下がったお弁当を買った。あと、小松菜も。


「ただいま…」


マンションの部屋の鍵を開けると暗闇から「ピッ、」と小さい声が聞こえた。


「ただいま、ぷんぷん」


電気を付けると、リビングの窓側の棚に乗せられた白いゲージが眩しく現れる。


白に映えるように手のひらサイズの鮮やかな緑の小鳥が現れた。


「ぷんちゃーん!会いたかったようう!」


「ピッ!プンプーン!!」


緑の体にピンクのちっちゃいあんよとクチバシ。


「可愛い」を凝縮したかのようなこの子はマメルリハ、という種類のインコだ。


社会人になったお祝いにペットショップで一目惚れしたぷんぷんを迎えてから、3年になろうとしている。


最近では「プンプーン!プンプーン!イッテキマス!シュッキスキ!」などおしゃべりしてくれる。


手を差し出すと真っ先に手のひらに包まれにくる。


手のひらに包まれるように握られる…鳥好きの間ではこれをニギコロ、と言う…のが大好きで、私はニギコロしながらお腹の匂いをこれでもかと嗅ぐのが好きなのだ。


ちなみにこれの鳥好きの間では「鳥臭(とりしゅう)」と言われ、アーモンドやナッツにお日様の匂いが混ざったようなそれはそれは香ばしくて幸せな香りがする。


ニギコロされながらうっとりと目を閉じているぷんぷんが、クチバシをギュリギュリと擦り合わせたので、私はそっとぷんぷんをゲージの中のおやすみテントに戻そうとした。


でもそこではっ!と起きてなんとか手のひらに居ようとする。


かわいい。


ひたすらかわいい。


私はこの子のために生きているようなものだ。


この子を守るために仕事は辞められない。どんなに辛くても。


「ぷんぷんと一緒に異世界に飛ばされてスローライフを送りたい…」


最近の私の口癖だ。


今流行りの異世界移転や転生物のコミックを現実逃避のように大量に読むせいか、私はいつしか異世界に飛ばされてぷんぷんとスローライフを送りたいと思うようになった。


それだけしんどい。

毎日がしんどい。


あぁ、異世界に愛鳥と飛ばされたい。


ぷんぷんを寝かしつけ、ざっとシャワーを浴びて、私は深夜の丸つけにかかった。






朝5時。


ゲージの中から「プンプーン!プンプーン!」というちっちゃい可愛い声で目が覚める。


ゲージのおやすみ用カバーを外すと、ぷんぷんがぴょこん、と止まり木に乗ってきた。


「おはようぷんちゃん。かいぬしは今日も仕事だよ…がんばるね。」


首をちょこっと傾げて、ぷんぷんは「シュッキ…」と言った。


朝から可愛すぎる。


朝食はぷんぷんをテーブルに乗せて一緒にとる。


私はバナナを乗せたトーストとホットミルク。

ぷんぷんは鳥用のシードをブレンドしたペレットというご飯と新鮮なお水をマグカップに入れて。


この時間が私の1日を作ってる。


身支度をして、ぷんぷんに行ってきます、と言うとぷんぷんもゲージの中から「イッテキマス!」と言った。



どんな仕事も大変だ。


それは分かってるけど、教師は真っ黒にも真っ黒なブラックだと思う。


まず、朝がめっちゃ早い。


そして、「先生」も多い。


プライドもあり、自分の意見をしっかり持っている人も多いから、口調も若干きつい人も少なくない。


でもそれは意地悪でもなく「あなたのためを思って」なのだから、慣れないうちは戸惑ってしまう。


そして、私の主任もそんなタイプだ。


毎朝主任よりも早く来て、机を拭いて、お茶を入れる。掃除もサッとやっておく。

それだけでもう7時15分になってしまった。


まずい、30分には子供たちが来てしまう。自分の教室に行かなきゃ。朝やれることをしなくちゃ。


そんなこんなで子供たちがやってきて、宿題や連絡帳チェックして、朝の会があって…


でも、ここまでは、普通なのだ。


できる所は自分たちでもやる。でも、私の所はそれが出来ない。


朝の挨拶をしても、私の話は誰も聞いていない。


みんな勝手におしゃべりを始めたり、紙くずを投げたりして遊んでる。

中でも1番大きな声で話してるのが榎木太陽だ。


…あなた達が先生になって、喋ったらいいじゃない、私よりも大きな声なんだから。


そう思って何日が経っただろう。


そんなこんなでなんとか授業も「いつも通り」こなしていく。



5時間目は図書室の時間だった。


子供は廊下にも並ばず、べちゃべちゃ喋りながらゆーっくり図書室へ向かう。


図書室、といっても無法地帯だ。


教室を離れた子供たちはますますおしゃべりが止まらない。


机の上に寄りかかる子もいる。


私は黙々とそれを見ないようにテストの丸つけを端っこのカウンターで行う。


20分くらい経っただろうか。


子供の1人があっ、と指さした。


「煙が出てる」と。


みんな窓に詰め寄る、私ものろのろとそちらに向かった。


「やべぇ、結構近くじゃん」


「なんか消防車の音も聞こえるね」


「商店街の方じゃない?」


「あれって〇〇公園…」


と言った子供がいたところで私の背中がざわっ、と冷たくなったり


〇〇公園の隣に、私とぷんぷんが住んでいるマンションが、ある。


私は身を翻して駆け出した。


子供たちの何人かが、驚き、でも直ぐにニヤニヤしだす。


変なの、とかキモイ、とか聞こえてきた。


大きな声をあげたのは榎木だった。


「俺ら置いてどこ行くんだよ!」


私はキッ、と榎木を睨みつけた。


「教頭先生にお願いしていきます!先生は用事が出来ました。ごめん、私、あなた達よりも大事な物があるの!」


後ろを振り返らず駆け出す。


「逃げんのかよ!」


榎木の声が、少し悲鳴を帯びた叫び声に聞こえたのは、走りながら聞いた声が、だんだん小さくなっていっかからかもしれない。






商店街は野次馬でごった返していた。

消防車に混じって救急車も見えたのが私の背中をさらに冷たくさせる。


野次馬をかき分けながら、出火したところはどうやら私のマンションの隣のアパートだということだった。


酷い煙で私の住む3階は全く見えなかった。


鳥は、少量の煙やガスでもダメだ。

真っ青になって正門前の制止を振り切って非常階段を駆け上がった。


ぷんぷん。


ぷんぷん。


私はあなたがいないと生きていけない。


非常階段から非常口を開け、三階と思われる所に出た。


見えない…何も…。


煙い、焦げた臭い、でも行かなくちゃ…


やっとのことで自分の部屋の前にたどり着く。

鍵を開け、「ぷんぷん!」と叫んだ。


昨日の夜とは違う嫌な暗闇は、煙が立ち込めて出来てるものだ。


喉はカラカラで、目も痛い。頭もクラクラする。


私はありったけの声で叫ぶ。


「ぷんぷん!」


煙の奥から「…プン…プン…シュッキ…」


という声が聞こえてきた。


手を伸ばしたまま私は息苦しさで倒れた。


意識が遠のいていく…


自分の死への恐れはない。


それよりも、小さなぷんぷんを苦しませてしまっていることが1番の後悔だ…


毎晩の眠りとは違った後味の悪さを味わいながら、私は永遠の眠りについた。

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